旅順と言えば、日露戦争時の二百三高地での戦いが有名。私は17年前に訪れたことがあるので、むしろ、満鉄が残した資産である歴史的建造物を見たいと思った。
旅行社のパンフレットには、次のような行先が書かれていた。
🔷古き時代にタイムスリップ 「旅順」観光
日露戦争の激戦地「203高地」、難攻不落の旧ロシア軍要塞
東鶏冠山北堡塁
日本が満蒙物産館として建築した「旅順博物館」
乃木将軍の会見場所「水師営会見」
旧関東軍司令部
粛親王一族の邸宅として使用した「川島芳子旧居」
満鉄が経営していた「旅順旧大和ホテル」
南満州の終着駅「「旅順駅」
旧満洲国の玄関口「旅順軍港」
旅順博物館では、大谷コレクションが展示されていた。建物も昔のままで、過ぎし日の栄光を伝えている。
膨大な「大谷コレクション」の展示は、このような感じ。
⇩ 旅順博物館の正門の延長線上には、ソ連軍の戦勝記念碑がそびえたつ。
1945年8月、日ソ不可侵条約を破って、満洲国に侵入したソ連軍は、日本人に対し暴虐の限りを尽くした。旅順が中国(中共政権)に返還されたのは、1955年になってのことだった。
⇧ これは、関東軍司令部の建物。色彩は当時のものではない。
⇧ 東清鉄道の終着駅であった旅順駅。ロシアが建設したもの。
一昔前は、満洲と言えば、「日本人が悪いことをした場所」のように一方的に教えられてきたか、あるいは故意にスルーされる地域でもあった。現在ここに至れば、①満洲は本来漢民族の土地ではなく、満州族のものであった。この不都合な事実をかくすために、現在の中国では満州族の歴史・文化は闇の中に葬り去られた、②満鉄(南満洲鉄道株式会社)が満洲において果たした社会開発(近代化)の実績は、輝かしいものだった。1945年の時点において、満州国は中華民国よりもはるかに豊かで近代的だった、このように再確認すべきだろう。
旅順の日露戦争戦跡に訪れるのは日本人だけ。中国人は全く興味がないという。そのこと自体が、実は満洲は中国人(漢人)の土地ではなかったことを物語っている。自虐史観や皇国史観ではなく、事実をもっと見つめなければとつくづく思う。