ひつじ飼いのキノコ岩との日常

家庭の事情から、トルコ国内のすったもんだまでw

イズミルからのお客様

2013年11月03日 20時15分09秒 | 日常生活
なんと!!
カッパ地方から

約1000キロ離れた
イズミルから

お客様が
いらっしゃいました!

Mさんご夫婦です♪


嬉しいです~!!
こんな、ど~しょうもない

ひつじ飼いに
会いに来ていただけるなんて~!!

大感激でした♪

2日の晩は
こ汚い我が家に
ご招待して

心ばかりの
ディナーを
ご一緒しましたw

一生懸命
作ったので

皆に自慢してやろう~♪と
写真も撮ってみたんすがw

こういう時
ばっかりは

自分の
写真の下手さ加減を
呪うっすwww

まさかの
写真、全滅ww

ご夫妻は
わざわざ

おみやげまで
持ってきてくださいました♪


写真には
写ってないんですがねw

実は、
この他に

ひつじ飼いの大好きな
たくわん!!!まで

運んで来て
くださったんですよ~♪

もう
感謝感激雨あられ、ってのは
この事でwww

目から鼻水
鼻からよだれw

大騒ぎで
ございましたww

本日、3日は
美樹さんと、

ネブ在住の
Yさんと

皆で、フォルムで
ランチしました♪



お子様達は
それぞれの取り分をもらって

おとなしく
なりやした(笑)



M奥様と
ミニオンの話題で

盛り上がりたかったらしい
子ひつじ2号。

一緒に
フォルムまで
ついてきたんっすが。


ハンバーガーを
目の前にしたら

すっかり本題を
忘れきったご様子www



美樹さんところ
赤ちゃんも、

小さいけれど
しっかりしていて

とても
可愛かった♪

今度、改めて
赤ちゃん見に行きます!

土曜日の朝に
1000キロ突っ走ってきて

日曜日の夜に
またも

1000キロ突っ走って
帰られた、という

パワフル弾丸ご夫妻
でしたが(笑)

とても楽しい時間を
ありがとうございました!

またカッパにお越しの際は
ぜひ、ご連絡くださいね!!





本日もお付き合いいただいて
ありがとうございます!

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じ~ちゃんの、トルコ77日間日記 5

2013年11月03日 07時53分29秒 | トルコ文化
その当時滞在した
クシャダスの貸し別荘に
ザクロがあって

「もう少しで食べごろかな!?」
なんて話していたら、

10月中旬になって
ザクロの季節の
到来のようである。

日本のリンゴほどもある
ザクロが

ドッサリ届いて
大感激。

しかし、まるで
「種の塊」のようなザクロだから、

「これを食べるのには結構、根気がいるなぁ」と
思っていたところ、

トルコの人は
全部呑み込んじゃうという。

そういえば、
ブドウも西瓜も全部

種ごと食べちゃうのには
驚いた。

特に「ブドウは種を噛み砕いて食べると心臓に良い」とかで、
わざわざ「ブドウの種」だけを
売っていると聞き、

もう一回
ビックリである。

「りんごの皮はそのまま食べましょう」と
学校で教えていると言う。

そう言えば、
我々も小さい頃は

柿でもりんごでも
皮ごとバリバリ食べていたなぁと
思い出す。

あれ?いつごろから
皮を剥き始めたんだろう?

そういえば、
あの別荘の庭には、

レモンもブドウも
なっていたなぁと思い出す。

バナナの木もあったけれど、
もう少し南のアンタルヤ付近まで行かないと

バナナは実らないと
教えてもらったっけ。


          (ドッサリ届いたざくろの実)

ちなみに、ザクロは
娘がフレッシュジュースにしてくれた。

「ちょっと酸っぱいのかな?」と
思っていたが、

これは想像以上に
美味しかった。

10月24日(木)
今回のトルコ滞在最後の訪問である。

行き先はウフララ渓谷と
岩窟教会。

文句なしの快晴。
そう言えば今週に入ってからは

穏やかな
晩秋の天気が続き、

私の帰国の為の
買物や最後の見学を

応援してくれて
いるような気がする。

途中、小さな火口丘や
浸食された溶岩が

ゴロゴロ転がる
地域を過ぎる。

湯治用のホテルが
点在している。

その一画に
火口湖があった。

火口湖には
特有の静けさがある。


         (火山湖 ナルル・ギョル)

