先日。
ある、お友達から。
とても、とても
とても、とても
ココロに残る
お話、を伺いました。
でもね。
ハナシっていうのは。
彼女のお父様が
亡くなった、ていう
ハナシなんだけどね。
もう、だいぶ
以前から。
お父様が
病気で、
長期、入院
されていて
いつ、
亡くなられても
おかしくないんだよ~
なんて。
何度となく
彼女からは
聞いては
いたんですが、ね。
とても
気丈な彼女は、いつも
がはははは~!!って
笑いながら
それが、さも
何でもない事、のように
話してくれて
いたのですが。
が。
いざ。
危篤の知らせを受けると
彼女は、
とるものも、とりあえず
慌てて、
風のように
帰国されたのです。
その後。
どうされたのかな~…なんて。
思っていたら。
先日、偶然にも
あるイベントで
彼女と、ばったり
出くわしたのでした。
失礼、とは
思いつつ。
お父様は、どうでした?と
つい、
開口一番
聞いてしまいました。
ホント。
何と言うか。
すでに、ヒトゴトでは
ないんですよね。
自分にだって。
明日に、
突然
起こるかもしれない。
私らの
年頃になれば
親は、軒並み
みんな
70~80代
だもんね。
「危篤状態で、いらっしゃったんでしょ?」
「うん。でもね。私、間に合ったのよ。帰った時、父はまだ、息があったの」
「そうなんだ!それはよかった!間に合ったんだね~」
「うんうん。間に合ったどころか、なんか、容態安定しちゃってさ~!危篤じゃなかったの?!
って感じになっちゃって!」
相変わらず
元気いっぱい、に
話してくれる
彼女。
まだ、お父さんを
亡くされて
49日も
経ってないのに
本当に
気丈な方だ、と
思いながら
お話を聞く。
「でね。父は、最期、どうしても、自宅に帰りたいって、すごく言ってたのよね。だから、医者とか、いろいろ、あっちとも、こっちとも、がちゃがちゃやりあって、ナントカ父を、家に連れて帰ってくることに、成功したのよ!」
重病だった
お父様。
そういう状態で
退院を許す、と
万が一の時に
医者の責任になる、そうで
ほら。
日本って、そういうとこ
すごく
追求するよね。
責任問題、って
やつ。
なんで。
医者は、最後まで
病院に残しておこう、と
頑張ったらしいのだけど。
ついに、
押せ押せの、彼女に押されて
家に帰ることを
許可したそうな。
自力で
食事がとれない、お父様は
ずっと、点滴を
つけてなきゃ
いけなかったんだけど。
もう。
最後だから、と
それも
あの手この手を
使って
はずす許可を
もらって。
医者には
息はしてますが
完全に、意識は
ない状態ですよ、と
言われたにも
関わらず。
宴会好きだった
お父様のために
最後は、子供から、孫から
親族一同、大集合して
皆で、
お父様を囲んで
飲めや歌えやの
最後の
大宴会、を
開いたんだそうな。
お酒好きだった
お父様のために
脱脂綿に
ビールを含ませてww
クチの周りに
ちょいちょい、と塗ると
意識のないはずの
お父様は
クチをあける仕草を
したり、と
オドロキの
反応を示したそう。
彼女は、
それを見て
お父さん、わかってるな、と
確信したんだって。
ちゃんと、わかってる。
最後の時間を
家族と共に
過ごしてる、って
わかってくれてる、って
実感したって。
そうこう
しているウチに
段々、お父様の
容態が変化して来て
あ、これは
そろそろ、お迎えが…と
みんな、
気がついたそうで。
皆で、手や足を
さすりながら
全員で
最後のお別れを言って。
そうして。
本当の意味で
皆に
見送られながら。
彼女のお父様は
旅立たれたそうです。
もうね~。
このあたりになったら
涙腺
ゆるんできちゃってさ~。
それは、本当に
良かったね、としか
言葉も
でなくなっちゃって。
トルコにいる娘まで
ちゃんと、ばっちり、間に合って
本当の意味で
皆に見送られながら
惜しまれながら
悼まれながら
旅立たれた
お父様は
どんなにか
幸せだっただろうなあ~って。
海外在住者なら
皆、同じだと
思うケド。
ココロのどこかに
親の死に目には
あえない(間に合わない)
