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澎湖島のニガウリ日誌

Nigauri Diary in Penghoo Islands 澎湖島のニガウリを育て、その成長過程を記録します。

漢文は「国際言語」

2011年04月20日 13時05分10秒 | 歴史

 昨年度から科目聴講を始めた大学に新学期の授業を聴きに行く。

 この写真は授業の配付資料。これは、ホー・チミンの「獄中日記」だが、すべてが漢文で書かれている。ベトナム語がローマ字表記になったのは、第二次世界大戦終了後だから、それ以前の文書はすべて漢文なのだ。

 朝鮮語もモンゴル語もベトナム語も、現代語を学ぶ限りでは、純粋な外国語として学ばなければならないが、少し前の歴史を原典で知りたいと思ったら、すべて漢文に行き着いてしまう。現代ベトナム語がペラペラでも、もしベトナム史を学ぼうと思ったら、漢文を学ばなければならない。講師の説明によると、ベトナムの大学では史学科と文学科では漢文が必修だそうだ。これは、日本史、日本文学でも同じことが言えるだろう。

 このように書くと、何か中国が偉い国だと言っているように思われそうだが、そうではない。1912年以前には「中国」などという国はなかったし、知識層が文書に用いた漢文と、庶民の日常会話は全く別物だった。
 やはり歴史は面白い。
 
  
   


「歴史とはなにか」(岡田英弘著)を再読

2011年03月08日 09時12分17秒 | 歴史

 「歴史とはなにか」(岡田英弘著 文春新書 平成13年)を再読。
 読み直すきっかけとなったのは、この一年東アジアの近代史を学んで、すこしばかり理解が深まったからだ。
 以前、この本を読んだときは、かなり極端な内容だと感じた。なにしろ、次のように構成だったからだ。

第一部 歴史のある文明、歴史のない文明
歴史の定義、歴史のない文明の例、中国文明とはなにか、地中海文明とはなにか、日本文明の成立事情
第二部 日本史はどう作られたか
神話をどう扱うべきか、「魏志倭人伝」の古代と現代、隣国と歴史を共有するむずかしさ
第三部 現代史のとらえかた
時代区分は二つ、古代史の中の区切り、国民国家とはなにか
結語
だれが歴史を書くか

 (「歴史とはなにか」 岡田英弘著 文春新書)

  改めて読むと、刺激的な視点が随所に見られる。「朝貢」については、次のように指摘する。

『「朝貢冊封体制”というのは、第二次世界大戦後の日本で発明されたことばだ。これはどういう説かというと、”中国は世界(当時の東アジア)の中心であって、そこに異民族の代表が朝貢し貿易を許される。皇帝からもらう辞令(冊=さく)によって、異民族の代表の地位が保障される。こうして、中国の皇帝を中心として、東アジアには、朝貢と冊封に基づく関係の網の目が張りめぐらされていた。これが東アジアの秩序を保障していた」というものだ。ところが現実には、そんなことはぜんぜんなかった。」(p.205)

 この記述は、おそらく西嶋定生※(元東大教授・東洋史)に対する異論だろう。西嶋氏がこの朝貢冊封体制を論じた人だからだ。
※ http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A5%BF%E5%B6%8B%E5%AE%9A%E7%94%9F

 (西嶋定生著「日本歴史の国際環境」 東大UP選書 1985)


 東洋史の学界では、多分、西嶋氏の学説が有力で、多数の論文が西嶋説に依拠して書かれたことは間違いない。若くして「日本学士院賞」を受賞した岡田氏が、東京外国語大学教授というポストにとどまったのは、西嶋氏のような学界権威との確執があったと容易に想像される。私の学生時代、三輪公忠という怪しげな歴史学者が「冊封体制、冊封体制」とひとつ覚えのように言っていた記憶がある。それほど、この言葉は流行ったのだ。この「朝貢冊封体制」論は、東アジアの国際関係を論ずる場合に、門外漢にとっては手っ取り早い。前近代(近代国民国家以前)の東アジア国際関係をこれだと言ってしまえば、何となく説明をしたような気分になるからである。
 だが、岡田氏は、こう結論づける。

「もともと個人としての外国人が、個人としての皇帝に、そのときそのときの仁義を切る関係に過ぎなかった”朝貢”が、十九世紀にはじまる国民国家の時代になって、国家としての外国と、国家としての中国とのあいだの、外交関係の表現のように、曲解されることになった」(P.209)
 
 昨秋の尖閣事件を予見したような記述もある。

「…新たに国民国家として出発した中国は、西ヨーロッパ・アメリカ列強の帝国主義を見ならって、むかしの外国の君主が中国の皇帝に朝貢して敬意を表し、中国の皇帝が外国の君主に地位の承認を与える関係を、宗主国と保護領の関係に読みかえた。こうした新解釈では、過去に中国皇帝と外交関係のあった外国は、すべて中国領だということになってしまう。…中華人民共和国も、ほんらい。琉球人は中国の国民であり、琉球に対して中国は潜在的な主権を持っている、と解釈している。実を言うと、尖閣諸島問題も、このような中国・台湾側の沖縄に対する領有権の主張の一部に過ぎない。つまり、領土に関する、こういう国際問題というのは、結局、中国人特有の歴史の解釈が原因となっているわけだ。」(p.128-9)

 岡田氏の史観は、日本の東洋史学界の”主流”ではない。しかし、歴史を大観する点においては、岡田氏に優る学者はそう多くはないはずだ。私のような初心者が歴史を学ぶとき「通史」から始めるが、実は「通史」ほど厄介なモノはない。ありきたりの「通史」は、かえって歴史を見る眼を曇らせるということもあり得る。その点で、岡田史観の斬新な切り口は、他を圧倒しているように思える。


 「歴史とはなにか」に関しては、岡田氏の奥様である宮脇淳子氏(東洋史家)の次の映像がある。

第4回 中国人の歴史観 Part1

  

 

 

 


「現代のコペルニクス」が見た中国の歴史

2011年02月02日 19時25分39秒 | 歴史

 シアターテレビジョンで放送されている「現代のコペルニクス」、これがなかなか面白い。
 「満洲国」の歴史だけでなく、中国史そのものを扱った「 中国は1600年間"占領国" 中国の歴史」も興味深い。
 この映像を見ただけでは、眉に唾をする人もいるかもしれないが、清朝の歴史と版図については、平野聡氏(東京大学準教授・アジア政治外交史)が、「サントリー学芸賞」を受賞した「清帝国とチベット問題」※の中で明らかにしている。

※ http://www.suntory.co.jp/sfnd/gakugei/si_reki0053.html

 「中国はひとつ」であらねばならないというイデオロギーが、いかにデタラメかよく分かる。

中国は1600年間"占領国" 中国の歴史 1 4

中国は1600年間"占領国" 中国の歴史 2 4

中国は1600年間"占領国" 中国の歴史 3 4

中国は1600年間"占領国" 中国の歴史 4 4

 


