Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

消えなかった村①

2006-09-28 08:24:09 | 歴史から学ぶ
 「消えた村をもう一度」と題して今までにも紹介しているが、いっぽうで消えなかった村もある。もともと古いパンフレットを見ているうちに思いついたものなのだが、合併しなかった町村のパンフレットも、この機会に思い出してみようと考えた。そこで「消えなかった村」と題して、合併に至らなかった町村や合併しても相変わらず小さくて、これからどうなるのだろうというような町村にも触れてみようと思う。

 北設楽郡設楽町は、長野県に接する町である。愛知県内でみると、平成の合併後にいまだに市に至っていない地域は、周縁部に集中している。とくに長野県境に近い山間部に町村が残っている。そんな町村のひとつにこの設楽町がある。初めてこの名前を目にすると、読めないかもしれない。「せつらく」とくらいしか読みようがない。実は「したら」と読む。かろうじて合併しなかったため、北設楽郡という郡が残っている。いや、合併をしなかったわけではなく、隣接していた津具村と合併して新設楽町となった。合併はしたものの人口は6千5百人余ということで、小さな町である。山間にあっても一次産業比率は低く、20パーセントほどで、三次産業に従事する人が半分を占める。

 設楽町というと田峯というところに田峯観音という寺がある。2月に田峯田楽という祭りがあることで知られている。設楽といえば田峯という印象が強い。

 昭和55年に送っていただいたパンフレットは、封筒大のもので、表裏を開いた状態でスキャンしたものが写真である。紹介されているのは、①設楽町立奥三河郷土館、②仙境添沢温泉、③名勝岩古谷山、④祭り、⑤石仏公苑、⑥キャンプ場、⑦東海自然歩道などである。三河に入ると、この東海自然歩道という看板をよくみる。いや、最近のことは知らない。かつてこの地域を訪れた際、盛んにこの看板を目にして、東海地域を結ぶ長い歩道が整備されているのだと思った程度なのだが、その印象は強い。愛知県内に186キロの自然歩道が整備されていて、そのうちの32キロがこの設楽町にある、とパンフレットで触れている。鳳来町から足助町(現豊田市)まで連絡しているようだ。パンフレットの最後に主要都市からの案内がされている。名古屋から足助経由で自動車で110分、浜松から本長篠経由で自動車で90分、飯田から豊根経由で100分と記載されている。ようは名古屋、浜松、飯田というトライアングルのほぼ中央にあるということになるのだろうか。三市とも県が異なるのだから、簡単に言えば愛知県の中では周縁部ということになる。

 さて、わたしにとっては設楽町といえば田峯田楽も印象深いが、それ以上にさんぞろ祭りがイメージが強い。11月の第3土曜日に現在は行なわれている祭りで、津島神社を舞台に七福神の舞が繰り広げられ、問答のやり取りがある。この問答において「何者にて候」と問われ、「参候、それがしは○○にて候」と答える場面があり、そこからさんぞろ(参候)祭りと呼ばれているようだ。

 写真は昭和61年11月15日に撮影したもので、七福神のうちの福禄寿である。



 消えた村をもう一度⑨
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