湖面には漣もない。
私たちのほかには誰もいない。

思わず我々も口を閉ざし、
しばし呆然と見とれるのみ。

次に「アナリプシス教会」
を訪れる。

小高い岩山の上にあって、
教会というより
修道院の趣きである


軍事的な意味も
あったのではないかと思える
造りであった。

かなり修復されていて
木の扉もあったが
管理人らしき人はいない。

中には
礼拝堂、台所、宿坊らがある。

直ぐ近くに見える
冠雪したハサン山と

メレンデス山の
雄姿に見ほれる。

それを例える言葉がみつからない。
ほとほと詩人にはなれない自分を思う。

その山々から吹き降ろす風なのだろうか、
風はかなり強くて冷たく、

吹きっさらしの屋上には
長く居れないほど寒い。 

早々に、ギュルゼルユルトゥに向かう。
そして目的地ウフララ渓谷である。

カッパドキアでは
どの写真をみても思うのであるが、

写真で見るのと、
実際のスケールや立体感が

その場に立つて感じるのと
違いすぎる。
その場に立つと圧倒される。


(神々しいハサン山(右)-3300m―とメレンディス山)


(ウフララ渓谷の入口。ここから400段の階段を降りる。ポプラの黄葉が美しい)

ここでは、嬉しい発見をした。
「パウロ」の名前を見つけたのである。

カッパドキアでは、
フレスコ画や壁画に

「イエス、マリア、12使徒ならびにカッパドキアの聖人」
の絵はあるのだが、

どうした訳か、
「聖パウロ」が登場しないのである。

エーゲ海沿岸の諸都市の遺跡でも
「パウロ」の名は、

エフェソで記録があっただけで
遂に見なかった。

これは、使徒言行録でも、
パウロがアジア州で伝道した記録がないことを考えれば

致し方ないかとも
思えるのだが、

カッパドキアでは
これだけの岩窟教会に

様々なフレスコ画、
壁画があり、

その制作年代も
多くが8世紀以降であり、

パウロの評価も
高まっていたと思えるので、

もっと取り上げられていると
考えていた。

しかし、
私の回った範囲では皆無であった。

ところが、
先日訪ねたソーアンル渓谷の

「ドームの教会(クッペリ教会)」に
ペテロとパウロの受難の絵があったという。

時間の都合で
見損なったのであるが、

実際に見たとしても
「損傷が激しい」とあるから

私が見たとしても
判別できなかっただろう。

そして、今日、遂に
ウフララ渓谷の

「蛇の教会」の
フレスコ画の説明の中に

ペトロたち使徒に混じって
パウロの名を見つけたのである。

その写真は
次のものであるが、


     (入口の説明板。下線の部分に「パウロ」の文字が読める。)

残念ながら
フレスコ画では

どれがパウロなのかは
分からない。

しかし、私にとっては、
最後の最後にパウロの名を発見したことは、

今回のトルコの旅が
パウロを探す旅でもあったことを思えば

「主のプレゼント」であると
思えるほど嬉しくて、

随分長い時間
岩窟教会内に留まっていた。

娘も協力してくれて、
入口の解説記事を読んでは

中のフレスコ画と
付き合わせたのであるが
結局分からなかった。


      (「蛇の教会」この部分にパウロが描かれていると思える。)


その帰り、
ウフララ渓谷の

反対側の入口にあたる
セリメ村にまわる。

そこで
「セリメ カテドラル」を見る。


「地下都市の岩窟版」と
娘が紹介してくれたが、

将にその通りで、
教会から

隊商のらくだや馬も
格納できる施設まで
岩をくりぬいた中にある。

今は石の崩落で
外側からも存在が確認できるが、

かっては一見
「ただの岩山」にしか見えなかっただろうという。

山の内側がそのまま
都市になっていると言えばよいのだろうか。



           (セリメ カテドラル内の教会)


時間がなかったため、
食事は、

ひつじ君が
買ってくれた

サンドイッチとコーラを
車中で食べた。

いつも思うのだが、
サンドイッチにしろピザにしろ
トルコのものは大きい。

トルコのパンは
実に美味しい。

フランスパンの
パリジャンの外側を

もう少し
柔らかくしたようなパンが

一個1リラ(50円)弱である。
長さ30cmほどもある。

それを真っ二つに切って、
側面を切り開き、

そこに肉だの野菜だのが
入っている。
とても食べきれるものではない。


      (ウフララ渓谷にて。休憩中のじ~ちゃん)







しつこく、続く~♪




本日もお付き合いいただいて
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じ~ちゃんの、トルコ77日間日記 4

