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澎湖島のニガウリ日誌

Nigauri Diary in Penghoo Islands 澎湖島のニガウリを育て、その成長過程を記録します。

侵略を許した側の責任

2010年09月03日 20時48分31秒 | 歴史

 かつて三島由紀夫が主宰する「楯の会」の一員であり、今は会社経営をする井上豊夫氏のブログより引用。「侵略を許した側の責任」という刺激的なタイトルだが、傾聴すべき点はある。
 
 井上豊夫の日々雑感~『商社マンの独り言』~ 
http://www.shigemitsu-shoji.co.jp/

今週の話題「侵略を許した側の責任」2010年9月3日

 日韓併合100年に当たるとして菅首相は首相談話を発表し、韓国を併合した事

を反省し、韓国民に詫びる姿勢を示しました。内容的には先の「村山談話」を

ほぼ踏襲したとは言え,事ある毎に「詫び状」を公表する日本国政府に疑問を

感じます。欧米諸国のアジア、アフリカでの植民地政策は植民地からの「搾取」

が基本であり、植民地の一部エリートのみに教育を施し一般大衆は無知のまま

にして長期支配をもくろむのが常識でしたが、日本の朝鮮及び台湾支配は全く

違い,「搾取」するどころか、日本国民が納めた税金を大量に朝鮮及び台湾に注

ぎ込み、学校や病院施設、社会インフラを充実させ、一般大衆に教育を施す事

が基本でした。

 ここでは朝鮮、台湾支配の「功」と「罪」についてこれ以上論ずるつもりは

ありません。「侵略」,「被侵略」の歴史を振り返る場合大切なのは「侵略者」の

「罪」を取り上げる場合が圧倒的に多いようですが「被侵略者」の「罪」をも

っと論ずるべきだと考えます。記憶に新しい所では1990年8月2日フセインの

イラクは隣国クウェートを一方的に侵略し、後に湾岸戦争となったわけですが

国際世論は侵略者イラクを非難しましたが、小職はイラクを非難する前に国境

を接する隣国イラクがどのような国であり、どれだけの戦力を持っているかは

自明のことであり、通常時から最低限の「国防力」を備えるべきだったと思い

ます。クウェートは巨万の富に恵まれ、戦車の数より圧倒的に多い夥しい「ロ

ールスロイス」が走り回り、「国防」を忘れ、快楽を享受していた「クウェート」

に責任はなかったのでしょうか?

 明治維新で日本は独立を守り通しましたが、これも簡単にできた事ではなく

日本国を植民地化しようと入ってきた英国、フランス、米国などの思惑を先に

一部植民地になった中国清国のアヘン戦争などの顛末を清国の魏源が書いた

「海国図志」を読んだ明治維新の志士たちは欧米諸国の本音を読み取り必死に

独立を守ったのでした。勿論その根底にはどの国でも「日本を侵略したら生か

しておかない」という強い信念があったお陰で日本国は独立を維持できたので

す。もしクウェートに明治維新の志士たちの気持ちがあれば湾岸戦争は防げた

と思います。平和主義者、偽善者たちは武力を持つから戦争が始まるとおっし

ゃいますが現実にはクウェートのように無防備であったが故に「戦争」は起き

るものなのです。「日韓併合」にしてももし朝鮮が日本が入ってきたら「生かし

ておかない」という気持ちと「国防力」を持っていたら「日韓併合」は生じな

かったと思います。現実の歴史を見ればもし日本が朝鮮を併合しなければロシ

アによる「露韓併合」が起きていたことは明らかです。一番大切なことは小国

と言えども自国を自分で守る気概と国防力を準備する事だと思います。折角明

治維新の志士の努力で守った「日本国の独立」ですが現状は半ば米国の「植民

地」となり下がり、自国を自分で守る気概さえもどこかに置き忘れてきたよう

です。   (文責 井上 豊夫)


日韓併合条約は無効だったのか?

2010年08月22日 03時34分20秒 | 歴史

 民主党政権がこれほどまでに「歴史」をないがしろにするとは思わなかった。
 菅政権は、日韓併合100周年にあたって、日韓併合条約が「当時は有効」であったとする従来の見解を「封印」するという。「封印」とは曖昧な言い方だが、要するに韓国の見解に擦り寄り、日本の近現代史そのものを「否定」し「反省」するということなのだろう。
 
 西洋列強が非西欧世界に押しつけた不平等条約の数々は、欧米の世界支配を法的に担保するものであった。だが、欧米各国が当該条約そのものが「無効」であると認めて、相手国に謝罪した例など皆無だ。
 「歴史と向き合う」とは民主党政権やNHKなどのマスメディアの常套句だが、それは「史実をなかったことにして、相手に謝罪する」ことではない。韓国の主張を受け入れて、「当時は有効だった日韓併合条約」を「初めから無効だった」とするかのような民主党政権の態度は、まさに「売国」と言わざるをえない。
 
 原因ははっきりしている。日本が第2次世界大戦に敗北したという事実が、今なおあらゆる局面で影を落としているということ。さらに、われわれが近現代史にあまりに無頓着で、そこから何も学んでいないという点だ。
 中韓朝三国はおぞましいほどの「反日教育」を続け、国民に反日感情を植え付けている。民主党政権が「日韓併合条約は、日本が強制的に押しつけたものだから、無効である」とすれば、彼らの「反日教育」「反日感情」をさらに煽るだけだ。

 こんな自明なことを平然と行う民主党政権。菅首相と仙石幹事長の頭の中は、全共闘時代のままなのではないかと疑う。一国の命運を担う責任感などひとかけらも感じられない。世襲議員ばかりの自民党政権を見ていて、「こりゃあダメだ」と思ったのも束の間、今度は日本という国家そのものを「憎悪」する首相が現れたのだから、これを「売国」と言わずして何と言うのか? 
 

 

日韓併合条約、菅政権は見解封印 「当時は有効」に触れず

8月22日(日) 2時2分

共同通信

 菅政権は、韓国の統治権を日本に譲与するとした1910年の日韓併合条約締結に関し「当時の国際法に照らし、有効だった」とする従来の政府見解に言及せず封印する方針を固めた。政府関係者が21日、明らかにした。「強制的に結ばされた条約で無効だ」と主張する韓国への配慮が必要と判断したため。政府見解見直しについては「国交正常化以来の日本の主張を覆すことになる」(外務省幹部)として応じない。


終戦から65年

2010年08月12日 08時58分12秒 | 歴史

 今日、「産経新聞」の「正論」欄に井上寿一・学習院大学教授(日本政治外交史)が、「終戦から65年」と題する興味深い一文を寄せている。 
 「歴史認識論争の当事者にとって真の「論敵」は、立場のちがいを超えて、このような無関心層だった。透明な、実感することのできない、無関心層が多数を占める日本において、歴史を問うことはむずかしい。日韓併合100年も朝鮮戦争60年もやり過ごされるだろう。今後、周年イベントが注目されることはないかもしれない今、話題となっている本にマイケル・サンデル『これからの「正義」の話をしよう』がある。同書は言う。「われわれが個人として、みずからの選択と行動にしか責任がないと言い張れば、自国の歴史と伝統に誇りを持ちにくくなる。…愛国心からの誇りを持つためには、時代を超えたコミュニティーへの帰属意識が必要だ」

 「産経新聞」「正論」と聞いただけで、その内容を読もうともしない知識人(?)の方々も多いのだが、ちょっと待ってほしい。このところ、NHKが毎日放送する数多の「戦争回顧」番組を見て、本当に戦争の本質を知ることができたのかと。NHKは「兵士の声」「市民の声」など戦争体験の記録を集めた番組を放送しているが、「戦争の悲惨さ」「戦争をしてはならない」というメッセージは伝わってくるものの、何故、「戦争が起きたのか」「これから戦争が起きるとすれば、どうそれを防止できるのか」といった視点は全く明示しない。 「何故、米国は日本に原爆を落としたのか?」という最大の疑問さえ、全く解明しようとは試みていない。NHKさえもこうなのだから、民放はもうどうしようもない。

 私は、数多の「戦争回顧」「戦争反省」番組を見るよりも、この一文のほうがずっといい。日本社会を溶解させかねない感傷的な懺悔は、もういいではないか。「敗戦国」としての屈辱を未来永劫受けなければならないのであれば、未来ある若い日本人は、ある日突然、「懺悔の屈辱」に目覚めるかもしれない。その日は意外にも近いのかも知れない。
 

