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伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

「伊那谷の南と北」第4章

2007-05-27 10:25:14 | 民俗学

第4章 諏訪と伊那

 上伊那郡を対象にした地域新聞がいくつかある。ずいぶん昔からあった伊那毎日新聞や、近ごろ盛んに購読されている長野日報はそんな新聞である。後者を発行している長野日報社は諏訪市に本社があり、諏訪は諏訪で同じような新聞を発行しているようだが、その新聞を読んだことはない。この長野日報のスタンスがすべてそういうものなのかは解らないが、郡内の市町村をページごとにまとめている。ほぼ毎日12ページで組んでいて、1面は郡内の広域的なニュースや、代表的なニュースを主に扱い、2面以降6面まで市町村ごとのニュースを掲載している。2面に登場するのは辰野町と箕輪町で、3面は伊那市、4面が南箕輪村と宮田村、5面が駒ヶ根市、6面が飯島町と中川村である。この新聞があることを知ったのは、もうずいぶん前のこと、生家を訪れた際に生家で購読している新聞を見てからである。わたしが生家に住まなくなって20年ほどになるが、そのころには購読していなかった。初めてみたころと新聞のイメージは変わっていないように思う。ようは新聞の前半は、地域ごとの記事だから、よその記事にまったく興味を持たない人は読みもしないかもしれない。それでも購読したいのは、意外にもそうしたページごとに地域の話題を必ず掲載しているからかもしれない。『ウィキペディア(Wikipedia)』では、この新聞について「紙面の特徴として、地域の行政や人々の暮らし、年中行事などの細かな話題を中心に掲載し、政治的な主義主張の展開はあまりみられない。亡くなった人の葬儀日程などを告知する通称「お悔やみ欄」は詳細な記述で知られ、本人の顔写真、来歴はもとより、配偶者や子どもの来歴や現在の仕事の内容に至るまで紹介される」と紹介している。市町村別に枠を区切るからこそ、生き残れているのかもしれない。

 ところで前述したような掲載順は、わたしが見た限り、長い間変わっていない。もちろん高遠町と長谷村が合併する以前は、両者をセットにした面も用意されていた。北から順に南へ向かってページが進むわけだが、この流れがこの地域を物語っている。その内容は後に譲るとして、まず、なぜページごとに地域を扱わなくてはならないのか、ということである。もちろん、中央の新聞であっても、地方へ配布するものは、その地方版をかならず設けているから、とくに長野日報が特別なことをしているわけではない。しかし、あえて地域を区切って記事を構成する必要性はそれほどないと思う。比較する良い例が、下伊那郡域を対象として発行している南信州や信州日報と言われる新聞である。こちらは、ページごと、あるいはページのどこかに必ずその地域を対象にした記事を載せることはない。そうならざるを得ない要因として、市町村の数が多くてすべての自治体をスペースを設けて記事にするには環境が整っていないということもあるだろう。しかしながら、この新聞のスタンスが、地域性を物語っている。飯田市という絶対的な中心を持つ下伊那郡域と、伊那市という中心はあるものの、南部には駒ヶ根市があり、そればかりでなくそれぞれの町村がそれぞれの地域を色濃く出しているからだ。そんな地域だからこそ、わざわざ区切った報道が、わかりやすいということにもなるのかもしれない。加えてこの長野日報の地域性というものもうかがえる。長野日報のホームページがある。そこに展開される話題は、諏訪と上伊那地域を対象にしている。どう考えたって両者は異空間であるものの、両者は少なからず関係を持ち始めている。それは、かつて工業地域として栄えた諏訪地域から、人々が上伊那へ流出したことにもよる。伊那市から北部地域は、明らかに諏訪の通勤圏域である。狭い空間の諏訪、対照的な伊那地域。両者はどこかでお互いにないものを補っているという印象がある。とはいえ、釜口水門から川岸、辰野までの狭隘な地は、両者をつなぐには今ひとつという感覚はあるが、同一空間にありながら異空間である伊那地域と飯田地域の比較(ここで上伊那と下伊那とあえて表記しないのは、上伊那と下伊那という対象と伊那と飯田という対象には違いがあると考えているからだ)とはまた異なるものだ。

 そして、その市町村の掲載順である。北から南へ順次掲載していく。ここまで言い切るのはわたしだけかもしれないが、ようは、北から南へ諏訪からは遠くなる。この地域は北へ行くほどに先進地域という自負を持っているに違いない。それは県庁所在地に近くなるという立地条件も加わる。もちろん東京に近くなるという条件も同様だ。北が上で南が下という地図上の立地がそのままこの地域の意識を形成している。おそらく新聞を作る側も、この掲載順がごく普通の順番だと認識しているだろうし、それを逆さまにしてしまったら、読者が減るかもしれない。そんな伊那地域の意識が、いっぽうで飯田地域の意識に対して影響しているとわたしは考えている。そして、その狭間で諏訪ともそれほどかかわりを持たない立地の上伊那南部(駒ヶ根市など)が、曖昧に両者の中間にあって伊那や飯田ほどの独自な他地域への展開ができないでいるわけだ。


 「伊那谷の南と北」序章
 「伊那谷の南と北」第1章
 「伊那谷の南と北」第2章
 「伊那谷の南と北」第3章

「伊那谷の南と北」第5章


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