酒と鉄道の日々

大好きな酒と趣味の鉄道の話題を絡め、時評・四方山話に酔うコーナー。

こんな危険思想の持ち主を首相にしてはいけない

2006-08-23 07:02:51 | Weblog
 安倍普三さんが「憲法改正」ほ政治日程に載せるという。「日本を、誇らしい国にする」んだそうな。

 若い美空で、ナニを世迷いごとを言っとるか。

 ここ61年間、戦争の名の下に、他国を侵犯したこともなく、国民を戦禍に巻き込んだこともない。他国には、必ずしも尊敬されていないかもしれないが、国民の血税から捻出した金で、ODAにも精を出してきた。国民は、政治に期待できないまま、それでも、粛々とその日暮らしに一所懸命。

 こんな国が「誇らしい国」でなかったら、世界中どこを探したって、安倍さんが言う「誇らしい国」なんか、あるわけない。

 憲法と教育基本法。この国の根幹を為す大切な二つの法律を、あの非道な首相だった岸信介の孫の好きなようにさせてはならない。

 安倍さんには、先の戦争での犠牲者300万人の声が届かず、自らの祖父を含めたA級戦犯の悪魔の囁きだけが、耳に残っているようだ。

 自分の大切な人が戦争に獲られる。例え外国人といえども、「他人を殺したくない、自分も殺されたくない」 人間として、当たり前の感情。万事、この当たり前の感情からスタートすべきだろう。

 後戻りできなくなった時点で後悔しても、もはや、何の手立てもないのだということを、認識していこう。 

あきれる、東条英機 孫娘の慇懃無礼

2006-08-22 05:49:04 | Weblog
 この夏も、靖国神社や極東裁判、総じて言えば「戦争責任」についての様々な意見がかまびすしかった。

 その中で、イヤミに感じたのが、戦犯・東条英機の孫娘の、祖父擁護論。「国のためを思った指導者が、ナニゆえ、戦犯なのか」と言いたいらしい。

 言葉は丁寧ながら、その表情は鉄仮面のごとく冷たく、ハナシの内容は時代認識のカケラもない。世が世なら、自分も含めて、一族郎党、ことごとくが処刑され、
戦後61年目の夏に、そんな戯言、発言すらできなかったはずなのに、なんという破廉恥。

 戦争を実体験した先輩たちが減り続け、戦争体験の風化が心配されているけれど、こんな輩に限って、長生きして、戦争賛歌を唱えるんだから、何をか言わんだよね。

 スジ違いな意見を開陳するヒマがあるんなら、戦争犯罪人の身内として、国内や近隣諸国へのお詫びの旅に出たらいかが。 情けないったらないね。

高校野球の総評 やはりオカシイ

2006-08-22 05:39:41 | Weblog
 夏の高校野球甲子園大会が閉幕した。

 8/22付け朝日新聞に今大会の総評が載っていた。うなづける点もあったが、毎々指摘し続けている「野球留学」やコレを核とした「著名選手集め」の是非については、一言も触れられていない。

 朝日新聞社も、主催グループの一員として、大会が盛り上がって、事件がなかったからえぇじゃないか、ということか。

 その総評に中で引っかかったのは、「地方の公立校といえども工夫と情熱があれば戦える」としている点。地方の公立校にとっての「工夫」と「情熱」とは何か?

時流に載って、全国各地から「著名選手」を野球留学として受け入れる「情熱」と「工夫」を持つべきだ、ということなのだろうか。

 幾度もアピールしているが、高校野球は純粋に地元の生徒たちだけで造ったチーム同士で競うべきなのだ。

 すでに、「地方」においても、「校名」以外は地元に縁もゆかりもない高校野球部が増えつつある。

 「教育の一環」と言うのなら、地元だけの野球チームの育成・強化のために、主催者グループこそ、「工夫」と「情熱」をもって指導に当たるべきではないのか。

言論を暴力で封ずることの愚かさ

2006-08-19 08:48:57 | Weblog
 自民党・加藤さんの庄内の実家が放火された。
 犯人と目される人物は、その場で腹を切った模様。でも、死に切れず身柄が確保された由。
 
