goo blog サービス終了のお知らせ 

~「ネット人格」事情を徹底調査~

2020年01月03日 22時14分27秒 | 社会・文化・政治・経済

~「ネット人格」事情を徹底調査~
※ライフスタイルリサーチ

トレンド総研が先ごろ、SNSを利用している20~30代の男女を対象に「SNS上の人格事情」をテーマとした調査を実施し、その結果、約4割の人が、FacebookやTwitter、mixiなどのSNSと実生活で人格を使い分けていることが、わかった。

同調査によると【意識的に使い分けている】が25.3%、【無意識のうちに変わっている】が16.3%で、SNSと実生活で異なる人格になっている人は計41.6%という結果に。

また、SNSによって人格を変えている人は約7割にのぼることも明らかになった。 

 【意識的に使い分けている】と回答した人に、続けて「SNSの種類ごとに人格を使い分けているか」と質問したところ、【使い分けている】が66.7%。

具体的には「Facebookやブログでは真面目な人間。Twitterでは楽しい人」(20代/男性)、「Twitterではふざけた感じ。ブログでは女の子らしい感じ」(20代/女性)といった声が挙がり、メディアごとに自分自身を演出しているようだ。 

 一方、「SNSと実生活で人格を変えている人に対してはどのように感じているか」という問いには、【普通だと思う】が38.2%で最多だったが、【どちらが本性なのかわからなくなる】という否定的な意見が30.9%で次点に。

このほかにも【面白いと思う】(21.8%)という意見もあれば、【怖いと思う】(18.2%)、【今後の接し方を考えてしまう】(10.0%)など、肯定派と否定派に分かれた。 デイリースポーツ

------------------------------------

「SNS 上の人格事情」に関する調査
友人・知人に知らせない SNS がある・・・3 人に 1 人以上
SNS とリアルでは人格を使い分けしている・・・4 割以上
SNS とリアルで別人格である人に対して好意的な見方が多数
SNSのサービス数や利用者数がますます伸びている一方で、SNSにおいて友人・知人だけでなく、仕事関係の人や、全く知
らない人とつながりを持つ人も増えてきました。その結果、SNS 上で「ソーハラ」を受けたり、自由に投稿ができない、自分のあり
のままの姿を表現できないといった問題も生じています。
今回、生活者の意識・実態に関する調査をおこなうトレンド総研(東京都渋谷区)は、SNS(ソーシャルネットワークサービ
ス)ユーザーの 20~30 代男女300 名を対象に、SNS における自己表現がどのようになっているのか「SNS上の人格事情」をテ
ーマにした調査を実施しました。調査結果から、SNS における人格の使い分け(リアルと SNS の違い、SNS間での違い)や投稿
内容の実態が明らかになりました。

www.trendsoken.com/.../684f79bb84bd2e5efe7b02292948b7...

ーマにした調査を実施しました。調査結果から、SNS における人格の使い分け(リアルと SNS の違い、SNS 間での違い)や投稿. 内容の実態が明らかになりました。 ◇調査対象について. 今回の調査は、事前アンケートにおいて「何らかの SNS ...


ネットで横行する「人格攻撃」という依存症【コメントライナー】

2020年01月03日 21時55分10秒 | 社会・文化・政治・経済

1/3(金) 時事通信

日本総合研究所主席研究員・藻谷 浩介◆

 現代人は、いろんな「依存症」に陥る危険がある中を生きている。タバコやゲーム、ギャンブル、SNS。

 加えて、「人格攻撃依存症」も要警戒だ。

自分だけの価値基準をふりかざして、他者を誹(そし)り、あるいは嘲(あざけ)り、その存在や人格までを貶(おとし)める。

多くの人には無縁のストレス解消法だが、罹患(りかん)者は相当数、存在する。

 ◇匿名で自由に

 攻撃衝動を身内や知り合いに直接に向ければ、パワハラ、虐待、あるいは、いじめといった犯罪行為になる。たまたま公道上で行き合った他の車のドライバーを攻撃するバージョンが、最近話題のあおり運転だ。