「現代のコペルニクス」が面白い

2011年02月02日 10時57分55秒 | 歴史

 ケーブルTVで「現代のコペルニクス」という番組が放送されていることを知り、ホストの武田邦彦(中部大学教授・化学)とゲストの宮脇淳子(東洋史家)の対談「満洲は”国”だった」を見た。

 武田氏は、最近、バラエティ番組に出演していて、トンデモ学者のようなイメージをご自身で振りまいている印象があるが、実は優秀な化学者だ。宮脇淳子氏は、東洋史の大家・岡田英弘氏(東京外国語大学名誉教授)の奥様で、岡田史学の後継者を自認している方。両者に共通するのは、学界では異端扱いされていることだろうか。武田氏は地球温暖化のウソを指摘。宮脇氏は「中国はひとつではない」と主張するのだから、学界権威筋からは快く思われるはずもない。

 だが、この番組を見ると、その内容は極めてまとも。岡田英弘氏のあとを次いで、東京外大で東洋史を講じる教授自身が「満洲史が歴史から忘れ去られ、その歴史が歪曲されることに危惧を感じる」と述べられている。

 何で今さら「満洲」なんて、この忙しいのに?と思われる方も多いはず。この番組が面白いのは、こういう観点で「中国」という国を見れば、尖閣事件もよく理解できるということ。現代に繋がる基礎知識だということだ。それをこの国の学校教育は、全く教えてこなかった。

満洲という「国」はあった!1 2

満洲という「国」はあった!2 2


ひさしぶりに試験を受ける

2011年02月01日 21時59分58秒 | 歴史
 午前中、国際関係史の試験があった。後期の授業は「近代中国とキリスト教」というテーマだったので、前期の「東アジア国際関係史」と比べて受講者がかなり少なかった。試験を受けたのは、学生7人と聴講生2人の合計9人。聴講生は、あと5人いたはずなのに、試験は受けなかった。
 先週、教授から「電子辞書以外は持ち込み可」と言われていたので、実はあまり準備をしなかった。まず、授業のノートをもう一度読み、レジュメも時系列に整理した。ノートは字が汚くて、読むのに苦労した。次に、Wikipediaで「中国とキリスト教布教」「清朝」「義和団」をコピー。さらに、教授の著作の部分コピーも用意した。

http://www.kyuko.asia/book/b62931.html

 いざ、試験問題を見て、妙に納得。次のような問題だった。

「次の二題について論じなさい。
一.「宗教の自由」はどうして必要なのか。世界史で起きた事例を参照して、あるいは、現代世界で起きている宗教対立を参考に論じなさい。
二.近現代の東アジアにおいてキリスト教が果たした役割と意義について論じなさい。」

 これは、結構、高度な問題だ。それこそ、「電子辞書」かPCがあれば、何とかでっち上げられそうだが、いくら資料を持ち込んだとしても、そう簡単に使うことはできない。
 先日は、関係図書の書評がレポートとして科せられた。それとこの試験、かなり理想的な組み合わせではないか。こういう科目の試験でもっとも愚かなのは、小さな史実を解説せよという設問だ。重箱の隅を突くような問題は、こと歴史関連の科目では相応しくない。大昔、学生時代、私が聴いた「近代国際関係史」という授業では、その種のつまらない問題が出て、呆れた記憶がある。そういう意味で、この問題はとてもよかった。さすが、由緒正しい大学は違うなあと感心した。

 肝心の私は、頭がくらくらして、あまり書けなかった。もうトシだね。

国際関係史の授業

2011年01月26日 08時05分06秒 | 歴史

 この1年間、某国立大学で「国際関係史」を聴講してきた。先日、すべての授業が終わり、あとはテストを残すのみとなった。
 
 この「国際関係史」という科目、今や各大学で教えられるようになり、目新しいものではない。国際関係論を看板にした、「国際なんとか学部」が数多く作られ、その歴史部門でこの科目が必要とされたためだ。この科目を教える教員の出身分野は、政治学(法学部)出身が最も多く、次いで歴史学(文学部)だろう。これからは、国際○○学部の出身者が増えることだろう。

 だが、「国際関係史」は、つまるところ歴史(とくに近現代史)を扱う科目。膨大な史料をどのように選び、どう解釈するのか、そして究極的には歴史をどのように認識するかが履修の目的となる。一般の学生にとっては、近現代史の原典史料を読む機会などほとんどないだろうから、教える側の技量が試される。学生に「通史」をきちんと教えられるかどうかが歴史教師の腕の見せどころなのだ。遠い昔の学生時代、私も「国際関係史」「国際政治史」「国際関係論」などという科目を履修したのだが、今思えば何ともいい加減な授業だったので、ほとんど記憶に残っていない。(アホな大学には、それに見合った授業しかないということか…。)

 しかし、この1年間、教わってきたS教授の授業は、とても理想的なものだった。特定の教科書は使わず、毎回、手製のレジュメと資料を配付し、学生たちができるだけ歴史の面白さに触れるよう工夫をされていた。毎回、授業の冒頭には、前回までの概略を説明し、史実を説明するときには、必ず地図を板書して解説。前期には、3000字程度のレポートが2回とテスト、後期はレポート1回とテストが科せられたが、レポートの課題やテストは、それぞれの学生が最も関心をもったテーマを複数のテーマから選択して解答するという形式だった。

 おそらく、マンモス大学では、こういう授業は不可能だと思う。同じ名称の科目でも、大学や教授によって途方もない落差があると痛感した。
 わずか20名程度の受講生しかいないこの授業、充実した、素晴らしい内容だった。これだけでも、この一年は充実していた。
  


毛沢東の「五星紅旗」

2011年01月18日 19時24分50秒 | 歴史

 きょう授業の中で、教授が中国の国旗である「五星紅旗」について話された。

 
(中華人民共和国・五星紅旗)

 「Wikipedia」によれば、この国旗は次のように説明されている。

赤地に5つの星を配したもので、五星紅旗(ごせいこうき、拼音:Wǔxīng hóngqí)と呼ばれる。
赤色は革命を、黄色は光明を表す。また、大きな星は
中国共産党の指導力を、4つの小さな星はそれぞれ労働者・農民・小資産階級・愛国的資本家の4つの階級を表す。小さな星それぞれの頂点のうち1つは大きな星の中心に向いており、これは人民が1つの中心(共産党)の下に団結することを象徴している。ソ連の国旗を参考にしたものと考えられる。(「Wikipedia」より)

 また、別の説明は次のようになされている。

国名はかつての中華思想に基づいていて「世界の中央に位置する華やかな国」と言う意味から来ている
国旗は通称「五星紅旗」と呼ばれている。五星紅旗は、19497月に、経済学者で芸術家でもある曾聯松が、中国人民政治協商会議が行った公募に応じてデザインしたものである。1949101日、中華人民共和国の建国に際し、天安門広場にこの旗が国旗としてはじめて掲げられた。1949年に制定された。


