改めて、自民党の改憲案にゼッタイ反対する。
改憲案では、①前文に「国民は国や社会を愛情・責任感・気概をもって自ら支える責務を共有し」とあるが、常に指摘しているように、国や社会への愛情ウンヌンなんて、「国」に指導されて発露するものではあるまい。国民個々の心底から澎湃と湧き出してきてこその「愛情」であろう。それなのに、「国」が、憲法と言う名の最高の法律で規定するなんざ、小泉さん、余りにも不遜に過ぎるし、戦前の思想と一緒だってば。
②国民の責務の項。「自由・権利には責任・義務が伴う。常に公益・公の秩序に反しないよう自由を享受し権利を行使する責務を負う」だと。 この条文は極めて重い。なんとなれば、「国」が、この事柄は公益に相当するものだ、と判断すれば、恐らく、個人としての自由・権利は大幅に制約されることになりかねないからだ。自民党の悲願でもある「徴兵制」を提案する際の「貴重カツ最高の」条文となることだろう。
先の、前文にしてもそうだが、今回の自民党改憲案には、「個は公に従がう」ことを前提にした思想が明確に表記されている。
③軍事裁判所 これに至っては,なにをかいわんや。自衛軍を保持するんだそうだから必然なのだろうけど、いわゆる軍法会議だよね。なつかしい言葉にちりばめられた改憲案ですねぇ、小泉さん。これでこそ、「戦争ができる普通の国」の改憲案ですよねぇ。さすがに、中山さんはじめ、高齢者を選りすぐって作業させたご努力?の跡がにじむような文言に溢れていますなぁ。
で、国民は今回の自民党改憲案を十分に点検し、自らの意思で賛否を決しなければならない。人情や義理でふらついてはいけない。なによりも、この改憲案が通れば、あなたの大切な人が戦争に行かされる可能性が高まるのだということだけは心して、賛否を決して欲しい。
そして、もしかすると、この改憲案についての国民投票が、「国民自らが自由に意思を表明しうる、最後の投票」になるかも知れぬからである。
改憲案では、①前文に「国民は国や社会を愛情・責任感・気概をもって自ら支える責務を共有し」とあるが、常に指摘しているように、国や社会への愛情ウンヌンなんて、「国」に指導されて発露するものではあるまい。国民個々の心底から澎湃と湧き出してきてこその「愛情」であろう。それなのに、「国」が、憲法と言う名の最高の法律で規定するなんざ、小泉さん、余りにも不遜に過ぎるし、戦前の思想と一緒だってば。
②国民の責務の項。「自由・権利には責任・義務が伴う。常に公益・公の秩序に反しないよう自由を享受し権利を行使する責務を負う」だと。 この条文は極めて重い。なんとなれば、「国」が、この事柄は公益に相当するものだ、と判断すれば、恐らく、個人としての自由・権利は大幅に制約されることになりかねないからだ。自民党の悲願でもある「徴兵制」を提案する際の「貴重カツ最高の」条文となることだろう。
先の、前文にしてもそうだが、今回の自民党改憲案には、「個は公に従がう」ことを前提にした思想が明確に表記されている。
③軍事裁判所 これに至っては,なにをかいわんや。自衛軍を保持するんだそうだから必然なのだろうけど、いわゆる軍法会議だよね。なつかしい言葉にちりばめられた改憲案ですねぇ、小泉さん。これでこそ、「戦争ができる普通の国」の改憲案ですよねぇ。さすがに、中山さんはじめ、高齢者を選りすぐって作業させたご努力?の跡がにじむような文言に溢れていますなぁ。
で、国民は今回の自民党改憲案を十分に点検し、自らの意思で賛否を決しなければならない。人情や義理でふらついてはいけない。なによりも、この改憲案が通れば、あなたの大切な人が戦争に行かされる可能性が高まるのだということだけは心して、賛否を決して欲しい。
そして、もしかすると、この改憲案についての国民投票が、「国民自らが自由に意思を表明しうる、最後の投票」になるかも知れぬからである。