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生活保護者は優遇されている?!

2020年01月07日 23時11分02秒 | 創作欄

「生活保護者は全員、過疎地へ移住させるべきだ」
「え~え!?」と志村健吉は北冬雄の極論に驚く。
年金生活者の北は、「生活保護者は優遇されている」と腹を立ててきたのだ。
彼は、2度のリストラの憂き目に遭って、不本意ながら年金が払えなかった時期がトータルで約5年あった。
そのために、生活保護者とほどんと変わらない年金生活の身に置かれていたのだ。
「俺はよ!酒もタバコも控えてきたんだ。とことがよ。生活を保護を受けながら、奴らは何でもありだ。ふざけやがって!」北の怒りは生活保護者に向かう。
都内の年金生活者の実態は?

年金13万円、生活苦に悩む高齢者たちの実情 生活保護を受けることすらできない。
現実には生活保護で支給される額よりも少ない年金を頼りに、ギリギリの生活を送る日本の高齢者たちの姿があった。「こんな状況で介護が必要になったら、生活が成り立たなくなる」そんな恐怖におびえながら日々を過ごす人々の実態を追う。
年金が足りない高齢者の悲鳴
 ある都営住宅の一室。一人暮らしの高齢者5人が集い、こたつを囲んでお茶をすすっていた。今日の天気からはじまり、孫のこと、病気のこと、話題は尽きない。ニュースで取り上げられている「年金」について1人が切り出した。

 「これ以上年金を減らされたら、私たちの生活はどうなっちゃうの?」

「テレビや新聞で年金の話題が取り上げられても、内容が難しくてさっぱりわからないよ」

 ただ、1つだけ理解している点は、受け取る年金は将来にわたって減らされるということ。長生きすればするほど、生活が苦しくなる。笑い飛ばしていても、目つきは真剣だ。

 「消費税が上がってから、何を買っても高くつくので、食べ物や生活必需品以外は本当に買わなくなりましたね。洋服も以前は、お店の前を通ったら『あら、これいいわね』と、毎シーズン1つは新しいものを買っていましたが、新調しないでなるべく着まわししなくては。外出しても何も買わないでまっすぐ家に帰るようにしています」

 日本年金機構から毎年送られてくる「ハガキ」を片手に深いため息をつくのは、都営住宅に住むフサエさん(仮名、77歳)。定年退職後、年金をもらいながら趣味を謳歌する……そんな悠々自適な生活を思い浮かべながら、現役時代は必死に働き続けた。ところが、いざ年金を受け取ってみると、あまりの少なさにショックを受けた。

 夫が15年前に他界してからは一人暮らし。嫁いだ2人の娘たちが時折、フサエさんの様子をうかがいに訪ねてくる。定年まで企業の食堂などで働いたので、夫の扶養には入らず厚生年金に加入していた。現在、月に受け取る年金額は厚生年金と国民年金などを合わせて約13万円。「長年働いた割には少ない」というのが実感だった。女性は男性よりも賃金が低いため、支払う年金保険料が少ないからだ。

 月々の生活で出費のウェートを占めるのは食費と光熱費、そして医療・介護費。フサエさんは糖尿病の持病があり、入退院を繰り返している。要介護度は7段階でいちばん軽い要支援1。週に2回、デイサービスに通う。3年前に転倒して足を骨折したときの後遺症でリハビリを行うためだ。歩行が困難になりシルバーカーを押しながらやっとの思いで歩いている。このほかに、定期的に内科と整形外科に通う。医療費は薬代を含めて1割自己負担で月5000円程度。介護保険のサービス利用料も同様に1割負担で約5000円。そして、ガスストーブをつけて暖を取る冬場の光熱費は1万4000円にもなる。

 「年金生活に入ってからは家賃の減免申請をしたので1万1600円。光熱費、医療費、介護の費用が何かとかかるので、貯金を切り崩しながら生活しています。生活はいっぱい、いっぱいですよ。これから先、今まで以上に病院や介護のおカネが必要になったらどうしようと不安になります」

 「娘たち? 孫の教育費やら何やら、娘たちにも生活があるのでアテにできませんね。年金で生活できなくなったら生活保護に頼るしかないわね」

 お茶をすすりながらフサエさんはため息混じりに語った。  

 定年まで働いたのにもかかわらず、余裕がない生活を余儀なくされているのは、もらえる年金が少ないから。ひとたび病気や介護をきっかけに費用の負担が増えれば生活が成り立たなくなる……。介護破産“予備軍“の1つはフサエさんたちのような、年金受給額が低い高齢者たちだ。

安倍政権の容赦ない「年金カット」
 日本の公的年金制度(厚生年金と国民年金)は、現役世代の保険料負担で、高齢者世代を支える「世代間扶養」の考え方を基本として運営されている。しかし、少子高齢化が進むなかで、現役世代が納付する保険料のみでは年金給付を賄いきれなくなっている。

 現役世代6713万人の保険料収入は37兆6000億円。これに対して、年金受給の高齢者は3991万人で給付総額は53兆4000億円(いずれも2014年)。保険料収入よりも給付額が上回っている状態だ。給付額の不足分は、国庫(税金)から補塡し、さらに保険料の一部を「年金積立金」として保有して、一部を運用しながら切り崩している。

 国は年金制度を維持するために、制度改正を何度も行っている。2004年に、自民・公明連立政権下で「年金100年安心プラン」と題し、今後100年間、年金の受取額は現役時代の収入に対して最低50%を保証するために、年金制度の改革が行われた。その1つが、「マクロ経済スライド」だ。

 理解を深めるために、ここで年金について、もう一度、おさらいしよう。そもそも、年金額は物価や賃金の変動に応じて、毎年改定されることになっている。物価が上昇すれば年金額も上がり、下降すれば下がる「物価スライド」が導入されている。ところが、「高齢者の生活の配慮」を理由に、2000年度から、当時の自公政権が物価スライドを凍結させた。物価の下降に合わせて年金額を減額すべきところを据え置いたのだ。

 このため、本来もらうべき年金額よりも多くもらっていた受給者は適正額に戻すために、2013年10月から1%、翌14年4月からさらに1%減額され、2015年4月にも0.5%下げられた。