赤は共産党による革命成就と中国古来の伝統色を意味する。黄色は光明をあらわす。

5つの星は木火土金水の5要素で宇宙を構成すると言う陰陽五行説に基づいて考案されたもので、5は宇宙全体を表す吉数として知られる。
大きな星は中国共産党を、これを囲む小さな星は労働者、農民、知識階級、愛国的資本家の人民階級を表すとされていた。小さな星それぞれの頂点のうち1つは大きな星の中心に向いており、これは人民が一つの中心(共産党)の下に団結することを象徴している。また、中国本土を中心に満州、モンゴル、ウイグル、チベット、5地域の統合の象徴とも言われた。最近は共産党指導下の全国民の団結を意味するという、抽象的な解釈をしている。

中華人民共和国憲法第136条は、「中華人民共和国の国旗は、五星紅旗である」と定めている。1990年に中華人民共和国国旗法が制定され、旗の掲揚方法や取り扱い方などが明文化された
(旗の歴史と由来の資料室」より)

 中国近代史を専門とする教授は、この「五星紅旗」を上記のような解釈をするだけでは不十分だと考えているという。「五星紅旗」の一番大きな星は、実は毛沢東そのものではないかと。毛沢東の「革命」を理解するには、
「太平天国」「義和団」との類似性に注目しなければならない。「太平天国」「義和団」はともに、中国の土着思想が外来思想と結びついた民衆運動だったが、指導者の「神格化」と排外主義という点では、中国共産党による「中国革命」と全く同じだ。「五星紅旗」がソビエト国旗をお手本にしたという説明もあるが、何故、労働者を象徴するハンマーではなくて、星なのだろうかと教授は考えたそうだ。やはり、大きな星は、天上から光臨した神=毛沢東を指すのではないだろうかと。
 そういえば、文革期によく歌われた「東方紅」には、「毛沢東は大きな救いの星」(毛主席是大救星)というフレーズがあったような記憶がある。
 
 (
日本を属国に従えた「六星紅旗」?)

 あるブログには、上記のような「六星紅旗」が載っていた。これは、日本が中国の属国となり、「五星紅旗」が「六星紅旗」になってしまったというパロディだが、尖閣事件を見ると、笑っては済まされない思いがする。
 
 評論家の藤井厳喜氏が麗澤大学という大学で兼任講師をしていたら、授業の中で「シナ」という言葉を使ったところ、中国人留学生が大学当局に抗議を申し入れ、結局、藤井氏は講師を解任されたという事件があったと聞く。これからは、毛沢東の批判さえ、中国人留学生の顔色をうかがいながらする時代が来るのかと危惧を覚える。
 




マカオの風景

2010年12月22日 11時53分28秒 | 歴史
 きょうは今年最後の授業。

 冒頭、教授が2011カレンダーを回覧して、見るように言われた。その絵が、この「マカオの風景」(G.チネリン画 1827-1850年)。 
 およそ150年前のマカオの風景。すでにポルトガル人が居住して、清朝との貿易とキリスト教の布教活動を行っていた。


(「マカオの風景」 G.チネリン画 1827-1850年)

 それにしても、この閑散とした風景。この当時、マカオはまだ大陸との橋頭堡に過ぎず、大航海時代からのポルトガルの栄光も残っていた。その後、西洋の衝撃(Western Impact)によって、清朝は数々の不平等条約を押しつけられ、国内においては「滅満興漢」の狼煙が上がる。
 嵐の前の静けさのような絵だ。一枚の風景画が歴史を浮かび上がらせる。

日本人がキリスト教を受容しなかった理由

2010年12月15日 12時16分47秒 | 歴史

 今週、大学の授業で「洪秀全と太平天国」の話を聴いた。

 キリスト教がアジアに布教活動を広めたのは、①市場獲得、②西欧の理念の伝播という目的があったと言われ、初期の布教はカトリックで、スペイン・ポルトガルが中心になって行われた。カトリックは、現地が求めている医療、科学知識などを修得した神父を送り込み、王朝の支配層との接触を目指した。19世紀になると、プロテスタントの布教が盛んになったが、この布教は王朝の世界観と抵触するような内容を漢文の文書(パンフレット)で広めたため、清朝による禁教を招く。

 洪秀全は、当該パンフを見た一人で、個人的な神秘体験と合わせて、自らがキリストの弟だと自称する。その後、彼の「太平天国」は、一時南京を「天京」と改称し「千年王国」を築こうとしたが、その過程で2千万人といわれる死者を出し、やがて「教祖」洪秀全の死によって終息する。教授によると、洪秀全を毛沢東、信徒を紅衛兵に置き換えれば、この太平天国の乱は、1960年代に中国大陸を恐怖に陥れた「プロレタリア文化大革命」と多くの類似性を見いだせるという。これは、一昔前の日本の中国研究者では決して語られることのなかった指摘で、まさに「歴史を見る眼」は時の流れによって移ろうことがよく分かる。

 最近、近親者の葬儀があった。亡くなった者は、自称カトリック信者。だが、教会に通っていたのは45年も前の話で、遺産を巡る親族(同じカトリック教徒)の諍いによって、カトリック教会に通わなくなった。カトリック教は、神父を媒介として信者に教義を伝える宗教であるので、教会に行かなくなったということは、信者であることを辞めたと同義語なのだ。だが、その亡くなった者は、都合のよいときだけ、カトリック信者であることを吹聴していた。カトリックは「ちょっとハイカラ」「他の人より上等」という程度の見栄なのだろうか。
 こうした、極めて日本的・ご都合主義的な宗教に対する態度は、配偶者の死去によって破綻に至る。というのは、「◎◎家」の墓が仏教のある宗派の総本山にあったからだ。その墓にはいるのは、カトリック教徒であることを辞めねばならない。西欧人であれば、このあたりの個人的信念が明確なので、生前にきちんと意思を表明していたはずだが、この死者はすべてを親族に”丸投げ”した。
 その結果、親族の一人は墓の分割を要求するに到った。キリスト教と仏教との混同、現代日本を象徴するような、墓さえもカネになるという拝金主義、何もかも権利は等分だという「法匪」的な発想…すべてがごちゃごちゃになった、驚くべき要求だった。

 アジアの中では、最も上手に西欧近代を「受容」したはずの日本でも、一皮剥けば、上記のような庶民の「古層」意識が浮かび上がってくる。キリスト教と言っても、アジアと欧州では実は全く異なる。アジアでも中国と日本では全く違うのだ。
 
 日本のカトリック信者の数は、今も昔も30万人前後。地域的にも偏在していて、神父になりたいという人も激減、人材確保が至難だと聴く。かたちだけ日本人をキリスト教化してみても、何かあれば日本人の行動原理はあくまで日本人的だということか。都合のいいときだけ「私、カトリックですのよ」と言える死者のような人が、まさしく日本人らしい日本人なのかも知れない。
 日本にキリスト教が定着・普及しなかったのは、キリシタン禁制が行われたからだけではない。日本人の外来文化受容に係る心理の中にそれなりの理由(わけ)があったのだ。

 
 
 

 


