人間は、何かを信じて生きいるはずである。
ある人は、家族の絆を信じている。
あるいは、友人を信じている。
地域社会を信じている人もいるだろう。
さらに師となる人を目標にして、生き方の拠りどころに生きている。
だが、人間は時に弱く、愚かにもなるものだ。
根本にあるのは、「不信」である。
一番問題なのは、自己の可能性に対する不信ではないだろうか?
人の言説に左右されるのは、実に愚かことだ。
だが、現実には第三者の言説に左右され、自らの命を絶つ人も少なくない。
それは実に悲劇的な結末である。
だが、その背景にあるのは、生命に対する「不信」であるのだ。
人を賢く、強くするのが、本来の宗教の根本的な役割である。
だが、現実の社会には、信仰・信心・宗教の究極的な存在意義が理解されていない。
ここに現代社会の病根があると言えるのではないだろうか。
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