Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

東京へ

2008-08-01 12:20:55 | つぶやき
 かつては東京への出張が年間に何度かあった。ところが会社がぐらついてくると、そうした出張をすることもめったになくなる。そうした県外でのかかわりが少ない仕事だけに、東京へ行くといっても研修とか予算獲得のヒアリングといったものだから、予算そのものが減少すればそうした出張もなくなるというものだ。昨年まではそんな東京方面に出張という機会がしばらくなかった。それでも昨年は予算獲得のために2度足を伸ばしたが、いずれも高速バスでの新宿行きであった。まだ電車通勤を始めたばかりで、従来の考え方がまだまだ染み付いていたから東京行き=高速バスという図式が当たり前だった。その後長野への出張に電車を利用するようになり、その後は高速バスはまったく利用しなくなった。バスは指定席だからか必ず座れるというメリットはある。しかし、狭いということもあるし、子どものころ強い車酔いがあったわたしには、バス=緊張というスタイルがしばらくあったものだ。旅行でもかつてはバス旅行というものを会社でよくしたものだが、どうも苦手だった。成人し、自ら車を日常のように利用するようになると、そこそこ車酔いも影を潜めたが、いずれにしてもバスはダメな方だった。このごろは高速バス内で活字を追うということもできるようになっていたが、高速バスの場合は揺れが少なく、またブレーキによる減速というものもがないからのことで、普通の路線バス、あるいは観光では相変わらずという感じだった。あれほど車酔いをする者が、なぜ電車では酔わないのかよく解らないが、おおかたの人は電車では酔わないものだ。

 ということで東京へ行くといえば常に高速バスだったから、電車という想定はなかった。ところが電車ばかり利用しているとバスではなく電車を選択したくなる。どちらを利用しても実際の交通費を支給してくれるから所要時間のことはともかくとして電車の時刻表を真っ先に見るようになった。そして会議の時間までにその日に間に合う電車さえあれば、それを選択する。一応バスの時刻表もあとから確認はしてみるが、行き先がどちらも新宿駅ならバスは参考程度である。

 この7/30に電車利用を前提にするようになってから初めての東京出張があった。もちろんのこと電車の時刻表をまず確認した。まだ高速道路が開通する以前には中央本線を利用して東京まで行ったが、高速バスが走るようになってからは、利用したことはない。東京まで電車で出張した記憶がほとんどないように、就職後まもなくは中央自動車道が全通していなかったが、数年後にはつながっていたはずだ。当時は伊那谷で仕事をしていなかったから、信越本線を利用して出張したことはあったかもしれないが、中央本線を利用して出張ということはなかったように記憶する。だから中央本線を利用して東京へ行くのは、高校時代に就職試験に行った以来かもしれない。約30年ぶりの車窓を眺めたわけだ。そんなことを思いながら、初めて行った東京のことを思い出す。わたしが初めて東京へ行ったのは蒲田が目的地だった。知人の家を訪れるために一人で電車に乗ったのだが、中学生か高校の始めのころだっただろう。初めてで一人ということで、東京まで緊張の世界だったと思う。それも知人とはいえ、初めて会う人の家に向かったのだから、けっこうだいたんなものだった。当時は飯田線から直通の急行というものがあったはずだ。だからとりあえず新宿までは乗りさえすれば直通できたわけだ。
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