 だが、それらは例外で、同じ「人格攻撃依存症」を患っていても、大多数は、本人に聞こえない場で、悪口を言い募る程度で済ませてきた。

 しかし、ネット空間に匿名で自由にコメントを書き込める時代となり、同じ相手への人格攻撃コメントを大勢で同時に書くことが、はやり始めた。

 あたかも、仲間と一緒に行動しているような高揚感が得られ、しかも、自分が誰なのかは知られない。そうなると、群集心理で、攻撃行動はますますエスカレートしていく。

 攻撃対象は、当初は政治家、タレント、プロスポーツ関係者、あるいは時事の有名人など、人前に出てきて攻撃にさらされるリスクを仕事上、取らざるを得ない人だった。

 だが、次第にデマをきっかけに一般人をつるし上げる例も増え、さらには、対立する疑似コミュニティーメンバー同士の大規模ななじり合いも出てきている。

 ◇嫌韓と反日

 プロ野球の巨人ファン対アンチ巨人ファンといった例もあるが、特に巨大なのは、日韓それぞれにあって、お互いをなじり合っている疑似コミュニティーなのではないだろうか。いわゆる嫌韓、反日の応酬である。

 日韓関係についてのネット上の論評に寄せられるコメントの数は、桁違いだ。しかも、「さっさと日韓断交しましょう」というような極論が目立つ。

 そんな空気に水を差そうものなら、「反日だ」「韓国に帰れ」という罵詈(ばり)雑言が殺到する。筆者は日本のネット空間しか知らないが、韓国側でも大同小異の現象が起きているのではないか。

 言葉の壁から、日韓の直接応酬は難しいので、それぞれの国内で自分たちに同調しない勢力、つまり「人格攻撃依存症ではなく、それゆえに冷静に事態を見て行動しようとする勢力」の方に、攻撃が向くわけだ。

 年間2兆円近い経常収支黒字を韓国から稼いでいる日本にとって、韓国との関係悪化で得るものは何もない。

 逆に、中国や北朝鮮、ロシアにとっては、日韓の足並みが乱れ、米国が引き気味になることこそ、願ったりかなったりである。

 ◇指摘するだけで

 ホワイト国の認定取り消しなどの安倍政権の一連の施策は、嫌韓依存症の面々の大喝采を得たが、日本の国益を多面的に損ねてしまった。

 さらには、同じく韓国内で反日依存症の面々をあおっている文大統領の、落ち始めていた支持率までを、反転増加させてしまっている。

 というような事実を、公の場で指摘するだけで、勤務先にまで人格攻撃が殺到しかねない時代だ。

 「主張の内容を問わず、人格否定を伴う物言いは許さないし、取り合わない」という社会的な風潮を確立しないと、日本の自由主義体制の根幹が崩れていってしまいかねないのではないか。

 (時事通信社「コメントライナー」より)

 【筆者紹介】

 藻谷 浩介(もたに・こうすけ) 1964年生まれ。東京大学卒業後、日本開発銀行(現・日本政策投資銀行)入行。米コロンビア大学ビジネススクールで経営学修士。2012年より現職。平成合併前に全市町村を踏破。地域経済、観光、人口動態などに詳しい。公職、寄稿、テレビ出演、講演多数。「デフレの正体」はベストセラーに。近著に「世界まちかど地政学NEXT」「観光立国の正体」。 

 




10区区間新の創価大・嶋津は小説家ランナー

2020年01月03日 21時19分43秒 | 事件・事故

「主人公らしい走りができた」

 「箱根駅伝・復路」(3日、神奈川県箱根町芦ノ湖駐車場~大手町)

 創価大が9位に入り、初のシード権を獲得した。最終10区、11位でタスキを受けた嶋津雄大(2年)が区間新記録を19秒更新する1時間8分40秒の快走を見せ、2つ順位を上げた。これまでの最高順位は3大会前の12位だった。

【写真】まるで主人公!仲間に抱えられ引き揚げる嶋津

 真っ白の帽子をかぶり、苦しそうな表情になりながらも、嶋津は懸命に腕を振った。区間賞の力走でなんとかゴールテープを切り「安心しかない。シード権獲得できたので、うれしくて幸せです」。自然と涙があふれていた。