【正論】終戦から65年 学習院大学教授・井上寿一

 ■自国の歴史と伝統に誇り抱く時
 …(省略) 戦後、忘却の彼方(かなた)へと追いやられた戦争の記憶が蘇るのは1990年代になってのことである。戦争の記憶の解凍は米ソ冷戦の終結後から始まる。これは偶然の一致ではない。米ソ冷戦は戦後日本の平和と繁栄の国際的な前提だった。日本は米ソ冷戦の受益国である。その国際的な前提が失われる。米ソ冷戦下で凍結されていた戦争の記憶が解凍される。ここに歴史認識論争が展開される。

 ◆冷戦崩壊で戦争の記憶が解凍
 1990年代の歴史認識論争は、「従軍慰安婦」論争や歴史教科書論争、あるいは首相の靖国神社参拝の是非などをめぐって、国内対立を激化させる一方で国際問題となった。国際問題にまで発展した歴史認識論争は、体制を異にする大陸中国だけではなく、米ソ冷戦下、同じ陣営に属していた韓国との間でも激しくなった。同盟国のアメリカとの間でさえ、原爆投下問題をめぐって、外交関係が緊張した。米ソ冷戦の終結によって、パンドラの箱を開けたかのように、つぎつぎと戦争の記憶が飛び出してきた。
 歴史認識をめぐる国内論争は、双方が一歩も譲らず、原理的な立場からの批判の応酬によって、高進していく一方だった。なぜ対立が激しくなったか。おそらく米ソ冷戦の終結にもかかわらず、東アジアでは冷戦構造が残存していたからだろう。
 別の言い方をすれば、戦争の記憶をめぐる対立は、東アジアの冷戦と対応する国内冷戦として、エスカレートした。この国内冷戦は戦後60年の首相の靖国神社参拝問題で頂点に達する。
 その後はどうなったか。対立が収束することはなかった。同じ陣営内においてすら対立が起きた。歴史認識論争をめぐる主要な政治勢力は四分五裂した。
 論争の荒廃ののちに訪れたのは、思考停止社会である。問い「『南京大虐殺』はあったのか?」答え「どっちだっていいです」。「それはないだろう」。「だって関係ないですから」。この問答が今の日本の心象風景を表現している。日本は「無機質な、からっぽな、ニュートラルな、中間色の」(三島由紀夫)国になった。

 ◆時代超えて結びつけるもの
 歴史認識論争の当事者にとって真の「論敵」は、立場のちがいを超えて、このような無関心層だった。透明な、実感することのできない、無関心層が多数を占める日本において、歴史を問うことはむずかしい。日韓併合100年も朝鮮戦争60年もやり過ごされるだろう。今後、周年イベントが注目されることはないかもしれない。
 どこかに希望を見いだすことはできるのか。今、話題となっている本にマイケル・サンデル『これからの「正義」の話をしよう』がある。同書は言う。「われわれが個人として、みずからの選択と行動にしか責任がないと言い張れば、自国の歴史と伝統に誇りを持ちにくくなる。…愛国心からの誇りを持つためには、時代を超えたコミュニティーへの帰属意識が必要だ」
 この一節を読み飛ばすことなく、日本に引きつけて考える人が一人でも多くなることを願う。
 あるいはもっと直接的に、たとえば浅田次郎『終わらざる夏』を読み、戦争とは何か、思いをめぐらせたい。同書の一節は言う。「平和と幸福を求めて生きる人間が、誰ひとりとして好まぬ戦をし、まるで聖なる儀式のように死と親和する」。これが戦争の真実の姿にちがいない。
 この物語をとおして、過去の日本と現在の日本とを結びつけることができれば、「時代を超えたコミュニティーへの帰属意識」が生まれるだろう。その時、私たちは「自国の歴史と伝統に誇り」を抱くことになる。
 このままだと、遠くない将来、8月15日が何の日か、すぐには思いだせなくなるかもしれない。そうならないように、せめて1年に1度、戦後何年になろうとも、この日だけは、戦争の記憶を掘り起こし、過去とのつながりのなかで、未来の日本を考えたい。(いのうえ としかず)


菅首相「韓国併合100年談話」にはこんなウラが?!

2010年08月10日 19時32分00秒 | 歴史

 菅直人首相の「日韓歴史談話」について、安倍・元首相は「歴史に無知で、日本の国益を害する」と批判した。

 菅首相は「歴史に残る首相」となることを目指しているそうだが、今日の歴史談話でその可能性が出てきた。「夕刊フジ」などは、それを「菅首相の売国外交」だと批判している。
 そう、菅首相は、日本の国益を外国に売り渡した首相として「歴史に名を残す」かもしれないのだ。

 日本国内では無視されたかたちだが、台湾のTVでは「菅首相と韓国女性との私生児スキャンダル」を報道している。真偽は定かではないが、もし事実だとすれば、今回の「謝罪」が何故行われたかという疑問は、これで氷解する。菅直人サンは、韓国に公私共々負い目があったというワケだ。

  菅首相に痛撃 韓国人情婦との私生児を韓国で養育か?


「日韓併合百年に関する首相談話」を検証する

2010年08月10日 12時13分26秒 | 歴史

 「日韓併合百年に関する首相談話」が、下記のとおり発表された。「産経新聞」のよれば、菅内閣の中でも玄葉大臣などは、この談話の内容に対して異議を唱えたようだ。
 
 「菅談話をめぐっては、これまで与野党から異論が続出していた。民主党国会対策委笠浩頭副委員長と松原仁副委員長らは「与党の政策調査会できちんと議論すべきだ」と仙谷由人官房長官に申し入れた。民主党国対でも首相談話への反対論が相次いだ。玄葉政調会長も「補償の話が蒸し返されてはならない」と慎重論を唱えていたのに残念だ。。」(「産経新聞」8月10日)

 インタビューで松原仁議員は、「内閣が替わるたびに、謝罪の表示をすることは、日本の国益にそぐわない」と述べていた。民主党の中にさえ、このような反対意見があったのに、なぜ菅総理は「謝罪」を強行したのか。
 よく言われることだが、村山・元首相、菅首相には、「市民」を持ち上げ、「国家」を蔑む、あるいは、まるで人ごとにように自国を貶すという共通点がある。GHQ作成の日本国憲法を従順に学んだ二人は、「国益」という言葉さえも遠慮がちに使う首相となってしまった
 
 菅首相は、次のように言う。
 
「本年は、日韓関係にとって大きな節目の年です。ちょうど百年前の八月、日韓併合条約が締結され、以後三十六年に及ぶ植民地支配が始まりました。三・一独立運動などの激しい抵抗にも示されたとおり、政治的・軍事的背景の下、当時の韓国の人々は、その意に反して行われた植民地支配によって、国と文化を奪われ、民族の誇りを深く傷付けられました。」

 この表現は、日本側の一方的懺悔のように聞こえる。しかし、「…政治的・軍事的背景の下…」と言う言葉でぼやかされているものの内実こそが、問われなければならない。
当時、まさにロシアは朝鮮半島を植民地化しようと虎視眈々と狙っていた。朝鮮内部の政治状況も、四分五裂の状態で国家の態を為していなかった。西欧列強による「中国分割」(Cutting the China)が進む中で、次は朝鮮半島だという緊迫した政治状況があったことを確認しておかなければならない。そうでなければ、100対ゼロで日本は間違っていた、日本はその存在そのものが「邪悪」なのだという結論にいたってしまう。
 要するに、この談話は、不正確な内容に過ぎず、日本の国益にとってプラスになることは皆無などころか、将来的に禍根を遺すことになるのは間違いない

 また、お詫びの文言にも不適切な表現がある。菅首相は、こう謝罪する。

 「私は、歴史に対して誠実に向き合いたいと思います。歴史の事実を直視する勇気とそれを受け止める謙虚さを持ち、自らの過ちを省みることに率直でありたいと思います。痛みを与えた側は忘れやすく、与えられた側はそれを容易に忘れることは出来ないものです。この植民地支配がもたらした多大の損害と苦痛に対し、ここに改めて痛切な反省と心からのお詫びの気持ちを表明いたします。」

