過激な自己責任論に潜む「同調圧力」
PRESIDENT Online
サンドラ・ヘフェリン
著述家・コラムニスト
日本では新型コロナウイルスに感染すると、「その人の行動に問題があったのではないか」という批判を受ける。ドイツ出身のサンドラ・ヘフェリン氏は「日本人は『コロナ感染は自業自得』と考える人が諸外国より圧倒的に多い。日本人はいじめや痴漢でも被害者を責めがちだ。これはおかしい」という——。
コロナに感染するのは「自業自得」なのか
夏の到来で収まりを見せるのではないかと期待されていたコロナ禍。期待は裏切られ、新型コロナウイルスについて現在も終息のめどはたっていません。日本では東京を中心に感染者が増えているにもかかわらず、感染した人を「自己責任」と見なす社会の風潮はあまり変わっていません。今回は海外とも比べながら日本の「自己責任論」の背景にあるものを考えてみます。
先日、大阪大学の三浦麻子教授らの調査により、日本では他の国よりも「新型コロナウイルスに感染するのは自己責任」と考える人が多いことが分かりました。教授らが賛否の程度を6段階に分けた上で400~500人に「感染する人は自業自得だと思うか」と質問をしたところ、「どちらかといえばそう思う」「ややそう思う」「非常にそう思う」のうちのいずれかを選んだのは、アメリカで1%、イギリスで1.49%、イタリアで2.51%、中国で4.83%でしたが、日本ではこれをかなり上回る11.5%でした。
コロナウイルスへの感染について「自業自得だとは全く思わない」と答えた人は上記の4カ国では60~70%台だったのに対し、日本では29.25%にとどまっています。つまり日本では多くの人が「感染したことについて本人に全く責任がないとは言えない」と考えているということです。
「コロナ感染は自業自得」世界で最も他人に冷たい日本人の異様さ
過激な自己責任論に潜む「同調圧力」
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サンドラ・ヘフェリン
著述家・コラムニスト
「自分自身」にこれを課しているのだとしたら「自分に厳しく責任感が強い」とも言えそうですが、実際にはコロナウイルスに感染した「他人」に対して厳しい見方をしている人が多いのが現状です。
日本でよく見られる「どっちもどっち」という考え方
日本で被害者が「トラブルを起こした人」という扱われ方をされてしまうことは珍しくありません。
知人の娘は学校でいじめに遭いましたが、先生は加害者に注意をすることなく、「お友達なんだから仲直りしましょう」といじめの被害者と加害者の双方が互いに「謝罪」をすることを求め仲直りさせようとしたといいます。
電車で女子高生が痴漢の被害に遭った場合、必ずしも「痴漢が悪い」という展開にはならず、「最近の若い子はスカートが短いからね」などといった声が聞こえてくるなど、あたかも被害者に原因があったかのような発言をする人が目立ちます。
レイプ被害に遭った伊藤詩織さんに関しても、レイプの原因が彼女の経歴や性格、容姿にあるかのような声が日本では目立ちました。
日本では「加害者」と「被害者」というふうに分けるよりも、「トラブルはあくまでも双方の問題である」という考え方が根強いのです。コロナ禍では新型コロナウイルスがいわば「加害者」であるわけですが、感染した被害者が責任を問われ叩かれてしまうのはそういったところに原因があるのではないでしょうか。
出る杭を徹底的に叩く日本人の性分
事件や事故に巻き込まれた人が「自己責任」と叩かれることは日本では珍しくありません。
2004年にイラクでボランティア活動をしていた高遠菜穂子さんら3名が現地の武装勢力によって人質として誘拐されました。日本政府などの働きかけにより、彼らが約一週間後に解放された際は、解放を喜ぶ声があった一方で、「自己責任」「日本に迷惑をかけた」「わざわざ危ない外国に行くのはどうかと思う」といった批判も目立ちました。
