2040年問題 新たな社会保障への一考察(上)
公明新聞・ビジョン検討チーム
高齢者数がピークを迎える「2040年問題」を見据えた社会保障のあり方について、公明新聞・ビジョン検討チームが考察した小論を上下2回に分けて掲載する。
大衆福祉の理念
全民衆の最大幸福めざす
世界に類を見ない急速な少子高齢化が進む日本社会の前途には、二つの大きな“山”が立ちはだかっている。一つは、約560万人に上るとされる団塊の世代全員が75歳以上になる2025年であり、もう一つが高齢者人口のピークとされる40年ごろだ。
支え手となる現役世代(15~64歳)の人口が減少していく中、いかにして年金や介護などの社会保障制度を充実させ、持続可能なものにしていくのか。1964年11月17日の結党以来、「大衆福祉」の旗を掲げてきた公明党の真価が今まさに問われていると言えよう。
2025年を見据えた改革案を作成するため、今年9月に公明党は「全世代型社会保障推進本部」(本部長=石田祝稔政務調査会長)を立ち上げ、議論を加速させている。本稿では、公明党が掲げる大衆福祉の観点から、40年の超高齢社会を見据えた社会保障のあり方を考察してみたい。
公明党がめざす大衆福祉とは、ベンサム流の「最大多数の最大幸福」ではなく、「全民衆の最大幸福」である。幸福の定義は人それぞれだが、各人が思い描く幸福を最大限に追求できる社会こそ、公明党がめざす大衆福祉社会であり、「個人の幸福」と「社会の繁栄」の一致を志向する。
現在、進められている全世代型社会保障とは、「別の言葉で言えば必要な人に必要な支援が行き渡り、誰も置き去りにしない共生社会」(今年1月、衆院本会議での斉藤鉄夫幹事長の代表質問)であり、公明党の大衆福祉社会とベクトルを共有する。
超高齢の厳しい現実
世代間の不均衡、極限に達する“重量挙げ社会”
40年の日本はどんな社会か。各種調査からその姿を探ってみると、浮かび上がってくるのは、(1)65歳以上の高齢者を支える現役世代の負担が限界に達する(2)高齢世代の困窮化(3)多死社会と家系消滅――という厳しい現実である。
40年の推定人口は1億1000万人程度で、うち高齢者人口が約4000万人を占め、現役世代1.5人で1人の高齢者を支えることになる。
一方、社会保障給付費は17年度に初めて120兆円を超え、政府の試算では40年度に1.6倍の190兆円程度に達する見通しだ。社会保障制度は、支え手にかかる過度の負担を軽減するため、財源のかなりの部分を借金に頼っている。
現役世代を「支える側」、高齢世代を「支えられる側」とした場合、戦後の両者の関係は、よく「胴上げ→騎馬戦→肩車」に例えられる。これに倣えば、40年の日本は現役世代1人が高齢者1人を支える“肩車社会”に迫る状態となる。
こうした肩車社会というイメージに対して、「楽観的過ぎる」と宮本太郎・中央大学教授(福祉政策論)は警鐘を鳴らす。いわく、現役世代が弱っていく一方、高齢世代のさらなる高齢化で世代間の不均衡が極限に達する、と。以下、宮本教授の分析を引用する。
「2040年には85歳以上人口が高齢人口の3割近くになり、高齢世代がさらに高齢化する。また、就職氷河期に安定した雇用を得ることができなかった世代がそのまま高齢となり、高齢世代の困窮化もすすむ。そして高齢世帯のなかで単独世帯が4割を超え、高齢世代の孤立化が進行する。(中略)2015年から2040年までに現役世代の人口は約1750万人減少する。これまで現役世代の減少は、女性の就業率上昇などでカバーされてきたが、今後は楽観できない。現役世代の中でも不安定雇用層が増大し、生活に困窮するばかりか、企業内の教育・訓練の対象からも外れ、労働生産性という点でも力を発揮できない」(1)
世代間の不均衡が極限に達する社会について、宮本氏は「肩車」ではなく、「重量挙げ」に例える。スポーツとしての重量挙げであれば、バーベルを頭上に持ち上げる時間はわずか数秒間でいい。
しかし、“重量挙げ社会”においては、現役世代が高齢世代を永続的に支えなければならず、それは不可能に近いと、宮本氏は指摘しているのだ。40年問題は、従来の「支える側」と「支えられる側」という二分法を前提とした社会保障制度の限界をわれわれに突き付けている。
高齢世代の困窮化
前述の宮本氏の指摘の中で「高齢世代の困窮化」に絞って話を進めてみよう。
16年度に生活保護受給世帯(約163万世帯)に占める高齢者世帯(約84万世帯)の割合が、初めて5割を超えた。今後、高齢化の進展とともに、高齢受給世帯の数、全体に占める割合が共に増加することは避けられない。