 「歴史に対して誠実に向き合いたい」「歴史の事実を直視する勇気とそれを受け止める謙虚さを持ち、自らの過ちを省みるこちに率直でありたい」という表現は、極めて情緒的で危険な言い方だ。日本人にとって、歴史は謝罪すべき対象であるかのような表現ではないか。あたかも神の如き「歴史」なるものがあり、ことあるごとに、それを正しく「認識」できない邪悪な民族として日本人は永遠に蔑まれ続ける…極論すれば、そういうことになりはしないか。

 また、「日本が統治していた期間に朝鮮総督府を経由してもたらされ、日本政府が保管している朝鮮王朝儀軌等の朝鮮半島由来の貴重な図書について、韓国の人々の期待に応えて近くこれらをお渡ししたいと思います」として、韓国に文化財を返却するとしている。これだけでは、日本側の不法行為を謝罪するような印象を与えるが、これは歴史的に見て事実ではない。
 朝鮮総督府が適正に管理していたが故に、現在まできちんと保管されてきたのである。そうでなければ、きっと朝鮮戦争で焼かれていただろう…とまではさすがに言うつもりはないが…。
 あたかも「盗品」を本来の持ち主に返還するというような言い方はいかがなものか。このことで、韓国がさらに新たな賠償請求を言い出すかも知れないのに…・。朝鮮総督府は、朝鮮の近代化に大きな役割を果たした。それは決して全面否定されるべき筋合いのもではない。

 次回の謝罪では、「竹島」の領有権放棄文書をプレゼントして、友好関係を築きましょうなどと言うのだろうか。際限ない謝罪と足元を見た賠償請求の連鎖。民主党政権がこれほど愚かだったとは…。世襲議員ばかりの自民党と五十歩百歩ということなのか。

 

【日韓併合首相談話】全文「韓国は誇り傷付けられた」…

 政府は10日午前、日韓併合100年に併せた首相談話を閣議決定し発表した。首相談話では、日本による韓国の植民地支配に対し「多大の損害と苦痛に対し、ここに改めて痛切な反省と心からのお詫びの気持ちを表明いたします」と明記した。談話の全文は以下の通り。

               ◇

 本年は、

閣議に臨む菅直人首相=10日午前、首相官邸(酒巻俊介撮影)閣議に臨む菅直人首相=10日午前、首相官邸(酒巻俊介撮影)

日韓関係にとって大きな節目の年です。ちょうど百年前の八月、日韓併合条約が締結され、以後三十六年に及ぶ植民地支配が始まりました。三・一独立運動などの激しい抵抗にも示されたとおり、政治的・軍事的背景の下、当時の韓国の人々は、その意に反して行われた植民地支配によって、国と文化を奪われ、民族の誇りを深く傷付けられました。

 私は、歴史に対して誠実に向き合いたいと思います。歴史の事実を直視する勇気とそれを受け止める謙虚さを持ち、自らの過ちを省みることに率直でありたいと思います。痛みを与えた側は忘れやすく、与えられた側はそれを容易に忘れることは出来ないものです。この植民地支配がもたらした多大の損害と苦痛に対し、ここに改めて痛切な反省と心からのお詫びの気持ちを表明いたします。

 このような認識の下、これからの百年を見据え、未来志向の日韓関係を構築していきます。また、これまで行ってきたいわゆる在サハリン韓国人支援、朝鮮半島出身者の遺骨返還支援といった人道的な協力を今後とも誠実に実施していきます。さらに、日本が統治していた期間に朝鮮総督府を経由してもたらされ、日本政府が保管している朝鮮王朝儀軌等の朝鮮半島由来の貴重な図書について、韓国の人々の期待に応えて近くこれらをお渡ししたいと思います。

 日本と韓国は、二千年来の活発な文化の交流や人の往来を通じ、世界に誇る素晴らしい文化と伝統を深く共有しています。さらに、今日の両国の交流は極めて重層的かつ広範多岐にわたり、両国の国民が互いに抱く親近感と友情はかつてないほど強くなっております。また、両国の経済関係や人的交流の規模は国交正常化以来飛躍的に拡大し、互いに切磋琢磨しながら、その結び付きは極めて強固なものとなっています。

 日韓両国は、今この二十一世紀において、民主主義や自由、市場経済といった価値を共有する最も重要で緊密な隣国同士となっています。それは、二国間関係にとどまらず、将来の東アジア共同体の構築をも念頭に置いたこの地域の平和と安定、世界経済の成長と発展、そして、核軍縮や気候変動、貧困や平和構築といった地球規模の課題まで、幅広く地域と世界の平和と繁栄のために協力してリーダーシップを発揮するパートナーの関係です。

 私は、この大きな歴史の節目に、日韓両国の絆がより深く、より固いものとなることを強く希求するとともに、両国間の未来をひらくために不断の努力を惜しまない決意を表明いたします。

 

菅“売国外交”に批判噴出 支持派もソッポで代表選ピンチ


左傾化路線を突き進む菅首相だが、党内支持基盤は大きく揺らぎ始めた【拡大】

 菅直人首相(63)は10日、日韓併合100年を迎えるに当たり、韓国の植民地支配などへの「反省とおわび」を盛り込んだ首相談話を発表したが、朝鮮学校の無償化問題など、ここ一連の左傾化路線が9月の民主党代表選に大きな影響を与えそうな気配となってきた。菅首相と距離を置く、小沢一郎前幹事長(68)と鳩山由紀夫前首相(63)のグループ連合に着々と外堀を埋められつつあるが、菅支持を打ち出しているグループからも離反者が出かねない事態となっているのだ。

 政府は10日午前の閣議で、首相談話を決定。談話は1995年の「村山首相談話」を踏襲し、「植民地支配がもたらした多大の損害と苦痛に対し、痛切な反省と心からのおわびの気持ちを表明する」と明記。朝鮮王朝時代の祭礼や主要行事を絵や文で記録した書物「朝鮮王室儀軌」を近く引き渡すと表明した。

 菅首相は閣議決定後、韓国の李明博大統領と電話会談し、談話を伝達。大統領は謝意を表明した。

 文化財引き渡しに関しては、日本の旧朝鮮総督府から宮内庁に直接移管された文物が対象となる。1965年の日韓基本条約締結時に結んだ関連協定に基づき、日韓双方は財産・請求権を互いに放棄しており、実現すれば事実上の返還に相当する特例措置。仙谷由人官房長官(64)は同日午前の会見で、「速やかに手続きを進めたい。長くかかる話ではない」と述べた。

 ただ、今回の談話発表に関し、自民党内はもとより民主党内からも「謝罪外交だ」「韓国内で補償問題が再燃する」と懸念する声が噴出している。

 鳩山グループに属する松原仁議員(54)が、「内閣が代わる度に談話を出すのはいかがなものか。党内手続きもきちんと経ておらず、(戦後補償は)法律的に解決済みなので、談話を出す必要はない。国益に反する」と反対論をブチ上げれば、玄葉光一郎公務員制度改革担当相(46、党政調会長)も10日午前の閣議後の閣僚懇談会で、「党内にはさまざまな意見がある。準備の早い段階で政調会長に相談があってしかるべきではなかったか」と述べ、菅首相と仙谷氏に不満を表明。さらに、「今回は(閣議で)サインするが、今後はもっと早く相談してほしい」とまで述べたのだ。

 玄葉氏は反小沢色が強い「民主党七奉行」の1人で、代表選での菅首相の再選支持を打ち出している野田佳彦財務相(53)のグループに所属しているだけに、この姿勢は看過できない。

 実際、菅首相はリベラル色が強いが、今回の首相談話を主導したのは、「影の宰相」と呼ばれる仙谷氏であるのは間違いない。

 仙谷氏は同日午前の記者会見で反対派に配慮するためか、首相談話について「日韓基本条約で確認されているように個人補償、請求権の問題は解決済みという前提だ」と述べた。

 しかし、これに先立つ7日の会見では、韓国への戦後処理に対する日本政府の対応は不十分だったという認識を披露。政府として新たに個人補償を検討していく考えを示唆しているのだ。

 さらに、菅内閣の左傾化には、北朝鮮問題も絡む。

 現在、北朝鮮の指導下にある「朝鮮学校」を、高校無償化法に基づく就学支援金の支給対象に含めるか否かについて、文科省が専門家会議を設置して検討しているが、ここに来て、朝鮮学校を支給対象にする方向に傾きつつあるという。