でも当時のイラクが危険な状況にあったのは確かですが、過去の長年の経済制裁と戦争で生活が困窮し助けを求めるイラク市民がいたのも事実なのです。ところがそういった現地の声はあまり報じられず、前述の人質事件の際は「突飛な行動をした日本人が現地で危険な目に遭い日本に迷惑をかけた」というバッシングが目立ちました。
「変わったことをする日本人」を叩くというのは日本ではよく見られる現象です。その根底には「普通の日本人はしない『変わったこと』をあなたはしたのだから、不幸に見舞われても自己責任」という考えがあります。
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体調を崩すと「周囲に迷惑をかける」の謎
日本では有名人が自分の抱負などを語る際に「健康に注意して頑張ります」というような「宣言」をすることがあります。
自分の健康について「気をつけます」などと人前で宣言するのは、ドイツにはない発想です。そのため筆者が昔ある仕事で通訳をした際、日本人のリーダーが「皆さん、体に気をつけて頑張りましょう」と語った時は、これをドイツ語にどう訳したらよいのか困ってしまいました。
ドイツを含むヨーロッパでは別れ際に「健康でいてね」「元気でね」とあいさつすることはあっても、ミーティングの最中などにこういったことを言って相手に発破をかける習慣はありません。
オフィスで心配になる女性写真=iStock.com/metamorworks
※写真はイメージです
それにしても「自分の体は自分でコントロールできるものだ」という日本人の信念にはすごいものがあります。これが宗教なのではないかと思うほどです。
風邪をひくことや病気をすることを日本では「周囲への迷惑」と考えがちです。そのため日本では仕事の場などで「私が風邪をひくと皆さんに迷惑がかかりますから」だとか「私が倒れたりすると周りに迷惑がかかりますから」という旨の発言を聞くことがあります。
筆者が「体調が悪くなるのは、周りにとって迷惑なこと」というニッポン風の価値観と初めて接したのは小学生の時でした。
当時通っていた日本人学校で授業中に具合が悪くなってしまい、心配した先生が親に電話してくれたのですが、それを見た同級生の男の子は冷静な口調でこう言いました。「そうやって学校で具合が悪くなるのは、皆に迷惑だ」と。その男の子の家ではおそらく親がそのように教育していたのでしょう。
体調管理でも露見する「体育会系の思考」
逆にドイツの学校では、授業中に具合が悪くなる生徒がいても、本人の責任を問うような発言は先生からも生徒からもありませんでした。冬休みにスキーやスノボに出かけ骨折をし、休み明けに学校を休んだり、ギプスをして学校に現れたりしても、「自己責任」の雰囲気は全くなく、同級生は「ギプスにサインをさせて」と大喜びでした(ドイツにはギプスにサインをして、回復を願う習慣があります)。
「自己責任」が問われないのは学校に限った話ではなく、メルケル首相が数年前のクリスマス休暇中にクロスカントリーで転倒し骨折をした際は、その後3週間公務を控え、外国訪問や外国の首相との会談が延期になりましたが、ドイツでメルケル首相を非難する声は皆無でした。
日本では、「風邪は万病の元」という言い回しがある一方で、風邪というものが軽く見られている気がします。ドイツでは風邪をひいた人は「今病気なんです」という言い方をするので、筆者も日本に来たばかりの頃は風邪をひいた時に「病気です」と言ったら、「風邪は病気ではない」「そんな大げさな」と叱られてしまいました。
その言葉からは、「風邪ぐらいたいしたことないのだから、同情を買おうとするな」「そんなのは精神力で乗り越えろ」というような体育会系的な思考が読み取れるのでした。
ドイツの集団感染で「責任」を押し付けられたマイノリティー
そうはいっても、ドイツでコロナに感染した人に責任を負わせようとする動きが全くないわけではありません。ドイツのノルトライン・ウェストファーレン州にあるTönnies社の食肉工場では6月に従業員1500人以上が新型コロナウイルスに感染していることが確認されました。
