Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

喫煙所の復活

2005-11-12 01:28:50 | ひとから学ぶ
 たばこを吸う人は、かつてにくらべるとかなり減った。減るのは当たり前かもしれない。なにしろどこへ行っても禁煙状態なのだから、吸うにも吸えない状況なら減るはずだ。たばこを吸う人の7割はニコチン依存症だという。そしてさらに7割は禁煙を試みながら失敗しているという。そう考えれば、それほどたばこ吸いは減っていないのではないかとも思う。禁煙ばかり目立って、人目に触れなくなっただけなのかもしれない。ただ、会社を見回しても、かつてより吸わない人の率が高くなったことは確かで、とくに若い人たちが吸わなくなった。たばこ吸いが権力を誇示していたころは、わたしも「おかしい」という気持ちを常に持っていた。それは、会議に灰皿を配ることで、自分はたばこなど吸いもしないのに、若い者に灰皿を配らせたり取りに行かせたりするのは納得できなかった。吸いたいやつが自分で灰皿くらい用意しろ、そう思った。それが今ではまったく世界が変わった。会議といっても禁煙だから、灰皿など見なくなったし、空気もきれいになった。昔の会社の事務所で、年末の大掃除をすれば、必ずロッカーや棚を拭くと、たばこのやにがすごかった。スチールの机や棚が、掃除後には見違えるようにきれいになった。それを見るたびに、灰皿の話ではないが、ほとんどたばこ吸いのために掃除をしていると思ったものである。それこそ「おまえたちが掃除すればいいんだ」と思ったもので、だいたいそんな掃除をたばこを吸わない女の子なんかがしていることが情けなかった。
 それでも、今たばこを吸う人たちには同情したい。長野県は、田中知事になってから、たばこ吸いの権利がどんどん剥奪されていった。最初は分煙のために、県の出先機関に喫煙所が金をかけて作られた。そんな喫煙所が1年もたたないうちに、建物内全面禁煙となった。建物内で吸えないから、屋上とか玄関など建物の外へ出て吸っていた。職員も、外来者も、人通りがある出入り口近くでたばこを吸う姿があった。それが昨年、敷地内全面禁煙となった。そこまでやるのか、という感じで、吸いたい人は、敷地から出た路上で吸うようになったのである。情けないの一言に尽きる。くわえたばこで路上を歩くのは、昔からたばこを吸う人には厳しい目があった。それが、路上にたむろしてたばこを吸うという光景だから、ヤクザや暴走族の集まりと傍から見れば同じである。県の出先機関といえば、外来者もいるのだから、せいぜい喫煙所を定めて分煙すればよい。それができずに敷地内で吸うなというのなら、その前に、県職員でたばこを吸うものは辞めなさい、とか、出勤後は帰宅するまで喫煙してはならない、というくらい明確にするべきである。
 さて、長野県庁では喫煙所を復活するという話がある。なぜまた、・・・・と誰もが思うだろう。理由は、敷地外で吸うことにより、みっともないといって苦情があるという。あきれて何も言えない。普通の頭があれば、敷地外で吸うことを許しているのだから、そんな苦情が出るのは簡単に想定できる。それでも敷地内禁煙をしたのだから、そんな苦情などでおたおたすることじたいあいた口がふさがらない。
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