2013年11月02日 08時01分38秒 | トルコ文化
18日(金)アワノスの
「デルヤマンル教会」(聖母マリア教会)を訪れる。


カッパドキア最古の教会と
されており

AD2世紀頃より
存在するという。

ローマ帝国による
キリスト教弾圧の
真っ只中ではないか。


その点に、
カッパドキアでの「キリスト教迫害」に

「日本の踏み絵」のような弾圧とは
違う印象を持った。


この教会は、バチカンにも
「現役の教会」として認められており、

団体で来て許可を得れば
ミサを捧げることも出来るそうである。

確かに、教会内には
長椅子があったが、

他の教会では
椅子のあるような例はなかった。


ヨハネパウロ二世が
カッパドキアに来られた際、

訪問された
唯一の教会だそうである。

19日(土)アワノスに
マクドナルドが出店し

「景品」に
ミニオンの人形がもらえるということで


「ミニオンフアン」の子ひつじ2号と
娘の3人で出かける。

無事ゲットして、
帰途、チャウシン教会(ニケフォロス フォカス教会)に立ち寄る。


AD963年~969年に作られた教会で、
フレスコ画も美しく、

その制作年代が
はっきりしているという意味でも
珍しい教会であるとか。


これは、この皇帝が、
当地の出身であり

その凱旋帰郷の記念に
建てられたものであるから
記録がはっきりしているのである。

20日(日)ひつじ君、早朝、ツアーより帰宅。
21日(月)ネブシェヒール市内で買物。そろそろ帰国準備を始める。
22日(火)ソーアンル渓谷と岩窟教会を訪ねる。岩窟教会訪問もそろそろ終わりである。
23日(水)子ひつじ2号の学校。ネブシェヒール市内で買物。帰国時着用の上着を買う。


ソーアンル渓谷のカラバシ教会―黒い頭の教会―


フレスコ画の人物像が黒を基調として描かれているのでこの名があるらしい。


製作年代が1060~1061年と分かっていることに重要な意味があるらしい。

ところで、
トルコ料理は、

フランス料理、
中華料理と並んで

「世界三大料理」と
称されるのだが、

確かに
何を食べても美味しい。

ただ、オリーブオイルが
使われるため

口当たりの良さに
かまけていると

10日ほどで
胃腸の変調に気付くことになる。

流石に在トルコ暦15年の娘は
その辺を心がけていて

適当に
日本料理に近いものを
作ってくれて、

これが77日間の
トルコ滞在を

可能にした
隠れた要素であった。

特に、9月末
風邪で体調を崩した際には、

この配慮がなければ
乗り切れなかったかも知れない。

平穏に楽しく過ごした日々であるが、
こういった気配りを含む娘一家の愛、

それに主のお守り、
そして多くの方々の

善意と祈りに支えられた
日々であったことを認識し

心より
感謝しなければならないと
肝に銘じている。

食べ物といえば、
8月エーゲ海沿岸を回った際、
「サボテンの実」売りに会った。

パタラという
古代リキヤの遺跡のある
海水浴場であった。


カシュに滞在した時のことである。
カシュから50~60km
エフェソ方面に戻った地点だった。


入場料が要るというので驚いたが、
海水浴場までの途中に、


古代リキヤの国会議事堂が
再興してある遺跡ある。



その入場料と
その海岸が海亀の産卵地であり
その保護のためと聞き納得した。

サボテン売りのおばさんは
その道の途中にいた。

娘が「柿のような味がするよ」
というので早速試す。


まずおばさんが手袋で
重装備した手に

ナイフをもって
皮を剥いてくれる。

「勝手に触ると棘が刺さるよ」
との注意を聞く前に
手を出してしまった! 

釣り糸のように
透明で細くて針のような棘が

指先に刺さり
ひりひりと痛い。

刺さったまま指先に
残っているのである。
これには閉口した。

味は淡い柿のようで
美味しかったが

手がグズグズになって
「もう一個」は遠慮した。
1リラだったか。



またまた、続く!!