 これにも党内から批判が噴出しており、小沢グループの重鎮でもある中井洽拉致問題担当相(68)は文科省に対し、「無償化の対象から除外するように」と強く要請。保守系中堅も「無償化は北朝鮮礼賛の教育内容の容認で耐えられない」と吐き捨てる。

 この背景にも、やはり仙谷氏の影響力が指摘されている。

 民主党の国会議員は衆参413人。現時点で、小沢グループ(約150人)と鳩山グループ(約50人)の合計は、菅首相の再選を支持する菅グループ(約30人)、前原誠司国交相(48)のグループ(約30人)、野田グループ(約30人)の合計を上回る。

 野田、前原両グループは「反小沢」色が強いが保守系議員が多く、菅内閣の左傾化は、両グループからの離反者を呼び、代表選でのマイナスになりかねない。

 政治評論家の小林吉弥氏は「菅首相が何をしたいのかが分からない。こんな首相は初めてだ」とあきれ、こう続ける。

 「朝鮮学校も難題だが、首相談話の方が影響は大きい。村山談話より踏み込まないと出す意味がないが、反対派の保守系議員は猛批判するのは必至。よほど慎重にやらないと、政権がひっくり返りかねない。代表選に向けて幅広い支持を集めるべき時に、批判勢力を勢いづかせ、支持派に亀裂を生んでどうするのか。世論調査では、国民が菅内閣に求めているのはデフレ脱却などの経済対策。国民の気持ちが分からないようでは、代表選で勝つのは簡単ではない」 (「夕刊フジ」2010.8.10)



 


懺悔の夏が来た~「歴史の報復」(石原慎太郎)を読んで~

2010年08月02日 09時13分27秒 | 歴史

 今朝の「産経新聞」に石原慎太郎の「歴史の報復」という一文(※)が載っている。従来の彼の主張を繰り返したもので、取り立てて目新しいことは含まれていない。

※ http://www.sankei.jp.msn.com/politics/policy/100802/plc1008020315003-n1.htm

 この季節、マスメディアは、原爆投下の日、敗戦記念日を目前にして、先の戦争を振り返る特集を組む。特に熱心なのはNHKで、何本もの特集が放送されるようだ。
 だが気になるのは、戦争体験がますます風化し、マスメディアの報道内容も、年々観念的になっている点。戦争体験者が社会の主流だった頃、護憲的な平和論が隆盛を極めたが、その一方では「そんなきれいごとでは国は守れない」という冷静な認識も根強く存在した。ところが今や、「戦争を知らない子供達」の子供にあたる世代になって、マスメディアも多くの国民も観念的な平和論に取り憑かれてしまった。石原の一文などは、極めて例外的な内容である。
 
 何故、夏が来るたびに、過去の戦争を反省し、これを「繰り返しません」と誓わなければならないのか? 1945年の国家的破滅は、何故起こったのか? このことを真剣に追究しなければ、再びこの国は「歴史の失敗」を繰り返すのかも知れない。
 
 先日、「地球温暖化のウソ」を主張する武田邦彦・中部大学教授が、刮目すべきことを言っていた。
 「資源の節約・省エネなど、日本が世界に率先してやるべき理由など何もない。日本が経済力で優位を保っているうちに、有望な先端分野に積極的に投資をすべきだ。同時に、工学部の人気を復活させ、技術立国を進めるべきだ」「二酸化炭素の削減など、日本が先頭に立ってやっても、結局、中国やインドが使い切ってしまうだけのこと」「日本が経済力の優位を失えば、世界中で日本を相手にする国などない。アメリカやロシアという白人国家が、アジアの黄色人種の日本を助けるわけがないでしょう」
 
 この武田氏の発言※※(BS TVでのインタビュー)は、少々エキセントリックだが、本質を突いた発言である。日本人は歴史に謝罪を繰り返すうちに、かえって「歴史の報復」を受けることになる…そんな暗い予感がよぎる。

※※ http://takedanet.com/2010/06/post_4388.html
        http://takedanet.com/2008/02/co2_6dcf.html 
    http://takedanet.com/2010/06/post_71d3.html
    http://takedanet.com/2010/06/post_cbc9.html
    http://takedanet.com/2010/05/9_eb46.html
        http://takedanet.com/2009/10/post_1b47.html
        http://takedanet.com/2009/10/post_3037.html
        http://takedanet.com/2009/03/post_f08e.html
       http://takedanet.com/2007/04/post_3aab.html

 
  上掲の武田教授のブログは、とても率直で面白い。さすが東大教養学部基礎科学科出身というだけあって、自然科学以外の分野にも造詣が深い。この人を「トンデモ教授」扱いして、無視するのは間違っている。たとえ扱いにくい、奇人であっても…・。

【日本よ】石原慎太郎 歴史の報復

《産経新聞》2010.8.2 03:40

(早く都知事など辞めてしまって、執筆活動に専念されては如何?)

 人間のさまざまな意欲の所産である歴史は、その流れの中で多くの歪(ひず)みを生んではきたが、長い目で見るとそれを修正し結果として『ある意味で』公平な帰結をもたらしているようにも思える。

 かつて十九世紀から二十世紀にかけて歴史を支配した食うか食われるかの帝国主義の原理は、有色人種の中で唯一近代化に成功した日本が、白人の列強に伍して引き金を引いた第二次世界大戦の結果覆され多くの植民地は解放されて独立を果たし、かつての宗主国は彼の地に埋蔵されている資源にしきりに媚(こ)びざるをえないようになった。

 世界が時間的空間的に狭小なものとなり、多くの情報によって人間たちの欲望が膨張氾濫(はんらん)し、それをあがなう技術が進展し、生存の舞台である自然の破壊は進み、世界は温暖化という、意識はされても確かな対処の方法を取りきれぬ危機に晒(さら)されている。そしてこの未曾有の問題への適格な対処を、私たちは過去のいかなる歴史からも学ぶことは出来はしない。

 私が三十年ほど前に聞いたあのブラックホールの発見者ホーキングの、「文明が進みすぎた惑星の運命は皆同じで、宇宙時間からすればほとんど瞬間的、地球時間からすれば百年たらずで生命は消滅するだろう」という予告は段々信憑(しんぴょう)性を帯びてきた。

 しかし現代における人間たちの絶対的な価値基準は、どうやらどこの国においても所詮(しょせん)物欲、金銭欲でしかありはしない。そして政治はそれに媚びざるを得ない。それを抑制出来るのは『神』しかあるまいが人間の作り出した『神』もまたこの事態に所詮沈黙せざるをえない。

 さらに厄介なのは、その肝心の神様が人間たちを角逐(かくちく)に追いこむ体たらくだ。人間が作り出したものなのに、いったん人間の手を離れると『神』はいたずらに絶対化され、その本質を逸脱してしまうようだ。私には、いわゆる一神教同士のいがみ合いがどうにも理解できない。多神教というか、むしろ氾神論社会ともいえるこの日本でいう『我が仏は尊し』というくらいの心情なら理解も出来るが、歴史的には同根ともいわれるユダヤ教、キリスト教、イスラム教の間の激しい摩擦は理解に遠い、というより『神』の立場からすれば許しがたいものに違いない。彼等は自ら造った『神』たちを自らの手で殺そうとしているのだろうか。

 しかしその背景にはやはり人間の歴史がもたらした所以(ゆえん)がある。宗教の独善がもたらした中世における、エルサレムの占拠を巡っての十字軍なる愚挙が歴史の中に長い尾を引いて、さらにキリスト教圏の白人によるイスラム教圏の民族への植民地支配がかの地での抑圧と憎しみを増殖し心理的に深い溝を造成してきた。そしてそれが今日の世界での激しい対立意識を加速している。自らの国に住む異教徒の女性の衣装を禁じるような愚かさ。

                   ◇

 私は、あのペンタゴンとニューヨークの貿易センター・ビルへの多発テロが行われた時ワシントンにいて、昨日訪れたアメリカの防衛中枢である国防総省が炎上するのを目にして強い感慨を禁じ得なかった。あの出来事を象徴する出来事がすでにかなり以前に在ったことを、アメリカ人の奢(おご)りからくる鈍感さは気づいてはいなかった。

 かつてベトナム戦争当時、アメリカの国民的英雄だったヘビー・ウエート級ボクシングの世界チャンピオンカシアス・クレイは、その名前をモハメド・アリと変えて従軍を拒否して有名となった。もっともベトナム戦争そのものが国内で否定されたことで彼は市民として復権したが、彼のとった行動の根底にあったものをアメリカの白人たちは見逃していた。

 私から見れば非寛容としかいいようのない一神教同士の角逐は、その現代的な要因としてのパレスチナ問題が第二次大戦後のイギリスの三枚舌の嘘(うそ)にも発していることもあって、とても容易には治まるまい。というよりも宗教的な信条としてテロによる死を恐れぬ、歴史を背にした死を賭しての報復の遂行を無上の光栄とする、襲われる側からすれば狂信的な、攻撃側の姿勢は今後も防ぎようあるまい。ことは長引こうが、結果は見えているような気がする。

 これは日米戦争の末期、飛行機を駆って自爆する神風攻撃に震撼(しんかん)させられたアメリカ艦船の乗員の恐怖にも似ていようが、基本的に異なるものがある。第一に日本の特攻隊員は神格化された天皇のために死んだものなど一人もいはしない。宗教的な狂信などはどこにもなかった。第二に、彼等の攻撃対象はあくまで敵艦であって、無差別に一般市民をも巻き添えにすることなど決してありはしなかった。その証左に、敗戦を知らずに最期に出撃した特攻機は、攻撃の目的のアメリカ軍基地で彼等が戦勝の祝賀のパーティーを開いているのを確かめ、近くの海に自爆している。

 いずれにせよ現代の世界は、文明の進展がもたらした環境破壊とそれを防ぎきれぬ人間たちの物欲の氾濫、そして一神教同士の憎しみ合い、いわば過去の歴史が育(はぐく)んだ歴史的事実からの報復を受けているといえるだろう。

 かつてアインシュタインもインドの詩人タゴールも、やがて行き詰まった世界を救うのは日本人の抱く独自の、人間的に優れた価値観だろうとはいってくれたが、金銭フェティシズムに溺(おぼ)れている現今の日本人に、はたしてその役割が果たせるだろうか


軍艦「三笠」で中国人民解放軍の兵士を見た

2010年07月08日 20時22分10秒 | 歴史

 横須賀に軍艦「三笠」が展示されている。考えてみると私も行ったことがない。そこで思い立ってでかけてみた。

 横須賀は何度も通り過ぎたことがあるが、わざわざ行くのは初めて。きれいな遊歩道を歩いていくと、三笠公園があった。公園には東郷平八郎の銅像が建ち、その向こうに「三笠」が展示されていた。


 
 子供の頃、このあたりを遠足で来たことがあるはずだが、「三笠」に行くことはなかった。いま30~40歳代の人はどうなのだろうか。もしかすると、日教組が子供達に「三笠」は見せないという運動をしていたのではないかと思い至った。戦艦を見せることは、子供達を戦争肯定に導く…愚かな教師が考えそうなことだ。皆さんは遠足で「三笠」に行ったことがありますか?

 艦内の歴史展示だが、実にまっとうなものだった。当時の世界情勢として、①列強のアジア進出、②日清戦争・三国干渉、③日英同盟など、日露戦争の誘因となった史実が語られ、詳細な歴史地図が付せられている。このくらいだったら、普通の中学生が見れば、歴史の面白さが分かるだろう。「平和」はきれいごとではなく、国家、民族の抗争の果てに得られる「一時的安定」だということを実感するに違いない。

 
 下の写真を見てほしい。自衛隊の関係者が外国人を「三笠」に案内していた。二人は米国軍人だったが、他にブラジル海軍の軍人もいた。「李」というネームプレートを付けた女性軍人(写真の右から2番目の制服女性)もいたので、これはどこの人かと思い、後を追ってみた。プレートをよく見ると、何と「中国人民解放軍」と書かれていた!「中華民国海軍」(台湾)ではなく、「中国人民解放軍」なのだ。現実はここまで来ているのかと実感した。

(「三笠」を見学する外国軍人)

 数年前、大連・旅順にいったとき、「203高地」で「日本帝国主義」を糾弾する史跡説明書を見た。「ロシア帝国主義」に対する批判は、実に控え目だったことを思い出した。1945年以降、歴史に懺悔を続ける日本人は、唯一の力の源泉である経済力を失ったとき、日本人でいられるのだろうかと本気で心配になった。


「台湾出兵~大日本帝国の開幕劇」(毛利敏彦著)を読む

2010年07月01日 22時14分46秒 | 歴史
1 本書の論点
 「台湾出兵~大日本帝国の開幕劇」(毛利敏彦著 中公新書)を選む。 
 率直に言って本書(「台湾出兵」)が史学界でどういう評価を受けているのか分からない。著者は、琉球藩設置と台湾出兵との関連性は薄く、「明治六年政変」を巡る内政要因が台湾出兵の動機となったと主張する。異論はさまざま存在するのだろうが、著者は大久保利通を中心とする内政要因説に自信を持っているようだ。
 著者の問題提起の中で刺激的だと思うのは、台湾出兵が「…中華皇帝権力体制の存在理由の根幹にでも触れるような深刻な事情が伏在していたのではなかろうか」(「まえがき」p.)という部分だ。この思わせぶりな部分について、著者は次のように解答を出している。「中華皇帝体制なるものには華夷秩序の編成つまり朝貢国の保有を不可欠とするメカニズムが組み込まれているからではないか」「…たとえ一国であれ朝貢国の欠落は、…帝国の存立そのものへの致命的打撃へと通じかねない」(本書p.181)
 当時の国際環境を考えれば、日本が琉球藩設置と台湾出兵をセットにして対外進出を図ったとは考えにくい。日本が最初から「侵略の意図」を持っていたとするこのような史観は、あまりに単純過ぎる。当時、清朝は比類のない超大国だったのに対し、日本は台湾に派兵するだけでも大きな経済的負担となるほどの「小国」だった。ようやく維新を成し遂げた明治政府にとって、清朝中国は依然として巨大な存在だった。
 台湾出兵は、近代国家日本が初めておこなった海外出兵である。それは内政上の理由で引き起こされたとしても、結果として琉球の「両属」状態を解消させ、東アジアの華夷秩序を崩壊させる一撃となった。朝貢国の存在が華夷秩序の維持にとって、極めて重要な要素だとする著者の立場からすれば、台湾出兵の意外な波及効果として、中華皇帝権力の失墜を加速させたことになる。同時に、この台湾出兵の衝撃は、清朝に「日本は仮想敵国」であるという認識をもたらした。
 