だろうなあ~って。
そういう
残念な思い、っていうか。
諦め、みたい
なものが
多かれ少なかれ
あると思うんだよね。
それが。
間に合うばかりか
そんな幸せな
送り方を
してあげられたんだな~って
思うと。
すごいな~と
思うやら。
何か、変な
言い方だけど、
羨ましいやら。
いろんな感情が
一瞬で
ごちゃまぜに
なりましたよ。
しかも。
彼女の話には
続きまで
あったのよ~
何と、お父様が、ね。
おばあちゃん(お父さんの、母親)
と一緒に
何日も
夢枕に立って。
ありがとう、って。
これからは、孫を護るからな、って。
80いくつで
亡くなられたお父様が。
元気だった頃の。
40歳くらいの、いでたちで
しかも、自分が
一番、お気に入りだった
ストライプの
シャツを着て。
彼女に語ったって
言うわけよ。
と。
そこまで、話して。
今まで、気丈に
振舞っていた
彼女の顔が
いっぺんに、崩れた、と
思ったら。
今まで、
我慢していた分を
いっきに
放出するように。
わ~っと。
彼女の目から
涙が
溢れてきてね~。
でも、それは。
悲しい涙っていうよりも
安心した涙、とでも
いうのかな~。
良かったね~、
よかったね~と
ナントカ、の
一つ覚え、のように
こっちも
繰り返しながら
もう、涙腺
大崩壊で。
ああ、本当に。
そのとき、が来たら
自分も、親を
そうやって
見送ってあげたい、と。
ココロから、思ったのでした~。
やっぱ。
普段の行いが
良かったから
彼女は、お父様を
こんなカタチで、見送れたのかな~。
そういえば。
うちのと~ちゃんの
お父さんが
亡くなったときも
義母さん、が
なんだか
第六感、みたいなのが
働いて
本当は、
ツアーがあったのに
と~ちゃんのツアーとか
全部、キャンセルさせて
お陰で、子供6人
全員
父親の死に目、に
揃ってたモンね~。
ホント、ね。
何か、ね。
考えたくは
ないけれども。
こればっかりは。
どう、ひっくり返っても。
覆せない
事実、だからね。
それなら、自分も。
できれば
一番良い方法で。
親を見送って
あげられればなあ~って。
とても、とても
思った、出来事でした。
こうね。
考えるだけでね。
胸が切なくなって
ハナがツン、としてくるような
感じになるよね。
事実は、いつも
非情だけど。
せめて、自分が
そのときに
耐えられるだけの
精神力を
持ち合わせていたい、と
メチャクチャ、本気で
思ったのでした。
本日もお付き合いいただいて
ありがとうございます。
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とても、とても
とても、とても
ココロに残る
お話、を伺いました。
でもね。
ハナシっていうのは。
彼女のお父様が
亡くなった、ていう
ハナシなんだけどね。
もう、だいぶ
以前から。
お父様が
病気で、
長期、入院
されていて
いつ、
亡くなられても
おかしくないんだよ~
なんて。
何度となく
彼女からは
聞いては
いたんですが、ね。
とても
気丈な彼女は、いつも
がはははは~!!って
笑いながら
それが、さも
何でもない事、のように
話してくれて
いたのですが。
が。
いざ。
危篤の知らせを受けると
彼女は、
とるものも、とりあえず
慌てて、
風のように
帰国されたのです。
その後。
どうされたのかな~…なんて。
思っていたら。
先日、偶然にも
あるイベントで
彼女と、ばったり
出くわしたのでした。
失礼、とは
思いつつ。
お父様は、どうでした?と
つい、
開口一番
聞いてしまいました。
ホント。
何と言うか。
すでに、ヒトゴトでは
ないんですよね。
自分にだって。
明日に、
突然
起こるかもしれない。
私らの
年頃になれば
親は、軒並み
みんな
70~80代
だもんね。
「危篤状態で、いらっしゃったんでしょ?」
「うん。でもね。私、間に合ったのよ。帰った時、父はまだ、息があったの」
「そうなんだ!それはよかった!間に合ったんだね~」
「うんうん。間に合ったどころか、なんか、容態安定しちゃってさ~!危篤じゃなかったの?!
