Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

収穫祭

2005-11-24 08:23:54 | 農村環境
 勤労感謝の日、家から妻の家までの間、あちこちで「収穫祭」なる看板を見た。そして、りんごの木オーナー制度を導入しているところが多いようで、あちこちにオーナーさんたちの収穫祭的なイベントが見られた。まさしく、収穫祭なのである。この日妻の実家でネギを掘って採り入れをした。畑のうちの約1アール程度に育ったネギを収穫したのであるが、たくさん掘り出してその量の多さに、まだ他の畑にも植えてあってこれで半分だというので、「こんなに誰が食べるの」と妻に聞くと「あんたが食べてるでしょ」といわれた。確かにネギは好きで「ネギ入れないの」と食卓で料理に注文をつけることもある。しかし、いくらなんでもこんなには食べていない。人にあげるものなどを含めると、このくらい必要なのだという。
 ところで、妻の料理はやたらと野菜をたくさん使う。典型的なものが味噌汁である。結婚した当時は少し控えめな味噌汁だったが、慣れたころには汁よりも具の多い味噌汁になっていた。わたしがわりとあっさりした味噌汁が好きだったこともあり、「もっと汁の多い味噌汁にしてほしい」という愚痴は絶えずこぼしていた。いまでもそれは変わらない。10年以上もたって、こちらがそれに慣れてきたこともあるが、単身赴任先で味噌汁をよく作るが、まさしく妻の味噌汁同様の味噌汁を自ら作るようになってしまった。味噌汁はたくさん食べると塩分のとり過ぎはわかっているが、味噌汁がないとご飯が進まない、古いタイプの人間である。このごろは、具たくさん味噌汁だけ作ってご飯を食べない、という暮らしを赴任先でしている。妻は、ふつうの家の食卓ではこんなに野菜を豊富に使わないと自慢する。そんな暮らしに慣れてきたからか、わたしも野菜だけはいくらでも食べる。レタスの時期には、大きなお皿にレタスを山盛りにして一人で食べる。贅沢な食事だと妻は言うが、金はかかっていない。贅沢だという言葉に納得はいかないが、肉を食べるよりその方が好みなんだから、贅沢というよりも満足な食事ということになるだろうか。このごろはあまりに野菜ばかり食べるから、肉を食べなさいとか玉子を食べなさいと口やかましい。
 ネギを掘った後、キャベツを採ったあとのクズを田んぼに運んでまいた。肥料にするように田んぼにまくのだが、近所のほかの家ではあまりそういうことはしない。妻の家の田んぼだけ、柿を剥いた皮や野菜のクズなどたくさんまかれている。それだけよい土ができているのだろう。キャベツの横にあったブロッコリーとカリフラワーもクズだと思って田んぼにばらまいたら、妻がいくつかその塊を拾って帰ってきた。「どうして」と聞くと、「カリフラワーはまだ三つ残っていたんな」という。よく見なかったからもう採ってあるものと思い込んで田んぼに捨ててしまったのである。三つにしてはえらくたくさん拾ってきたと思ったら、ブロッコリーもカリフラワーも鶏が好んで食べるというのである。妻は残ったクズを縛って鶏小屋に吊るした。すると、鶏は盛んにつついて食べるのである。その玉子は、わたしの毎日の弁当のおかずとなる。農家に食べ物のクズは出ないのである。わたしも農家の生まれだからそのくらいのことは承知していたが、あらたらめて思い出す1日であった。妻の実家で赤飯を炊いて収穫の祝いをした。かつては収穫の祝いに赤飯を炊くということが普通に行なわれていたが、いまではそんなことをする家は少ないのだろう。

 『音の伝承』というホームページを開きました。
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