2 台湾出兵に見る歴史認識の問題 
 台湾出兵は、漂流した宮古島島民がパイワン族に殺害された事件をきっかけに行われた。だが、出兵の実施は、事件の3年後のことだった。当時の琉球民=宮古島島民が果たして日本国民と言えるのか、またパイワン族が清朝の支配下にある清国民であるのかさえ定かではなかったからだ。西欧近代の所産である万国公法は、非西欧を侵略する道具としても用いられたが、この殺害事件に際して明治政府は、米国人外交官リゼンドルなどの意見を採り入れた。リゼンドルの第四覚書は「琉球民遭難事件を利用して台湾・澎湖島を”拠有”せよ。内政が混乱している清国は日本の”拠有”を阻止できないであろうし、英露対立が激化した結果、関係国はいずれも相手陣営が台湾を領有するのをのぞまないから、列強は中立である日本の”拠有”を黙認するであろう」(p.39-40)という内容であった。現実はこのリゼンドル覚書の思惑どおりには進まず、台湾出兵によって日本は東台湾(生蕃の住む太平洋側地域)を領有することも叶わなかった。しかしながら、明治政府が当時の国際関係を動かす権力政治(Power Politics)の本質を見極め、西洋列強の手法を「習得」したという意味で、この台湾出兵は重要な意味を持つ。
 「一八九五乙未」という台湾映画(2008年制作)がある。日本の台湾接収と「台湾民主国」の崩壊、それに続く客家と原住民の抗日闘争を描いた映画だ。映画には北白川宮親王と森鴎外が登場する。北白川宮親王が率いる台湾接収部隊は、マラリアなどの熱帯病に苦しみ、戦死者の何十倍もの病死者を出す。新竹周辺では客家と原住民の激しい抵抗に出会うが、このとき彼は「ここに真の本島人が現れた。これは戦争だ」とつぶやく。これは、戦わずして大陸に逃げ去った「台湾民主国」の清朝役人を揶揄し、同時に現在の馬英九政権を批判する台詞だと言われている。そこには「台湾は台湾人のもの」という主張が込められている。結局、台湾接収に抵抗した客家を中心に一万4千人もの台湾人が犠牲になる。にもかかわらず、その実行者である北白川宮親王は、自らの職務に忠実で、人道的な感情を持つ近代的人間として描かれている。さらにこの映画自体が、軍医として従軍した森鴎外の日記に従って展開していく。日本・日本人の描写は、あくまで客観的で、「反日」的な感情など全く見られない。李登輝氏以降の台湾では、このような歴史映画が出てきたのだ。 
 台湾出兵、日清戦争、台湾接収そして日本統治時代へと続く台湾の近代史は、「帝国主義」「植民地支配」等の類型的な分析では捉えきれない側面を持つ。「東洋の近代は、ヨーロッパの強制の結果である」という竹内好の言葉(「中国の近代と日本の近代」)がある。この”強いられた近代”にどう立ち向かうかは、それぞれの民族の力量に委ねられた。「西洋の衝撃」を受けた日本国と清国は、「近代」の出発点においてはともに共通の「被害者」でもあったのだ。世界規模でのパワーゲームに否応なく引きずり込まれた日本は、いち早く明治維新を成し遂げ、西洋列強と同列に立つ。それは非西欧に属する近代国家が成し遂げた初めての快挙であり奇跡でもあった。当時の日本にとって、それ以外の選択肢があったなどとは到底信じられないことだ。
 現在の台湾では、日本統治時代が台湾の近代化に大きく寄与した時代であったことが十分に認識されている。それは李登輝氏の功績である。だが、国民党独裁時代の露骨な中国化政策(それは同時に「反日」意識を醸成させる目的もあった)にもかかわらず、台湾人の親日感情は変わらなかったという事実に我々はもっと注目すべきだろう。それは、人口の大多数を占める本省人の日本語世代がずっと「親日感情」を持ち続けたことを意味している。日本統治時代がすべて暗黒だったとしたら、こんなことは起こりえないはずだ。ちなみに「台湾人生」という日本のドキュメンタリー映画には、そうした日本語世代の心情が吐露されている。
 1945年に歴史の断絶を強いられた日本人は、いつのまにか歴史に謝罪する民族となってしまったのだろうか。「未来を見通す鍵は歴史の中にある」と言ったのは、何とNHKの「プロジェクト JAPAN」だった。その言自体は全く正しいのだが、肝心の番組はどこの国の放送局が作ったのかと思われる異様な内容だった。
 この番組のように、「台湾出兵」「日本の台湾統治」などという評価が分かれる史実に直面すると、その内実を確かめることもなくとりあえず「謝罪」して、「平和」「友好」「共生」などという美辞麗句を続けるのが、いつのまにやら普通のこととなってしまった。その昔、親や教師は自らの戦争体験を語り、外地(植民地)での珍しい生活体験を披瀝した。戦争の記憶はまだ身近にあり、言葉には実感が伴っていた。そこには、「今次大戦」で祖国のために戦った死者に対する追悼の気持ちも残っていた。そう思い返すと、「国家」を超越した「個人」の存在などありえないという明確な思いがする。
 台湾はいま、中台・両岸関係の進展によって「国家」のアイデンティティさえ失いかけている。台湾海峡の要衝・澎湖諸島は、今また歴史の荒波に飲み込まれようとしているかのようだ。日本統治時代に皇室関係者の迎賓館だったという「澎湖記念館」を思い出すが、それは、純和風の質実剛健な平屋建てで、これこそ日本という建物。今なお大日本帝国の足跡と日本統治時代の面影を伝えている。その解説文には日本統治時代の歴史が客観的に記されていて、日本を非難する文言などひとつも見られない。一方、何年か前、大連の旧・満鉄本社を訪れた時には、これでもかと思うほど「日本帝国主義の罪状」を見せつけられた。
 歴史認識を巡る日中韓国の確執は、東アジア固有の華夷秩序に由来しているため、その根は深い。個人的に危惧するのは、親日的な台湾が中国に併呑され、あの「澎湖記念館」が「日本帝国主義」の罪状を示す記念館となる日だ。そうならないことを切に願う。
 最後に、少なくとも本書は、台湾出兵を複眼的に分析していて、手垢の付いたイデオロギーで処断してはいないので、信頼に足ると思った。

高杉晋作「遊清五録」に見る幕末の国際認識

2010年06月19日 19時03分54秒 | 歴史

 菅直人首相が就任演説で言及した「奇兵隊」。その発案者は、幕末の志士・高杉晋作だ。彼は、江戸幕府の命で、列強に蹂躙された上海を視察し「遊清五録」として報告を遺した。

1 「西力東漸」に対する日本の危機意識
 中国史における「近代」とは、アヘン戦争から始まる。この軍事的敗北によって、伝統的東アジアの国際秩序(華夷秩序)は崩壊し、中国は「西洋の衝撃」に正面から対峙せざるを得なくなった。今や「西力東漸」は、「極東」の日本を最後の標的として、全世界を覆い尽くそうとしている。鎖国体制を採る江戸幕府は、度重なる外国船の来航や「オランダ風説書」等からの情報を通じて、この緊迫する東アジアの情勢を把握していた。
 武士政権の成立以来、日本は「華夷秩序」の呪縛からは解放されていたが、中国文化に対する尊敬・憧憬の念は広く浸透していた。「聖賢の国」であるはずの中国が西欧列強に蹂躙されるのを見て、「次は日本である」という危機感が高まった。

2 「遊清五録」に見る高杉晋作の国際認識
 1862年、高杉晋作が「支那行きの命を受」け、千歳丸に乗ったのは、アヘン戦争・アロー号戦争で敗北し、西欧列強に開港を余儀なくされた上海の状況を見るためだった。
上海港では「欧羅巴諸邦の商戦、軍艦数千艘碇泊」するのを見、太平天国の長髪族と支那人が戦う銃声を聞く。上陸すると、取り囲む支那人の臭気に驚く。さらに高杉の同行者は、上海の「濁水」を飲んで死亡する。ちなみに、シュリーマンの「日本旅行記」には、中国と比較して、日本の街の清潔さを絶賛するくだりがある。 
 高杉は「上海の形成を観るに、支那人は尽く外国人の便役と為れり…上海の地は、英仏の属地と謂ふも、又可なり」(5月21日)と記す。キリスト教の布教は、教会と病院が一体となって入り込むことを看破。また「支那の兵術は西洋の銃隊の強靱」さに及ばないと見抜き、その後英国のアームストロング砲を参観している。西洋の軍事技術を学ぶ必要を痛感したのだ。 
 「速やかに攘夷の策を為さねば、支那の二の舞になる」これが高杉の得た結論だった。そうならないためには、軍艦を配備して海防を強化し、正確な海外情報を得るべしとした。「長崎 留雑録」においても、英国が島国であるが故に強大な海軍力を持ち、世界の強国になったこと、南北戦争の渦中の米国では日本のような身分制度がないことなどを的確に記している。南北戦争からは「外乱より内乱の方が恐るべき」との教訓を引き出している。
 「阿片戦争」(陳舜臣著)は、林則徐の苦闘を描き出すと共に、科挙制度で成り立つ伝統的王朝体制が、西欧の近代システムに対し如何に無力であったかを示唆している。これに対し高杉晋作は、武士特有のプラグマチズムで目前の事象を理解し、素早く対応策を考えることができた。そうした精神こそ、明治維新という”奇跡”を成し遂げた原動力である。


「近代東アジア国際関係史」(衛藤瀋吉著)を読む

2010年05月18日 13時32分51秒 | 歴史

 4月から某国立大学で聴講している。その科目は、S教授による「東アジア国際関係史」。

 「東アジア国際関係史」と言えば、もう38年も前、衛藤瀋吉・東大教授の講義を聴いた。私が在籍していた大学に兼任講師として来ていたので、その講義内容が東大と同一内容であったかは定かではない。だが、後になって、東大での衛藤教授の講義録が「近代東アジア国際関係史」(東大出版会)として出版された。これを読んで、私の聴いた講義内容と概ね同じだったことが分かった。
 