駒村康平・慶応義塾大学教授(経済政策論)は、東京近郊にある人口100万人を超える大都市で、生活保護を受けている高齢者の状況をヒアリングした際の驚きを、自著で語っている。生活保護を受給している高齢者の半数が年金を受け取っていたという。しかも、働いている人も少なくなかった。「それでも住宅、医療、介護など様々なコストがかさみ、最低限の生活が自分で営めなかったのである」(2)
公明党は連立政権に参画して以来、無年金・低年金対策の拡充を進めてきたが、今年7月の参院選で「老後2000万円問題」が急浮上した背景には、国民の根深い先行き不安があることに留意しなければならない。自公連立政権で政治が安定している今こそ、国民に安心感をもたらす中長期の政策立案に取り組む必要がある。
「多死」と家系消滅
もう一つ、40年問題の象徴として、人口問題研究の第一人者である金子隆一・明治大学特任教授(国立社会保障・人口問題研究所の元副所長)のショッキングな分析も示したい。
戦後、日本の年間死亡者数が最も少なかったのは、1966年の約67万人。その後、高齢化を反映して増加傾向に転じ、2040年ごろに約168万人でピークを迎えると見られる。火葬場不足が深刻化し、家族など身近な人の死や自分の死を、より強く意識する「多死社会」が本格化する。
金子氏は、今後増加する死亡者の大部分を85歳以上が占め、終末期ケアの需要が急増する点を特に危惧する。加えて高齢化の地域的な偏在、つまり都市部での高齢者の急増が問題を深刻化させると強調している。
さらに同氏によると、生涯に1人も孫を持たない女性の割合(無孫率)が、1935年生まれで9%、65年生まれで30%、95年生まれでは47%に達すると試算する。「現在ある家系の4割ぐらいが40~50年の間になくなっていく」(3)と指摘する。
日本の制度の特長
幅広い医療をカバーする皆保険に高い国際的評価
少子高齢化、人口減少が進む中、日本の社会保障制度は悲観的に見られがちだが、欧米諸国と比較しても優れた特長を有している。それは、61年に確立された「国民皆保険・皆年金」であり、国際的にも高く評価されてきた。皆保険について言うと、(1)カバーする医療の範囲が広い(2)徹底したフリーアクセス(患者が医療機関を自由に選べる)が保障されている――点などが挙げられる。
例えば、日本では、ほとんどの医療に保険が適用され、高度医療・先進医療にも極めて寛大である。また、日本の医療は「3時間待ちの3分診療」とやゆされることもあるが、福祉先進国のスウェーデンですら、地域の担当医や病院の専門医らによる診療まで数日から数カ月の待機期間を要する。保険証さえあれば、いつでも、どこでも必要な医療を受けられるのは、日本の皆保険ならではの長所と言ってよい。
こうした点を踏まえ、香取照幸氏(厚生労働省年金局長などを経て、在アゼルバイジャン共和国日本国特命全権大使)は、「医療のようなサービスは平等でなければならない、という考えは私たちの社会のいわば共通の価値=規範になっている」(4)と指摘している。
こうした皆保険・皆年金に見られる、誰も置き去りにしない「皆」の考え方――制度の根本においての平等性や連帯性とも言える――は、大衆福祉の理念とも通底し、社会の分裂や格差拡大の防止に寄与してきたのは間違いない。
ドイツやフランスなど欧州諸国の多くは、日本と同様に社会保険制度が中心だが、保険料を支払う能力のない人は保険制度の枠から外し、別の枠組みで対応することが少なくない。それに対し、日本は、保険料の負担能力がない人も仲間外れにせず、できる限り保険料の減免や税金での補填を通じて保険に加入させ、給付も平等に行われている点を香取氏は強調している。
また、それを多くの国民が支持してきたのは、社会保障財源を見ても明らかだ。日本は、保険料負担の見返りに給付を受ける「社会保険方式」を基本にしながらも、実際は公費負担(税財源などで賄われる負担)という形で国民全体で下支えし、その割合は増加傾向にある。
今後の制度改革に際しても、「皆」の枠組みを引き継ぎ、一貫性を持たせることが重要だ。
引用文献
(1)宮本太郎「社会保障の2040年問題、現役1.5人が高齢者1人を支える困難さ」日本経済研究センターのホームページ、18年10月17日
(2)駒村康平『中間層消滅』角川新書、15年3月
(3)金子隆一ほか『新時代からの挑戦状』厚生労働統計協会、18年7月
(4)香取照幸『教養としての社会保障』東洋経済新報社、17年6月
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます