Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

土手草を考える

2006-09-22 08:15:48 | 自然から学ぶ
 ほ場整備された土手も、整備されて30年もすると、だいぶ変化してくる。かつて土手にあった木は整備の際にすべてなくなってしまい。炎天下の田んぼの中といえば、日陰などと言うものはまったくなくなってしまったが、意図的に木を植えたりする人もいて、若干の日陰ができている田んぼもある。それでも木を土手に植えると、隣接地の日陰になったりするから、喜ばれるものではない。日陰になるということは稲の生育に影響するからだ。単に景観がよいからとかいう視点だけでは、なかなか語られないそこには背景があるものなのだ。

 だから整備をすることにより植生から多様さがなくなってしまったとはいっても、さまざまに人が関係しているから、他人様がいろいろ申し上げることもできないのが現実である。北条節雄氏は、ほ場整備された田んぼの土手とそうでない田んぼの土手を比較して、整備された田んぼの土手には、スズサイコ、オミナエシ、キスゲ、ヘラオモダカ、イトイヌノヒゲ、ミヤコグサ、ノハナショウブ、ヒメミカンソウ、ヒメナミキ、ワレモコウ、ヤナギタデ、ミズオオバコ、キキョウ、タヌキモ、アシカキなどの希少なものがなくなっているという(「土手草が消える」『伊那』893 伊那史学会 平成14年)。これらの植物は、整備をされていない土手でも、すでになくなりつつあるもので、むしろその姿を田んぼの土手で見ることは珍しい。大規模な整備がされて30年もたつ飯島町の土手を見ると、確かに多様ではないものの、意図的にそうした草花を刈らずに残している土手を見ることがある。いや、意図的なのか、たまたま残っているのかは聞き取っていないのでわからないが、整備して間もないころにくらべると、土手によって差はあるものの、多様な草花を見せる土手も中には見受けられるのである。

 先日飯島町本郷の第一という地区の土手を眺めていた。なぜ眺めていたかといえば、かつてそこに自家の水田があったわけで、そのころの姿を思い出しつつ、懐かしんでいたというのが事実である。今は集団化されてそこに我が家の土地はないのだが、かつて我が家の水田があった近くの土手に、盛んにツリガネニンジンが咲いているのである。周辺にはカワラナデシコやゲンノショウコなども生えていて、整備された土手でも昔の姿を残しているんだと気がついたわけだ。それでもその近くに盛んにセンブリを取りに行った覚えがあるが、そんなものはどこにもあるわけがない。希少なものはやはり消えているわけだ。先にも言ったように、必ずしも整備されていなくてもそうした草花は消えている。とすれば整備が影響したということも事実ではあるが、それ以上に草刈の仕方が変化したということはいうまでもない。
 
 先日も稲刈り前ということもあって、妻の実家の田んぼの土手草を刈ったのだが、刈るのはまだしもその草の片づけが大変なのだ。整備されていない田んぼだから畦が狭く、1輪車へ載せるが大量には載らない。何度もいつも積み重ねている場所まで運ぶのだが、ただただ腐るのを待つだけの草を集めるのは、生産性がなくて意欲を失う。昔なら、背負いビクやセイタ(セイタ)につけて家まで運び、家畜の餌にしたのだろうが、今はその家畜がいない。草の処理をしながら毎回思うのは、この草が有効に利用できることを考えるべきだ、ということである。やはり家畜を飼うというのが一番かもしれない。


 さて、飯島町本郷第一のかつての我が家の田んぼのあった土手の近くで写真のように奇麗に草が刈られた土手に遭遇した。土手草の多様性を考慮しなければ、土手草は奇麗に刈られているのが見た目は一番である。ほ場整備された土手があちこち見事に刈られている姿を見ると気持ちがよいものだ。しかし、土手草を刈るといっても土手が大きければ、その苦労は知らないものにはわからない。写真の土手は水路から畦の上まで5メートル以上はあるだろう。整備された際にはこの大きな土手に小段は何もない。だから草を刈るとなればこの傾斜地に足を踏ん張って刈らなくてはならない。そうした体勢を維持するのは若者には簡単かもしれないが、歳をとれば簡単なことではない。この田んぼの所有者は、約1メートルごとに足場を設けたわけだ。それが横に筋になっている。草を刈るには一様な面の方が刈りやすいことはわかっているが、草を刈る人の安全を考えればこういうことになるのだろう。

 土手草に関しては、以前ホームページに記事を載せている。
 「田んぼの土手に見られる草花
 「田んぼの畔に撒く金のなる木
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