Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

与田切川の変化

2006-09-01 08:20:32 | 自然から学ぶ


 先ごろ「手の届かない川」について書いた。わたしが生まれ育った家のすぐ近くを流れる川は、ずいぶんと様子を変えてしまって、とても川に親しむ、あるいは川で遊ぶという感覚ではなくなってしまったことを残念がったわけだ。子どものころ撮影した川の写真があるはずだと思い、探し出してみた。それがこのモノクロ写真である。先ごろ紹介した頭首工から撮影した写真とみくらべてみると、その違いが歴然としている。わたしの記憶では、先ごろ撮った写真も、ここで紹介しているモノクロの写真も、ほぼ撮影した場所は同じである。モノクロの方が若干下流側かもしれないが、違っていても100メートル以内である。最近の写真の方は、右側が藪になっているため、モノクロより川よりに寄っている。だからモノクロの方が川が広く感じるのだが、河川内を走っている道路の川よりで撮ったか堤内地よりで撮ったかの違いぐらいである。モノクロの方は冬に、最近のものは夏に撮っているから、木々の多少に違いがあるのは仕方ないが、その条件を差し引いたとしても、今の川には木がたくさん生えていることがよくわかる。

 川の向こう側の河岸段丘の高さは50メートルを越える。この段丘の上は水田地帯である。子どものころはこんな崖だったから、よく崩れる姿を目にしたり、音を聞いたものだ。どんどん上の平がなくなってしまうのではないか、そんな印象であったが、今では崖の姿がよく見えない。この上段は飯島町鳥居原という地籍で、広大な水田地帯が展開している。地層がよく見えるということで、わたしにとってはこの崖が毎日の風景でもあるし、その地層に興味を持っていた。天竜川が作り出したもので天竜礫層という。この崖が右手の方で川の方に下がっていっているが、この先に天竜川との合流点がある。下がり始める手前に堀のように木々が黒々崖の方に落ちているが、この突端にトヤゴ城という山城が戦国時代以前にはあった。崖をよじ登るのはできないが、合流点からこの城跡を登って上段に登ったことは何度もあった。写真には写っていないが、この崖の左側手前では、崖が二段になっていて、崖が凸凹していたため、そこはよじ登ることができた。

 「手の届かない川」でも述べたように、モノクロの写真を見る限り、川は河川内道路とさほど差がなく、川幅もずいぶん広く見える。この写真は昭和47年ころのものだが、さらに以前は、写真の真ん中あたりに中洲があったはずだ。そんな中州にヤナギの木があって、カブトムシやクワガタがたくさんいたものだ。きっとこの写真を撮影した少し前に大きな洪水があったのだと思う。河川内道路の端に三角錐状の木を組んだものが見える。昔は消防団が水防訓練をすると、よくこの牛枠を作ったものだ。今でも河川工事などで水脈筋を追う際に、こんな形のものが作られていたりする。

 さらに河川内の道路は、わたしが小さなころにはなかった。この下流に砕石プラントができてからこの道が作られたのだ。堤内地の町道は狭く、またダンプが通っては住民にも迷惑だということで、河川内にプラントまでの道が作られたようだ。この道の下にかつての護岸があって、そんな護岸の法尻から清水が湧き出ているところが何箇所もあったが、今では湧水が出ていたといってもとても信じられるものではない。

 ちなみに、現在駒ヶ根市から飯島町まで国道153号の伊南バイパスが建設されている。いつ完成するかは知らないが、ちょうど写真の崖の真ん中あたりにそのバイパスが上の平からやってきて、この川を跳び越すという。おそらく300メートル以上の橋が架かる。モノクロの時代から考えればビックリである。また、正面にそびえたつ山は、今までにも何度か紹介しいる陣場形山である。山の上からの写真と、今回の下からの写真を見ながら、崖の上、崖の下を思い浮かべてみて欲しい。立体感が出てくると思う。

参照
 飯島町のこと
 陣場形山
 陣場形山②
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