 「もらいすぎ」が解消されれば、物価や賃金が上昇すると、その分年金額も上がることになる。その伸びを抑える役割を果たすのが、「マクロ経済スライド」だ。2015年度、厚生年金を受け取る夫婦二人世帯のモデル世帯は、前年度より4453円プラスの月22万3519円もらえるはずだった。ところが実際の受給額は月22万1507円。マクロ経済スライドにより、2012円減った。しかし、この額はあくまでもモデルであり、年金受給者3991万人のうち、約4分の1が生活保護の基準以下で生活する”隠れ貧困層”といわれる。自営業で国民年金にしか加入していなかった人や、フサエさんのように長年働き続けていても低賃金だったために、支払われる年金額が少なかった人もいる。

 そんな”隠れ貧困層”を直撃するのは、2016年末の臨時国会で成立した「年金カット法案」だ。現在導入されている「マクロ経済スライド」は、デフレ下では発動されないため、将来的な物価上昇の見通しが立たない現状では、年金支給額の抑制が厳しい。そこで、デフレ下でも年金の支給額を抑制できるように、「物価と賃金の低いほうにつねに合わせて年金を下げる」という仕組みを盛り込んだ改正国民年金法が2021年4月から実施される。

 2016年12月下旬、厚生労働省が公表した試算によると、物価上昇率が1.2%、経済成長率が0.4%のケースでは、高齢者への年金支給額は新ルールを導入しない場合と比べて2026年度から2043年度まで0.6%減る。民進党が公表した試算では、国民年金は年間4万円、厚生年金は同14万円も減るという恐ろしい結果が出ている。今、ぎりぎりで生活している高齢者たちは、生活が立ち行かなくなるのは目に見えている。

「おカネがなければ死ぬまで働け」
 一般的に会社を定年退職したあとに、健康保険組合から国保に移る。年齢とともに病院に通う人が多くなるので、高齢者の加入率が高い国保は、その分保険料を上げないと医療費を賄えない構造になっている。国保の負担増も高齢者にとってかなりの痛手だ。

 東京都に住むシンジさん(仮名、67歳)も年金カットと国保の負担増で悲鳴を上げている高齢者の1人。現在、年金を受け取りながら運送業のアルバイトで生計を立てている。

 「アベノミクスの影響で、株で儲かった人もいるようですが、私たちには関係ない話だね。年々、仕事が減って、最近の手取りは年100万円程度でした」(シンジさん)

 シンジさんの年金は年間約60万円。長年、自営業を営んでいたため厚生年金はない。60代で店を畳み、アルバイトをはじめた。同い年の妻は腎臓が悪く、定期的に病院に通い人工透析を受けている。ほとんど寝たきりの状態で要介護度は2番目に重い「要介護4」。排泄は自力でなんとかできても、家事は一切できないため、シンジさんが妻に代わって一切を行っている。そして、ひきこもりで働くことができない娘(30代)の3人で暮らしている。

 妻の年金はすべて妻自身の医療費に消える。所得税と住民税は非課税に該当しても、年13万円の国民健康保険料の支払い義務はあった。

 「兄一家と同居しているので、家賃の負担がないのが幸いですが、国保の保険料と光熱費を差し引くと手元には月10万円しか残らない。家族3人で食べていくのが精いっぱいですよ」(シンジさん)

 東京23区の保険料は住民税を基に計算されていたが、2013年度より所得から33万円の基礎控除を差し引いた「所得」が算出のもとになった。変更後は、扶養家族や障害者・寡婦などの控除が適用されなくなり、一部の世帯では保険料が上がった。シンジさんに限らず、年収が少なく家族が多い世帯の家計を直撃した。豊島区を例にとると、年収200万円の年金受給者夫婦二人世帯では、年6万3840円から年8万5886円と、約2万2000円上がった。シンジさんも以前と比較して2万円の負担が増えた。

 「世の中の人は『もっと働けばいいじゃない』と思うかもしれませんが、妻が病院に行くときは私が付き添い、普段も食事の世話をしなければならないので、働きたくても働けない。1カ月のうち10〜15日が限界です。それに私だって高齢者なので、現役世代のようにもっと働けといっても体がいうことを聞きませんし、これ以上は無理ですよ」

 シンジさんは自分が病気で倒れたときのことを考えると背筋が凍るというが、なすすべもない。住居は持ち家の扱いなので、基本的に生活保護の受給対象にならないからだ。

”持ち家”が足かせになる
 「首から上は元気なんだけどね」と笑うのは、埼玉県に住むスミコさん(仮名、79歳)。

 60代でリウマチにかかり、10年前に頚椎の手術を受けた。歩行が困難で買い物を含めて家事のほとんどは夫(80歳)が行う。

 「トイレが近くて夜中に何度も起きるのが嫌で、あまりお水を飲まなかったら去年の夏に熱中症になりかけちゃって。猛暑日が続いても電気代がもったいないから、クーラーをつけなかったのが、よくなかったのかもしれないね」

 節約するのにはワケがある。夫との年金は2人合わせて約15万円。持ち家なので家賃はないが”老後”のために生活費を抑えて少しでも貯金に回している。

 “最後のセーフティーネット”といわれる生活保護受給の条件は、①現在手持ちのおカネがわずかな状態、②すぐに現金化が可能な資産を持っていないことなどだ。単身世帯に支給される保護費は、東京23区で月13万円程度。所持金が13万円を下回っていれば、受給の対象になる。

 また、②の現金化可能な資産については、自宅、車、保険などが対象とされている。例外もあるので詳しい情報は住む自治体の社会福祉事務所に確認をする必要があるが、一般的に持ち家は資産と見なされるので、低年金でも持ち家があると生活保護が受けられないケースが多い。前出のシンジさん一家や、スミコさん夫婦は、生活に困窮していても生活保護の対象外になる。

 夫婦に子どもはいない。夫はまだ一度も大病を患ったことはないというが、すでに80代。いつまでもこのままの生活が続くとは思っていない。

 「万が一、夫が私よりも先立つようなことがあったら、どうしよう……」

 スミコさんの苦悩は尽きない。

 


自動車が走る凶器

2020年01月07日 19時43分30秒 | 創作欄

「自動車が走る凶器であるなら、自動車事故には殺人罪を適用すべきではないか?」
大村幸次郎の極端な持論であった。
彼は自動車免許を取得することはなかった。
「俺はよ。酒飲みで酒乱だ。そんな俺が自動車を運転したら、どうなるか!人を何人殺すか分かんねいな。考えただけで、空恐ろしいではないか。おめい、どう思う?」
「そうだね。恐ろしいことになるね。俺は弱視だから、自動車運転はとても無理だな」貞夫は肩をすくめた。
「俺は、母親譲りで視力は2.0。遠くまで見え過ぎてな。動体視力も抜群だ」
「それじゃ、自動車事故を起こす心配はないね」
「でもな、人間、魔がさしてな間違える。俺は絶対に運転しないつもりだ」
幸次郎が奥さんの運転で事故死したのことには、貞夫はとても複雑な気持ちとなった。
貞夫は4年ぶりに、幸次郎の自宅を訪ねた。
だが、幸次郎の奥さんは、「もう結構!あんたはうちには、全然、関係ない人だね」とインターフォン越しに強い口調で拒絶した。


夜の街で生き抜く家出少女たちは、かわいそうな被害者なのか

2020年01月07日 12時39分26秒 | 事件・事故

1/6(月) (女子SPA!)

