Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

飯山市の大規模店の印象

2005-11-18 08:17:26 | 農村環境
 長野県内の建設業関連の記事を載せる新建新聞の編集後記に、飯山市入り口にある大型店と市中心部にある地元商店街のことを扱った記事がみえた。「飯山市を訪れたことがある人ならご存知だろうが・・・」と始まる両者の対比についての扱いは、つい先日訪れた飯山市の第一印象とまさしく一致していたため、人事ではないという印象をもった。何を言いたいかというと、先日久しぶりに訪れた飯山市の印象を、同行した同僚に、こう語ったのである。市街地南にある大規模店が連なる姿をみて、「人口が2万人余の市に隣接する村々も、けして大きな村ではないのに、この大規模店群にどこから人が来るんだろう」と。そして、平日の朝方だというのに、大規模店の庭にたくさんの車が止まっているのをみて、ますますその気持ちを繰り返したのであった。昨年の中越地震の際には、整備された道を利用し、長野県内の北端にあるこの町へ買い物に訪れた被災者が多かったともいう。現在もそうした範囲からの集客があるとはなかなか思えないし、県境近くにある町へわざわざ長野ではなく、北の飯山市へ買い物に向かうということは、あまり考えられるものではない。加えて、冬は豪雪地帯であって、その豪雪地へわざわざ小雪地域から足を向けるということはないだろう。そんな条件を知っているからこそ思った、意外な大規模店街の姿であった。
 そして、新聞記事では、その大規模店の姿とは対照的な中心市街地のことを記述している。もちろん「人影は少なくその差は歴然としている」という。そして、「徳の市というキャンペーンが張られ、街頭でお惣菜を売っている女性がいた。人通りがない中での健気な姿をみてかわいそうになった。お店に立ち寄り、千円ぐらい買い物。・・・」という具合に哀れみとも思える記述が続く。わたしはこの日、町の中を通らなかったが、かつて飯山に暮らしたわたしには、町の中の印象は強い。最初に買ったカメラは、飯山の商店街の親父さんと話しているうちに買ったもので、当時でもマニア向けのカメラであった。当時の中心街には大きめなスーパーがあって、もっとも集客能力があった。その店も、わたしが住まなくなって10年もたたないうちに、市街から撤退した。すでに人口減少に歯止めのかからない状況にあったと思う。
 同じ新聞の別の記事に、「日本の秋を思う」という見出しのものがあり、やはり大規模店のことを扱った記事が踊る。大規模店が撤退することによって、周辺商店街が「困る」と騒ぐが、もともと大規模店がやってくるといったときには反対したのに、いまさらなくなるといって何を矛盾なことをいうのだ、というような記事である。まったくその通りである。まったくその通りであるがうえに、だとすればなぜ、大規模店の誘致が現在も繰り返されるかである。優良農地をつぶして、大規模な店舗をつくることは、何を意味しているのか。目先の集客や、経済効果だけを計算しての行政の判断も間違っているだろうし、それをあてにする地域の有力者の価値観に行き着く。このごろ盛んに言われる費用対効果というものも、計算の視点をどこに置くかによって、結果はまったく異なる。ようは計算などどうにでもなるということである。しかし、行政は、対住民の目をくらませるがごとく、費用対効果に敏感に対応する。つまるところ、目先の効果に振り回されがちだということである。ここで価値観とは何かということになるだろう。簡単に言えば、自給自足で経済は停滞しても、自らの足元をかためて行くのと、外部資本に頼り、とりあえず今の栄光にすがろうとするかということになる。よくいわれることに、「ここは何もなく、発展しなかった」を理由に、遅れてしまったとか、置いていかれてしまったという形容である。果たしてそうした地域が本当に後進地域と化してしまうのか、長いスパンで見たときにはどうなのか、そんな捉え方で価値の原点を見てもよいのではないか。
 数年ののち、このとき見た飯山の入り口が、姿を一変していないことを願ってやまない。
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