って感じになっちゃって!」
相変わらず
元気いっぱい、に
話してくれる
彼女。
まだ、お父さんを
亡くされて
49日も
経ってないのに
本当に
気丈な方だ、と
思いながら
お話を聞く。
「でね。父は、最期、どうしても、自宅に帰りたいって、すごく言ってたのよね。だから、医者とか、いろいろ、あっちとも、こっちとも、がちゃがちゃやりあって、ナントカ父を、家に連れて帰ってくることに、成功したのよ!」
重病だった
お父様。
そういう状態で
退院を許す、と
万が一の時に
医者の責任になる、そうで
ほら。
日本って、そういうとこ
すごく
追求するよね。
責任問題、って
やつ。
なんで。
医者は、最後まで
病院に残しておこう、と
頑張ったらしいのだけど。
ついに、
押せ押せの、彼女に押されて
家に帰ることを
許可したそうな。
自力で
食事がとれない、お父様は
ずっと、点滴を
つけてなきゃ
いけなかったんだけど。
もう。
最後だから、と
それも
あの手この手を
使って
はずす許可を
もらって。
医者には
息はしてますが
完全に、意識は
ない状態ですよ、と
言われたにも
関わらず。
宴会好きだった
お父様のために
最後は、子供から、孫から
親族一同、大集合して
皆で、
お父様を囲んで
飲めや歌えやの
最後の
大宴会、を
開いたんだそうな。
お酒好きだった
お父様のために
脱脂綿に
ビールを含ませてww
クチの周りに
ちょいちょい、と塗ると
意識のないはずの
お父様は
クチをあける仕草を
したり、と
オドロキの
反応を示したそう。
彼女は、
それを見て
お父さん、わかってるな、と
確信したんだって。
ちゃんと、わかってる。
最後の時間を
家族と共に
過ごしてる、って
わかってくれてる、って
実感したって。
そうこう
しているウチに
段々、お父様の
容態が変化して来て
あ、これは
そろそろ、お迎えが…と
みんな、
気がついたそうで。
皆で、手や足を
さすりながら
全員で
最後のお別れを言って。
そうして。
本当の意味で
皆に
見送られながら。
彼女のお父様は
旅立たれたそうです。
もうね~。
このあたりになったら
涙腺
ゆるんできちゃってさ~。
それは、本当に
良かったね、としか
言葉も
でなくなっちゃって。
トルコにいる娘まで
ちゃんと、ばっちり、間に合って
本当の意味で
皆に見送られながら
惜しまれながら
悼まれながら
旅立たれた
お父様は
どんなにか
幸せだっただろうなあ~って。
海外在住者なら
皆、同じだと
思うケド。
ココロのどこかに
親の死に目には
あえない(間に合わない)
だろうなあ~って。
そういう
残念な思い、っていうか。
諦め、みたい
なものが
多かれ少なかれ
あると思うんだよね。
それが。
間に合うばかりか
そんな幸せな
送り方を
してあげられたんだな~って
思うと。
すごいな~と
思うやら。
何か、変な
言い方だけど、
羨ましいやら。
いろんな感情が
一瞬で
ごちゃまぜに
なりましたよ。
しかも。
彼女の話には
続きまで
あったのよ~
何と、お父様が、ね。
おばあちゃん(お父さんの、母親)
と一緒に
何日も
夢枕に立って。
ありがとう、って。
これからは、孫を護るからな、って。
80いくつで
亡くなられたお父様が。
元気だった頃の。
40歳くらいの、いでたちで
しかも、自分が
一番、お気に入りだった
ストライプの
シャツを着て。
彼女に語ったって
言うわけよ。
と。
そこまで、話して。
今まで、気丈に
振舞っていた
彼女の顔が
いっぺんに、崩れた、と
思ったら。
今まで、
我慢していた分を
いっきに
放出するように。
わ~っと。
彼女の目から
涙が
溢れてきてね~。
でも、それは。
悲しい涙っていうよりも
安心した涙、とでも
いうのかな~。
良かったね~、
よかったね~と
ナントカ、の
一つ覚え、のように
こっちも
繰り返しながら
もう、涙腺
大崩壊で。
ああ、本当に。
そのとき、が来たら
自分も、親を
そうやって
見送ってあげたい、と。
ココロから、思ったのでした~。
やっぱ。
普段の行いが
良かったから
彼女は、お父様を
こんなカタチで、見送れたのかな~。
そういえば。
うちのと~ちゃんの
お父さんが
亡くなったときも
義母さん、が
なんだか
第六感、みたいなのが
働いて
本当は、
ツアーがあったのに
と~ちゃんのツアーとか
全部、キャンセルさせて
お陰で、子供6人
全員
父親の死に目、に
揃ってたモンね~。
ホント、ね。
何か、ね。
考えたくは
ないけれども。
こればっかりは。
どう、ひっくり返っても。
覆せない
事実、だからね。
それなら、自分も。
できれば
一番良い方法で。
親を見送って
あげられればなあ~って。
とても、とても
思った、出来事でした。
こうね。
考えるだけでね。
胸が切なくなって
ハナがツン、としてくるような
感じになるよね。
事実は、いつも
非情だけど。
せめて、自分が
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持ち合わせていたい、と
メチャクチャ、本気で
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