 自分のカラダと引き換えに、その日の宿と食事を得る家出少女たち。虐待や貧困などの問題を抱えた家から逃げ出し、自由を求めて行き着いた先では、セックスワークで生きのびている少女も少なくありません。

そんな家出少女たちを長年取材してきた、ルポライターで文筆家の鈴木大介さんに、前回、家出少女たちのリアルな実情を聞きました。今回は、11月27日に発売された『里奈の物語』(文藝春秋)のモデルとなった少女や、執筆に至るまでの背景も含め、引き続き家出少女のリアルについて聞いていきたいと思います。

ほとんど学校に行かず、3人の弟妹と育った里奈

――『里奈の物語』のモデルになった家出少女は、どのような女性ですか?

「里奈は、実の母親の姉のもとで、3人のきょうだいと一緒に育ちました。養母はナイトワーカーのシングルマザーで入り組んだ事情を抱えていたため、里奈はほとんど学校に行かず、きょうだいの面倒を見ていたんです。

 でも、途中からきょうだいと離れてひとり養護施設に入れられ、数年後家族の元へ戻ったものの、不自由さに耐え切れずに15歳で家出をしました。その後はセックスワークで生き延びながら、一時は大規模な未成年者の売春組織の統括もしていた、当時19歳の少女です」

女性性を売るか売らぬかは“女の自由”

――前回、里奈との出会いで価値観が覆ったとのお話でしたが、どういうことでしょうか?

鈴木「里奈に出会う前の僕は、セックスワークの中でも特に売春は、女性の尊厳や自尊心を捨てるに等しい不適切な自助努力なのか、その自助努力を含めて彼女らの生き様を肯定すべきなのか、立ち位置を決めかねていた部分がありました。しかし彼女は、自分たちはお金で買われているのではなく『売ってやっている』、女の性を売るのは生きるための戦略で、それを選ぶか選ばないかは『女の自由』だと言うんです。

 そうやって選択的に自由を得ているから、自由と不自由の天秤のバランスがとれていれば、被害者ではないと。一方で、里奈には『被害者像のグラデーションを無視するな』と強く言われました。彼女は家出少女たちをかわいそうな存在として切り取り、一律に不幸だと決めつけることに憤りを感じていたんです。

 なぜなら、彼女が見てきた仲間の家出少女らは、同じ貧困環境に育っても一切愛情を受けずに育ってきた子とそうでなかった子では抱える苦しさや不自由の相が違っていたり、例え貧困とは言えない経済環境に育っても圧倒的に愛を与えられず自由を束縛されて飛び出してきた子もいたりした。単純に虐待で貧困だから可哀想では、『本当にかわいそうな子』が見えなくなっちゃうじゃねえかというのが、里奈の訴えだった」

里奈は我慢を突き破った実践者

――そんな里奈をモデルに小説を書こうと思われたのは、なぜですか?

鈴木「いちばんは、彼女が多くの家出少女の中でも、ある意味非常に恵まれている子だったから。自由を奪われたくないという理由で地元を飛び出してきた彼女でしたが、里奈は単に状況に流されるのではなく、非常に戦略的に夜の街を生き抜いてきた子でした。その背景には、養母やその仲間といった生粋のナイトワーカーたちが幼いころから里奈に授けてきた「女の生き抜き方」の教えがあります。

 そんな里奈だからこそ、家出後も周囲の年長者が彼女に戦略を授け続け、たとえ組織売春という犯罪の場であったとしても、多くの少女らが彼女によって救われたからです」

劣等感を抱えつつも、ほかの少女のために動く里奈

鈴木「あと、里奈は、家出少女にしては珍しく、自分語りをしない子でした。家族や、それまでに出会った人たちの話を、ときに泣きながら、一生懸命話すんです。自分にはきょうだいとの思い出があるから最悪ではないと言いつつも、ほかの家出少女とのギャップに劣等感を抱いている。

 でも、自分よりもっとつらい環境の子を守りたいと、たとえ相手にウザがられても行動に移すような少女だったので、彼女の半生を追えば、単に家出少女という一瞬の像を切り取るだけでなく、それを生む環境と社会や、取り巻く世界観の本当の姿が描けるのではないかと思ったんです。

「貧困女子」的なノンフィクションコンテンツの文脈で当事者を見世物化することでは憐憫もしくは差別しか生まれず、当事者の本当の真情が伝わらないなら、もう書きたくないというのがルポライターとしてたどり着いた限界です。軸足は里奈という実在のモデルに置きつつも、従来のルポとはまったく違う、そのままを描く以上にすべてのリアルがきちんと伝わる方法で文字にしたいと願いました。結果として選んだのが小説という手段だったということです」

シャワーにもおびえる、虐待を受けていた弟

――いちばん印象に残っているのは、どのようなシーンですか?

鈴木「里奈が養母のもとで、養母の実の娘と一緒に育てられているあいだに、実の母親は男女のきょうだいを産んでいました。ある日突然実の母が現れて、里奈たちのもとへその2人を置いていったので、里奈は一気に4人きょうだいのいちばん姉になったんです。

 養母に代わって懸命に世話をし、可愛がったのですが、弟は虐待をされていたらしく、最初はまったく心を開かず、シャワーにもひどくおびえたそうです。その様子を聞いたときは、僕も平常心ではいられませんでした。

 それから、里奈にかかわった少女らへの聞き取りの中で、里奈が里奈自身ではなくその少女らのために泣いてくれたことにものすごい感動して、一日一日を刹那的に生きる彼女たちにの中に、そんな少年マンガの主人公みたいなやつがいるなんてあり得ないと思った、なんて話があって。その子たちにとっては里奈が、生まれて初めて本気で自分のことを考えてくれる人間だったんですよね。やっぱり聞いてて泣きました」

信じられないほど当たり前のことを学ぶ場が必要

――家出少女たちに本当に必要な支援は、どのようなことだと思いますか?

