酒と鉄道の日々

大好きな酒と趣味の鉄道の話題を絡め、時評・四方山話に酔うコーナー。

祝! 583系電車復活

2007-04-21 11:59:42 | Weblog
 以前、このコーナーでも紹介したことがあったが、70年代から90年代にかけて大活躍した、581・583系と呼ばれる寝台・座席兼用の特急型電車。

 東北・常磐線や北陸線・山陽線などで、文字通り昼夜を問わず走り続けてきたのだが、効率が良いと言うことはそれだけ走行距離が莫大と言うことになるわけで、
車輌の疲弊もまた早かった。

 秋田には、9両編成が一本のみ残っていて、ほぼ月イチの「舞浜臨」、つまり、TDL直行の夜行寝台列車として、ファミリーに人気のあった列車だった。

 昨春4月アタマに、秋田に帰着後、しばらく運転所に放置されていたのだが、全般検査を経て、昨日、ついにほぼ一年ぶりに「復活の日」を迎えた。

 始発駅までの回送を撮るべく待ち構えていたら、なんとなんと、ピッカピカの輝く車体でお目見え。

 シャッターを落とした後、あまりの美しさに、思わず拍手してしまっている私でした。

列車の撮影 アレコレ

2007-04-21 11:37:30 | Weblog
 鉄道の写真なんてのを永い間撮って居ると、自分の心情と言うか、その日の気分が、微妙に写真に現れてくるようだ。

 愉しくハツラツとした気分の日には、なぜか、イイ写真が撮れ、反対に、滅入っている時には、華やいだ写真なんか、絶対に撮れない。

 持てる装備一式を携えて現地入りしても、使用する機材はせいぜい数種なのだが、気分が高揚しているときは、どんなレンズを使ってもバランスの良い絵が撮れる。

 列車には、おのずと全編成で構成される「全体の長さ」があるが、前向きな姿勢の際には、選んだレンズの画角に丁度良くおさまり、思わず「Vサイン」を出してしまう。

 高名な写真家の方々は、「その時所持していたレンズ一本で撮るのがスジ」なんて、仰るが、こと鉄道写真の場合は、被写体(列車)との距離を保つことは、列車の定時安全運行と、撮影者の身の安全の点から、どうしても望遠系のレンズが多用されるのはやむをえない。

 列車の全編成を一枚の写真に収めようとすれば、カーブしてこちらに向かってくるーという情景が最高。

 電化区間では、線路脇に立っているポール(架線柱)の間隔でだいたいの把握はできる。が、貨物列車の場合は、その前兆を事前に確認できぬため、そんな時のためにも、やはりズームレンズの出番が多くなる。

 最近流行の短編成列車よりは、長大編成の貨物列車が、撮る醍醐味は、はるかに上だ。


秋田内陸縦貫鉄道

2007-04-18 06:11:34 | Weblog
 秋田県北に位置する北秋田市・鷹巣と、桜の名所として知られる、仙北市・角館とを結ぶ、94.2kmの第三セクター鉄道がある。
 その名も、秋田内陸縦貫鉄道。文字通り、秋田県の最深部を縦に縦貫し、沿線の集落を丹念に繋いでいる。

 1986年に、旧・国鉄から分離された「阿仁合線」・「角館線」を引継ぎ、1989年には、両線の間の未開通区間を完成させて、現在の路線となっている。

 開業当初から、経営は厳しかったのだが、ここ数年は、会社の資本金に迫る、
3億円弱の単年度赤字を続けていて、その存廃が俎上に上ってきている。

 ご多分に漏れず、沿線の過疎化が進行し、本来の利用者であるはずの、沿線住民の利用が減少を続けているのが、なんと言っても痛い。

 鉄道が最も得意とする「定型大量輸送」、即ち、通勤・通学に、もっともっと需要を積み上げなければ、存在価値が問われても抗弁しようがないかもしれない。

 しかし、その地で暮らす人たちにとっては、ナニモノにも代え難い交通手段であり、その存廃は、生活を根底から覆すほど、重要なポジションを占めていることも
、また事実なのだ。
 
 特に、交通弱者(イヤな表現だが)にとっては、この鉄道があればこそ、安心して買い物にも出かけられるし、通院もできる。子供たちを下宿させることなく、学校にも通わせられる。

 鉄道にこだわらなくても、バスがあるだろう、という意見もある。しかし、沿線は、秋田県内でも有数の豪雪地帯、並行する国道は在るものの、急峻で狭隘な区間も少なくない。

 こうして観て来ると、この鉄道は、沿線住民にとっては、広い意味での「社会保障」の一環を担っていると言わざるを得ないのだ。

 鉄道の廃止によって、沿線の過疎化に拍車がかかり、地域が崩壊する危惧を内在している点が、ローカル線存廃問題の本質でもある。

 そうは言っても、赤字が続くことを容認できる時勢ではない。

 沿線住民が必要とするなら、多少の不便は在っても、日常的に率先乗車すべきだし、行政サイドも、管内の小中学生の通学には、鉄道利用のための施策を講じるとともに、職員の通勤等、行政自らの鉄道活用と、企業への活用要請を行うと共に、
鉄道会社と一体となって、同鉄道への観光客誘致のための行動を起こすべきと思う。

 いま在るものを観光資材として活用し、地域振興に役立てることこそ、本来の意味での「第三セクター」化の実践であろう。
 
 失ったものの大切さを、後で説いても、何の意味ももたない。
 沿線住民も含めて、「地域」をどう形成していくのか。せっかくの鉄道のレールを錆付かせるのでは、その代償は、あまりにも大きい。

朝日新聞は、高校野球後援者たる自覚を持て!

