酒と鉄道の日々

大好きな酒と趣味の鉄道の話題を絡め、時評・四方山話に酔うコーナー。

大晦日

2007-12-31 10:23:11 | Weblog
 12月31日付け朝日新聞「素粒子」欄は、年越しを目前に控え、行く末来し方を考察するにピッタリのコラムに仕上がっていた。
 引用させていただく。
 
 同新聞・同欄を担当されていた加島祥造さんの言葉。

 「求めない するとちょっとはずかしくなる あんなクダラヌものを求めて
  いたのか と」
 「求めない すると ひとから自由になる」
 「求めない すると 失望しない」

 身に沁みる、心に沁みる、とても重い言葉だと思う。「開眼」という漢字が浮かんでくるかのようだ。

 自身、この春に退職し、良くも悪くも「求める」ことはしてこなかった。というか、視点を変えれば「求める」ことなく、過ごすことができた年でもあったと思う。

 今夜、年越しの酒に酔いつつ、心を無に帰して、新年を迎えようと思う。
 今年も暮れる。

   生ビール  泡消えぬ間の  晦日かな

 (掲出写真 言わずと知れた、来年の干支・ねずみ様である)

惜別’07  酒版

2007-12-30 03:52:40 | Weblog
 退職後の交友関係は、もとより職場外の方たちとの交際が大半だったため、さほど変化はなかった。

 かつての同僚等との付き合いは、ほんの数回あった程度。といって、趣味仲間やプライベートな集いが、特別に増えたわけでもない。
 総体としては、飲み会は減ったと思う。

 集う先も、これはもう9割がた居酒屋である。いわゆるスナックにはほとんど向かわなくなったもんね。実利的?になったのかも。

 酒の種類、これもすっかり焼酎党になってしまった。ビールはホッピーに移行しているし、ウイスキーに至ってはほとんど口にしていない。

 最近、興味深くなっているのは珍味。元来、雑食性だったのだが、チョット変わったモノで飲みたい。先日の忘年会では、久しぶりにタラの白子のテンプラを食した。抹茶塩を添えて頬張ると、パリっとした衣の中から、アイスクリームのような白子の味わい。口の中が歓喜に震え、ビールが矢鱈(シャレではありませんが)にうまい。うますぎるサカナだ。

 来年のテーマは、カキ。港まで出かけて、たらふく(シャレではありませんが)食ってやる、飲んでやる。

 そういえば、来春に計画している磐越西線の復路に庄内で一泊し、現地の仲間とカキに酔うことにしようか。

 来年もやっぱり「酒と鉄道の日々」だぁ。

 (掲出写真・よく分かる解説  来年の食のテーマ「カキ」にちなんで、晩秋の青空に映える柿であります)

まだ もひとつ ’07回顧

2007-12-29 12:26:48 | Weblog
 来春のJRダイヤ改正絡みで、もうひとつ。

 大阪から(新潟は経由しないが)青森まで、夜を徹して日本海沿いを走り続けている、その名も「日本海」という寝台特急。そもそもは大正時代から続く長距離列車だったのだが、’68年に、寝台特急として登場。’78年には二往復に成長。
ひところは、一往復が函館まで乗り入れていたことともあった。

 長距離だけに、「寝ている間に移動できる」という魅力はなおあるものの、食堂車も外され、個室寝台も一両だけで、列車としての魅力には乏しいものになっていた。

 そうしたなか、’68年に登場した「本家」一往復が、来春削減されることになり、JRの寝台特急が、また大幅に数を減ずることになった。

 寝台特急に限らず、いわゆる夜行列車はJRにとつて、重荷になっている模様で、今後も削減が続きそう。

 飛行機や新幹線の最終便が発った後でも利用でき、緊急時などには重宝したものだが、それもこれも時代の流れなのだろうか。

 もっとPRに努めて、時流にあった設備を提供していれば、寝台特急の需要は必ず在るはずであり、JRには発想の転換を期待しておきたい。

 「夜汽車」という美しい言葉が無くなるのは、なんとしてもしのびがたいのだが。

まだ '07回顧

2007-12-29 12:12:00 | Weblog
 JRというか、旧・国鉄の列車ダイヤ改正といえば、10月に行われるのが常だった。でも、最近は、ほとんどが3月に実施されている。かつて「白紙ダイヤ改正」(列車の設定を一旦白紙に戻して組みなおす、という意味)という一大改正が、旧・国鉄の事業計画の節目に実施されていて、当時は3年に一度という頻度だった。