鈴木「いきなり堅い話ですが、就労や進学などキャリア教育の支援よりも前に、ソーシャルスキルトレーニング(SST)をしないといけないと感じます。劣悪な環境から飛び出して自力で生きようとする少女らの多くは、そういった知識をつける時期に学べる環境になく、早くにセックスワークの世界に入っていることで、その世界のソーシャルスキルしか学べていないんです。

 初対面の人にとってはいけない態度とか、困ったときは不良じゃなくて警察に相談するとか、倒れる前にきちんとご飯を食べるとか、本当に信じられないほど当たり前のことから学べる療育の場が重要だと思います」

家出少女の感じる理不尽さは、家庭や職場でもあり得ること

――里奈や、ほかの家出少女たちへの取材を通して、彼女たちが本当に求める対応、そして私たち周りの大人ができることは、どのようなことだと思いますか?

鈴木「特に大人の女性が、彼女たちの必死に自力で生きてきたライフストーリーを、『よくやった』『頑張った』って肯定して、その思いを尊重してあげることだと思います。彼女たちがどういう状況にあるかを理解した上で受け入れて、同じ女性という立場で、今後どうしていくかを一緒に考えてあげてほしいです。

 家出少女たちの不自由は、同じような環境を飛び出した家出少年たちの不自由とは、明らかに「自由と被害」の天秤のバランスが違います。彼女らの不自由は、この世界に女性が女性で生まれたことで被る不自由の延長線上にあると言ってもいい。女性性の理不尽さは、家庭や職場でも、多くの女性が感じているはずなので、あらゆる意味で彼女たちの思いと重なる部分があると思います」

自分たちの常識を押し付けないで

――現在、多感な時期の娘を持つ母親へ伝えたいことはありますか?

鈴木「女に生まれてあきらめてきたたくさんのことを、自分の娘さんには押し付けないであげてほしいです。『女の子はこうでなきゃダメ』とか、『嫁の貰い手がなくなる』とかはもうやめて、娘さん世代が挙げた声から、自分たちの我慢が当たり前ではないと気付いてほしいし、親子で協力し合って、女性性への理不尽さを打ち崩そう! という姿勢を持ってもらえたらうれしいです。

 セックスのメリットデメリットや、売春は悪いことなのか、女性性をお金にする人がいることや、リスクなども含めて、ジェンダー教育を親子で語り合うことも大切だと感じます」

 今までクローズアップされることのなかった、家出少女たちの秘めたる思い。限られた選択肢の中で、“かわいそうな犠牲者”と思われないために懸命に生きる姿は、彼女たちと同世代の女性、同じ年ごろの娘を持つ母親、そして、かつてその年齢を経験してきたすべての女性にも、何かしら重なる思いがあるのではないでしょうか。

鈴木大介著『里奈の物語』(文芸春秋、11月27日刊)

【鈴木大介さんプロフィール】

1973年、千葉県生まれ。文筆業。長年にわたり、裏社会、触法少年少女らを中心に取材し、著書に『再貧困女子』(幻冬舎新書)『家のない少女たち』(宝島社)などのノンフィクション作品がある。

<文・取材/千葉こころ>

【千葉こころ】
ビールと映画とMr.Childrenをこよなく愛し、何事も楽しむことをモットーに徒然滑走中。恋愛や不倫に関する取材ではいつしか真剣相談になっていることも多い、人生経験だけは豊富なアラフォーフリーライター。

【関連記事】

庶民の言葉が最適-デカルト「方法序説」

2020年01月07日 12時07分20秒 | 伝えたい言葉・受けとめる力

デカルトの『方法序説』

「私の半生を一枚の絵のようにそこに写しだしてみたい」と執筆の動機を記す。

その願いを実現するには<庶民の言葉が最適>がだったとして、実生活での体験を通して真理をつかもとした。

「我思う故に我有り」という名言を残したデカルト

『方法序説』はデカルトが41歳の時に初めて公刊した著作で、屈折光学・気象学・幾何学に関する長い(全体で500ページを超える)論文の序説に当たる部分だ。

正式には序説の部分は『理性を正しく導き、学問において真理を探究するための方法序説』という名前で、六部で構成されている。

一部…学問に関する様々な考察。
二部…デカルトが探求した方法の規則について。
三部…デカルトがこの方法によって導き出した規則について。
四部…神の存在と人間の魂の存在を証明する論拠。
五部…デカルトが探求した自然学の諸問題の秩序。
六部…デカルトが自然の探求においてさらに先に進むために何が必要と考えているか。

すべて良書を読むことは、著者である過去の世紀の一流の人びとと親しく語り合うようなもので、しかもその会話は、彼らの思想の最上のものだけを見せてくれる、入念な準備のなされたものだ。

さまざまな民族の習俗について何がしかの知識を得るのは我々の習俗の判断をいっそう健全なものにするためにも良いことだ。
またどこの習俗も見たことのない人たちがやりがちなように、自分たちの流儀に反するものはすべてこっけいで理性にそむいたものと考えたりしないためにも、良いことだ。
けれども旅にあまり多く時間を費やすと、しまいには自分の国で異邦人になってしまう。

わたしは何よりも数学が好きだった。論拠の隔日制と明証性のゆえである。

数学が機械技術にしか役立っていないことを考え、数学の基礎はあれほど揺るぎなく堅固なのに、もっと高い学問が何もその上に築かれなかったのを意外に思った


人生を豊かにする秘訣

2020年01月07日 12時01分27秒 | 伝えたい言葉・受けとめる力

まず心を動かし、行動する

損得をこえて人が結びつき、ひとつのことを成し遂げることが、充実感、達成感、幸福感のヒントになる。
人生を豊かにする秘訣はとても身近なところにある。
まず心を動かし、次に行動をすること。