集団感染が発覚した後、同社の担当者が記者会見中に「工場で働くルーマニア人やブルガリア人が週末を利用して母国に帰り、その後すぐに仕事に復帰した」と話しましたが、この発言がドイツ非難を浴びました。それというのも、同社が東ヨーロッパからの労働者を劣悪な環境で働かせていたことは既に世間に知られていました。
外国人労働者とTönnies社の間には下請け企業がいくつも入っており、彼らの多くは請負契約でした。同社からあてがわれた部屋は日本で言う「タコ部屋」状態で、何人もの外国人が狭い部屋で寝泊まりを強いられていました。
経費削減の名のもとにそういった人権を無視した働かせ方をしていたのは会社の責任であるのに、担当者は記者会見で積極的にそのことに触れようとはせず、聞き手に外国人労働者が週末に家族に会いに行ったことに非があるかのような印象を与えました。
政治家もマイノリティーを「フル活用」している
そもそもルーマニアやブルガリアを含む東ヨーロッパではコロナウイルスの感染者の数は多くありません。同社で働く外国人はドイツ国内で感染したかもしれないのに、彼らの母国の名前を名指ししたことが差別的だと現地のメディアで問題視されました。
ドイツ人が大量に消費する肉のために、安い賃金で働かされている外国人労働者がいざとなれば今回のように罪をなすりつけられることについて同情をする声もあるものの、「コロナ集団感染は外国人労働者のせいだ」と考える人もおり、ドイツにもとからあった人種差別が露見した形となりました。
ドイツの一部の政治家の振る舞いも世間の外国人差別に拍車をかけています。コロナ対策が緩いことで知られていたノルトライン・ウェストファーレン州のArmin Laschet首相は記者会見の場で食肉工場の集団感染について問い詰められると、「感染は、私が州の規制を緩めたことが原因ではない」と語り、食肉工場の劣悪な労働条件に触れながらも「ルーマニア人とブルガリア人がドイツに入国したことによりウイルスが入ってきた」という言い方をしました。政治家としての自分の責任を追及されないために、東ヨーロッパの労働者の国を名指しし、世間に「外国人が悪い」という印象を与えてしまいました。
悪いのは本当に「夜の街」の人たちなのか
感染の拡大をいわば社会のマイノリティーのせいにしようとした前述のドイツの州首相ですが、どこかで聞いたことのある言い方だな、と思っていたら、それは会見で「夜の街の方々」を繰り返していた小池百合子都知事でした。
東京都知事も州首相も「マイノリティーに責任がある」とはっきり言ったわけではありません。けれども、繰り返し「国名」について発言をしたり、頻繁に「夜の街」という言葉を使うことで、世間に「責任は彼らにあるのだな」と印象づけることができました。政治家が自らの責任から逃げる手法としては実に有効です。
そうでなくても「自己責任論」が強い日本の場合、マジョリティー側にいる人間は「自分たちとは違う行動をするから、彼らは感染した」と考える傾向があり、前述のような政治家の発言は日本の「自己責任」の風潮にますます拍車をかけています。
自分が元気なうちは、コロナに感染した人を「自己責任」と切り捨てることを当たり前だと思ってしまいがちです。しかし、いつ自分が感染するかもわかりません。他人に厳しくしていると、まわりまわって自分の首を絞めることになるので、「自己責任」という言葉の使用もほどほどにしておきたいものです。
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サンドラ・ヘフェリン
著述家・コラムニスト
ドイツ・ミュンヘン出身。日本語とドイツ語の両方が母国語。自身が日独ハーフであることから、「ハーフ」にまつわる問題に興味を持ち、「多文化共生」をテーマに執筆活動をしている。ホームページ「ハーフを考えよう!」 著書に『ハーフが美人なんて妄想ですから‼』(中公新書ラクレ)、『体育会系 日本を蝕む病』(光文社新書)など。