 で、来春も3月15日に、恒例の改正が行われるのだが、その中には、残念なことに永く、花輪線から秋田に直行する快速列車の廃止が盛り込まれている。
この列車、元は「よねしろ」を名乗った、花輪線ゆかりの名列車だったのだが、近年、快速列車に格下げさせられた上、愛称名まで取上げられてしまった。

 この列車に現在使用されている車輌が「58系」と呼ばれる気動車で、東北エリアでも僅少となっていて、鉄道ファンの注目度も高かった。来春の列車自体の廃止により、この型式も、秋田からは姿を消すことになりそうだ。

 ご覧頂いている、窓枠をグリーンに塗装した58系の先頭車は、58-23という車号(拡大してご覧になれば読み取りいただけると思うが)だか゜、この型式の中では現存する最若番車輌で、’61年の製造というから、ナンと半世紀近く走り続けてきたということになる。

 思い出や消え往くものは、なぜに、こんなに美しいのだろうか。

 この冬の、最後の活躍をしっかりと記録に残しておこうと思う。

もひとつ ’07回顧

2007-12-29 11:45:43 | Weblog
 秋田の鉄道を語る時に、最近忘れられないのが583系電車。
 ’68年に東北線全線電化に伴ってデビューした電車で、昼は座席車として、夜は寝台車として、昼夜兼行で走り回り、その独特のスタイルとカラーリングとあいまって、人気だかい個性的な電車であった。
 
 その後、次第に活躍範囲が狭まり、仲間たちも普通電車に改造されたり廃車されたりして、急激に減少。今では、秋田と仙台に6両編成が各々一本だけになっている。
 
 秋田に配置されていた一編成は、昨春に全検切れ(クルマでいうところの車検)となり、そのまま廃車か復活か? と、ファンをやきもきさせていたのだが、この4月、見事に復活。

 新製と見まがうほどの美しさは、我々を感激させたものだった。

 これからも、一年でも永く走り続けることを祈りたい。

惜別’07  RAIL版

2007-12-29 11:36:19 | Weblog
 ことしも、様々な列車に出合い、愛し合ってきた。というか、愛する列車たちにカメラを向けてきた という意味だが。

 三年ぶりに復活した、北上線D51運行。撮影自体は、撮影ポイントのミスからか、満足な出来ではなかったが、それでも、久しぶりに乗車できたことはうれしかった。車内に響く汽笛、ムケリたなびく車窓の美しさ。いきなり、30年前の列車に戻ったような感覚だった。

 たまたま、かねてから知り合いだった、横手市の担当の方と意見交換したが、沿線自治体の負担が大きく、来年のD51運行は難しそうとのコト。鉄道文化遺産の継承も決して楽ではないのだ。

 横手市といえば、同市もメンバーになっている、奥羽南線新幹線延伸期成同盟会等が主催した「奥羽南線沿線フォトコンテスト」で優秀賞を頂いたことも忘れられない。もっとも、それ以降は、コンテストにエントリーはするものの、ナシのツブテではあるが。

 この秋には、D51を追って陸羽東線にも出かけたのだが、こちらも「けむり」には見放され、悔いの残る遠征だった。
 来年は、5年ぶりに磐越西線C57を追おうと思う。同線での撮影が、ニコンD3での初のSL撮影となるわけだが、いまから首をながーくして待っているところだ。

回顧  '07

2007-12-27 16:00:23 | Weblog
'07年もあと数日を残すのみとなった。

 今年はなんといっても、退職したことが最大の出来事だった。

 その後の開放感といったらなかった。24時間すべてが自分の時間だし、なんの気兼ねもなく、言いたいことが言え、したいことができた年だった。

 趣味の分野で、新聞や雑誌に、今年も取り上げられたし、例年通り「酒と鉄道の日々」だった。

 酒は、量的には減っていないのだが、なぜか体重が落ち始め、昨日のサウナでの計量?では、ナンと83kgになっていた。ついに85kgのカベを破ったのだが、さて、来年は、33年ぶりの70kg台にまで突入できるかどうか。楽しみではあるが、もとより自信なんてない。
退職したら痩せてきたってことは、それなりに、宮仕えで、こんな自分でもストレスがあったのか知らん。

 退職記念というか、結構な支出もした年だった。
 リフォームやクルマ絡みが大きかったが、自分への退職記念としては、ニコンD3とパソコンを購入。来年は本格的に鉄道写真を究めようと思っている。

反省すべきものとしては、左足の肉離れを経験したこと。年がいもなく、むやみに飛び跳ねるんじゃないよ、って、お医者さんに諭されてしまった自分が、なんとも情けなかった。結局完治まで3か月かかっちゃったもんね。
 まぁ、後悔先に立たず、ってことで----


 この年末は(現在のところ)積雪がゼロ。なんとも好ましい年の暮れである。

 今夜は鶏スキでいっぱいの予定。ビールを冷やしたら、さぁ、風呂にすべえ。

 (掲出写真-よくわかる解説  JR男鹿線・うっすらと雪をかぶった寒風山の下、グリーンストライプの気動車が走っていく '07.12)

イブは、本家クリスマスよりエライの?