イスラムは白人支配をうち破るのか~石原慎太郎と武者小路公秀

2010年12月12日 14時53分55秒 | 歴史

 先日、石原慎太郎・東京都知事が「プライムニュース」(BSフジ)に生出演し、現下の政治状況、さらには自身の歴史観について、大いに語りまくった。
 興味深かったのが、石原都知事の世界観。それによると、現在の米国はイスラム世界からの挑戦を受けているが、その勝敗は決まっていない。もし、イスラム側が勝利すれば、明治維新以降の日本が白人による世界支配に挑み、敗れ去って以来の出来事になるという。我々が受けた学校教育では、石原氏のような意見は、「右翼」として退けられてきた。だが、米軍が二週間で作成したという「日本国憲法」を、60年以上後生大事に持ち続けた我々も、先日の尖閣事件によって「平和幻想」から覚醒させられた思いがする。 

 一方、今や「左翼」と目される老学者・武者小路公秀※(国際政治学)も、石原と同様に、白人支配に対抗するイスラムを肯定的に評価する。かつてこの人は、カトリシズムの牙城である上智大学教授だった人で、左翼というほどの立場ではなかった。それが、国連大学副学長、明治学院大学教授を経るにつれて、その政治的立場を変え、今や朝鮮総連が作ったと言われる大阪経済法科大学教授になり、金日成を賛美するチュチェ思想研究所副代表に収まっている。戦前のドイツ大使の子息という「貴族」武者小路氏が、かくも変貌したのには、夫人との離婚、夫人の自殺、黒人女性学者との結婚という個人的体験があると言われる。「週刊新潮」からは、「家庭の平和も守れない人が世界平和を研究する」とか冷やかされた。

※   http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%A6%E8%80%85%E5%B0%8F%E8%B7%AF%E5%85%AC%E7%A7%80

 石原・武者小路両氏が、図らずも指摘するのは「人種主義」「白人支配」だ。タブー扱いされていたこれらの「感情」「実感」を率直に吐露するのが、左右対極にある両氏だというのも面白い。 


米国から見た日本の台湾統治~「知られざる台湾・台南市」より

2010年11月21日 21時23分50秒 | 歴史

  昨年、4月に私がアップロードした「米国から見た日本の台湾統治」が、きょう8万アクセスを超えた。1年7ヶ月での「快挙」(?)だが、この間においても、台湾における中国の影響力は確実に強まっている。

 台湾における50年間の日本統治時代について、現在の民主化された台湾では、客観的、実証的に考証され、きちんとした評価がなされている。
 この「米国から見た日本の台湾統治」は、米国ディスカバリーチャンネルが放送した「知られざる台湾」の一部だが、日本の台湾統治を台湾の近代化に寄与した重要な時代として描いている。
 
 昨年4月、NHKはシリーズ「JAPANデビュー」の第一作として「アジアの”一等国”」を放送した。この番組は、日本統治時代をことさらに貶め、中国の歴史観・反日史観に擦り寄る作品だとして、視聴者から多くの非難が寄せられ、現在、訴訟事件に発展している。
 このように、大きな影響力を持つメディアに対して何も主張しなければ、歴史記述は次々と書き変えられてしまう。台湾における日本語世代はもう八十歳代半ば、あと十年経てばほぼ消滅する。彼らは、日本統治時代を知る生き証人だ。日本による台湾統治の功罪を身を以て熟知していたから、蒋介石の国民党が台湾を武力制圧した後でも、日本統治時代を懐かしむ声は消えなかった。
 これは「植民地統治を正当化するのか?」などと声高に叫ぶような話ではない。台湾の日本語世代の多くは、確かに日本統治時代を懐かしんでいるのだから。映画「台湾人生」(酒井充子監督)にも登場する蕭錦文(しょうきんぶん)氏から直接お聞きした説明によれば、それは「文明、文化程度の差だった」からだ。1947年、蒋介石軍は突如として2万人もの台湾人指導者層を虐殺した。「二二八事件」だ。さらに、日本的なものをすべてを嫌う蒋介石は、日本語の使用を禁止し、日本文化を根絶やしにしようとした。このときのような蛮行は、法治主義が貫かれた日本統治時代では起きなかった。この対比において蕭錦文氏は「日本統治時代を高く評価」しているのだ。

 「ひとつの中国」という虚構を掲げ、チベット、ウイグル、内モンゴルを漢民族の支配下に置いた中国共産党政権は、台湾に遺る日本統治時代の記憶を忌み嫌っている。満州国の歴史は、すでに「偽満州国」として封印され、闇の彼方に葬り去られた。中共(=中国共産党)支配の正当性を主張する者にとっては、それらは「不都合な真実」であるだからだ。
 
 以上のような意味で、この「米国から見た日本の台湾統治」は、第三者である米国の視点で制作された番組であるので、ぜひ多くの人々に見ていただきたいと思う。

米国から見た日本の台湾統治~「知られざる台湾・台南市」より


琉球独立を夢見る沖縄知識人との対話

2010年11月20日 22時41分35秒 | 歴史

 何気なく見つけたブログに「中国を宗主国として琉球独立を夢見る」という記事を見つけた。ちょうど尖閣事件があった直後だったので、沖縄在住の人がこんなことを考えているのかと気になった。
 米軍基地に囲まれ、今なお沖縄戦の記憶が残る土地に住めば、当然、歴史や現状を見る眼も自ずから研ぎ澄まされるのだろう。沖縄から遙か離れた土地に住む人には分からないことなのかも知れない。

 しかしながら、私が気になったのは、沖縄では本当に今もなお中国に対するシンパシー(同情?)がどれほどあるのかということ。今の中国・中国人は、清朝時代、琉球王国と朝貢関係にあった「中国人」とは同じではない。とりわけ、中共(=中国共産党)独裁下の「反日」教育で育った中国人は、どういう人種か最近の「反日」デモを見れば一目瞭然だ。
 にもかかわらず、「交流」「相互理解」を通じて中国と仲良くし、琉球独立を夢見るというのが、この沖縄在住の知識人だ。

 すれ違いながらも、お互いに気になる点を確かめ合ったコメントの交換が次のとおり。まあ、参考までに…・。 

Unknown (MONTY)
2010-11-12 09:31:16
興味深く読みました。
米軍基地に占拠された沖縄から見れば、そのようなご意見が出るのかも知れませんが、中国に対する認識には疑問が残ります。そもそも、中国という名称、中国はひとつであるという脅迫観念が、これまでの中国観を曇らせてきたと考えます。
しかも現在の中国は、反日の中共一党独裁政権です。彼らが沖縄を併呑すれば、台湾の「二二八事件」(1947年)のような惨劇が起きると思います。明治国家が沖縄に対して行った行為は、現代の基準からすれば種々の問題がありますが、当時、列強はそれ以上のことをアジアに対してやっていたことを忘れてはならないと思います。
 米軍基地に占領されている沖縄ですよ! (N)
2010-11-13 10:30:28
MONTYさんからのコメントを読んで台湾の「二二八事件」についての無知を鞭撃たれ、調べてみました。こんな悲惨が事件が過去にあり現在もそれが大きな歴史的検証の課題になっていることを知りました。うすうすは知っていてもそれを直視してこなかったことは事実です。(父が戦時中台湾でしたので、何かと気になっていたのは確かです)

