東北発 歴史調査隊

明治維新の嘘を暴くブログです。

八幡

2021-09-15 22:26:32 | 日記
 頭痛が酷いなあ。
 
 平安時代に岩手県にいた安倍氏は奥六郡といわれる岩手県にあった六つの郡を治めてたことになってます。安倍氏の棟梁は安倍貞任で、盛岡にあった厨川柵にいて、厨川次郎といわれるみたいです。
 
 米内光政は盛岡の出身で海軍の軍人で、林内閣と第一次近衛内閣と平沼内閣で海軍大臣を務め、第二次近衛内閣の前に日本の総理大臣になったようだ。小磯内閣と鈴木内閣でも海軍大臣を務め、日本の海軍の最後の海軍大臣らしい。
 
 ウィキペディアを見ると、米内光政は安倍貞任の子孫を自称してたらしいけど、本当なんだろうか?。
 
 盛岡にある円光寺という浄土宗の寺に米内光政の墓があるそうです。円光寺は盛岡三十三観音の札所になっていて、行ったことがあります。
 
 円光寺の観音像は生目観音といって日向国延岡にあった観音像を遷座したらしい。キリシタンで処刑された人の娘の話が円光寺にあるらしく、その女性が南部藩の4代目の藩主の南部行信の妻になり、産まれた子供が南部藩の5代目の藩主の南部信恩のようです。その女性が生目観音を遷座したらしいです。円光寺の境内には首塚があるようだ。
 
 またまた、そんな・・・。九州から東北に来た人たちがいたみたいだけど、どうなんだろうなあ?。
 
 平安時代に岩手県にいた安倍氏の人たちは前九年の役で源頼義と源義家に討たれたことになってます。源義家は京都府八幡市にある石清水八幡宮で元服したので八幡太郎といわれるみたいです。本当にいた人か知りませんけど・・・。
 
 石清水八幡宮ですか・・・。
 
 
 火をつけるか
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