おこんばんわ。
実は。
長男から、先日。
SOS電話、が
入りまして。
金がないから
ご飯がまともに、食えん~。
(てか、仕送りは、どこに消えてるんかね?ちゅう話ですがw)
お願いだから
何か、食料を送って~。
ちゅう、ことだったので。
しゃあないので、おっかさん。
2日がかり、で
いろいろと
食料を
用意しまして。
本日、やっと
宅急便で、
食料を発送した
次第でござんす。
あ~。疲れた。
チャナッカレの記事も
昨日、18日当日に
書こう~と
思ってたのですがw
あ~た。
それどころじゃ
なかったでございまして~(爆)
粉まみれになって。
パン作っておりやした(爆)
で。
3月18日
チャナッカレ海戦 戦勝記念日。
チャナッカレ、とは。
今は、
トロイ遺跡なんかで
有名な
エーゲ海側の
町、ですが。
ダーダネルス海峡中の
もっとも
対岸との距離が
狭くなってる場所に
位置する町、で。
ダーダネルス海峡は
トルコ語で、チャナッカレ海峡(チャナッカレ・ボアズという)
その激戦、は
この海峡の名前をとって
「チャナッカレ戦争」と
言われておりやす。
チャナッカレより、上に
三国協商軍(英・仏・露)の船は
行けなかった、って
わけなんですよ。
まあ。
ここを
地中海方面から
やってきた船が
通過してしまうと
そのまま、
ストレートに
イスタンブールまで
行き着いてしまう。
その先には、
黒海がある。
ここは、
トルコ軍にとっては
死守しなければならない
ポイントだった、んですな。
簡単に言えば。
オットーマントルコ帝国の
最後の方。
もう、帝国が
倒れるかも~
って頃の
寸前に。
第一次世界大戦が
起こりまして。
オットーマントルコ軍も
よろよろしながら
ドイツ側に、参戦するんですが。
軍備も弱いし。
お金もないし。
三国協商軍側から
いいように、やりこめられて
しまうわけで。
当然。
ここ、ダーダネル海峡も
ラクラク
通過できるだろう~と
三国協商軍側は
踏んだわけ、ですよ。
ところが、どっこい。
ありえないくらい
トルコ軍は、これに
抵抗するわけ、でござんす。
す~んごく、
長くなるので
詳細は、割愛
いたしやすが。
この、3月18日。
以前から、
沈めておいた
地雷が功を奏し
三国協商軍側は
大型船3隻を失う
大痛手、を受け。
更に。
両岸からの
激しい大砲による
爆撃にあい
結果としては。
退却せざるをえない状況に
追い込まれたので
ありました。
これにより
海路により
この海峡を通過するのは
不可能、と判断した
三国協商軍側は
陸戦を開始。
これが、延々と
この後、約1年ほど
続くわけであります。
でも。
この海戦は
戦争の運命を
大きく転換させる
勝機、となった
ものでして。
今でも、毎年
沢山のトルコ人が
チャナッカレに
集まってきて
記念式典、を
やるわけでござんす。
で、この後、続く
陸戦、っていうのも
それは、まあ
悲惨な限り、だったのですが。
それでも、
トルコ軍は
死に物狂い、で
このエリアを
守るわけで
ここが、あまりにも
激戦だったため
近隣の若者は、みんな
ここで、戦死してしまい
西側の、有名な
高校や大学では
この年、
卒業生がゼロだった、学校が
たくさん出た
なんて。
すごい話も、残されておりやす。
この後。
オスマントルコ帝国は
事実上、
有名無実状態になり
三国協商軍側は
トルコを
分割占拠しよう、と
企てるのですが。
ここで、噂の
アタチュルクが、反旗を翻し
国民を率いて
独立戦争を開始。
あわや、ばらばらに
なるかも…の
瀬戸際だった、
トルコは
不死鳥の如く
息をふきかえし
そして、
オスマントルコ帝国領よりは
ずいぶん、領土も
狭くなっちゃったけど
でも。
アナトリア地方を
ぶんどるわけで
ございます。
こんな、ごたごたを
やってたのが
今から、わずか
100年そこいら前、ですから。
この一連の戦争が
国民の胸に
深く刻み込まれて
そして
今でも、まるで
昨日の事のように
語り継がれているのも。
納得するわけで。
彼らにとっては、
自分の
おじーちゃんとか
おばーちゃんとか、から
直接聞いた
ナマ体験、ってことで。
そりゃ。
迫力違うよね。多分。
実際。
記憶が新しいだけあって
この戦争の描写は
それはもう、リアルで。
外国人の、
わしでさえ。
話を聞いてるだけで。
目の前に風景が
浮かんでくるような
錯覚にとらわれますだ。
トルコ、と言えば。
ローマ時代の遺跡とか。
そういうものが
前面に出てくるけど。
ところが、どっこい。
この
独立戦争前後の話、も
調べてみると
かなり
おもしろいもの、が多いです。
皆さんも、
トルコを訪れる際には
ぜひ、こういう一面にも
目をむけられたら
いかがでしょうか~。
当時の、映像。
解説は、トルコ語だけど
当時の雰囲気が
よく伝わってくると、
思います~
本日もお付き合いいただいて
ありがとうございます。
ポチッと応援
よろしくお願いします(^O^)