琉球の歴史にしてもかなり無知な状態で人生の半ばを過ぎて、見据えているお恥ずかしい現在です。二二八事件の捉え返しは本省人の李登輝総統の登場によってより光が当てられているのですね。昨今台湾から留学してきた学生が[中国人」ではなく「台湾人です」と発言したことにも驚いたのですが、台湾の戦後の歴史はとても興味深いです。琉球大の台湾や中国研究者のお話も身近で聴けるようになった現在ですが、台湾の方が沖縄を「琉球」の名称で呼んでいることも、沖縄の独立を台湾の将来の指針と兼ねて見ている視座を感じます。

コメントの中の「列強」がアジアに振るった植民地的政策の非情さは日本の比ではなかった、も確かにその通りかもしれません。アヘン戦争などみても、例えば中国の研究者もその戦争が中国の近代化への警笛で屈辱的な戦争だったと話していましたが、しかし、かといって日本が沖縄に振るった刃を全て正当化できるかは疑問ですね。

沖縄の米軍基地は植民地の象徴ですよね。それとそこからイラクやアフガニスタンにもアメリカの戦闘機が飛んでいってクラスター爆弾などが落とされ多くの子供たちが犠牲になっているのですよ。ベトナム戦争の時もそうでした!

上記のエッセイに関しては続きを改めて書きたいと思います。コメントありがとうございました! 

Unknown (MONTY)
2010-11-13 22:34:08
たまたま見つけたのですが、11月10日に中国「環球時報」に「中国は琉球独立を支援すべきだ」という記事が載りました。尖閣事件とタイミングを合わせた見事なまでの政治性、さすが独裁国家ですが、これが彼らの歴史認識です。
http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2010&d=1110&f=politics_1110_010.shtml

台湾では、「琉球」「琉球群島」という言葉が使われていますが、華夷秩序の復活を企むかのような中国とは、使う意味合いが異なります。「ひとつの中国」は、孫文が清朝の政治構造を換骨奪胎して作り上げた虚構です。その延長線上には、論理的に琉球は中国の属国だという主張が待っています。 
 
中国脅威論にあまり組しない沖縄では? (N)
2010-11-14 03:29:01
ご紹介されたサイトは今読めない状況で、後ほど見てみます。「環球時報」に「琉球独立を支援すべき」の論が展開されているのですか、興味深いですね。貴方が危惧されている中国の主張は、琉球を属国にするという点ですが、それは例えば毎日新聞の8月18日の『海ゆく巨龍』の中でも展開されている論ですね。その記事によると毛沢東が、沖縄を[帝国主義国家」が[強奪」した[中国の多くの属国と一部の領土」の一つとした、とあります。昨今中国で「沖縄を返せ」の主張が、研究者の論文でも見られ、「中国は沖縄に対する権利を放棄していない」ということのようですね。沖縄には渡来人の伝統があり、見出しにもありますが、基地問題への不満、本土への怒りと相まって親中の土壌があると書かれています。

どうも経済・軍事的に中国のパワーアップと比例して日本では中国脅威論が高まっていますが、昨今の尖閣諸島の動きも韓国の動きも同様、意図的に中国との対立を深めて日米同盟を強化しようとする日本のパワー・ポリティックスを逆に感じさせます。また琉球諸島を日本国の利害のために犠牲にしてもかまわないマジョリティー日本人の強固な意志さえ露わですよね。

日米が、沖縄を永久に無沈空母にせんとする企みは見え見えですよ。それは否定したいです!中国脅威論者は、例えば悪の基軸としてイラクやイランや北朝鮮を名指し、世界を騙して戦争に突入したアメリカに加担した視点で見ているのではないですか?大国と大国の間で今後琉球/沖縄がどう自らの方向性を選択していくか今問われています。暴力構造は例えば目取真俊の小説『虹の鳥』に暗喩として書かれています。そこに中国や台湾なども視野に入れて琉球諸島&東アジア全体の明日を考える必要があるのでしょう。

単純に一党独裁だから中国は怖いでも未来は切り開かれないでしょう。中国人の琉球人へのシンパシーはありますね。また琉球/沖縄の人間も中国にシンパシーを持っているのは間違いないでしょう。「痛み」の共感のようなものと、中国人の子孫の存在もあるのでしょうがーー。
先の戦争で日本人は三百万人以上犠牲になり、アジア諸国ではおよそ二千万人が犠牲になったと言われています。

琉球諸島の自決権は確保する必要があります!日米の植民地的現在、軍事要塞化を否定しない限り琉球/沖縄の未来は明るくならない、それが率直な思いです。

中国が、琉球諸島の自律権(自決権)を認め、軍事的に関与せず(併合や基地化をせず)、不可侵の平和な琉球弧を応援するならば、大いに結構ですね!

日米が、沖縄の軍事基地を全て撤去するならば、信頼できます。 
 
牙を剥き沖縄を襲う中国? (N)
2010-11-15 10:58:33
Googleの中国からの撤退に見られるように、鉄のカーテンにおわれた中国(かつてはロシアがそう呼ばれた?)のイメージは脱ぎ去ることはできそうもなく、確かにチベットやウィグルの現状(民族浄化)の政治的な表象(その真実はネットでも全容は見えない)も視野に入ってきます。
一方で沖縄の作家のブログを見ると自衛隊配備を強固に推し進め、与那国や八重山、宮古、沖縄と全く琉球弧に多くの自衛隊とその家族を移住させて、沖縄をますます意のままに日本国の利害の生贄にするー過去の亡霊(日本国の防波堤)もまた迫出してきそうな雰囲気です。(これも先住民族を浄化する運動?)日米の軍事同盟が重要だと、管総理とオバマ大統領は対中国に強行路線を取る戦略を世界にアピールしました。つまり、いつまでもこの沖縄の戦前からの悪夢を上塗りせんとする意志が明らかです。
中国の怖さはアメリカの透明な民主主義(全体主義)の怖さと比例するのではないでしょうか?文字通り自由ということ、言論の自由、表現の自由が日常レベルで可能な点は確かにまだまだいいと言えるでしょう。政治批判もできます。それが許容された日本やアメリカ社会はまだ市民に優しいと言えますね。

