Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

ふるさとにつながる窓口

2005-11-13 01:53:41 | ひとから学ぶ
 ホームページの「日々を描く」を久しぶりに更新しようといろいろ資料をあさっていたとき、つぎのような文が書かれた記事を読んだ。「新宿の高速バスターミナル待合室には、飯田へ帰る安心感がある」と。ふるさとにつながる音、匂い、色はどんなものかという質問に出てきた、それらとは異なるふるさとへつながる言葉である。きっと、同じ方向に向かうバスターミナルには、身近さを覚えるはずである。それは、例えばその場にいる人たちの何パーセントかは、伊那谷の出身者であったり、あるいは伊那谷に向かう人たちであって、けしてまったく伊那谷を知らない人たちがいるわけではない。そんな方向意識あるいは志向性が、そのバスターミナルの空間に漂うのである。新宿という人の溢れている空間だからこそ、ほんのわずかな空間でありながら、ふるさとへ続く窓口がそこにはある。わたしは、最近はバスで東京に出るということはない。東京方面に行くというと、昔では考えられなかったが、今はほとんど車である。いや、東京に行くことそのものが少なくなった。しかし、かつて車で行くことに抵抗あったころは、ほとんどバスによる東京行きであった。そしてわたしも、帰途につく際にたどり着く安田生命ビルにあるバスターミナルは、ほっとする空間であった。まるで、単身赴任の月曜日の朝と金曜日の夕方のようなもので、不慣れな空間に旅立つ際の心の動揺と、また慣れた空間に戻るという安堵感を覚える窓、そして境界なのである。
 拠点となる駅には、そこを通過しないとよそとのつながりが持てないということで存在感がある。かつてはほとんどの人たちがこうした駅を通過していたから、駅に対する心持は強い。事実わたしもそれほど遠くに出かけるでもなくとも、地元の駅から電車が出るとき、また帰ってきてそのホームに降りたときには、気持ちとしての区切りとなっていた。もちろん、降り立つときは、安堵感を覚えたものである。中川村西丸尾の大正11年生まれの男性は、戦争から帰ってきて伊那本郷の駅を降りて無事帰れたことを実感したという。まだ駅からは天竜川を越えてしばらく歩くわけだが、帰ってきたことを実感したわけである。
 また、中川村片桐へよそから嫁に来た女性は、電車で通うときに見た中央アルプスの百間ナギの上の稜線に出る上弦の月と山の美しさはここへ来てから強い印象であったという。また、冬の早朝、七久保駅から見る日の出の風景も美しい風景として強く残る。そして、きっと外へ出たら思い出す印象深い風景は、西山(中央アルプス)の美しさだという。いつも通勤しながら見ていた風景にふるさとをイメージしているわけで、電車に乗りながら、西山の姿を見て安堵感を覚えていたはずである。
 中川村で聞いた2つの話は、いずれも地元からよそへの窓口であるが、新宿の話は地元へのよその窓口である。前者に比較すると、そんな雰囲気を持つ空間はけして多くはないのかもしれないが、同郷の人たちが集まる空間がそんな空間になりうるのだろう。新宿駅のアルプス広場にもそんな雰囲気がかつてはあったというし、ふるさとへ向かうホーム上も志向性が強い空間であって、帰途へ向かう者にはいつまでも印象に残る空間である。
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