 初めての箱根路は、不安と緊張でいっぱいだった。7キロ過ぎ、左もも裏に突如違和感が走った。何度も何度も左足をたたき、不安を必死に振り払った。「足がつりそうで、どうなるか本当に分からなかったので」。1キロ3分のペースを守りながら、前だけを見た。沿道の声援に背中を押された。胸に光るのは、たくさんの思いを乗せた赤と青のタスキ。「主人公になりたい」-。その夢がかなった瞬間でもあった。

 ヒーローに憧れ、多くの人に影響を与えたいと、趣味で自らライトノベル小説を書いている。先日、陸上と異世界をテーマにした物語を書き上げたばかり。4月締め切りの電撃小説大賞にも応募を予定するほどの本格派だ。

 「どんな物語の主人公も、ピンチの時には勝つ。ここで勝てば主人公になれると思った」と嶋津。「区間新記録を取れた実感はない。たまたま区間新だった」と遠慮がちに語りながらも「主人公らしい走りができたと思う」と喜んだ。

 実はチームで書いている目標設定用紙には「俺の勝利を取る」と記し、自分がシード圏内でゴールテープを切るところまでを物語風に仕立てて枠いっぱいに書き込み、提出。榎木和貴監督も「嶋津ワールドです」と笑顔でたたえた。

 ヒーローらしく、誰かの背中を押したい。その思いも走りに込めた。遺伝性の目の病気である網膜色素変性症を患っており、暗いところが見えづらい。薄暗いところでは急に飛び出してくるようなものが見えにくく反応も遅れるため、特に冬は朝、夜の練習に制限があるという。まだ暗いうちから始まる朝練習は、集団走に入れない。電気のつくトラックや、体育館の周りを走ることで補ってきた。若葉総合高時代は、約70メートルの廊下を一人で何十往復もする練習を地道に重ね続けた。「一歩を踏み出せない人に勇気を与えられる走りができたと思う」。少しだけ誇らしげに胸を張った。

 まだ2年生。榎木監督も「2、3年生の今回入っていないメンバーも自己記録を更新し、レベルアップしている。来年はもうちょっと頑張りたい」と手応えを口にする。初のシード権を獲得し、創価大と嶋津が紡ぐ物語はまだ始まったばかり。“小説家ランナー”にすら描けないドラマチックなストーリーがこの先、見られるかもしれない。

 

 


罪を犯す人と傍観者は地続き」取材20年のネット事件簿

2020年01月03日 21時07分20秒 | 事件・事故

 「罪を犯す人と傍観者は地続きだ」--。出会い系サイトや自殺サイトなど、ネット上に居場所を求める若者や、それがきっかけで起きた事件を20年以上取材しているフリーライターの渋井哲也さんは、「ある瞬間までほかの人と変わらなかった人がつまずいた先に事件が起きる」と指摘する。自殺を望む女性に近づいて殺人を繰り返した座間事件や、出会い系サイトをきっかけに起きた監禁事件、自殺系サイトで一緒に死ぬ仲間を募る集団自殺などを取材。今年の夏に平成のネット事件史をまとめた新著「ルポ 平成ネット犯罪」(ちくま新書)を発表した。つまずいた若者たちを見てきた渋井さんは、「再チャレンジできない社会」に警鐘を鳴らす。【中嶋真希】

 ツイッターで自殺願望をほのめかす女性をターゲットに「一緒に死にましょう」などとメッセージを送り、近付いて殺害した座間事件。男女9人が犠牲になった。渋井さんは白石隆浩被告と面会し、著書「平成ネット犯罪」にその時の会話をおさめた。

 「恋愛には興味ありますよ。でも、理想が高いんです」「暇ですよね。今は、差し入れの漫画を読んでいます」--。9人も殺したとは思えないような、“普通の会話”だ。「猟奇的な殺人者のイメージはなかった」という印象を渋井さんも持ったという。

