酒と鉄道の日々

大好きな酒と趣味の鉄道の話題を絡め、時評・四方山話に酔うコーナー。

母を送る

2009-04-23 11:00:31 | Weblog
 15日夜 母の入院先から連絡があり駆け付けたところ、主治医が懸命に心臓マッサージを施していた。臨終に、かろうじて間に合ったような 間に合わなかったような---

父を13年前に亡くして以降、衰えの目立つ母だったが、最後はやはり「入院」先での末期だった。

 18日に葬儀を終え、一息入れている昨日今日である。

 思い出が多すぎてなんにも言えないのだが、ただただ「ありがとう」の一言だ。

 それにしても 父の逝去の際には感じなかった、ある種の思い これって、母親を送る時だけに訪れるものなのだろうか。

 行年88歳。元気なら、米寿の祝いの真似事でもしてあげたかったのだが----

あの世とやらで、亡き父に巡り合わんことを、切に祈りたい。

ある日の晩酌

2009-04-14 14:50:50 | Weblog
 最近 老酒にハマっている。

 もともと嫌いではなかったし、中華料理に限らず脂っこいツマミの後に流しこむ老酒には、独特の甘みと後味の良さがある。本格的には、氷砂糖を入れ温めて飲むものらしいが、砂糖なんざ入れた日には、せっかくの匂いや味わいが失われてしまう。砂糖は入れず、お湯割りというのが、もっぱらの私の飲り方である。

 そして、所詮、北京ダックなんて縁のないものにとっては、普通の鶏肉との相性が一等賞だと思うし、付け合わせの野菜は、これはもう、セロリに限る。それも、トマトケチャツプに大量にトウガラシをふりかけ、バリバリやるのだ。

 ただ、老酒って、アルコール度数は15度で日本酒並みなのに、なぜかあんまり酔わないんだよね。口当たりがいいだけに、ピッチよく進むのに、どうしてなのかなぁ。

 いずれにしても、老酒はうまい。 別の楽しい飲み方をご存じの方がおられたら、ぜひ、ご指導願いたい。

つまらない 地方選

2009-04-14 14:22:53 | Weblog
 秋田県知事選が行われ、12年前に、現職(このたび引退)の知事に敗れ、後に秋田市長を歴任した候補者が当選したそうな。

 ひとたび、県民に「No!」と言われた御方が、何故に再度立候補なさるのか? そしてまた、12年も経ったのに、選挙民は何故に、今回は「Yes!」とのたもうたのか。そしてこのひと、元・県職員。
 
 官僚を知事に戴くことに疑問すら感じていない県民性が情けないし、甚だ理解に苦しむ。

 もっと、理解できなかったのは、これを支援した自民党県連幹部が「(自民党が支援した知事候補が当選したから)これで、ようやく、知事・県議会ともに正常な姿になった」だと。
 確かに、これまでは知事は民主党系と言われていたし、県議会は紆余曲折のすえながら、自民党が定員の過半数を制していたから、国会(参院)並みの「ねじれ県議会」だったということが言いたかったらしい。
 しかし、自民党なら「正常」で、そうでなければ「ねじれ」とする考え方は、政権党の間違った認識であり、「奢り」の姿勢以外の何物でもあるまい。

 これだから、地方選には、個人的にはいまひとつ食指が動かないのだ。地縁・血縁・義理と人情等々、およそ民主主義の対極をなす材料が多すぎる。

 そんななか、欠員が生じた県議会・秋田市選挙区に、若き友人が果敢に立候補した。彼の主張は、選挙広報での主張・公約掲示等の公的活動以外、選挙カーも走らせなければ、名前の連呼もしない。本来の公営選挙で戦ったのだ。

 結果は落選。それでも16,500票を集めた。彼の真摯な姿勢と、本来あるべき選挙活動の姿に、決して小さくない一石を投じたわけで、彼の落選はムダではなかったし、胸を張って、「次」をめざしてほしいと願っている。

<掲出写真 よくわかる解説> 秋田内陸線沿線の阿仁地域は古くは鉱山の町だった。当時、体力勝負の炭鉱夫たちは、ウマの肉で疲れをとり明日への英気を養っていたという。そんな馬の肉の煮込みが「なんこ鍋」。このたび、そのレトルトパックが地元商店主の発案で発売された。さまざまな地域で、新しい発想と行動が胎動しつつある。いつまでも旧来の、モノの見方・考え方に固執しているようでは、人口流出県の悲劇はとどまることがないであろうことだけは確かなのだ。 

良識ある大人なら

2009-04-03 12:10:57 | Weblog
 先日本欄で、エレベターにおけるエチケットというか、思うことを記したが、今日また、病院のエレベーターで不愉快な思いをして来た。

 たまたま、私が先に乗り込んでいたから、自然に昇降調節盤? というのか、行先階のボタンが並んでいる操作盤? の前に立っていたところ、あとから乗り込んできた大人が、いきなり私の顔の前にヌッと手を伸ばして 某階のボタンを押した。
 ムッとしたので、「言ってください、私が(ボタンを)押しますから」と注意したが、ご本人はどこ吹く風の体。

 エレベーターに限らぬのだが、操作盤? の前に人がいたら、その人に行先階を告げてボタンを押してもらう なんてことは、これはもうエチケット以前の「社会的常識」の範疇であろう。

 如何に、社会性が欠如している大人が多いことか、情けないったらないね。

 似たような事例が、書店でも見かけられる。
 いわゆる立ち飲み ではなかった、立ち読みしている人の前に、本を取ろうと、ヌッと手を出す輩がいる。

 ひとの顔の前に、である。

 手を出してもいいから、どうしてひとこと、「失礼します」か「ごめんなさい」と言ってくれないのか。

 こうした連中に限って、団体旅行なんかの際に、必ずと言っていいほど、集合時間に遅れてきたり、記念物を汚したりして、他の仲間に不愉快な思いをさせるに違いない。

 子供じゃないんだから、もう少しは「社会性」を身に付けてほしいものだ。

著名人ならイイのか?

2009-04-01 10:42:56 | Weblog
 29日の、千葉県知事選で、森田健作が当選したそうな。

 「青春」とか「ネバア ギブアップ」とか、紋切形の掛け声と、「道徳」「規律」などを口やかましく説く、甚だ、アナクロチックで、実態の「若さ」とは対極の思いっきり保守思想の持ち主が、首都圏の一角で選出されたことに、背筋が寒くなるのを感じているのは私だけではあるまい。

 いったい、地方自治の、いわゆる首長って、著名人でなければなれないものなのだろうか。

 無論、「否」である。

 大阪の橋下、宮崎の東国原 等々、要は、その自治体をアピールするために著名人がいればいいのだ という、なんとも情けない意識しかないのではないか。
 その地に根ざした人物が、その地の文化とともに政策を展開していくことこそ、真の地方自治の姿であるはず。
 「著名人だから」、ナニかやってくれそう という視点で選出したとするなら、これはもう、地方自治の放棄に他ならない。

 なんとなれば、著名人首長の後には、また著名人を選ばざるを得なくなり、こんな状況を許していれば、著名な首長によるワンマンショーになりはしないか。

 地方自治のあり方が問われているという意識をしっかりと持ち、著名人だからこそ、その思想信条と言動とを十二分に監視していくことが、住民に求められていることだけは、間違いないのだ。