詩人 石下(いしおろし)典子さんの言葉に、われわれの敢闘会・活動の理念や原動力に通じるものがあると思ってみた。


崩壊学: 人類が直面している脅威の実態

2020年01月07日 07時30分37秒 | 社会・文化・政治・経済
 
 
強固で生き生きとした地域社会を、緊急に再構築することだと著者は主張する。

「成長経済」の現代社会でみごとなほど徹底的に骨抜きにされてしまったもの。
それは人類が本来持っているはずの「共に生きる才能」。
それが社会的能力の「再生」であり、「崩壊」の克服を保証すると、主張して本書を締めくくっている。
冷静で深い洞察にもとづいて断言した、極めて説得力のある警世の書である。

内容紹介

欠けているのは全体的な視点だ。崩壊とはどのようなもので、何が引き金となり、
結果として「現世代」にどのような心理的、社会的、政治的な影響を与えるか……
私たちはその学問を勝手に「コラプソロジー=崩壊学」と名づけ、本書では
その基盤となるものを、世界中に四散した研究から集めて紹介することにする。
目的は、これから起きることと、それは何なのかを明らかにすること、
つまり、これらの出来事に意味を与えることである。(本書より)

昨年の世界的な異常気象で注目を浴び、フランスでベストセラーとなった警世の書。
自然環境、エネルギー、社会システム、農業、金融……など多くの分野で、
現行の枠組が持続不可能になっている現状を多角的なデータとともに提示する驚嘆のレポート!

内容(「BOOK」データベースより)

もし現在の文明が崩壊するとしたら?それも遠い未来ではなく、私たちが生きているあいだに?昨年の世界的な異常気象で注目を浴び、フランスでベストセラーとなった警世の書。自然環境、エネルギー、社会システム、農業、金融…など多くの分野で、現行の枠組が崩壊間際になっている現状をデータとともに提示する驚嘆のレポート!

著者について

パブロ・セルヴィーニュ
1978年ヴェルサイユ生まれ。農業技師で生物学博士。崩壊学とトランジション、環境農業、相互扶助の専門家。著書に『危機の時代のヨーロッパで食を供給する』(未訳、2014年)などがある。

ラファエル・スティーヴンス
ベルギー出身。環境コンサルタント。社会環境システムのレジリエンスの専門家。環境問題の国際的コンサルタント組織「グリーンループ」の共同創設者。

鳥取絹子(とっとり・きぬこ)
翻訳家、ジャーナリスト。主な著書に『「星の王子さま」 隠された物語』(KKベストセラーズ)など。訳書に『私はガス室の「特殊任務」をしていた』(河出文庫)、『巨大化する現代アートビジネス』(紀伊國屋書店)、『地図で見るアメリカハンドブック』『地図で見る東南アジア』『地図で見るアフリカ』(以上、原書房)など多数。

 

異常気象、気候温暖化、土壌の浸食、環境汚染、資源の枯渇、金融危機、経済格差、人口爆発、パンデミック、大規模災害、武力紛争など、文明を崩壊させるリスクはたくさんある。本書はこうしたリスクを取り上げて、世界が崩壊寸前にあることを、証拠をそろえて提示したという。

だが、読んでみると、単にリスクを羅列して「崩壊学」と名づけただけとしか思えなかった。リスクを関連づけて、エネルギー価格と金融システムについて議論しているが、とってつけた感は否めない。また、肝心の解決策についても「化石燃料の消費を早急に、大規模に減らすこと」など、実に凡庸だ。

ジャレド・ダイアモンドの「文明崩壊」を「過去の考察にとどまり、現在の状況の重要な問題に触れていない。とくに欠けているのは全体的な視点だ」と批判しているが、あまりにおこがましい。崩壊という同じ言葉を使っていても、両者の中身は月とスッポンだ。


昨今の異常気象などで文明の崩壊の危険性も増えてきたように思います。

そういう意味で「崩壊学」は非常にタイムリー。崩壊自体を体系的にまとめていこうという提言には意味があると思います。

一方で、「崩壊学」に求められる「予言性」はまだまだこれからといったところ。あまり期待しすぎると物足りないかもしれません。


子、孫の代にこの問題(化石エネルギー消費における諸問題)は持ち込みたくない。我々団塊の世代の責任は重い。子供たちとも、一緒に問題を語り、この問題に取り組みたい。


朝日書評で柄谷行人さん評の絶品の『崩壊学』。エネルギ―会計で0・5~5世紀ほどの単位で地球&人類の崩壊過程とリスクを考察。「希望」に超絶的絶望見解。「進化系」の惑星破綻済み論。名著『「長生き」が地球を滅ぼす』<本川氏著>を超す衝撃。セルヴィーが世代会計の類を越えたのか?危機の打開策は全くない、持続可能開発は非現実的、一切の望みを棄てよ、という。



 
 

 

女性のいない民主主義

2020年01月07日 06時38分10秒 | 社会・文化・政治・経済
 
 
女性がなぜ、政治の領域にこれほど参加しないのか。

主流の政治学的議論と批判的に対話することで、丁寧に説明してくれている。
ジェンダーの視点を学びながら、非常に良質な政治学教育を、新書1冊のボリュームで受けることができる。
政治学はそもそも、「政治とはなにか」を問う学問として始まった。
ポリティクス(政治)が古代ギリシャのポリス(都市)を語源とするように、それは、ある領域に住むひと「すべて」に関わる事象を扱う人間の営みとして理解されてきた。
だが、その始まりから、女性たちは、政治的でない存在-当時では人間以下を意味した-として排除された。
20世紀民主主義の時代になっても、じつは多くの国で、国会であれ地方議会であれ、女性が市民の代表となることなど想像だにされない時代が続いた。
本書を手にして、民主主義とは何か、権力や政策、福祉国家について学ぶなかで、女性の声が届かない政治は、もはや政治とは呼べない、男性支配に過ぎないことが次第に理解される。
男女格差の国際比較において、日本がどんどん順位を落としている。
日本はまさに、女性のいない民主主義国。
今度、絶え間ない努力が必要である。
ジェンダー視点のない政治(学)はあり得ない、読者はそう説得されるに違いない。

内容紹介

日本では男性に政治権力が集中している。何が女性を政治から締め出してきたのか。そもそも女性が極端に少ない日本の政治は、民主主義と呼べるのか。客観性や中立性をうたってきた政治学は、実は男性にとって重要な問題を扱う「男性の政治学」に過ぎなかったのではないか。気鋭の政治学者が、男性支配からの脱却を模索する。

著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)