しかし、中国を怖がってばかりいても、前に進みません。軍事力(一党独裁)で民衆を抑圧し自由を剥奪し、檻に閉じ込める。恐ろしいことです。中国内部から自由を求める運動と呼応した運動をこちらでも展開する必要があるのではないでしょうか?アメリカもかつてのソビエト連邦の解体のように中国の内部からの解体を目指していると、ネット・サイトから見えてきます。ボーダレス・グローバル経済が中国の一党独裁を解体させる必然などありえないでしょうか?
危惧するのは、中国の軍事的脅威に対して日本も軍隊(自衛隊)を増強する、という危険な兆候です。国際連合のより開かれたシステムを追求し、アメリカやNATO中心の平和維持軍ではなく幅広い世界の国々が共同で維持管理する平和構築システムを築く努力をする必要があるのでしょう、という前に努力はなされていますよね。
誤解されているのは、私は盲目的に中国を支持しているのではありません、貴方がご指摘の点を、じゃー、どう、いい方向へ持っていくか、その次のステップに取り組む必要があると考えます。戦時中、昭和3年生まれの母などは中国人をシナ人と呼びすて、差別的な言辞をしていたと話しています。認識なり教育、互いの理解度を深める多様な交流が問われています。
ハイティーンの者たちはネットで、たとえば、「日本鬼子」のプラカードに対して、およそ2000個の「ひのもとおにこ」の絵柄を創作してネットで展開するなど、大人の堅い構図とまた異なる交流をしています。
世界は一つに向かって、軍事的対立のない共栄圏を目指すビジョンなり夢は捨てたくないです。沖縄は独自に台湾や中国、韓国とも交流を深めていく必要があります。民衆はお互いに分かりあえると信じたい。政府や国の権力構造とは別にーー。
日本の国内植民地は返上したいですね。あなたがどこに住んでいるどなたか、よくわかりませんが、台湾の事情にお詳しい様子ですが、台湾から留学して博士論文など書いている学生からもいろいろとお話を伺いたいと思います。沖縄の歴史研究者や中国、台湾にお詳しい方々は、あまり本音でご意見を出されていません。それだけ問題は微妙で、流動的な現状なので、慎重な対応をされているのだと考えています。中国が大国意識丸出しで琉球/沖縄の自決権や意志を踏みにじるようなことは阻止しなければならないでしょう。

一方的に全否定したり全肯定するのは、いつでも危険なのかとも考えます。よりよき理解と共生・共同、戦争のない地球を目指していく、という事はどの国の民衆も同じ思いではないでしょうか?現状は厳しいーーー、それでも、よりよき未来を求めたい。
ご指摘の「簡単に中国を信じるな」は、胆に銘じたいと思います。 
 
最新琉球関連ビデオ (MONTY)
2010-11-18 21:14:17
まだ300アクセスに達していない、中国の宣伝ビデオ映像です。「琉球群島は古来から中国の領土!」これがそのタイトルです。これから多くの中国人がこの映像を見て、麗しの琉球群島は我が領土だと信じるようになります。

http://www.youtube.com/watch?v=wVTSSD8Anxo&feature=player_embedded 
 
人間がいないのですね? (N)
2010-11-19 02:03:24
綺麗な映像で音楽もノスタルジアそのものに聞えましたね。中国的特徴をうまく編集しています。なるほどです!琉球・沖縄への憧れをかきたてるイメージ!メディアによるテコ入れと言えるのでしょうが、研究論文も沖縄を中国の領土だとする主張がじわりと増えている様子。

時代の変化の速さを感じます。21世紀がアジアの世紀と言われて久しいのですが、中国、インドを中心にどうダイナミックに展開していくのだろうか?日本はどうも浮き足立っていて、中国脅威論の中で軍国調になりつつあります。アメリカとニコニコ手を結んでその盾にされるのだろうか?

中国が戦略的に沖縄を自国の領土だと主張する度合いは増えてくるのでしょう。しかし、この琉球弧には住んでいる人間がいるのです。自立した独自の自治権を認知させるこちらからの発信が問われています。

日米が沖縄を踏みつけにする政策を変えない限
り、中国へのシンパシーは増えるのでは?あまり変わりばえのしない意見ですがーーー。しかし日本語で生活していますからねーー! 
 
Unknown (MONTY)
2010-11-19 10:12:14
>>しかし日本語で生活していますからねーー!
実は私も今、某国立大学で「東アジア国際関係史」を聴講しています。教授は近代中国史研究で著名の方ですが、専制国家である中国は数々の歴史捏造を行ったと指摘しています。少数民族の言語文化を奪い、「清帝国」の版図を「中国」の国土だとして漢民族が強権支配するというのが、中国共産党の企てる新たな「中華帝国」です。そこには沖縄も当然含まれています。「日本語で生活している」などというのは無関係、もし中国共産党が沖縄を占拠すれば、ただちに新たな「二二八事件」が起きます。蒋介石は、二万人の台湾人インテリ指導層を虐殺して、直ちに日本語、日本文化を禁止した。三人以上の集会も禁止です。その後、四〇年間、台湾人の言論は封殺された。その間、台湾の日本語世代は年老いていった。これと同じこと、いや共産党ですから、もっと残虐な支配が行われることは間違いないでしょう。
間違っても、華夷秩序下の清朝ー琉球王国との関係を現代に適応できるなどと思ってはなりません。
 
脅威論や不安を払拭する交流こそ必要では? (N)
2010-11-20 11:50:28
MONTYさんのご指摘で二二八事件について調べて外郭を知ることができました。多くの知識人層が台湾で虐殺されたことなど、その後40年間に台湾で起こった事柄など、その中の台湾の方々の身体の屈折など読んだことがあります。戒厳令の中の身体が表象でもどう顕れるかなどーーー。
台湾の独立を支持します。香港の独立も支持したいのですが、現実は一国二制度の中の自由ですか?ただ国家という枠組みを超えたものを追求できないのが現実でしょうか?
「華夷秩序下の清朝ー琉球王国との関係を現代に適応できるなどと思ってはなりません」が貴方のポイントだと思います。琉球/沖縄の歴史を鑑みて、清王朝へのロマンティシズムはありますよね。今頃近代が迫ってきます。大城立裕氏の「さらば福州琉球館」について研究発表したのですが、当時の脱清人の動きなど、現在の沖縄のある者たちのメンタリティーに呼応するところがあるかどうか?ボーダレス、ディアスポラの要素はありえるか?結論はどうだったか、もっとじっくり見て論をまとめなければ、です。佐藤優にしても大城の小説『琉球処分』について意図的に宣伝しているのは、130年前の近代の世界地図を想起して、現代の問題を見ろというプロパンガンダだと言えるでしょう。そう思いませんか?