2007-12-24 05:48:48 | Weblog
 今日は12月24日。世に言うクリスマス・イブ。

 でも、ホントのクリスマスは明日12月25日のはず。いったい、いつのころからか、一介のイブに過ぎない24日が、本家25日を凌駕するようになったのか知らん。

 前夜祭と言う位置づけは分からんでもないが、それにしても本家25日のカゲが薄すぎる。

 子供の頃、丁度25日が、二学期の終業式の日で、開放感から遅くまで起きていたものだが、翌26日の朝、サンタさんからの贈りモノを手にして起床するのが常だった。クリスマスケーキも前夜、つまり25日の夕食後に食べていた記憶がある。アノ頃は、まぎれもなく25日こそがクリスマスだった。

 ヨソの国の宗教行事に絡むことであって、よけいなコトを言う気はないのだが、
しかし、クリスマスは25日なのであって、この際、本家還りをアピールしておきたい。

 掲出した写真は、秋田駅ホーム連絡通路にあるディーゼル機関車のモックアップ。すでに引退している形式なのだが、秋田での活躍が永かったことから、その功績をたたえての展示の模様。ただし、実際の車輌とは大きく異なっている点が、少なくとも二点あるのだが、お分かりだろうか。
 自前の機関車なのに、製作サイドの怠慢といわざるを得ない、残念なことだ。

 まぁ、クリスマスにちなんで、「サンタさんカラー」と言うことで、お許し願いたい。

どうにかならぬか、灯油・ガソリンの高騰 

2007-12-11 08:36:44 | Weblog
 12月に入って、原油高に伴い、灯油もガソリンもさらに高騰している。

 ガソリンは、クルマ利用を自制すればなんとかなるとの意見もあるが、都会と異なり、極めて頻度の低い地方の公共交通機関では、日常生活には役に立たない。
この際、最低限の公共交通のレベルアップのための施策にも、政府は取り組むべきだ。

 灯油はさらに深刻だ。
 吹雪逆巻く北国の冬にあって、暖房が採れないということは、生死にかかわる。
そうでなくとも、積雪地で暮らす人たちには、雪イコール負担増といっていい。つけ焼刃的な助成措置を講ずるよりも、税金面での控除で、恒常的な支援があってしかるべきだろう。

 それもこれも、原油産出国をはじめ、世界中にODAをバラまいている国なのに、
何故に、こんなに原油高に苦しまねばならないのだろうか。

 もう少し、気の利いた要領のいい外交はできんのかいな、え、福田さん。

 庶民は、熱燗で寒さとウサを晴らすしかないのかねぇ。

(掲出写真 よく分かる解説 ・ 秋田県は大仙市協和の荒川焼。薪を使った穴窯で焼き上げるのだが、その際、発生する灰が溶け出して独特の色合いを湛える。現下、お気に入れのお銚子である)
 

「不適切」で済むのか?

2007-12-11 08:24:28 | Weblog
 先日取り上げた、東国原宮崎県知事の、「若者は徴兵制で鍛えるべき」発言。
結局、県議会での質問に答える形で、「発言が不適切だった」と陳謝した模様。

 私は、あのような考え方は許せないから、本欄で指摘したのだが、ご本人が、自身として信念をお持ちなのなら、敢えて翻意することないのであって、そうした考え方に対して、次回の知事選で宮崎県民の判断を仰げばいいだけのこと。

 いったい、政治家たちは「不適切だった」と陳謝すれば良し、という姿勢があるのではないか。
 加えて、陳謝したのは、あくまでも「発言」や「表現」の仕方であって、本心に対する反省では決してないのだから、マカ不思議な話だ。

 宮崎県民に言いたい。
 あなた方が担いでいる知事は、徴兵制を容認する考えを持っている人であることを忘れてはならない。

 地方行政に、外交防衛はリンクしないという方もいるが、そんなことはない。沖縄県の事例を引くまでもないし、現在のように、真の意味での地方自治が確立していない日本においては、国の方針に従わざるを得ないのが地方の現状。

 国よりも、不健全かつ警戒すべき思想を持っている知事がいることを忘れてはならないと思う。

(掲出写真 よく分かる解説  某町はずれで見つけた標柱。徳川時代末期に造成された用水路の跡。治山治水は治世の基。徴兵制よりも大事なんですよ)