本日もおつきあいいただいて
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マンヤック マンヤックw

2013年11月02日 00時58分39秒 | 日常生活
「MANYAK」
という言葉が

トルコ語には
ござんす。

意味は…。
1、病的なレベルで、マニアな人。
2、奇妙な、変わった、馬鹿げた振る舞いをする人。
3、馬鹿、キチガイじみた、狂気の沙汰、頭がおかしい、などの意味を持つ、呼びかけの言葉。

だそうっす。
要するに。


こんな事、する人とか。


こんな事、する人とか。


こんな事、する人とか。


こんな事、する人とか。

トルコ語では
み~んな、「マンヤック」ww

で。
ただいま、ひつじ飼い家。

なりたくもないのに
「MEYVE MANYAK」(果物マニア)に
なっとりやすw

どんどこ
どんどこ。

頼んでもいないのに
右から左から

果物が
やってくるくるw

りんごに、ざくろに、カリンに梨に…。
しかも、全部

10キロ単位!
で来るから、たまったもんじゃねえw

人様におすそ分けをし
ジャムを作り

コンポストを作り
お菓子を作り
ジュースを作り…。

それで、
へえ、やっと終わりが見えてきたじゃんと
思った頃に

次のダンボールが
どどっ!!!とやってくるのだw

いえ。
ありがたいことっす。

人様から
タダで、果物をいただいてるんっすw

けどさ…。
い~加減、もういらねえってっ!!!

そりゃあ、
食べるだけの人は
いいだろうけどさ。

作る身にも
なれってんだよ!!

まさに、
果物マンヤックやんけwww

…って。
ぶつぶつ言いながら

干しりんごを
作ってたら

子ひつじ1号が
究極の「マンヤック」ビデオを
見せてくれたぞw



これ、
「ノド自慢」みたいな番組に

ガチで
生放送出演したおっさんww

いや~。
マンヤックも、

ここまで極めると
立派、立派www

あっしも頂点を目指して
頑張って

りんごの皮むきでも
するかな~wwww







本日もお付き合いいただきまして
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じ~ちゃんの、トルコ77日間日記 3

2013年11月01日 08時57分46秒 | トルコ文化
10月9日(水)
義兄3号さんのご好意で

ムスタファパシャの
岩窟教会を訪れた。



「聖バジル教会」は
崩落の危険があるということで
閉鎖になっていたが


「聖ステファノ教会」を
訪ねられたのは収穫であった。


使徒言行録に
登場する人物のうち、

カッパドキアで
その名を冠する教会があるのは

ステファノと
ヨハネだけである。

もっとも、僅かな滞在で
私が見て回った範囲での
お話であるから

間違いがあったら
お許しいただきたい。


彼の名を
冠する教会があるのは

「ステファノがカッパドキア出身であるから」
との説明は受けたが、

彼が「聖霊降臨」の際
エルサレムに居て

重要な立場にあったことを
考えれば、

キリスト教における
カッパドキアの地位は

決して
低くなかったと思われる。


(ムスタファパシャ 聖ニコラス教会)

それは、
4世紀になって

「カッパドキアの三教父」と
言われる人たちを

輩出した土壌とも
なったのだろう。

帰宅後、子ひつじ2号を
「特殊学校」に送る。


彼は特別に選ばれて、
週2回(水曜と金曜)

通常の学校が終わってから
夕方2時間、

別の国立の学校に
通っている。

往路は
送って行かねばならないが

復路は通学バスで
送ってもらえる。

この日は、義兄3号さんが
帰りに迎えに行ってくださった。

翌10日(木)は
ネブシェヒール博物館を訪ねる。


こじんまりとした
博物館であり

特に驚くような
ものはなかったが、

どこかで発掘された十字架が
非常に印象に残った。


(ネブシェヒール博物館蔵 「十字架」 いかにも歴史を感じる)

博物館の職員の方に
「案内書はないのか?」尋ねたところ

「案内書はないが」と
日本語版の「カッパドキア」と言う本を
サイン入りで頂戴した。

入場料が無料であったので
大いに恐縮である。



また、木曜日は
子ひつじ1号の
家庭教師の日である。


(この人の写真、アヒルつきが多い 爆)

定刻どおり18時に
先生が見えた。

彼にとっては
1時間の苦行である。

11日(金)朝、
ひつじ君がツアーに出発した。

12日(土)子ひつじ2号の
テコンドー教室。

彼は、土、日と通っており、
現在緑帯である。

13日(日)~16(水)
「犠牲祭」参加のため、

ひつじ家の実家のある
田舎村に行く。


これは、「田舎村滞在記」を
別に認めたので
ここでは割愛する。

17日(木)休養日。
広島カープがCSで

ジャイアンツに
ストレート負けで、

私の
「今年の野球観戦」は終わる。

娘に、
「トルコに来て日本のプロ野球で騒いでいるなんて!」
と笑われるが、

こればかりは
説明の仕方もない。






またまた、続くよ~♪





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