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実は。
長男から、先日。
SOS電話、が
入りまして。
金がないから
ご飯がまともに、食えん~。
(てか、仕送りは、どこに消えてるんかね?ちゅう話ですがw)
お願いだから
何か、食料を送って~。
ちゅう、ことだったので。
しゃあないので、おっかさん。
2日がかり、で
いろいろと
食料を
用意しまして。
本日、やっと
宅急便で、
食料を発送した
次第でござんす。
あ~。疲れた。
チャナッカレの記事も
昨日、18日当日に
書こう~と
思ってたのですがw
あ~た。
それどころじゃ
なかったでございまして~(爆)
粉まみれになって。
パン作っておりやした(爆)
で。
3月18日
チャナッカレ海戦 戦勝記念日。
チャナッカレ、とは。
今は、
トロイ遺跡なんかで
有名な
エーゲ海側の
町、ですが。
ダーダネルス海峡中の
もっとも
対岸との距離が
狭くなってる場所に
位置する町、で。
ダーダネルス海峡は
トルコ語で、チャナッカレ海峡(チャナッカレ・ボアズという)
その激戦、は
この海峡の名前をとって
「チャナッカレ戦争」と
言われておりやす。
チャナッカレより、上に
三国協商軍(英・仏・露)の船は
行けなかった、って
わけなんですよ。
まあ。
ここを
地中海方面から
やってきた船が
通過してしまうと
そのまま、
ストレートに
イスタンブールまで
行き着いてしまう。
その先には、
黒海がある。
ここは、
トルコ軍にとっては
死守しなければならない
ポイントだった、んですな。
簡単に言えば。
オットーマントルコ帝国の
最後の方。
もう、帝国が
倒れるかも~
って頃の
寸前に。
第一次世界大戦が
起こりまして。
オットーマントルコ軍も
よろよろしながら
ドイツ側に、参戦するんですが。
軍備も弱いし。
お金もないし。
三国協商軍側から
いいように、やりこめられて
しまうわけで。
当然。
ここ、ダーダネル海峡も
ラクラク
通過できるだろう~と
三国協商軍側は
踏んだわけ、ですよ。
ところが、どっこい。
ありえないくらい
トルコ軍は、これに
抵抗するわけ、でござんす。
す~んごく、
長くなるので
詳細は、割愛
いたしやすが。
この、3月18日。
以前から、
沈めておいた
地雷が功を奏し
三国協商軍側は
大型船3隻を失う
大痛手、を受け。
更に。
両岸からの
激しい大砲による
爆撃にあい
結果としては。
退却せざるをえない状況に
追い込まれたので
ありました。
これにより
海路により
この海峡を通過するのは
不可能、と判断した
三国協商軍側は
陸戦を開始。
これが、延々と
この後、約1年ほど
続くわけであります。
でも。
この海戦は
戦争の運命を
大きく転換させる
勝機、となった
ものでして。
今でも、毎年
沢山のトルコ人が
チャナッカレに
集まってきて
記念式典、を
やるわけでござんす。
で、この後、続く
陸戦、っていうのも
それは、まあ
悲惨な限り、だったのですが。
それでも、
トルコ軍は
死に物狂い、で
このエリアを
守るわけで
ここが、あまりにも
激戦だったため
近隣の若者は、みんな
ここで、戦死してしまい
西側の、有名な
高校や大学では
この年、
卒業生がゼロだった、学校が
たくさん出た
なんて。
すごい話も、残されておりやす。
この後。
オスマントルコ帝国は
事実上、
有名無実状態になり
三国協商軍側は
トルコを
分割占拠しよう、と
企てるのですが。
ここで、噂の
アタチュルクが、反旗を翻し
国民を率いて
独立戦争を開始。
あわや、ばらばらに
なるかも…の
瀬戸際だった、
トルコは
不死鳥の如く
息をふきかえし
そして、
オスマントルコ帝国領よりは
ずいぶん、領土も
狭くなっちゃったけど
でも。
アナトリア地方を
ぶんどるわけで
ございます。
こんな、ごたごたを
やってたのが
今から、わずか
100年そこいら前、ですから。
この一連の戦争が
国民の胸に
深く刻み込まれて
そして
今でも、まるで
昨日の事のように
語り継がれているのも。
納得するわけで。
彼らにとっては、
自分の
おじーちゃんとか
おばーちゃんとか、から
直接聞いた
ナマ体験、ってことで。
そりゃ。
迫力違うよね。多分。
実際。
記憶が新しいだけあって
この戦争の描写は
それはもう、リアルで。
外国人の、
わしでさえ。
話を聞いてるだけで。
目の前に風景が
浮かんでくるような
錯覚にとらわれますだ。
トルコ、と言えば。
ローマ時代の遺跡とか。
そういうものが
前面に出てくるけど。
ところが、どっこい。
この
独立戦争前後の話、も
調べてみると
かなり
おもしろいもの、が多いです。
皆さんも、
トルコを訪れる際には
ぜひ、こういう一面にも
目をむけられたら
いかがでしょうか~。
当時の、映像。
解説は、トルコ語だけど
当時の雰囲気が
よく伝わってくると、
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