琉球大の高良倉吉先生などもあなたと同じことを話していたと記憶しています。琉球史を遅れて学ぶ者ですが、授業で三田剛史氏の「現代中国の琉球・沖縄観」について討議しました。琉球史を研究している前田舟子さんなど、北京語にも堪能ですから中国の研究者の論文も発表しました。また同じく台湾の研究をしている仲村春菜さんなども台湾側からの視点なども展開していたと記憶しています。(手元の資料を参考せず書いている。もし表記に間違いがあれば指摘よろしく!)私などは三田氏の指摘は面白いと感じました。

(1)中国に朝貢していた琉球王国は、中国の藩属国である。
(2)日本による琉球処分は軍事力を背景としたもので不当である。
(3)当時の国際情勢のため、清朝は琉球への権利を確保できなかった。
(4)中国は第二次世界大戦の連合国の一員であり、日本に対する戦後処理に関して、本来琉球の処遇に対する発言権を持つ。
(5)国共分裂、冷戦などの影響で、中国は琉球に対する権利を行使する機会を逸した。

以上ですが、現在の中国はその路線上で発言を強めている印象です。しかし三田氏は最後に「琉球の帰属について発言権があるのは、琉球の住民に他ならない」と当然ありうべき視点が欠落していると指摘しています。
確かに琉球/沖縄に住んでいる者たちの主権への配慮を欠いた(欠如した)論調になっていると思います。大国の傲慢さですね。その中で踏みにじられてきた者たちへの視線が弱いですね。日米も同じですがーー。
日本の知識人は欺瞞そのものですよ。自らの安寧は沖縄を踏みつけて成り立っているのですからね。どんな論調にも欺瞞が付きまとっています。麗しき日本国憲法は治外法権的に沖縄をアメリカに売り渡して成り立っているのですからね。(昭和天皇の発言も麗しく、沖縄をアメリカに長期リースしてOKです。その上でなりってきた日本の戦後の繁栄ですからね!日本の政治家、知識人のペテンの美しさよ!だから比嘉豊光が酔って【日本の知識人が書いた物はトイレットペーパーと同じ】と言っても、うなずけるのです。少し脱線!)

その点、琉球史や中国、台湾の権威ある研究者はしっかり現状を視座において論を展開してほしいものですね。中国脅威論がアメリカでも国内選挙を左右するほどに高まっている様子ですが、危険な色合いですね。EUでもロマの排除など、またイスラム系の人々への憎悪も膨らんでいるようで、世界はまた新たな民族間、宗教間の対立に向かっているようで、きな臭いです。
そんな現象があるからこそ、第三次世界大戦など引き起こさないために、地球人としての連帯間を深める、国境なき平和な今日・明日を求める運動が必要なのでは?と思います。
まず沖縄から基地をなくし、中国や近隣諸国の人々と友好関係を築けあげることをネットでもすべきなんでしょう。楽観的かもしれません。過去の残酷な経緯の方程式を未来にそのままあてはめることがない実践を今やることが大切だと考えます。

中国共産党の怖さですか?蒋介石の残酷さではなかったのですか?その辺はもっと学習する必要があるようです。漢民族と他の少数民族の関係がどうなっているかも知りたいですね。

歴史学から見た「ひとつの中国」のウソ

2010年11月18日 10時15分01秒 | 歴史

 先日、大学の授業が終わった後、S教授(歴史学・国際関係史)と立ち話をする機会があった。
 団塊の世代に属する教授は、清朝期の歴史研究の第一人者、学生時代は「新中国」「人民中国」へのシンパシーがあって、この分野に進まれたようだ。その教授が現在、危機感に駆られていることがあるという。それは、満州の歴史についてだ。教授が研究生活を始めた頃、「満州」の歴史を勉強しようとしても、そんな分野には手をつけてはいけないという雰囲気があったという。私もそういう時代の雰囲気は覚えている。

 学問研究が自由なはずの日本で、「満州 」史の研究が憚られたのは、もちろん、「満州国」の問題があったからだが、その一方で、中国が「満州国」を「偽満州国」と断罪し、一切の歴史文書を封印したことも大きかった。日本では「満州」は旧満州あるいは中国東北部と言い換えられ、「満州国」という言葉は、括弧書きでなければ使用できなかった。

 だが今、S教授は、満州は「中華民国」が成立するまでは漢民族の土地ではなかったにもかかわらず、今や本来「中国の土地」だとされてしまった、さらに「中華人民共和国」建国以来の60年の歴史の中で、歴史が捏造されてしまったと話された。毛沢東の「人民中国」は、「中国はひとつ」というスローガンのもと、チベット、ウイグル、内モンゴルなど、少数民族の地域を軍事占領し、漢民族支配を強めてきた。文化大革命以前、満州人の人口は二千万人と言われたが、最近の調査ではわずか二万人となった。虐殺されたり、満州族の言語文化を根こそぎ奪われ、満州人としてのアイデンティティを奪われた結果が、この数字に表れている。満州と満州人は、文字どおり歴史から消え去った…。

 満州が満州人の土地であったとすれば、日本がでっち上げたとされる「満州国」に対する見方も変わってくる。日本人が陥っている自虐史観も幾分は弱まるかも知れない。少し前までこのようなことを言えば、「右翼的」「非常識」と罵られるのが落ちだった。中共(=中国共産党)は、日本帝国主義を打倒し、「満州」を解放したというのが一般的な史観だったからだ。だが今、歴史学界では、「ひとつの中国」というイデオロギーから解き放されて、満州の歴史を見直そうという動きが出ている。平野聡著「清帝国とチベット問題」(名大出版会 2004年)は、その代表例だ。

 広く知られた本についても、意外な展開がある。岩波文庫所収の「紫禁城の黄昏」は、清朝最後の皇帝・溥儀について書かれた名著とされる。だが、この本は完訳本ではなかった。原書は全二六章あるが、第一章から第一〇章まで、及び第一六章が、岩波文庫版には翻訳されていないのだ。2005年になってようやく完訳本が出された。(下記参照)
 この完訳本の中で、監修者の渡部昇一氏が次のように記している。

「…この文庫本(岩波文庫版)は、原著の第一章から第十章までと第十六章を全部省略しているのだ。その理由として訳者たちは”主観的な色彩の強い前史的部分”だからだという。この部分のどこが主観的というのか。清朝を建国したのが満州族であることの、どこが主観的なのか。第十六章は満洲人の王朝の皇帝が、父祖の地に戻る可能性について、当時どのような報道や、記録があったかの第一級史料である。」(完訳本 p.9 監修者まえがき 下線・渡部)

 つまり、岩波書店と文庫の訳者は、清朝皇帝を退位した溥儀が、祖父の地である満州に帰って満州国の皇帝となる可能性に言及した部分を故意に削除しているのだ。要するにそれは、「中国はひとつ」であり、満州は中華人民共和国に属する地域だというイデオロギーに依拠しているからである。岩波という日本を代表する「良心的出版社」は、読者には肝心な部分を「ませない」という”配慮”をしてくださったのだ。何やら「尖閣ビデオ」は公開しない(国民には見せない)とする民主党政権そっくりではないか。
 
 
(「完訳・紫禁城の黄昏」 R.F.ジョンストン著 中山理訳 渡部昇一監修 詳伝社 2005年)

 上述の平野聡氏もまた、清朝の統治構造を分析することによって、「ひとつの中国」の幻想を打破して見せてくれた。
 チベットまで高速鉄道が引かれ、チベットやウイグルの少数民族に対し普通話(漢語)の強制が始まるなど、漢民族による少数民族支配がますます強まるなか、「ひとつの中国」が漢民族によって作られた、「中華帝国」再興を企てるイデオロギーなのだという事実を認識しておくことは重要だ。

 中国史を考える場合、漢民族の歴史だけでなく、少数民族の歴史も視野に入れなければならない。膨大な史料は、素人が口を挟めないほどだが、例えば、モンゴル史については、宮脇淳子氏の分かりやすい映像がある。