 この「近代東アジア国際関係史」については、以前、次のようなコメントを書いた。

本書は、東大教養学部での著者の講義録を再現したものである。アヘン戦争から第2次大戦の終結までの時期を対象としている。教養学科の講義であるため「国際関係史」と名付けられているが、その内容は法学部における「政治外交史」とほぼ同じである。
実は30何年も前、レビュアーたる私は、ある弱小私大で兼任講師である著者の講義を聴いた。その時の著者の印象は、私大の学生を相手にしてあげているという感じで、あまりいいものではなかった。東大の権威主義が言葉の端端に感じられたのだ。大学紛争の影響下で、当時の学生はみな生意気であった。
時は流れ、著者の歯に衣着せぬ言動をいくつも見聞してきた。中国政府への率直な苦言、青山学院大学教授を辞任するに当たっての苦言、亜細亜大学学長としての学生への期待を込めた一文など、どれも著者らしい刺激的なものであった。
だが、いま私の年齢になってみれば、至極当然と感じられることが多い。「人にはそれぞれの役割がある、利害得失ではなく信じるところに従って学び努力せよ」と、著者は学生に言いたかったのではないか。
本著の最終章は「人の世の悩みは絶えぬ」と題され、戦争と平和、人類の新しい課題(生態系の破壊)について記され、これらの問題について日本人は積極的に関与せよと主張する。これは、旧著「日本の進路」以来の著者の一貫した態度である。 本著の巻末には、小説・随筆まで含む豊富な参考文献リストが付けられているので、通史として本書を読み、さらに関心を深めることも出来る。

 いま、学んでいる「東アジア国際関係史」は、衛藤瀋吉氏の講義内容も念頭に置きながら、さらに学生の学習意欲をかき立てるように工夫がこらされている。毎回、当日の授業内容を記したレジュメが配られ、第5回目の今日は、原典史料のコピーが配られて、レポート提出が課せられた。これも、20名程度の受講生だから可能なことなのだろう。これに比べると、私が昔学んだ大学などは、「羊頭狗肉」の最たるものだったのではないかと思えてくる。特に「近代国際関係史」という科目を教えていた三輪公忠という教授の暗愚さを思い出した。
 いい歳になって、大学の授業を聴くと、若い頃分からなかったことが見えてくるようだ。

近代東アジア国際関係史
衛藤 瀋吉
東京大学出版会

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「Japanデビュー アジアの”一等国”」から1年

2010年04月05日 23時49分13秒 | 歴史

NHKが「Japanデビュー アジアの”一等国”」を放送してからちょうど1年が経った。
この番組は、「未来を読む鍵は歴史の中にある」と仰々しく謳い、2万点もの台湾総督府未解読文書を読み解いて作られた」と喧伝されていた。ところが、期待した視聴者は、その杜撰な内容に完全に裏切られた。

この番組で日本の台湾統治を象徴するキーワードとして挙げられたのが、「人間動物園」という言葉。台湾の原住民であるパイワン族をロンドンの万国博覧会で動物のように展示したというのだが、それは事実はないことが判明し、パイワン族の人からも抗議が寄せられた。NHKは、史実をねじ曲げてでも「日本の台湾統治」「日本の植民地支配」を糾弾し、「ひとつの中国」「台湾は中国の一部」という中国の主張に迎合した。

ところが、昨日NHKで放送された「アフリカン・ドリーム」という番組を見て、NHKの無節操、いい加減さがまた露呈した。この番組では、アフリカのルワンダを採り上げていた。以前、ルワンダ内戦という言葉をよく耳にした。NHKはその内戦の原因をベルギーの植民地支配にあると説明する。宗主国・ベルギーは、ルワンダの2割に過ぎない人口のツチ族を優遇し、多数派のフツ族を抑圧するという分断統治をおこなった。驚くのはその理由だ。ベルギー人は、ツチ族の容貌が白人に近い、それ故に優れた人間だとして優遇したのだという。ツチ族の鼻は比較的高いが、フツ族の鼻は低い。それだけの基準で、人種的に白人に近く、優秀なのはツチ族の方だと判断したのだそうだ。

ここで問題なのは、NHKの二枚舌、ダブルスタンダードだ。「アジアの”一等国”」では、史実をねじ曲げてまでも、「人間動物園」の話を持ち出して、日本の台湾統治を貶める一方、「アフリカン・ドリーム」では、ベルギーのめちゃくちゃな植民地支配を否定することもなくただ放送した。この違いはいったい何なのだろうかということだ。

後藤新平や八田與一の功績が、西洋列強と同様の「植民地支配」という概念で一緒くたにされるのは、あまりにひどい話ではないか?ベルギーは、なにひとつルワンダの近代化に貢献しなかったが、日本は台湾の近代化に大いに寄与したのである。それは、私がUPした下記の映像を見れば、一目瞭然だろう。もし、日本が台湾を統治しなかったとしても、当時の国際環境を考えれば、台湾は西洋列強のいずれかに植民地化されていた可能性が高い。であれば、台湾がルワンダのようになっていたかも知れない。私は、植民地支配を肯定する訳ではないが、現代の価値基準だけで歴史を見ることは誤りだろうと思う。

NHKは、このまま頬被りを続けるのだろうが、公共放送の仮面をかぶったNHKの素顔は隠しきれるはずもない。

米国から見た日本の台湾統治~「知られざる台湾・台南市」より


中国が描く日本統治時代の台湾

2010年02月09日 11時16分52秒 | 歴史
ここに、アメリカと中国(中華人民共和国)のTV局が制作した映像がある。両方とも日本統治時代の台湾を採り上げているが、その解釈は正反対である。

アメリカ(ディスカバリー・チャンネル)は、日本統治時代が台湾社会の近代化に重要な役割を果たしたと高く評価するのに対し、中国(中国中央TV)は日本帝国主義がその野望を果たすために台湾・台湾人民を搾取した暗黒の時代であったと描く。
そのどちらが正しいかは別として、われわれが知るべきなのは、中国側の”歴史認識”はただ一つこのようなもので、異なる意見は認められないという事実だ。現在の中国人の多くは、日々こういう番組で「反日意識」を植え付けられているのだ。

言論の自由が保障されているはずの日本でも、昨年4月にNHKが放送した「アジアの”一等国”」が歴史捏造だとして大問題になった。アメリカと中国の映像が、歴史認識において対極にあるとすれば、NHKは極めて中国の立場に近い内容で番組を制作したのである。”権威ある”マスメディアで作られた映像は、一度流されれば一人歩きして、次世代の歴史認識の材料として使われる。中国の立場を代弁するかのようなNHKの責任は極めて重大である。

私見を付け加えるならば、一般の台湾人にとって、中国側の映像は「反日」プロパガンダに過ぎず、直ちに彼らに「反日意識」が受けつけられることはないだろう。台湾人(本省人)は、祖父母の代から日本統治時代の歴史を語り継いでいる人が多い。日本統治時代には、確かに不当な差別も抑圧もあった。だが、教育制度、インフラなど近代的社会制度の基礎は日本時代に作られた。日本が去ったあとの台湾が、中国国民党の独裁によってどれほどひどい目にあったことか…。台湾人の間では日本統治時代には「いいこともたくさんあった」と語り継がれているのだ。



台湾史: 日本血腥殖民?治下的台湾 3/3 Taiwan under Cruel Japanese Colonial Rule


米国から見た日本の台湾統治~「知られざる台湾・台南市」より




日中共同歴史研究報告書

2010年01月31日 22時20分11秒 | 歴史

北岡伸一・東大教授(日本政治外交史)が日本側座長となった「日中共同歴史研修報告書」が公表された。
実は、共産党一党独裁の中国と「共同歴史研究」などできるのかと思うのだが、ニュースを見る限りでは、日本側はきちんと自らの立場を主張したようだ。

「南京大虐殺」については、1970年代に洞富雄・早大教授(日本史)が、著作を発表し関係者の関心を呼んだ。その後、朝日新聞の本多勝一が「中国の旅」(1972)で採り上げ、センセーショナルな話題になった。
現在、本多の記事は中国側の主張をそのまま採り上げたため、信憑性に欠けるとされている。当時の中国は「文革」のさなかで、鎖国状態であり、本多のインタビューがまともな状況で行われたとはとても考えられない。
そもそも当時「南京大虐殺」が一般の中国人の関心を集めることはなかった。毛沢東の恐怖政治のもとで、人民は今日を生きるのが精一杯だったのだ。
これを一方的に騒ぎ立てたのは、日本の日中友好人士と呼ばれる人たち、進歩的文化人とされる大学教授などだった。

