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伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

「伊那谷の南と北」第3章

2007-04-06 06:42:49 | 民俗学

第3章 南北格差

 「南北格差のない県土づくり」と前面に出して県会議員選挙に出馬している伊那市区の候補がいる。前面にだしているからには、南北格差とはどういうところにあるのか解っているのだろうが、果たして南北格差なるものがあるのだろうか。

 一般的に使われる南北問題というものは、1960年代に入って起こった先進資本国と発展途上国の経済格差とその是正をめぐる問題である。豊かな国が世界地図上の北側に、貧しい国が南側に偏っていることから南北問題と呼ばれるらしいが、この南北問題(南北格差)は、あらゆる場面で利用されている。基本的に南が低く、北が高いというイメージで捉えられており、そのイメージは、「先進と後進」、あるいは「貧富」といった部分を例える際にも使われたりする。この南北格差は、日本国内の地方においても、比較した際に南北格差があったりするとよく使われる言葉なのだ。その事例を紹介すると、①三重県においては、財政面という部分において、少子高齢化で過疎化が進む熊野市など県南部と、景気が好調な名古屋市に近い県北部の経済格差問題が課題だという。②官製談合事件からの県政刷新が争点の和歌山県では、紀南の有権者は地元振興策に注目しており、紀北と比べ交通や経済面で遅れていて、それを南北格差と認識している。③宮崎県では、観光客が減少している宮崎市を中心とした県南エリアに比べ、県内の観光スポット人気NO.1の「高千穂峡」がある県北エリアは観光客数が増えており、観光業界における南北格差が広がっているという。このように、南北格差というと、南が遅れをとっている地域という捉え方が多く、まさに世界の南北問題を例えているかのようである。

 さて、そうした南北格差を意識する場面として、県議会議員選挙があるわけだ。田口哲男県会議員は、そんな南北格差をホームページで何編か扱っている。ちょっと長いがその内容を引用すると、次のようである。

 「県政運営において「南北格差」が歴然と存在しており、これを少しでも是正せよと訴えてきた。また中南信地方に暮らす人々もそのことを強く願っていると思う。・・・では、どこに「南北格差」が具体的に表れているか交通政策と例にとって報告したい。平成10年に長野新幹線が開業した。このとき県はこの建設のため県内通過分77kmに約1,026億円余を投じている。また先ごろ「しなの鉄道」への貸付金103億円を放棄した。平成26年開業予定の北陸新幹線には県内通過分の建設負担として約445億円余を予定し、すでに222億円を拠出している。もちろん長野新幹線でも北陸新幹線でも通過し、駅が設置される地元自治体では負担金を出さなければならない。たとえば長野市・上田市・佐久市・軽井沢町の四つの自治体で合計約70億円を負担している。決して少なくない金額である。しかし、問題はこれからである。実はこれら自治体には新幹線を保有するJR東日本より毎年約16億円もの巨額な固定資産税が入り、「特例減額期間」が切れる平成19年以降は32億円が入ることになっている。つまり70億円は負担したが、一方で固定資産税7年分112億円がそれぞれの自治体に転がり込んでいるのである。もはや負担金は完全にペイバックされ、42億円ものお釣りがきているのである。・・・さて「しなの鉄道」は新幹線建設で信越線の軽井沢~長野間が廃止されることにより、県がセクター方式で運営している鉄道会社である。しかし、経営は厳しい。だから県は「減損会計」導入にあたって貸付金103億円を株式に転換させた。いわゆる民間会社で言う「転換社債」である。したがって貸付金(税金)は無と化したのである。ご存知のとおり株式は営業利益が存在している時点では「有価」としての意味がある。しかし、赤字営業では無に等しい。・・・この「しなの鉄道」もまた沿線自治体に毎年約7,000万円の固定資産税を支払っている。・・・私は県民に訴えたい。せめて固定資産税の1割でもいいから県に還付し、中南信地方の交通整備に充てる方策を考えよ!・・・と。・・・それが公正ある県財政計画である。」

 確かに北信といわれる長野市近郊にくらべると、佐久市近郊は長野県内では別世界のような活気がある。しかし、それが先々を考えない無謀なのか、それともしっかりした土台があっての政策なのかはわたしにも不明である。東京が通勤圏内だというのだから活気があっても不思議ではない。そんな環境をねたむように南北格差とくくってしまうには、ちょっと北信の人たちに申し訳がないような気もする。今に始まったことではない南北格差は、かつては確かにあっただろう。長野市を中心とした地域に偏った予算付けの典型的な事例がオリンピックだったわけだ。そのオリンピックが終わったから、いよいよオリンピックに関係しなかった地域に重点的な予算がつけられると期待していたら、県が財政難だといって、田中前知事の緊縮予算となった。財政が厳しくなるのがわかっていたのにオリンピックといって騒いでいたわけだから、だまされたといえばその通りだ。しかし、そんな部分も含めて南北格差の解消を訴えているが、現実的に今の長野県にそんなくくり方の格差があるというのだろうか。わたしにはそう思えない。山間地域を見る限り、むしろ長野市近郊の村々の方が厳しさが目立つ。それは田中前知事時代に、より反田中色を見せていただけに、むしろその時代の南北格差は、南が高く、北が低いというような沈んだ雰囲気があった。

 そもそも「南北格差」を掲げる人は、自分より南の人たちの姿を見ずに、比較的優遇されていると思うような地域と、自らの地域を比較して「南北格差」と言っているに過ぎず、実はそう訴えている人ほど自ら南北を比較して上下関係をほのめかすきらいがある。冒頭の伊那市の事例からいえば、あきらかに伊那市近郊は求人倍率もよく、県内の中では状況が良い地域といえる。そして、現在の長野県内を見渡したとき、大型の事業が行なわれている場所といえば、北部の北陸新幹線と、南部の三遠南信道あたりくらいだ。どこをみても特別優遇されているような地域はないし、「格差」を掲げるほどの差は感じられない。何度も言うが、むしろ長野市近郊の村々の方が厳しさが目立つ。

 田口県会議員は松本市区の選出議員である。南北とはいうが、その背景は明らかに「長野市と松本市」という背景があり、本当の意味での南北格差をとりあげているとは思えない。そして、冒頭の伊那市区の議員の発言も同じなのだ。ようは、伊那市から見れば、さまざまな今までの政策を例にとって「南北格差」といっているに過ぎず、むしろ、自ら伊那谷の南と北を取り上げもせず、自分だけが損をしているという論理なのだ。そんな捉え方はどこにでもある捉え方なのだが、とくに伊那谷の北部の人たちが言う「南北格差」は、南部の人たちが聞くと「それは嘘だろう」と思うに違いない。そんな自己主張をしているから、伊那谷は南と北に分離してしまうのだ。


 「伊那谷の南と北」序章
 「伊那谷の南と北」第1章
 「伊那谷の南と北」第2章

 

「伊那谷の南と北」第4章

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