旧満鉄(南満州鉄道)が誇った超特急SL「あじあ号」が、中国・大連にたった1輌だけ保存されている。
戦前、瀋陽(奉天)-大連間400kmを4時間で走った、文字通りの超特急機関車だった。現在、同区間を走る中国の特急列車でもわずかに「あじあ号」の速度には及ばない。
その「あじあ号」は、大連駅近くの古めかしい倉庫に保管されていた。倉庫の窓ガラスがところどころ割れていて、中は薄暗い。これまで、どういう扱いを受けてきたのか、ただちに察知した。
(「あじあ号」の前部)
(「あじあ号」の頭部)
ご覧の通り、「あじあ号」の車体は相当痛んでいる。はしごで機関室に入ると、内部はさらに悲惨な状態だった。
(ボイラー室)
(機関室内部の計器)
この「あじあ号」は、「満州」の大平原を高速で走るために設計されたSLだった。そのため、車輪は際だって大きく、日本を走る蒸気機関車とは比較にならないほどの馬力を持っていた。客車は冷暖房完備で、最上級の食堂車もつけられていた。
(「あじあ号」の車輪)
この「あじあ号」を走らせていたのが「満鉄」だが、旧「満鉄本社」は、「大連満鉄旧跡陳列館」として保存されている。公開されたのは2004年で、「アジア号」や「203高地」とともに、中国側がこれらの「史跡」を観光資源として考え始めたことを示している。
(「大連満鉄旧跡陳列館」のパンフレット表紙)
この陳列館は、広大な満鉄本社の一部にあり、満鉄総裁の机と椅子、歴代総裁の写真、鉄道関係の工具類、什器類などが展示されている。写真の展示もかなりあるが、「日本軍国主義」を非難する内容に終始していた。この部分にカメラを向けようとすると、撮影禁止と言い渡された。
建物の外には、お定まりの「記念碑」が建てられていて、ここにも「日本軍国主義」の罪状が書かれていた。
(満鉄本社の一部)
(歴代満鉄総裁の写真)
(満鉄本社前の記念碑)
上掲のパンフレットには、日本語で次のように書かれている。
「”満鉄旧跡陳列館”の設立、その目的は、我々が歴史を鑑とし未来に臨み、共に平和・友好の新たなページを切り拓くことにある」
文字どおりに受け取れば、何ら異論はない。しかしながら、中国側の意図は別のところにあるという疑念もぬぐいきれない。「靖国問題」に対する中国側の反応を見れば分かるのだが、中国は「歴史認識」の問題を対日交渉のカードとして使用している。一旦事あれば、「歴史認識」カードを突きつけることで、日本側を萎縮させ、利益を得ようとするやり口だ。
「植民地支配」は、当然のごとく肯定は出来ない。だが、「満州国」において「満鉄」が果たした社会開発の実績を一顧だにせず、「日本軍国主義」として全否定するのはいかがなものか。現実に台湾では、日本の植民地統治が果たした役割を、冷静に分析しようとする傾向が顕著で、一方的に日本を非難する論調は少ない。
今のままでは、日本人観光客が中国の「旧跡」を訪れるたびに、父母、祖父母の「犯罪」を懺悔しなければならないという「しくみ」が作られている。これは本当に「友好」のためなのか、フェアなやり方なのか、もう一度考えるべきだと思った。
戦前、瀋陽(奉天)-大連間400kmを4時間で走った、文字通りの超特急機関車だった。現在、同区間を走る中国の特急列車でもわずかに「あじあ号」の速度には及ばない。
その「あじあ号」は、大連駅近くの古めかしい倉庫に保管されていた。倉庫の窓ガラスがところどころ割れていて、中は薄暗い。これまで、どういう扱いを受けてきたのか、ただちに察知した。
(「あじあ号」の前部)
(「あじあ号」の頭部)
ご覧の通り、「あじあ号」の車体は相当痛んでいる。はしごで機関室に入ると、内部はさらに悲惨な状態だった。
(ボイラー室)
(機関室内部の計器)
この「あじあ号」は、「満州」の大平原を高速で走るために設計されたSLだった。そのため、車輪は際だって大きく、日本を走る蒸気機関車とは比較にならないほどの馬力を持っていた。客車は冷暖房完備で、最上級の食堂車もつけられていた。
(「あじあ号」の車輪)
この「あじあ号」を走らせていたのが「満鉄」だが、旧「満鉄本社」は、「大連満鉄旧跡陳列館」として保存されている。公開されたのは2004年で、「アジア号」や「203高地」とともに、中国側がこれらの「史跡」を観光資源として考え始めたことを示している。
(「大連満鉄旧跡陳列館」のパンフレット表紙)
この陳列館は、広大な満鉄本社の一部にあり、満鉄総裁の机と椅子、歴代総裁の写真、鉄道関係の工具類、什器類などが展示されている。写真の展示もかなりあるが、「日本軍国主義」を非難する内容に終始していた。この部分にカメラを向けようとすると、撮影禁止と言い渡された。
建物の外には、お定まりの「記念碑」が建てられていて、ここにも「日本軍国主義」の罪状が書かれていた。
(満鉄本社の一部)
(歴代満鉄総裁の写真)
(満鉄本社前の記念碑)
上掲のパンフレットには、日本語で次のように書かれている。
「”満鉄旧跡陳列館”の設立、その目的は、我々が歴史を鑑とし未来に臨み、共に平和・友好の新たなページを切り拓くことにある」
文字どおりに受け取れば、何ら異論はない。しかしながら、中国側の意図は別のところにあるという疑念もぬぐいきれない。「靖国問題」に対する中国側の反応を見れば分かるのだが、中国は「歴史認識」の問題を対日交渉のカードとして使用している。一旦事あれば、「歴史認識」カードを突きつけることで、日本側を萎縮させ、利益を得ようとするやり口だ。
「植民地支配」は、当然のごとく肯定は出来ない。だが、「満州国」において「満鉄」が果たした社会開発の実績を一顧だにせず、「日本軍国主義」として全否定するのはいかがなものか。現実に台湾では、日本の植民地統治が果たした役割を、冷静に分析しようとする傾向が顕著で、一方的に日本を非難する論調は少ない。
今のままでは、日本人観光客が中国の「旧跡」を訪れるたびに、父母、祖父母の「犯罪」を懺悔しなければならないという「しくみ」が作られている。これは本当に「友好」のためなのか、フェアなやり方なのか、もう一度考えるべきだと思った。