Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

アクリルたわしを使おう

2005-11-22 08:14:28 | 農村環境
 会社で女の子が茶碗を洗っているのをみて少しびっくり。せいぜいお茶を飲むだけの茶碗を、洗剤を使って洗う。きれいにこしたことはないが、ちょっと行き過ぎという感じである。家庭で油モノを使ったときに洗剤を使うことはあっても、普通の茶碗を洗うのに洗剤を使ったことはない。昔はものを知らなかったこともあるが、盛んに洗剤を使っていた。その洗剤が水を汚すということも知らなかった。しかし、今では生活排水こそ水を汚すものだということは、誰もが知っている。無知であるがうえに、世の中の水を汚してきた。洗剤が水を汚すことがこれほど知られてきても、洗剤は多用され、コマーシャルは多い。それでもかつてにくらべれば、環境にやさしい洗剤が普及してきた。
 近年まで知らなかったが、アクリルの毛糸をたわしにして洗うと、汚れがよく落ちる。ふと気がつくと家のシンクに毛糸がおかれていた。それに気がついたのは5年くらい前だろうか。それまでは固形石鹸を使っていて、いわゆるコマーシャルで宣伝されているような洗剤ではなく、環境配慮型のものであった。それは、環境配慮で使ったわけではなく、手荒れをがひどいのでそれを防ぐために使っていた。その洗剤が姿を消したころ、「なぜ洗剤を補充しないんだ」と妻に質問したことがあった。わたしは、めったにシンクで洗い物をすることはないが、それでも時折洗おうとすると洗剤がなく、「なんで」とはいつも思っていたのである。妻は質問に対して「毛糸を使って洗えば油も落ちるよ」という。「嘘だろ」と思いながら毛糸を使ったところ、確かに落ちる。それからというもの、毛糸を使って洗い物をするようになった。きっとどこかの本かなにかに出ていて、妻も始めたことなのだろうが、だからといって、毛糸のたわしで洗うことが世の中の常識にまではなっていない。それも不思議なことではある。
 「アクリルたわし」で検索するとたくさん出てくる。やはり認識は高い。メリットとして、①先剤を使わないので洗剤代の 節約になる、②洗剤による手荒れがなくなる、③洗剤を流さないことで、環境にやさし、ということがだいたいどこでも言われている。節約はともかく、一般洗剤を使うと手荒れはひどい。コマーシャルなんかでも手荒れがないということを宣伝するものが昔から多い。それだけ手荒れ=洗い物という式が成り立っていた。手荒れが起きるということを普通に考えれば、身体によくないということになる。それほど影響するものが洗剤には混入しているということになる。だから、三つのメリットに加え、わたしが最も重要視することは、洗い物をする人の身体にやさしいということと、洗っても洗剤が完全に洗い流されずに茶碗に残れば、それを微量であっても口にする可能性が出てくる。したがって、身体に対して安全であるということが第一なのである。プラス、洗剤を使うと洗い流すために水を大量に消費するが、洗剤を使わなければ、水の使用量も減少する。どう考えても洗剤を使うよりメリットが大きい。にもかかわらず一般化しないところに、経済社会の構図があるのだろう。
 単身赴任をしていて、洗い物をすることは多い。不精だからシンク周りを掃除しないと、掃除しないところがネチャネチャしてくる。それをきれいにするにもアクリルたわしを使うが、それでも急ぐ時のために、粉洗剤を用意しているが、時折使う程度で、ほとんど洗剤いらずで1年を暮らしている。白い茶碗には茶渋がついて茶色くなってくるが、時折アクリルたわしで手間をかけてこすると、不思議なくらい、それも落ちる。むかし、飯台を使っていたころは、引出しがついていて、食べ終わるとお湯を入れて飲んで、そのまま引き出しにしまった。めったに洗うということがなかったし、今のように油モノを盛んに作ることもなかった。食生活の大きな変化は、水利用を大きく変えていった。
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