前田/健太郎
1980年、東京都生まれ。2003年、東京大学文学部卒業。2011年、東京大学大学院法学政治学研究科博士課程修了、博士(法学)。首都大学東京大学院社会科学研究科准教授を経て、東京大学大学院法学政治学研究科准教授。専攻、行政学・政治学。著書に『市民を雇わない国家―日本が公務員の少ない国へと至った道』(東京大学出版会、第37回サントリー学芸賞(政治・経済部門))(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)

 

 

私は非体系的にフェミニズムの知識を吸収してきましたが、この本を読んで全て整理されました。自分はまだ男社会の強いところで働いていて、まさに明らかに女性が遭っている「ダブル・バインド」について、マジョリティの男性は「無いもの」として合意形成をしています。
この著作は、規範として取り入れるべき要素が多く含まれており、ジェンダー問題に取り組む全ての方々に闘う武器を与えています。ジェンダーに関する組織改善を図る方々には、効果的で合理的なやり方を示してくれます。言語化が上手くできなかったフェミニストの方、論破できる自信がないから全面的にフェミニズムを表明してこれなかった潜在的フェミニストの方、フェミニストになりきれないけれどやはり女性差別はあると感じる方、すべての人にオススメします。

 

本書は、社会を良くするには女性の存在が必要である、女性が軽んじられる社会は、弱者も少数派も差別する社会であるとし、そのためにはどうすればよいかを、“ジェンダー視点”から考察した良書である。今、世界の流れは、フィンランドに世界最年少の女性首相が誕生したことに象徴されるように女性の存在感が日増しに高まっているが、日本の現実はというと、世界経済フォーラムが発表した男女格差の報告書の最新版では、日本は153ヵ国のうち、過去最低の121位に低迷している。日本の政治は、先進国の間でも、男性の手に権力が集中している特異な国なのである。
そこで、本書は、なぜ日本には、女性が活躍できる土壌がないのかと、女性も男性も(因みに私は男性です)が漠然として考えていたことを言語化し、極めて平易に事例や表を交えて説明している。ジェンダー問題に取り組んでおられる女性の方にとって、本書は問題解決へのヒントを与えてくれるだろう。
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さて、具体的には次のような点が、ジェンダー問題解決のためのヒントとして印象に残った。
★男性と女性では政策的関心が異なる。男性は、経済政策や安全保障政策など、女性は、社会福祉政策(育児、介護)、児童の教育、女性の職業支援などに関心が深い。→女性の意見を代表する女性議員が求められる。
★男性が参加者の多数を占める集団では、女性は意見を言いにくい。クリティカル・マス理論に従えば、女性議員の数が30%程度になって初めて、女性は本来の力を発揮でき、男性と対等に意見を言えるようになる。フィンランドでは、1906年世界で初めて女性が被選挙権を獲得した。30%という値は、組織において女性が能力を発揮できる下限とされる「クリティカル・マス」として各国の政府機関で用いられているが、1983年、フィンランドが最初にこれを超えた。
★既存の政党が、男性優位の性格を改め、女性を擁立することが必要である。
★日本の女性議員数が先進国よりも低い水準にあるのは、ジェンダー・クオータが導入されてこなかったことにある。これは、女性議員の数を一定数以上に割り当てることである。
★個人モデル/男性稼ぎ主モデルという考え方:北欧のような、個人モデルの福祉国家においては、特定の家族像は前提とされず、夫と妻は対等な存在として、仕事で収入を得るとともに、家事や育児においても協力することが想定される。どちらも自らの資格で社会保険制度に加入し、自らの拠出に基づいて給付を受ける。また、個人モデルの福祉国家はケアを社会化する。即ち、育児や介護を家族で抱え込むのでなく、政府が積極的に社会福祉サービスを共有することで、男女共働きの家族を支える。シングルマザー、ワーキンマザーなどにも福祉を供給する。これに対して日本は、男性稼ぎ主モデルである。
★スウェーデンでは、第二次世界大戦後の経済成長期に労働力不足が生じた際、多くの大陸ヨーロッパ諸国のように移民を受け入れるのではなく、女性の労働参加を促進する道を選択した。その結果、女性の社会進出を支援するために、公営の保育サービスや社会福祉サービスが拡大し、そこで雇用された女性労働者が労働組合に組織化されることを通じて、女性の発言力が強まった。これとは対照的に、日本では高度経済成長期に政府が財政的な事情から公務員数の抑制に乗り出したため、公共部門が女性の社会的進出を後押しするという現象は起きなかった。
★少子高齢化が、男性稼ぎ主モデルの福祉国家の帰結であるだけでなく、それが持続する原因ともなっている。日本は育児支援が充実する前に高齢化が進行し始めたため、政策転換が難しくなっている。これに対して、仕事と育児の両立支援を早い段階で充実させたスウェーデンでは、女性と男性のワークライフバランスを支援する制度が早い段階で整ったことで、少子化の進行が食い止められている。
★社会には、男性は男らしく、女性は女らしくなければならないという、ジェンダー規範と呼ぶ目
に見えないルールが存在する。このジェンダー規範は、決して人間の生物学的な本性を踏まえたも
のではなく、それは何らかの形で社会的につくられたものである。ジェンダー規範は、男性と女性
に異なる社会的な役割を与える(性別役割分業)。男性は、仕事に就き、家族を養わなければならな
い。女性は、家庭において、家事や育児をおこなわなければならない。この規範は、「男は仕事、女
は家庭」といった言い回しに表されてきた(例:良妻賢母)。
★女性はジェンダー規範に従って行動する限り、「ダブル・バインド」に直面する。一方には、積
極性があり、競争的な、「男らしい」行動を求める組織規範があり、他方には優しく、包容力のある、
「女らしい」行動を求めるジェンダー規範がある。
★政治が「社会に対する諸価値の権威的配分」を行う行動だとすれば、男性と女性の地位の不平等
も、大きな争いの種となるはずであるが、重要な政治争点として認識されてこなかった。なぜか?
女性が声を上げてもその力が弱く認識されなかったからである。例えば、非正規雇用を巡る問題は、
それが女性の問題である間は争点化されなかったが、2000年代に若手男性の非正規化が進んで初
めて争点化した。。
★男女の不平等が長く政治の争点となってこなかったことの原因の一つは、マスメディアがアジェ
ンダ設定を行ってこなかったからである。本やSNSがジェンダー争点化を後押ししてきたことは
間違いない。#MeTo 運動はその一つ。この影響は日本では今のところ限られている。
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最後に、本書に関連して、今後女性の活躍が一層望まれるが、八木芳昭著『尊ぶべきは、小さな社
会と細やかな心~Small is Beautiful~』(book Trip社)には、多くの分野で女性が活躍している事
例を掲載されていて大変に参考になった。https://amzn.to/2PtlpUZ 一読をお勧めしたい。