2007-04-18 05:39:37 | Weblog
 岩手・専大北上高校野球部が解散するという。

 言わずと知れた、プロ球団からの特定選手への、将来の進路に纏わるカネが与えられていたことと、高校内の、特待生制度が高野連の方針に違反していたため、
高野連からの除名措置の前に、自らの解散の道を採った模様。

 だが、よくよく見てみると、その後の改善方策によっては、なんと、夏の甲子園大会予選前に、高野連に復帰する可能性が高いとのこと。なんのことはない、吹き荒れる強風を、しばし、アタマを竦めてやり過ごそうということか。人の噂も75日、っていうしねぇ。
 なるほど、考えたものだ。

 夏の大会といえば、後援しているのが朝日新聞。
 その社説では、建前としての高野連の意向と野球留学の自粛を訴えてはいたが、
今回の措置に至った様々な過程や背景については、お茶を濁している。

 大会の後援者と言う立場だからこそ、大所高所の立場から、高野連に対しても
「本来の高校野球の姿」への回帰を求めるべきであろう。

 oo県の代表で甲子園に出場したチームに、oo県の選手が皆無 なんて、これが「高校野球は教育の一環」と空念仏を唱えている高野連の指し示す、高校野球の在るべき姿なのだろうか。

 専大北上高校はもちろんだが、主催者である高野連、後援者の、春の大会の毎日新聞、夏の大会の朝日新聞にも、猛省を求めておく。

暴力での言論封殺、絶対に許せない!

2007-04-18 05:25:28 | Weblog
 長崎市長が襲われた。
 前市長に続いての、憎むべき犯行だ。

 異なる思想信条を認めようとしないばかりか、暴力や武器によって、その発言・行動等を封殺しようとする行為は、いかなる背景があろうと、絶対に容認できない。

 しかも、今回の事件は、選挙期間中の出来事。民主主義の原点でもある選挙での発言を、こともあろうに封じるとは! あきれてしまう。

 今回の事件に際し、内閣及び各党からコメントが出されていたが、このような重大事件なら、阿部さんからの談話があってもいいはず。

 いかに、おじいさん譲りの「復古主義」「保守回帰主義」の阿部さんでも、相応の発言はあると思うのだが、いずれにしても、長崎市民も国民も毅然とした態度をとることによって、今後、同様の事件が二度と再び発生しないような土壌を醸成していかねばならない。

 左に厳しく、右に甘いと揶揄されることもある警察だが、「右翼団体」「暴力団」への、監視強化と共に、長崎県警には、事件の背景も含め、徹底した捜査を求めたおく。

ナゼ急ぐ、国民投票法案

2007-04-15 08:27:57 | Weblog
 国民投票法案が衆院を通過した。自民党お得意の強行採決である。(最後は数の力、という)この理屈が通るなら、徴兵制だろうが消費税率大幅アップだろうが、ことごとくの法案は通ってしまう。

 国民投票法案自体は必要だと思うし、否定はしない。つねづね主張しているように、例えば、天皇制を廃止するがごとき憲法改正には大賛成なのだし、将来、ナニが何でも現憲法に手をつけない、なんてことはありえないだろうから、その手順は定めておくべきだろう。

 ただし、今回の法案には「?」が少なくない。

 一例をあげれば、賛否を決する基準のことがある。投票総数の過半数で決する、といえば、聴こえはいいが、投票率が仮に40%の場合、有権者総数のわずか2割強が賛成しただけで、改正?案が承認されてしまう。

 少なくとも、投票の有無を問わず、全有権者の過半数の支持がなければ、国民の同意が得られたとは言えまい。

 仮に、投票総数が、有権者総数の過半数に満たなかった場合は、選挙そのものが無効になるような仕組みが必要だろう。

 憲法改正には、衆参両院の2/3以上による発議が要件となっていることからすれば、憲法改正への国民投票の際には、同レベル、すなわち、有権者総数の2/3以上の賛成がなければ、国会の発議と国民の支持の割合との整合性がとれないということだって言えるのだ。

