ひつじ飼いのキノコ岩との日常

家庭の事情から、トルコ国内のすったもんだまでw

ユスフ・ディケチさんが、大人気な件w

2024年08月07日 05時39分56秒 | 事件・事故・宗教・政治
おこんばんわ、で
ござりまする。

パリ五輪も、いよいよ
終盤にかかってまいりましたな~。

こっちは
応援してるだけだってのに

そろそろ
応援疲れしちゃって(笑)

最初の頃ほど
気合入れて

テレビ中継を
見られないんだからw

競技やってる選手たちは
どんだけ、お疲れなんだろ~とか。

そんなことを
考えつつ

みんな、頑張れ~!って
思っている、あたくしw

そりゃあ、まあ。
特に

日本とトルコに
頑張って欲しいけどもねw

日本は~。そこそこ
金メダルもゲットして

メダルランキング7位なんて。
なかなか、すごい~!って
思うんだけど。

どうも、今年は
トルコがね~。

イマイチ
パッとしなくてさ。

まあ、まだ
トルコの得意とする分野が

スタートしてないってのも
あるんだけど。

アーチェリーとか
ボクシングとか

それなりに
メダルが期待されてた分野で

イマイチ
足踏み状態だし。

前回は、体操とかでも
メダリスト、いたんだけど。

今回は、その辺も
ぱっとしないし…w

その代わり、と言っちゃあ
ナニですが。

ピストル競技のユスフ・ディケチさんが
なんか、めちゃめちゃ

バズってる、って
ハナシでww

日本だけじゃなくて
世界中で、話題になったって。

トルコでも
報道してる、ってのが
またまた、おもしろいw

まあ、確かに。
全然、装備もなくて

薬局で買ってきた
耳栓だけで

銀メダルゲットした、ってのは
すごいっちゃあ、すごいw

で。
せっかくなので

本場、トルコに
住んでるモンとして

ちょいと、ユスフさんの
取材記事、なんてものを

紹介してみようかと
思いましてw

BBCニュース・トルコ語版の
記事を、以下に翻訳しやす。

「ディケチは、標的を前にした時と同じような冷静さで、当時の喜びを語った。トルコ共和国の歴史上、射撃部門で、初のオリンピックメダルを
獲得したことを、とても誇りに思っており、この喜びは、自分のものであると同時に、祖国のためのものでもある、と語った。

ピストル競技というスポーツを、28才で始めたディケチは、ピストル、およびエアーピストル競技で、5個の世界チャンピオン、4個のヨーロッパチャンピオンのタイトルを保持している。2024年のパリ五輪は、2008年の北京五輪から始まった、オリンピックへの挑戦において、5度目のチャレンジであった。パリで、初めて、表彰台に上がった。

「実は、僕は、このスポーツを、ずいぶん遅れて始めました。成功は、どんな時にも、簡単にはいきません。とても努力しました」と言うディケチは、保持している、ヨーロッパおよび、世界チャンピオンタイトルでさえも、こんなに反響を呼ばなかった、と話す。

「射撃というスポーツは、トルコでも、あまり知られているものではないので、多分、そのせいでしょうけど。でも、オリンピックとなると、もちろん、全然、違いました。」

2008年北京オリンピックでは、練習を重ね、十分に準備して臨んだにも関わらず、試合のプレッシャーと緊張に負けてしまったと言うディケチは、「諦めたり、途中でやめたり、試合を放棄したりは、しませんでした。まず、最初に、できるんだ、ということを、信じなければなりません。僕は、自分ができるんだ、という事を、あの時に、信じたんです。」と言いながら、こう続けた。

「2度目、3度目、4度目、と来て、5度目のオンりピックで、メダルを取りました。ヨーロッパ、世界、地中海、バルカン半島、イスラム世界での競技で、メダルを持っています。でも、コレクションで、オリンピックメダルだけが、足りなかったのです。アラーの神様のご加護により、それも手に入れました。」

「この5回目のオリンピックでは、相棒のイライダと一緒に、念入りに準備しました。去年は世界大会で2位になりました。今年の2月には、ブラジルの世界大会で、1位になりました。1か月前に、ドイツで、これも1位になりました。本当は、我々は、金メダルのために、競技をしたのです。
オリンピックで記録を出して、最終戦まで、もちこみました。」

