東北発 歴史調査隊

明治維新の嘘を暴くブログです。

琴平

2023-07-14 22:31:24 | 日記
 日本の歴史は嘘の気がするけど、疲れたなあ。
 
 江戸時代の秋田県由利本荘市には本荘藩と亀田藩と矢島藩があって、本荘藩の藩主は六郷氏で、亀田藩の藩主は岩城氏で、矢島藩の藩主は生駒氏だったらしい。本当か知らない。
 
 矢島藩が正式に藩になったのは戊辰戦争の後らしいけど、矢島藩の最後の藩主は生駒親敬で、生駒親敬の妻が次の家督を相続したらしいけど、旗本の生駒氏の生駒親承という人が生駒親敬の娘を妻にして養子に入ったらしい。次の生駒氏の生駒親忠は岡山藩の池田氏から養子で入った人で、明治19年(1886年)に家督を継いだらしい。明治以降の生駒氏の系図も、どこまで本当かわからないと思いませんか?。
 
 生駒氏は江戸時代の始めは香川県にあった高松藩にいて、御家騒動があって秋田県由利本荘市に来たらしい。生駒氏は交代寄合という旗本の家格になったらしいけど、矢島藩が正式に藩になったのは戊辰戦争の後らしい。本当か知らない。生駒氏の後の高松藩には松平氏が来たらしいけど、高松藩の松平氏は水戸徳川家の分家らしい。
 
 香川県仲多度郡琴平町にある金刀比羅宮では大物主と祟徳天皇を祀ってるらしい。金刀比羅宮の奥社には厳魂神社があるらしく、厳魂彦命を祀っているらしい。厳魂彦命は戦国時代に生駒氏の家臣の息子に生まれた宥盛という僧で、金毘羅大権現を再興した人で、金刀比羅本教の教祖らしい。明治時代に厳魂神社になったらしい。
 
 金刀比羅宮の宮司は琴陵さんという人らしいけど、金刀比羅宮には象頭山松尾寺金光院という別当寺があったらしく、明治維新の後に宥常という金光院の僧が還俗して宮司になって琴陵という名字を名乗ったらしい。琴陵宥常の像が金刀比羅宮にはあるらしい。
 
 金刀比羅宮ですか・・・。
 
 
 火をつけるか
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