澎湖島のニガウリ日誌

Nigauri Diary in Penghoo Islands 澎湖島のニガウリを育て、その成長過程を記録します。

「原爆の歌」と「原発の歌」

2011年11月18日 10時04分41秒 | 社会

 福島市の95%の地域が年間被爆量1ミリシーベルトを超えるというニュースを見て、ふとあの陰々滅々としたメロディを思い出した。もう半世紀も前になるのだろうか、原水爆禁止運動で歌われた「原爆の歌」。「ああ三度(みたび)許すまじ原爆を我らのために」という歌詞が頭の片隅に残っていた。

 YouTubeは便利だ。この曲は「長崎原爆の歌」という名前だそうで、歌詞がすべて掲載されている。(下記参照)
 暗くセンチメンタルなメロディと歌詞は、現在の北朝鮮の歌謡曲に似ている。何故、私がこんな曲を覚えているのか記憶にはないのだが、多分、母親が歌っているのを子供心に覚えていたのだろうと思う。

 それにしても奇妙な歌詞だ。何故、原爆が長崎に落とされたのか、落としたのは誰なのか、その責任は誰にあるのか…そういった現実的な問題はすべて吹き飛ばして、センチメンタルな感情に訴えるだけ。ソ連や中国の核実験は、「平和」を守るためだとして許容していた原水爆運動(日本社会党系)には、こういう歌しか作らなかった。広島の原爆記念碑には、「二度と許しません」という主語が欠けた一文が載っていることは、あまりに有名だ。これは、米国が有色人種である日本人に対して意図的に原爆投下したという事実を直視しないためだ。これらのことには、全てを水に流すという日本人の特性がよく表れている。

 「ああ三度許すまじ」と歌った原爆は、原発爆発というかたちで福島に落ちてしまった
 この歌は「四度許すまじ」と歌詞を変えれば、これからも使えるのだろうか…こんな不謹慎なことを考えてしまった。新たな「原発の歌」には、「東電」「民主党政権」という二つの固有名詞を忘れずにつけ加えななければ、このような歴史的悲劇は何度も繰り返されることだろう。



最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。