Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

オリンピックを終えて

2008-08-24 20:18:59 | ひとから学ぶ
 いよいよオリンピックも終わる。アメリカの放映時間に合わせて午前中に行われた水泳の決勝。36個の金メダルのうち一人で8個も獲得した種目なんだからそんな調整があっても、金がものをいう五輪である以上仕方のないことだ。確かに五輪五輪とみながテレビ観戦となるが、中国の金メダル大国化に対して異論も多い。「金でつかんだ金メダル」などというのはとくに中国で開催されているだけにそう言われてしまう。ところが、金でメダルの数が決まるのは今に始まったことではない。日本もこれまでの経過から世界で戦えるアスリートには十分に金をかけている。そういう意味ではそんな金のことを気にしなくてもよいプロ選手にとって五輪とは何なのだ、ということになる。プロにしてみれば五輪は最終目標ではないはず。プロはプロとしての考えがあって仕事をしているわけだ。そういう意味ではプロが加わるというのは、アマチュアが混ざっているいる以上公平ではない。ということで、メダルの数を目標として掲げるのは良いが、少なかろうが多かろうが、あくまでもそれぞれの五輪に対する思いの結果である。

 別の日記で五輪野球チームについて何度も触れてしまったが、本音のところを口にして欲しいとも思う。なぜあれほど金縛りになってしまったかと。これを無言のまま終わらせたら、日本のプロは今後も野球に限らず五輪で同じことを繰り返すのではないだろうか。プロとして五輪とは何か、そしてプロ野球の選手として五輪とは何か、それを答えて欲しいとも思う。でなければ、これほど国民に期待を持たせて置きながら、プロとして「力がなかった」では済まされないはずだ。「アマチュアの権利を奪ってまでプロが出たんだから・・・」という意見も多い。五輪に野球を復活するのは、メジャーが出場するのが条件だなどというIOCの意見もあるという。これも当たり前のことで、五輪こそナンバーワンという称号をIOCにしては当然の意見だ。しかし、果たしてメジャーリーグにとって五輪がナンバーワンと言えるだろうか。もちろんそれはWBCも同じだ。国の威信といって戦うかもしれないが、あくまでも余興的位置づけであることに違いはない。プロは日常のシーズン戦が第一の場なのである。したがって五輪イズナンバーワンにはなり得ないのだ。このあたりを考えてくると、五輪にメジャーリーガーが出場することを条件に野球を復活させるなどというIOCの口車などに乗ってはいけない。もうずっと五輪に野球が復活せずとも、自分たちがプロとして何をするべきか、という信念を貫いて欲しいとも思う。

 4年に一度しかない五輪だからこそ、ふつうのアスリートはその場を待ち望んで日々を努力する。4年という長い期間の中を漂い、たったわずかな時間で勝敗は決する。もともとプロ野球とはあり方が違う。4年間アスリートにとっての最高峰の場にかけてきた人たちと、たまたまある五輪の場に登場してきたプロ野球、あるいはプロサッカー選手では同じ土俵ではないのだ。JOCの意見として、特別扱いであった野球に対して前提として選手村に入るべきだった、というものがあった。意外にこんなところは国民は認識していない。4年間町に待った選手と、特別扱いされてたまたまやってきた選手が、どれほど違うか、野球の出場にかかわった人たちは何を考えていたのだろう。これでもって、「予定通り金メダルを獲得した」などという軽い言葉を聴かなくて、本当は良かったのではないだろうか。そういう意味では男子サッカーにしても野球にしても、たいへん良い結果であったとわたしは思う。「オリンピックをナメルな」ということである。

 予断であるが、野球において金メダルを獲得した韓国チームに対して敬意を表するとともに、日本国内では盛んに「兵役免除」のおかげみたいなことを報道しているが、兵役ごときで目の色を変えるようでは国が滅ぶ。わたしは日本の選手へのあてつけにしか聞こえない。
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