民主主義に女性が少ないのはなぜか??
とてもわかりやすかったです。
政治というジャンルの本を読んだのは、恥ずかしながら初めてですが、わかりやすく読めました。
「日本の社会保障は、男性を通じて享受する構造になっている。」というのが、自分が感じていたモヤモヤを言語化されていてスッキリしました。
私も男性社会で働くなかで、ジェンダー規範に苦しめられ、子供を産んでさらに、娘にはそのような辛い思いをさせたくないけれど、「一体どこに問題があるのだろう?」と漠然と考えていました。
「女性」というタイトルに食わず嫌いせず、広い層の人に読んで欲しいです。

ただ、特に、フェミニストと呼ばれる方達にこそ読んで欲しい。
「kutoo」とか「女性だからといってなぜ化粧しなきゃいけないのか?」とか献血ポスターとか、目の前の問題をひとつひとつ片付けることも大切ですが、そういう人たちこそ、日本の政治、構造そのものに目を向けて、声をあげていって欲しいなと思います。


○読了までの時間:120-180分
 この本は、「なぜ日本には女性の政治家が少ないのか」というリサーチ・クエスチョンを土台に、政治や民主主義、政治史に至るまで、平易な文章で書かれた良書である。また、適切なポイントで政治学の主流派の理論を紹介しているため、政治学に関わりの薄い人であっても読み進められるように、配慮がなされている。

 とはいえ、本書のねらいは、そうした従来の主流派理論が、ジェンダーあるいは女性の視点を全く欠いていることを、さまざまなデータや文献を用いて実証することを目的としている。筆者としては、もはや故意に女性を排除してきたのではないかと思えるほど、これまでの政治が「男性の政治」としてつくられている点に納得した。
 
 結論としては、女性の候補者が少ないことが、日本に女性政治家が少ない大きな原因である。これは一見当然の帰結のように見える。だが、根本的な問題は、女性政治家の立候補を阻んでいる何かが存在することである。それは、われわれの社会の底流にある「女性蔑視」、あるいは「男性優位」である。こうした概念は、教育・就職活動・仕事・日常生活など、いたるところで、「無意識に」行われている。したがって、それを指摘したところで、「そんなことはない」と一蹴されてしまう。だからこそ、何百年もの間、女性は男性の影に隠されてきた。そして、何もしなければ、これからもそれは続いていくに違いない。

 国立国会図書館による「近代日本人の肖像」というWebページの掲載人物を見ると、女性はほんの数名しかいない。われわれが政治家と聞いてイメージするのは、スーツを着た男性(しかも老人ばかり)ではないか。これで、本当に女性の意思が社会に反映されてきたと言えるだろうか。野球をやったことのない人が野球を語るには限界があるように、女性ではない人が、女性について知りうることにも限界がある。

 本書が、「男性優位」「女性蔑視」というメタナラティブを突き崩すための、最初の一槌になることを、筆者は確信している。


女性の意向が取り入れられているかという視点から民主主義を再評価する。

 かつての歴史では民主主義かどうかには女性の意見が取り入れられているかどうかは評価されていなかった。さらに、女性の社会、政治進出には女性らしさを求めるという壁もあった。
 そこから世界はやがて女性が政治進出しないことに疑問を抱き、少しずつ変わっていく。しかし、日本はその流れに乗れていない。

 日本という国は民主主義国としてまだまだ未熟だと思い知った。


 
 

ジョルジュ・バタイユの思想

2020年01月07日 05時51分58秒 | 社会・文化・政治・経済

ジョルジュ・バタイユ(1897年~1962年)は、フランスの思想家・哲学者であり作家です。

名門国立古文書学校を卒業後、国立図書館に司書として勤務する傍ら、哲学、小説、宗教、経済学、文芸批評、芸術論など多岐の分野にわたって執筆を行いました。

バタイユはニーチェの研究でも知られ、またミシェル・フーコーやジャック・デリダなどポスト構造主義の思想家に大きな影響を与えました。
フーコーは、バタイユは20世紀の最も重要な書き手の一人であると述べています。

バタイユは神秘主義をおびた独特の思想を打ち立て、第二次大戦前には美学・考古学の雑誌『ドキュマン』の編集に携わり、戦後は書評誌『クリティック』を創刊しました。
他にも聖なるものを追求する秘密結社「無頭人」の活動なども行っていました。

『ドキュマン』は表向きは考古学や美術をテーマとした学術誌の体裁を取っていましたが、既存の物の見方を壊すことを目的として、刺激的な図版なども掲載していました。

「死」「エロティシズム」などを通して人間の至高のあり方を追求した

バタイユのテーマは「死」「エロティシズム」「侵犯」「聖なるもの」などに集約され、それらを通して人間の至高のあり方を追求しました。

日本においては三島由紀夫がバタイユの熱心な読者であり、三島は、あるインタビューにおいて、現代ヨーロッパの思想家でもっとも親近感を持っている人がバタイユであると述べています。
三島はバタイユのテーマであるエロチシズム、死や侵犯(罪)に共鳴していました。

「バタイユ」の思想は近代西欧への批判

 


贈与論 ―資本主義を突き抜けるための哲学―

2020年01月07日 05時18分05秒 | 社会・文化・政治・経済
 
 

資本主義は、利益追及を第一義している。

そのため人間を手段とするあまりに、格差、ブラック企業など負の陰をともなう。
それに対抗するものとして、「贈与」の概念を設定する。
つまり、本書で提示されているのは、「資本主義対贈与」という対立概念にほかならない。
贈与とは、他の人に何かを与えることであるが、それにはかならず「返礼」がともんっていると考えられている。
贈与と返礼は対になって存在するのであり、贈り物にお返しをしないのは、道義に反する行動であるとされる。
しかし、互酬性のない贈与、お返しを求めない、光と熱の限りない贈与を行っている「太陽の力」を重視した。
太陽による贈与は「無償の贈与」にほかならない。
著者はバタイユの思想を高く評価し、「現代の行き過ぎた資本主義」に対抗する力としての「無償の贈与」に積極的な役割を与えようとしている。
本書は思想史的な著作であるが、それ以上に政治的・社会的な志向を含んだ画期的な無償の贈与論である。

