夢のもつれ

なんとなく考えたことを生の全般ともつれさせながら、書いていこうと思います。

静かで、青い朝

2005-04-05 | tale


  すべてがデータになる前に(8)

「わぉ。とってもインプレッシヴな光景ね」と小さな喚声をドアからナースが連れ出してくる。ひらひらひら、まーちゃんが指を回すのは、いつもの廊下のほの暗い冷たさ。ちょうちょなんかいないって、ぼくは言いたくても言えない。君の目が魚のように映ったなんて。

 陽が射してきている。見る間に大きな樹がかぶさってくる。ジャージを変てこなふうに着た女から、甘えたような匂いが海峡から海峡へさざめき合う。違うんだよ。海なんか要らないんだ。ただ眠いんだ。だって、消灯後の数数えを「出してくれよぉ」とか「なんで独房なんかにあたしが居るんだよぉ」とかで邪魔するんだから。ほら、ナースだって目だけで笑っている。腕をきつく引き上げるために。

 また、若い女だね。いくら言っても、文書を提出しても性懲りもなく出てくる朝のジャムみたいだ。でも、手首はきれいだね。だから「女」って呼んであげる。まーちゃんみたいにいい子にしててくれたら、もっといい位をあげよう。ぼくはジャムをいっぱいちゅうちゅうしたいんじゃない。朝から手が汚れるのがいやなんだ。ナース以外はみんなぼくとリンクがあるから、知ってるよ。控えめに言っても、5人のママはみんなね。湿った路地と赤錆びた屋根を重ねたふくらはぎを見せたりしないから、ママは好きなんだ。

 集まって来たよ。でも、離れているから、礼儀正しいから。テレビとは違うさ。子熊や子猫ならいいのにね。くるまって自分の匂いの中に眠れる。いじめたりされない。おびえていれば雨上がりの石の階段から旗を捧げて下りてくればいい。女はそんなこと知らないからカレンダーをなぞっている。きっと今日がどんな日かスキャンしてるんだね。新入りがよくしてるね、ぼくみたいにしないのもいるけど。だって、未生の彼らが教えてくれたから。日にちには印しも色もついていないって。女は後ろ目でみんなをチェックしてる。みんなもそんなの慣れっこさ。

 無内容なカンファレンスを白く汚れたガラスの向こうでしている。ここのナースってほんとにバカだ。下らない奴らだ。ロッカールームなら聞こえないって思ってるんだもんね。「手足を抑えられてるっていうのに、よくあんなに食べれるわね」とか、「眠剤の注射のとき、お尻はダメよって言うのよ」とか声高にひそひそ話をする。それで予め聞こえた言葉が合唱される。「あんなかわいい顔してねー」少し外れてるよ。

 お掃除が終わって、午前中のこの時間って好きだな。宇宙が静かで、青い光に満ちて、外では知らなかった舌触りだ。ぼくはいつここに来たのか、覚えていない。昨日じゃないし、まーちゃんみたいにちっちゃな子どものときからでもないんだけど。霧がしゃがんでいくのがわかるくらい登ろうよ、鼻の奥につんつん土ぼこりが入るくらい一生懸命。みんなあそこに行くんだろう。月が真上に見えるから。それまでに。そう、ママたちはいつも褒めてくれる。違う時空のことを考えられるなんて、すごいことね。

 ああ、そう言えばまともなナースもいたね。キャップを少し傾けてかぶって、だから男と逃げてしまった。夜中でも話をしてくれたのにね。今の連中は、規則ですからって言うだろ? 規則ってこの世でいちばん苦い食べ物みたいだね。先生に訊いてくださいって、言うだろ? 先生は彼女たちの守護聖人なんだ。

「お変わりありませんか?」「はい。だいじょうぶです。ですから……」もう先生は廊下を二つ曲がっている。明日まで声をかけてくれない。もう少し様子を見ましょう。あなた次第ですよ。話を逸らすのがコツなんだね。風になびくすすきみたいな直立不動で、声を張り上げたってさ、カラオケだって迷惑だよ。出れる人はちゃんと予約を取って、診察室できちんと話をする。実務的ですって見せられないと、言動じゃないんだ。何日でも待つことができないようじゃまた戻ってくるだけだから。「いやあ、ここがやっぱり気楽だから」そういう人は2週間もすると、また直立不動しちゃう。

 女は周りを気にしてる、でも、そんな様子は見せたくない。緊張してる、無理してる、ナースにだけ話しかけようとする。平凡だよ。眠くなるよ、疲れちゃって。服の中まで沁み透るね、月虹は。ここではよく見れるんだ、17分ずつ昼間が短いからかな。でも、お昼の時間は一緒だよ。あと73分あるね。……ぼくは素数が大好きなんだ。あの女もそういう目をしてる。独りでいるのがいつの間にか好きにさせられたんだね。そう、ここのスキャンが終わって、ふらついている脳にアプリケーション・ソフトをインストールしたら、社交的なlone wolfに戻るんでしょ?


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