「南京大虐殺」キャンペーンの中心人物が、洞富雄という早大教授だったのも暗示的だ。「野党精神」だか「反体制」「東大コンプレックス」だか知らないが、早稲田にはこういう教授が何人もいた。「日中友好」を表看板に体制批判をして、中国側からは「日中友好人士」として厚遇されてきた連中だ。こういう人たちは、真摯に学問を究めるというタイプではなく、ある政治的な意図で特定の発言をすることが「業績」だと思っていたようだ。今から思えば、噴飯ものの話だが、左翼全盛時代の当時は普通のことだった。

さすがに東大だと思うのは、東大には左翼政治屋のような教授はいなかった。そこでは政治的プロパガンダに近い「南京大虐殺」の話は、実証的な研究対象とはならなかったのだ。
歴史共同研究の近・現代史部門には、北岡教授や川島真準教授など東大を中心に京大、慶應、筑波大出身の政治学者を揃えている。

中国側は、近現代史部分の公表を拒否し、「文化大革命」などの暴政について触れることを避けたが、中共(=中国共産党)が自ら引き起こした大虐殺を平然と頬被りするのはいかがなものか。また、日中戦争時に中共の軍隊が主体で抗日戦争を戦ったような主張をしているが、それも真っ赤なウソであることは明らかだ。
抗日戦争の主体となった中国国民党側の資料も調べなければ、歴史の全体像は分からない。中国国民党の資料は、今や民主化され、学問の自由も担保された台湾にあるのだから、それを調べないのはおかしいのではないか。

また中国側報告書は、沖縄について「琉球は独立国で、中国の冊封体制下にあったが、日本が横取りした」と主張している。台湾が中国に併呑され、日本で外国人参政権が認められるとしたら、中国による沖縄併呑さえもありえないことではないことをこの報告書は示している。


日中歴史研究報告書のポイント

 日中歴史共同研究報告書の近現代史に関する記述のポイントは次の通り。
 【日清戦争(1894~95年)以降】
 日本=近代の日中関係史において日清戦争は一つの転換点。日本が有利な不平等条約体制が形成され、日本国内でも中国を蔑視(べっし)する傾向が生まれたことなど、それ以前とは異なる傾向が顕著に見られた。
 中国=日本の拡張行為はやむことなく持続して中国人の抗日意識を激化させ、日本軍政決定者に、したい放題の横暴な心理を作り出した。
 【田中上奏文(1927年)】
 日本=対中政策を協議した東方会議に関連して「田中上奏文」と呼ばれる怪文書がある。これは田中義一首相が昭和天皇に上奏したとされるもので、中国への侵略計画だった。だが「田中上奏文」は、実際の東方会議と大きく離反していた。
 中国=真偽に関して学界で多くの議論があったが、いかに作られたかについて不明な部分がある。だが、その後の日本の拡張路線はまさしくこの文書に書かれたようになった。
 【柳条湖事件(31年)】
 日本=関東軍の作戦参謀・石原莞爾らを首謀者とする謀略によるものであった。武力発動は政府や陸軍指導部の基本方針に反する行動として開始された。急進的な軍人たちは、謀略によって日中間の衝突事件を引き起こし、満州の「危機」を一挙に打開しようとした。
 中国=関東軍が中国東北地区を侵略するため発動した九一八事変(満州事変)は、日本が実施した「満蒙(満州・蒙古)政策」の必然の産物。30年からの世界経済危機と国内の政治・社会危機の影響の下、日本は「満蒙危機」を騒ぎ立て、関東軍と軍部はそれぞれ東北地区を武力で侵攻・占領する計画を制定した。
 【日中全面戦争(37~45年)】
 日本=戦闘は8年を越え、宣戦布告による戦争以上にし烈なものとなり、両国国民に大きな負担と犠牲を強いた。特に戦場となった中国に深い傷を残したが、その原因の大半は日本側が作り出したものと言わなければならない。
 盧溝橋における最初の発砲事件は「偶発的」であり、現地では局地的解決の努力がなされた。しかし、衝突事件を好機とみなした支那駐屯軍(後の北支那方面軍)や関東軍は、蒋介石政権の打倒と華北占領という構想を実行していく。
 中国=盧溝橋事件の発生は、かなり大きな程度、日本の中国侵略政策と関係している。事件は非常に速い展開で日本による全面的な対中国侵略戦争につながったが、歴史的変化のプロセスを見ると、盧溝橋事件は必然的に起きたものと言える。
 【南京虐殺事件(37年)】
 日本=日本軍による捕虜、敗残兵、便衣兵および一部の市民に対する集団的、個別的な虐殺事件が発生し、強姦(ごうかん)、略奪や放火も頻発した。日本軍による虐殺者数は、極東国際軍事裁判(東京裁判)における判決では20万人以上(松井石根司令官に対する判決文では10万人以上)、47年の南京戦犯裁判軍事法廷では30万人以上とされ、中国の見解は後者に依拠している。
 一方、日本側の研究では20万人を上限として、4万人、2万人などさまざまな推計がなされている。犠牲者数に諸説がある背景には、「虐殺」の定義、対象となる地域・期間、埋葬記録、人口統計などの資料に対する検証の相違が存在する。
 中国=日本軍の南京での放火、殺人、強姦、略奪は国際法の重大な違反であり、第2次大戦後、連合国は東京と南京でそれぞれ軍事法廷を開き、南京大虐殺に対する審判を行った。
 東京裁判の判決書は、「占領後の最初の1カ月で南京市内では2万件近い強姦事件が発生した」「日本軍隊占領後最初の6週間以内に、市内と付近で虐殺された市民と捕虜は計20万人を超えた」と認定した。南京戦犯裁判軍事法廷は「被害者は総数30万人余りに上る」と認定した。
 【中国人犠牲者数】
 日本=国民政府軍の死者は約132万人、負傷者180万人に上っている。中国共産党軍の死傷者(失跡者を含む)は58万人を超えると推定される。非戦闘員の犠牲の多さや日本軍によるさまざまな「非違行為」は、戦後の日中両国民の中に、新しい関係構築を妨げる深い傷跡を残した。
 中国=不完全な統計によると、中国軍人・民衆の死傷者は3500万人以上、直接的な経済損失は1000億ドル以上、間接的な経済損失は5000億ドル以上に上った。関東軍731部隊や100部隊は、中国人を使った人体実験、生体解剖も実施した。(2010/01/31-17:18 時事通信)


台湾・新竹の駅舎とプロムナード

2010年01月10日 23時02分13秒 | 歴史
ビーフンとハイテク産業で有名な新竹市を訪ねると気づくのは、日本統治時代に作られた駅舎。駅を中心にして放射状に拡がる道路、疎水の両端に続くプロムナード(散歩道)など。先進的な都市計画によって作られた街であることが分かる。
郊外の新漁漁港には大きな海鮮市場があって、大勢の人が訪れる。日本統治時代には、特攻隊の基地があったと聞いた。

 (新竹駅~駅舎・ホーム)

(駅前に続くプロムナード)

(警察署)
(南漁漁港)









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台南・高雄の歴史建造物~日本統治時代の遺産Ⅱ

2010年01月09日 21時35分40秒 | 歴史
古都・台南は、台南駅舎、警察署、消防署など日本統治時代の建物を今なお使用している。それらを見ると、確かにノスタルジアを感じ、タイムスリップしたような感覚に陥る。
港湾都市・高雄では、新しい駅舎が建てられたが、日本時代の駅舎は、位置をずらして移転・保存されている。
中国の大連や瀋陽でも、駅舎は今なお日本時代のものを使っているが、新たに建築するとなったら、台湾のように保存するかどうかは、はなはだ疑問だ。旧・朝鮮総督府の建物を”爆破”した韓国に至っては、言うまでもないことだが…。

台湾が歴史的な建築物を文化財として保存しているのは、率直に嬉しい。

 (台南駅)

(警察署)(消防署)

(国立台南文学館 旧・台南州庁舎)

(国立成功大学)

(台南法院)

(高雄駅舎 現在は記念館)(記念館に飾られていた日本時代の写真)
(高雄市立歴史博物館)



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