宮脇淳子「世界史はモンゴル帝国から始まった」#01 1


キリスト教が近代東アジアにのこしたもの

2010年11月17日 11時17分40秒 | 歴史
 S先生の授業を聴きに大学に行く。午前10時に自転車で出かけたが、もう手袋がないと寒く感じる。
 大学祭が今週末にあるからだろうか、今日の授業には7名しか学生が来なかった。ジジババは5人全員が出席していたので、どこかの教養講座かと見間違う雰囲気が漂った。

 だが、S教授は一切手抜きナシ。毎回、自分で作成したレジュメと史料を配布する。ボードには必ず地図を書き、歴史的経緯と地理的関係を総合的に説明する。これは本当にありがたい。
 きょうのテーマは、カール・ギュッツラフという人。19世紀半ば、東アジア全域で活躍したプロテスタントの宣教師。当時、清朝政府が「国禁」としていたキリスト教の布教を進めると同時に、英国政府の通訳として、アヘン戦争にも深く関わった人物だ。私自身、かつて中国に暮らし、同じような経歴を持つ外国人と関わりがあっただけに、その生涯を興味津々の思いで聴いた。

  帰りは弁当屋で中華風弁当を買い、近くの丘の一番高いところで食べる。日差しが強く、意外にも寒くはなかった。空を眺めながら、とりとめもなくキリスト教がアジアにもたらした禍福を考えたりした。私の親族には、キリスト教の熱心な信者がいたが、その生涯は決して幸せなものではなかったことも…。


(台湾・台南の馬祖廟)

 澎湖諸島にいたとき、街のあちこちに馬祖を祀る廟を見た。馬祖は福建省出身の海洋民が信仰する神。彼らが足跡を残した、シンガポールから天津までの海岸地域に広く見られる。台湾では、淡水や台南にも大きな廟がある。澎湖諸島では、この馬祖廟を研究している真面目な日本人女子大生に出会った。 果たして、彼女は確かな研究成果を得たのだろうか…。

 これまでの自分を考えると、特に宗教に突き動かされたことはない。今の私には、一神教ではなく、より穏和な馬祖のような民間宗教の方が心安まる思いがする。

ソウルに遺る日本統治時代の建造物

2010年09月08日 10時42分32秒 | 歴史

 格安ツアーで、初めての韓国旅行に出かけた。ソウル3泊4日、日程表を見ると、一日中バスに乗り、史跡や土産物店巡り。半日間だけフリータイムはあるものの、3食付きというのは、あまりにも拘束感が強い。値段を考えれば、贅沢は言えないかも知れないが…。

 3日目、午前中は「宋廟」などの史跡見学だったが、体調不良という理由でキャンセル。同行者はそのままツアーに出かけ、午後のフリータイムは38度線見学ツアーに行ってしまった。北朝鮮には興味はあるものの、それ以上にソウル市内に遺る日本統治時代の建築物を見たいと思っていた。

 日本人向け観光バスで市内を巡っていても、ガイドさんは決して日本統治時代の話には触れない。たとえ、旧・朝鮮銀行(現・韓国銀行)の前を通っても、建物の由来を説明することはない。これは多分、お得意さんである日本人との無用な摩擦を避けようというのか、民族のプライドを傷つけられた時代のことは語りたくないのかのどちらかだろう。いずれにしても、私は「それはないだろう」と思う。

 そこで「ひとり歩き」を実行。まず、ホテルのある鶴洞(ハクドン)から地下鉄7号線でソウル駅に向かった。途中、「総神大学前」という駅で地下鉄4号線に乗り換えるのだが、何とこの駅の実際の表示は「梨水」だったので、私は二つ先の「崇寶大入口」まで行ってしまった。ハングル文字の洪水の中で、似たような名前を識別するのはなかなか難しい。表示がこれでは不親切だなあと思う。
 ようやくソウル駅に到着。目指すのは旧駅舎だったが、残念ながら工事中。シートを被った駅舎を遠目で眺めるに止まった。近くの博物館なども、月曜日なので皆休館日。これは不運だった。

 ソウル駅をあとにして、「市庁」駅に。旧・裁判所(現在、ソウル市立美術館)に行ったが、ここも展示準備中で入れなかった。
 南大門方面へ歩いていくと、旧・朝鮮銀行(現・韓国銀行)、旧・三越(現・新世界百貨店)、旧・第一銀行などがある広場へ。この広場の配置は、とても暗示的。朝鮮銀行と対面にある三越、第一銀行を民族英雄(?)やら革命家たちの銅像が遮るように建っている。これもお得意の「風水」を取り入れた配置なのだろうか。朝鮮総督府の建物が破壊されたとき、「日本帝国主義が韓国人の英気を奪うために、あの位置に建てたのだ」という説明があった。また、日本統治時代に南山に設置された測量の標準点(石)を同様の説明で非難したこともあるそうだ。日本人が「風水」で陰謀を図ったというお話なのだが、こういうトンデモ話のようなことで日本統治時代を非難するのはいつまで続くのだろうか? 当時の歴史を振り返れば、ことはそんな単純ではない。白色人種の欧米列強がアジア全域を植民地化する時代だったのだ。南下するロシアの脅威を李朝朝鮮が自力でくい止めることなどできたのだろうか?

 朝鮮総督府をはじめとする日本統治時代の建造物の多くは、すでに破壊あるいは撤去されてしまった。韓国ではそれらは「反日」、憎しみの対象であっても、文化遺産ではあり得ない。
 現存する旧・朝鮮銀行でも、その定礎石には文字が削り取られた跡が残っている。そこには「朝鮮総督府」という文字と設立の年月日(年号)が書かれていたはずだ。旧・裁判所(現・ソウル市立美術館)の定礎石には、かろうじて「朝鮮総督」の文字が残されていた。旧・三越だった新世界百貨店本館では、新しいプレートで「established 1930」とだけ表示している。このような行為は、日本人的な感覚を超えたものだ。日本人であれば、こういう記録は当時のまま保存するだろう。それが、明治維新を成し遂げた「近代精神」というものだ。だが、ソウルでは認めたくない史実は「なかったことにする」という、日本人とは全く異なる思考様式を目の当たりにした。韓流ドラマに夢中も結構だが、こういう隣人との付き合いは厄介で難しいことを知るべきだろう。

 (旧・朝鮮銀行=現・韓国銀行)
旧・朝鮮銀行の定礎=朝鮮総督府や年号の文字が削り取られている)

(旧・朝鮮銀行 側面から撮影)


(旧・三越本館 現・新世界百貨店本館)

(旧三越の隣にある旧・第一銀行)

(漢江大橋)



(旧・裁判所 現・市立美術館 右側写真は、定礎石に刻まされた「朝鮮総督」の文字)


(1916年に造られたという洋館)

(旧・ソウル市庁舎)


(聖公会=英国国教会の教会)

(「救世軍」本部)


(改装工事中の旧・ソウル駅舎  右側が工事現場のフェンスに掲示されていた往時のソウル駅)