アイヌ語地名の研究 1 ペーパーバック – 1995/7/1
調査重ね厳密な解釈 平易な文章で興味深く
「私の弟子であり師匠である」(故知里真志保氏)、「空前絶後のアイヌ語地名研究家」(服部四郎東大名誉教授)―同学の人々をしてかくいわしめた在野の研究者、山田秀三氏の「アイヌ後地名の研究―山田秀三著作集」全4巻が完結した(草風館)。
小冊子に発表されてきた同氏の文章や論文がまとめて公刊された意義は大きい。
よく調べると北海道では溝のような小川にまでびっしりアイヌ語地名がついている。漁業や狩猟で暮してきた民族らしく、そのほとんどが地形からつけた地名である。
語尾に「ペッ」(一般的に大きな川の意)、「ない」(一般的に小さな川、沢の意)、「ウッシ」(××が群在する所の意)がつく地名が、アイヌ語地名の半分以上を占めている。青森、岩手、秋田の東北3県の主として山間部にも無数のアイヌ語地名が残っている。
津軽海峡をはさんだ北海道側と青森側には、同じアイヌ語地名の土地がたくさんある。これは北海道と東北の北半部が地名上は切れ目のないアイヌ語地名地帯であり、東北に住んでいた「エゾ」がアイヌ語族だったことを示している。
以上が山田秀三氏の研究の要約である。この著作集の第4巻には7000余のアイヌ語地名の索引がついているが、こうした研究の結論は氏の丹念な現地調査と独学で習得したアイヌ語による厳密な地名解釈に裏付けられたものである。
アイヌ語地名研究者としての山田氏の経歴は変わっている。戦前は軍需省化学局長まで務めた一高、東大卒のエリート官僚だった。
よく調べると北海道では溝のような小川にまでびっしりアイヌ語地名がついている。漁業や狩猟で暮してきた民族らしく、そのほとんどが地形からつけた地名である。
語尾に「ペッ」(一般的に大きな川の意)、「ない」(一般的に小さな川、沢の意)、「ウッシ」(××が群在する所の意)がつく地名が、アイヌ語地名の半分以上を占めている。青森、岩手、秋田の東北3県の主として山間部にも無数のアイヌ語地名が残っている。
津軽海峡をはさんだ北海道側と青森側には、同じアイヌ語地名の土地がたくさんある。これは北海道と東北の北半部が地名上は切れ目のないアイヌ語地名地帯であり、東北に住んでいた「エゾ」がアイヌ語族だったことを示している。
以上が山田秀三氏の研究の要約である。この著作集の第4巻には7000余のアイヌ語地名の索引がついているが、こうした研究の結論は氏の丹念な現地調査と独学で習得したアイヌ語による厳密な地名解釈に裏付けられたものである。
アイヌ語地名研究者としての山田氏の経歴は変わっている。戦前は軍需省化学局長まで務めた一高、東大卒のエリート官僚だった。
昭和16年、仙台鉱山監督局長だったとき、東北各地を歩いて日本語では意味がわからない風変わりな地名があることに興味を持った。
昭和24年、北海道登別に設立された北海道曹達会社の社長に就任、こんどは道内のアイヌ語地名の調査を始めた。この時期に金田一京助、その弟子のアイヌ人言語学者知里真志保両博士の知遇を得た。
昭和24年、北海道登別に設立された北海道曹達会社の社長に就任、こんどは道内のアイヌ語地名の調査を始めた。この時期に金田一京助、その弟子のアイヌ人言語学者知里真志保両博士の知遇を得た。
初めて金田一氏を訪れたとき、東北のアイヌ語地名に関する山田説を披露すると、博士の目がギラギラ光り出したという。
(朝日新聞1983.6.20読書欄)
(朝日新聞1983.6.20読書欄)
↓「前書きなど」に続く
内容(「MARC」データベースより)
アイヌ語の地名は日本列島中での貴重な文化財-という著者が、金田一京助、知里真志保の薫陶を受けつつ、30年に亘り実際に地形を見て廻った膨大な資料を纏めたもの。アイヌ語地名の分布・系統を解明した山田地名学の集大成。
東北・アイヌ語地名の研究
地名は、その土地で生活した人々の言語の痕跡であり、土地の歴史を刻み込んだ文化遺産でもある。古くからの地名変更に多くの抵抗が起きるのも、こうした認識が浸透していることの証明と言えるであろう。
本書は、40年以上にわたってアイヌ語地名の研究を続けてきた著者が、ここ10年の成果をまとめた。田子、山内、三内、長内、米内、比立内など、東北に残るアイヌ語地名と思われる例について、詳しい検証がなされている。
「仙台から秋田・山形県境付近にかけての線から北方に、一段と濃く分布するアイヌ語地名こそ、蝦夷(えみし)が残した足跡であり、北東北の蝦夷はアイヌ語を常用していた」。これが著者の結論だ。
著者は仙台鉱山監督局長、軍需省化学局長などを歴任した後、北海道曹達社長、会長を務めた。昨年7月、93歳で死去しており、本書が遺稿集となった。
(1993.9.12 河北新報)
地名は、その土地で生活した人々の言語の痕跡であり、土地の歴史を刻み込んだ文化遺産でもある。古くからの地名変更に多くの抵抗が起きるのも、こうした認識が浸透していることの証明と言えるであろう。
本書は、40年以上にわたってアイヌ語地名の研究を続けてきた著者が、ここ10年の成果をまとめた。田子、山内、三内、長内、米内、比立内など、東北に残るアイヌ語地名と思われる例について、詳しい検証がなされている。
「仙台から秋田・山形県境付近にかけての線から北方に、一段と濃く分布するアイヌ語地名こそ、蝦夷(えみし)が残した足跡であり、北東北の蝦夷はアイヌ語を常用していた」。これが著者の結論だ。
著者は仙台鉱山監督局長、軍需省化学局長などを歴任した後、北海道曹達社長、会長を務めた。昨年7月、93歳で死去しており、本書が遺稿集となった。
(1993.9.12 河北新報)

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