 聞けば、加藤さんが小泉さんの靖国神社参拝を非難したことに、反発したものらしい。
 自分の考えと異なる人・コトは、ゼッタイに許さないということか。
 自分だけが暮らす社会ではない以上、様々な考えを容認し、お互いのモノの見方・考え方を尊重してこその、現代社会のはず。
 こんな簡単明快な理屈が分からないなんて、あきれちゃうよね。
犯人のアタマのなかは、封建時代のままなんかねぇ。

 加えて、今時、切腹だと。結局死に切れんかったくせに。笑っちゃうよね。
 思うに、小泉さんも大変なファンを持ったものだよ。

 こんな右翼の輩、厳罰に処し、もって、後世までの見せしめにするがいい。
 国家権力って、「左」には厳しいけれど「右」には甘いからね。厳正に処分してくれよ、頼むぜ、警察さんよ。

野球ルールで飲む  その続き

2006-08-19 08:34:34 | Weblog
 野球のルールを持ち出して、ワケの分からんコトを解説。それをサカナに飲んだハナシを書き込んだら、別の仲間から電話があった。

 「おまえなぁ、甲子園では純粋無垢な高校生たちが、青春を賭けて野球に取り組んでるんだぞ。少しはタイミングを考えろよな」とな。
 ハハァ! お代官様。申し訳ございませぬ。高校野球は教育の一環ゆえ、全国から野球留学を受け入れたり、校名だけが地元のもので選手はことごとくが他県人 なとどいう体たらくなど、微塵もない高校野球大会でありますれば、己の見識の無さを、平に平にご容赦くださりませーぇ。  ってか。アホか。

 で、野球ルールの中で、当然のごとく「ルールーブック」なぞ載っていようもないことが起こったら、どないなるねん? これが最初の着眼点だった。

 「くたびれたボールを、投手が投げ込んだら、パワーあふれる打者が、これをジァストミート。打球はグングン伸びて  じゃなく、バットに当たった瞬間、ボールは粉々に砕けてしまった。あわてて、捕手が、少しもこぼさずにこれをミットに納めた」

 「ミニミニのファールやろ。捕手が抑えたなら、打者はアウトだぜ」

 「いやいや、その時、強い風が吹きよって、捕手のミットに納まっていた砕けたボールのカケラは、ことごとくが吹き飛んでもうたんや」

 「なにっ!風にとばされたとな」

 「そうか、判定は 風と共に去りぬ、だ」

 お粗末!

野球ルールも酒のツマミ

2006-08-18 13:39:26 | Weblog
 暑くて寝付けないことをイイコトに、昨夜も近所の居酒屋でクダを巻いていた。

 昨夜の、常連との話題は、今が盛りの高校野球。しばらくは、この夏の甲子園大会出場校をサカナに飲んでたが、そのうち、野球のルールのハナシになった。

 程よく酔った常連の一人が、突然「こういう場合は、どういう判定になるんかのぉ?」なんて言い出したから、さぁ、大変。ハナシが止まらなくなってしまった。

 イワク、「ピッチャーマウンドってさ、ホームから見れば相当盛り上がって高くなってるよな。雨上がりのグランドでさ、馬鹿力のバッターが精一杯叩き付けた打球が、ピッチャーマウンドの下に、ズボッとめりこんだ。ピッチャーがこのボールを掘り出す前に、バッターが走ってホームインしたら、ピッチャー前のホームランになるんかいな」と来た。

 たわいもない話題だけれど、こんなときに「そんなのは、打球がめり込んだ瞬間に、デッドといってだなぁ」などと正論を吐いてはいけない。それでは、せっかくの話題がオシマイなってしまうからだ。

 その点、我が常連たちは心得たもので、しっかりとフォローしてくれる。

 「そりゃあ、ホームランにならざるを得ないだろうよ。ただ、アレだぜ、ピッチャーは、あくまでも素手でボールを掘り出すんだぜ。スコップなんか使ったら、その時点でボークだかんな」と。なるほど。

 そんな話題なら、私も負けてない。
 「じゃあ、打球が外野に転々としていて、野手が捕球する前に、通りすがりのワン公が、ボールを咥えて球場外へ持ち出したら、どんな判定になるの?」

某常連、たったヒトコト。「ワンボール!」

悪酔いしそうな夜だった。  

暑い夜は

2006-08-17 05:40:38 | Weblog
 暑く寝苦しい夜が続いている。

 エアコンなんて、身体に良くないと思い込んでるから、ウチには無い。

 暑くてとっても寝苦しい夜は、さて、どうするか。

 一等簡単なのは、ひたすら飲み続けること。いつのまにか、眠りに落ちている。
ただし、翌朝のことを考えると、休日の前夜以外には薦められないし、かえって、寝汗を大量生産してしまう危険性も内在している。

 懐が暖かいときは、やっぱり、外に呑みに出ることだろうね。なじみの店で呑んだくれてりゃあ、アッという間に日付変更線を超える。ヨイショっと、ベッドにころがりゃあ、夢の国へ直行だが、この方式も、やはり、翌朝に不安が残る。

 涼を求めて夜の街ならぬ、夜汽車を見に、最寄の駅に詣でる なんてのもいいものですぜ、ダンナ。

 折りしも、盆帰りした人たちが首都圏へのUターンの頃。何気にホームに佇んで「人模様」を眺めてみるに、列車旅って人生の旅とオーバーラップし、そこはかと
ないペーソスが感じられるもの。

 暗い駅構内に彩りを添える紅や蒼の信号の灯り。夜汽車のライトと重ねたシーンなんて、まさに「真夏の夜の夢」っつう雰囲気。

 いかがですか。暑い夜、夜汽車見物にシャレてみませんか。

小泉さんだけではなく もっと真剣に考えようよ

2006-08-16 06:09:58 | Weblog
 敗戦の日の靖国神社参拝。

 「いつ行っても批判される」から、敗戦の日に詣でる  ナンと言う理屈であろうか。これが一国の首相の言葉か? 小泉さんの理屈は、まるで、子供のケンカだ。
依怙地の典型である。開き直り参拝・後は野となれ山となれ参拝・ヤケクソ参拝だ。

 市井の人たちの声にも様々なものがあった。

 背筋が寒くなったのは、「参拝すべきなんでしょ。国のために散った人たちを祀ってるのだし。A級戦犯ったって、当時は国のためにやったことだろうから」
ウンヌンカンヌン。

 靖国問題の本質がまったく分かっていない、情けないこと甚だしい。

 政教分離・皇国史観・周辺諸国の感情・A級戦犯合祀  なにひとつ、考えているとは思えない。恐ろしいのは、戦争を知らない若者もさることながら、戦争経験者の中からも、「いいんじゃない」「当然のことだ」という意識が少なくなかったことだ。

 いまさらながら、一点だけ押さえておこう。

 「A級戦犯といっても、当時は国のためにやったこと」というが、そんなコトは決してないのだ。当時、真に、国のためを思って行動したのなら、15年にも及ぶ戦争の道を選ぶべきではなかったし、戦禍が国民に及んだ以上、早期に打開の方向を探るべきこそが、「国を思い、国のためにとるべき」姿勢であったのだ。

 最高の戦争責任者=戦争指導者=戦争犯罪人=昭和天皇を処分しなかったことが、さきの戦争を総括できなかったことに直結しているのではないか。
日本人て、つくづく「怒り」を忘れた国民だと思う。あれだけ苦渋を強いられたのに、いまなお、当時の指導者たちをかばうなんて、どういう神経なのだろう。
 当時の洗脳・教育の亡霊が、なお、生き続けているのだろうか。

 気がついたとき、後戻りができない場所にいた  なんてことにならぬよう、お互いに広範なモノの見方・考え方が、今ほど、求められる時はないのではなかろうか。
 世界の中の日本、という視点も、決して忘れてはならない。

敗戦の日 

2006-08-15 06:05:55 | Weblog
 敗戦の8月15日。
 早朝から靖国神社周辺がざわついている。小泉さんが参拝する模様だ。

 ホントに、このひとは、ナニを考えているんじゃ。あんたは自分の立場が分かっているのか? 「靖国神社参拝は公約」だって? 冗談じゃない、「公約を守らないことなんか、たいしたことじゃない」って、仰ったのは、どこのどなたでしたかネェ。

中・韓に非難されているからどうこうという感覚しかないんだね、このひとは。変人首相も、ここに極まれり、ってとこかいな。この程度の世界観しか持ち合わせていない輩を首相にせざるを得ない日本て、いったいナンなんだろうね。

 小泉さんは9月に引くが、後継と目される安倍さんも、参拝を継承する模様。
 
 安倍さんの意識には不遜な点が目に付く。イワク、「亡き父の遺志を継いで」首相をめざす、ってか。でも、それって公私混同じゃん。国民にとっては、あんたの父は関係ないんだってば。一にかかって、安倍さん本人が首相に適任か、国民のために正しい施政を行いうるか、ってことだけなんだよ。
安倍さん、勘違いするなよ。


 諸国民、分けてもアジアの市井の人たちと、先の戦争への真摯な反省のもと、手を携えて前進を誓い合う。お互いに意見交換は行うが、嫌がることはしない。
 世の中を知らない政治家や官僚をアテにすることはない。

 是は是・非は非という、当たり前のことから、戦後61年目を歩んでいこう。

 過ぎた過去は取り戻しえない。しかし、これからの日本・日本人の歩く姿勢によって、信頼を呼び戻すことは可能なのだから。

明日は敗戦記念日

2006-08-14 06:16:10 | Weblog
 明日15日は敗戦記念日。

 先の大戦への思いが、各自の胸に去来する日でもある。

 なによりも、310万人という同胞の死。2,000万人とも言われるアジア諸国民の死。これらが、ことごとく、戦禍の犠牲になったのだ、というところからスタートすべきだろう。

 天皇の名のもとに、家族を捨て、自らの夢をあきらめ、ある日突然、「自我」を意識できなくなってしまう「従軍」「戦争」。外国人だからと言うだけでこれを殺戮し、逆に襲われるという恐怖。二度と再び、あんな体験はイヤだ! ここからスタートしよう。イヤなものはイヤなのだ。

 英霊を祀るとかいわれる靖国神社問題がかまびすしいが、この際、明確にしておこう。

 先の戦争は、
 ①「国際外交」に無知だった日本軍部による、資源略奪を目的とした、明確な侵  略戦争だった。
 ②戦争責任は、時の昭和天皇に、明確に在る。極東裁判でその裁きが実現されなかったことが、この国の戦争の総括が為しえなかった原因の一つになっていることは疑いない。その「罪と罰」を、今からでも、国民として処置すべきである。そのための、憲法改正なら支持すべきだ。
 ③靖国神社は神道を奉ずる宗教法人であり、基本的には「皇国史観」に基づく活動を実践している。したがって、戦争犯罪人が分祀されようとも、公私を問わず、首相等が参拝することは、政教分離を定めた憲法に抵触することは明白である。

 戦後61年たった今なお、あの戦争は正しかったとか、アジア諸国を開放するための聖戦だった、などと嘯く輩がいる。「非」を「非」と認め、革むることに躊躇しない、これが自らの責任で被害を及ぼしたアジア諸国民への、せめてもの償いの姿勢であろう。
 
 物知り顔で「外国では戦争は外交の一手段として捉え」などとほざくヤツがいるが、なら、あんたは、そんな国に移住して、どうぞ、戦争に出かけていらっしゃい。ダレも止めやしませんから。


 天皇の処分とあわせ、「戦争は二度とごめんだ」という思いは永久になくしてはならない。