 それにしても、今回もまた、公明党には失望した。「平和の党」というカンバンは汚れ放題。恥も外聞もなく、自民党の言うまま気まま。

 公明党の存在理由はどこに行ってしまったのだろうか。

仕事から離れて一ヶ月

2007-04-14 10:04:53 | Weblog
 退職前の、いわゆる有休消化も含めて、仕事をしなくなってから一ヶ月が経過した。
 仕事がないってことは、とても寂しい思いになるかも なんて、心配してくださる先輩も居たのだが、当の本人にしてみればそんな意識はまったく無く、ひたすら愉しくノンビリした日々を過ごしている。

 変わったことといえば、食欲が低下したこと。特に、昼は、ごくごく簡単なモノで済んでしまう。
 あれほど、きゅうくつだった勤務時間に従がった暮らしつてのは、意外に、生活のリズムとしては、理に叶っていたのかもしれない。

 退職後の諸手続きも終え、ハローワークに通う傍ら、何年ぶりかで、喫茶店に入ってみる。

 20代の頃、何気に毎日のように入り浸っていた喫茶店も、自宅でコーヒーを入れるようになってからは、とんとご無沙汰だった。

 イスに腰掛け、窓に目をやれば、忙しげに行きかう人たち。こちとら、コーヒーの香りに酔い、流れているジャズに瞑想していると、世俗とは離れた、一種、超然とした雰囲気に陥ってしまう。

 39年間も働いたんだから、こんなんでいいんだよね。
 桜ももうじき。今年だけは、飽きるほど花見ができそう。

 桜が散ったら、次の仕事でも、本気で探そうかな---。

権力に阿る事の危険

2007-04-14 09:51:37 | Weblog
 鳴り物入りだった東京都知事選も、終わってみれば、石原さんの圧勝。

 あれだけ公私混同が指摘され、日ごろの高慢さがハナについて、都民からのブーイングも少なくなかったのに、である。

 これまで、都民は極めて健全な選択をして来た。かつて、東知事にイヤ気が射した時には、美濃部さんという革新知事を逸早く誕生させて、全国に革新の風を運んだ。その後、右でも左でも、容赦なく「変革」を続け、都議会議員選と並んで、文字通り、国政の先行指標的役割を果たしてきたのだ。

 ひるがえって、今回の都知事選。都民には「迷い」があったのだろうか。

 Who  but  Ishihara! だったのに、その受け皿が乏しかったのか。

 いずれ、これでまた、石原さんの不遜な姿勢が4年間も見られることになる。

 五輪誘致に反対はしないが、石原さんの、反対意見は聞く耳を持たぬという態度は、ゼツタイに容認できない。

 首都東京は、いろんな意味で、日本の代表であることを、真摯にキモに銘じるべきだ。

 都民にも言いたい。

 権力に阿るような選択は、首都に暮らす国民として恥である、ということを。

桜はまだか

2007-04-12 09:07:19 | Weblog
 4月も10日を過ぎた。桜前線は東北地方南部を北上中とのこと。

 秋田市の開花予想は15日、もうじきだ。

 桜はホントに好きだ。いったい、木に開く花のほうが風情が在るし、風に散る様といったら「見事」というほかない。

 花見の宴もキライなわけがない。

 地べたには仲間が集い、酒が酌み交わされる。見上げれば、ピンクに輝く桜・さくら・サクラ。

 サクラの花びらなぞを杯に浮かべた日にゃあ、しみじみ「春」を感じてしまいますよネェ。

 日本の国花なんだから、国歌のほうも、「さくら さくら」にしたらいい。

 国民にこんなにも愛されている花はないのだし、「さくら さくら」が国歌になったら、お上に強制されなくたって、皆がくちづさむようになるのでは。

 阿部さん、美しい国を目指すのなら、美しい歌を、国歌にしましょうよ。

 花咲くサクラの時間は短い。そんな短い時間くらい、仕事も何もかも休んで、
ひととき、サクラの木の下に集い、酒を酌み交わす。

 そんな日本こそ、美しい国の姿なんだと思うのは、私だけなのかなぁ。

植木等さんの時代

2007-04-07 07:56:49 | Weblog
 植木さんが亡くなって一週間。

 マスコミに限らず、友人たちのブログでも、当時の回想を交えつつ、植木さんのの死を悼んでいた。

 とにかく、ひたすら明るく愉しい時期ではあった。
「高度経済成長」が続き、「日本の満月に欠けるコトなし」の体だった。

 TVや映画で、画面セマシと暴れまわる植木さんを観ると、文字通り「ムネがスカーっとした」ものだった。

 いわゆる「家庭電化」が普及し、「三種の神器」が、庶民の夢や目標にすえられた頃だった。

 当時を知る身としては、やはり幸せな時代だったのかもしれない。

 だが、翻って今は?  などと、嘯いている暇はないのだ。

 時代は常に変動するものだが、それを作り出していくのは、同時代を生きている私たちに他ならない。

 新しい、時代の胎動を創造していかなければ、植木さんに笑われるのがオチ。

 「コンプライアンス」とか、「企業の社会的責任」が、一大ポリシィの現代、「無責任」はテーマにはなり得ないが、少なくとも「明日があるサ」と、皆が
眉をあげられるような、明るさと躍動の時代を期待しておきたいと思う。