内容紹介

贈与は一貫してフランス思想の通奏低音であった。カトリックの恩寵からデリダの脱構築まで、
この国の人々の創造的思考の底には、常に贈与の主題が低く深く鳴り響いているのである。
それほどに重大なこの概念が、本書によって初めて、あらゆる角度からの全面的な照明を加えられた。
現代フランス思想を読み解く鍵は実に贈与の中にある。平易な語り口によってすべての人に開かれた、
これは思想の贈り物である。―― 中沢新一

「もの」を交換し社会を営んできた人間。狩猟採集から農耕への移り変わりとともに「貨幣」を生み出し、
資本主義というシステムを作り上げた。等価交換から生まれたシステムは、いまや行き詰まりをみせ、
新たな段階を模索している。例えば、ボランティア、臓器移植、ベーシック・インカム、自然エネルギー……。
行為や思想の根底に、交換ではなく見返りを求めない「ただ与える」という贈与の精神が存在していると思われる。
贈与の思想は、人間社会に多くの慣習や交易を生み出してきた。
一方、アイヌの熊祭りのような神話的思考、チンパンジーの毛づくろいにみられる動物世界の習慣は、
人間と動物のあいだ、動物と動物のあいだにも贈与の思
想が存在していることを教えてくれる。
人間はけっして経済的動物ではない。
人間、動物、自然をふくめた世界を互酬的ではない贈与の視点から捉え直すとき、
交換や資本の論理にからめとられた世界から解放されるだろう。
「ただ与える」の思想が、これまでにない関係性の未来を提示してくれる。


【目次】

序章 贈与のアクチュアリティ
贈与の慣習/無意識のうちに僕らを縛る贈与/贈与への期待

第1章 贈与にはお返しを!―マルセル・モース(I)
モースの研究/ハウ/ポトラッチ

第2章 理想と危険―マルセル・モース(II)
経済的動物/平和/社会保障/贈与の危険性

第3章 ワインとインセスト―クロード・レヴィ=ストロース(I)
ワインの贈与/インセスト・タブー/最高の贈り物としての女性

第4章 クリスマスとハロウィン―クロード・レヴィ=ストロース(II)
サンタクロースの処刑/クリスマスとハロウィン/異界との交流

第5章 贈与のスカトロジー―ジョルジュ・バタイユ(I)
糞尿文学/異質学/消費/贈与とウンコ

第6章 太陽による贈与―ジョルジュ・バタイユ(II)
太陽による贈与/過剰エネルギーの行方/第三次世界大戦の危機とマーシャル・プラン/自己意識と贈与の世界観

第7章 愛の狂気―シモーヌ・ヴェイユ
バタイユとヴェイユ『/人間の条件』/愛の狂気/捨てること/純粋な自己贈与

第8章 贈与は贈与でない!?―ジャック・デリダ(I)
写真と現前/脱構築/贈与は贈与でない!?/時間を与える

第9章 死の贈与―ジャック・デリダ(II)
死の贈与/イサクの奉献/オノノカセル秘儀/沈黙の言語/犠牲のエコノミー/あれかこれか/われら犯罪者……

第10章 贈与を哲学すると―?ジャン=リュック・マリオン(I)
ハイデッガーの衝撃/現象学と還元「/還元と同じくらい、与えがある」/受与者

第11章 贈与としての愛―ジャン=リュック・マリオン(II)
愛と哲学/確実さを疑うこと/エロス的還元〈/求める愛〉の限界〈/与える愛〉/神への愛と神の愛/愛と憎しみ

終章 結論にかえて
人間中心主義/互酬性/動物から人間への贈与/動物のあいだの贈与/返礼なき贈与/贈与の未来

補章 『借りの哲学』補完計画
はじめに/純粋贈与と贈与の出来事/補完その一 システムを可能にするもの/補完その二 応答</br> 補完その三 贈与のスカトロジー/おわりに

内容(「BOOK」データベースより)

人間、動物、自然をふくめた世界を互酬的ではない贈与の視点から捉え直すとき、交換や資本の論理にからめとられた世界から解放されるだろう。「ただ与える」の思想が、これまでにない関係性の未来を提示してくれる。

著者について

[著者]岩野卓司(いわの・たくじ)
パリ第4大学哲学科博士課程修了。現在、明治大学大学院教養デザイン研究科長・教授。専門は思想史。
著書に『贈与の哲学 ジャン=リュック・マリオンの思想』(明治大学出版会、2014)、
訳書にドゥニ・オリエ『ジョルジュ・バタイユの反建築 コンコルド広場占拠』(共訳、水声社、2015)などがある。

 

なかなかとっつきにくいが、次の資本主義を捉え直す解を持っているのではないかと期待されている贈与論。きちんとこれまでの問を整理し、なおかつ書き換えを起こしているこの本は、全然とっつきにくくない。丁寧にかかれているので、ぜひオススメしたい。すでにフェイスブックで紹介し、友達にもすすめてます。

 
 
 ジャン・リュック・マリオンが著者の専門であるが、本書で光彩を放つのはハイデガーの贈与論である。「エス・ギプト・ザイン(Es gibt Sein)」である。このドイツ語の文章は、非人称主語Es(英語のit)が、存在(Sein)を与える(gibt)という文である。存在者に存在を与える主体が非人称中性名詞Esであることに注目したい。このドイツ語の文は英語であれば、「There is….」という文になり、「…が存在する(ある)」という意味となるが、存在を与える主体はthereでは示すことは出来ない。そもそもthereは場所(そこ)を指示する副詞にすぎないからである。しかし、ドイツ語のEsは明確に存在を与える(贈与する)主体を示している。その点において、ドイツ語の「…が存在する(ある)」は贈与論的な内容になっている。このハイデガーの贈与論がデリダの『死を与える』に大きな影響を与えた。存在者と存在の不即不離(一体)の関係、贈与論=存在論的関係ががハイデガー存在論(存在の意味への問い)の理論的根拠となっている。
こうして著者が展開する贈与論は、存在論的内容に転化していく。したがって、贈与論が指し示す展望は、資本主義の先を見つめる経済学的展望ではなく、哲学的次元の内容になる。それが本書の特色であり、抜群に面白い点でもあるのだ。 
では、著者と共に、贈与論=存在論を巡る思想史的旅を楽しんでほしい。
お勧めの一冊だ。