最後まで戦ったと話すディケチは、「僕はいつも、こう言うんです。選手は競技に出る時には、運命と積んできた徳と、チャンスが必要なんだと。この最終大会では、チャンスだけが、僕たちには、なかった。銀メダルを取りました。これでも、嬉しいですが。」

2年前に、軍隊から除隊した、51才の選手は、射撃というスポーツは、偶然に始めたと話す。

「このスポーツは、トルコでは、あまり知られていなくて、メディアが取り上げるスポーツでもない。射撃場の前を、通った時に、たまたま、のぞいてみたんです。で、試してみて、気に入ったので、それから続けています。」

彼は、パリでのパフォーマンスによって、世界中が自分に注目したことに、とても驚いた、と語った。

「こんなに注目されるなんて、まったく思っていませんでした。とても驚きました。でも、嬉しかったのは、世界中から来た反響が、すべてポジティブだったことです。」と話すディケチは、この良い反響が、トルコという国のイメージアップにもつながっていることが、嬉しいと言う。

自分に関して書かれた感想などを、読むことに尽力したという彼は、「銀メダルが、金メダルよりも価値があるということを、今回、知りました」という感想が、とても嬉しかった、と話す。

トルコ射撃連盟が、選手たちに装備を供与しなかった、という批判を否定するディケチは、「我々は、これらの装備のすべてを、お釣りがくるほど、たくさん持っています。連盟が、本部が用意してくれるんです。」と説明する。

本人は、これら装備が「快適ではないので、使わない」のだ、と言う。

「これら装備を使わないことは、不利益になるのでは?」という質問に対しては、「僕にとっては、大した問題は、ないんです。こういう物を使う人に聞けば、使った方が有利だと思っていると思います」と答える。

世界の多くの地域では、射撃というスポーツが危険視されている、というディケチは、銃や射撃というと、親御さんたちが、引いてしまうと話す。

「僕は、バレーボール選手にとって、ボールが不可欠な道具なように、射撃の訓練を受けている、すべての子供たちにとって、銃とは不可欠な道具である、と思います。銃を持ちだして、表で使おうなんて子供は、一人もいませんよ」

自分が始めた頃は、このスポーツは全く知られていなかった、というディケチは、射撃選手も少ないし、そのせいで、成功例も少ないと話す。
「ヨーロッパや世界大会に行った時は、最終戦まで残れれば上出来、と思っていました。けれど、今は、オリンピックで2位になったことを、残念に思うほどになりました。これは間違いなく、若者たちを励まし、勇気づけることだと思います。」

「スレイヤー・アイハンが、陸上競技でヨーロッパチャンピオンになったのを見て、たくさんの女の子たちが、短パンをはいて、陸上競技を始めたでしょう。これに似た例が、射撃でも起こるかも、しれませんよ。これを見た、たくさんの若者たちが、射撃を始めてくれると思います。この若者たちは、我々の功績よりも、ずっと上をいってくれることでしょう。」

ディケチのキャリア、については、新しい目標がある。2028年のロサンジェルス・オリンピックで金メダルをとること。

体が許す限り、このスポーツを続けられるだけ、続けたいと話すディケチは、「ロサンジェルス大会が最後になると思います。そう思っています。
運良く、その日までやっていければ、そこで金メダルを取りたいです。その後も、続けようとは思っていますが、今のようにアクティブに、大会などに参加できるとは、思っていません」と語った。

トルコ語の元記事が読みたい方は、こちら。
→→→→Yusuf Dikeç, BBC Türkçe'ye konuştu: 'Ben yapabileceğime 2008’de inanmıştım'

オリンピックも、
残すところ

3~4日で
ござんすが。

あ、でも。
その後に、

パラリンピックも
あるけどね~。

頑張って
応援したいと思います!

…けど。
あと、日本人が活躍するような競技
残ってたかな??




本日もお付き合いいただいて
ありがとうございます。

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ちなみに、まだトルコ
一個も金メダル、

ゲットできて
ないんだよね~。
頑張れ!トルコ!
コメント (2)
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