 「罪を犯す人と、遠巻きで見ている人は地続きだ」と渋井さん。「ある瞬間まではほかの人と変わらない。なのに、一度つまずいた時に方向性が変わって、その道の行く末に事件が起きる」。渋井さんは、この事件を「再チャレンジができない社会、あるいは、できないと思わせている社会の一つのモデルかもしれない」と話す。

 ◇逮捕されて社会的に排除された

 風俗スカウトをしていた白石被告は2017年2月、職業安定法違反で逮捕された。白石被告は渋井さんとの面会で、「すでに捕まっているため、もうスカウトはできない。ヒモになって女性に貢いでもらうしかない」と話した。その時の白石被告について、渋井さんは「スカウト時代に逮捕された時点で、社会的排除の対象となってしまった」と分析する。

 白石被告の家賃を払ってくれたり、金を貸してくれた女性に、ほかに好きな人ができたことがきっかけで事件は起きた。

 「自分がその男に負けてしまったら、金を返せと言われるかもしれない。家から出て行けと言われるかもしれない。そう思って女性を殺した。短絡的ではあるが、自分じゃない人を選んでしまうかもしれない、失ったものは取り戻せないかもしれないという喪失感を覚えていたのかもしれない」。白石被告はそこでつまずき、自分の力で解決することができなかったのではないかと渋井さんは言う。

 最初は生活に困窮して殺したが、金だけでなく性的欲求からも殺すようになり、9人が犠牲になった。

 どうすれば、白石被告の事件を防ぐことができたのか。渋井さんは、「誰も何もできなかっただろう」と言う。

 「白石被告はSOSを発する選択はしていなかったから。SOSを発していれば、福祉の選択はあったのかもしれないけど、おそらくそういう選択肢は彼の中になかった。もし同じような事件を今後防ぐとしたら、出所後に社会復帰を支援するNPO法人と結びつけることが重要になってくる」と話す。

 ◇“親目線”持たないで聞く

 渋井さんは、自殺したいと訴える若者や、売春する少女たちにも会ってきた。座間事件の取材では、「死にたい」と白石被告と連絡を取り合った女性にも話を聞いた。彼らに話を聞く際、決めていることがある。「親や警察、生徒指導のような目線で話を聞かないこと。“親目線”を持ってしまって『こんなことはやめるべきだ』と相手に言ってしまう記者もいた。それでは話は聞けないし、人は、(その行動が)正しいかどうかで動くわけじゃないから」

 「事件というのは、そうせざるを得なくて起きている」と渋井さんは言う。「あの瞬間にもっとこうしていれば、とか、別の選択肢があったのではということを考えすぎてしまうと、倫理観に走ってしまい、事件を客観視できなくなる」。著書でも、「どちらが正しいというジャッジはしていない。コミュニケーションのあり方についての変化について述べているだけ」

 ◇「SOSの出し方教育」に「もう出している」

 事件を防ぐためのネットの規制には疑問を感じている。ネット上での居場所がなくなれば、子供や若者の生きづらさは増すだけだ。「(現実社会での)コミュニケーションが上手な人が優位な社会になり、そうでない人が取りこぼされていくだけ」と危機感を示す。

 渋井さんは、ほかにも疑問を持っている政策がある。改正自殺対策基本法に基づいて進められることとなった「SOSの出し方に関する教育」だ。

 厚生労働省の自殺総合対策大綱には、「命や暮らしの危機に直面したとき、誰にどうやって助けを求めればよいかの具体的かつ実践的な方法を学ぶと同時に、つらいときや苦しいときには助けを求めてもよいということを学ぶ教育(SOSの出し方に関する教育)を推進する」とある。

 「子供たちは、SOSを出しているんですよ。そのSOSを感じられないのは、大人たち」。思春期の変化と見分けがつかないこともあるから、見逃してしまうのは仕方ないと指摘しながらも、語気を強めた。「でも、SOSの出し方を子供たちに教育するのではなく、自分たちが学べよ」

 
 

毎日新聞


17歳の女に誘い出された会社員男性

2020年01月03日 19時19分45秒 | 事件・事故

チェーンで殴られ40万円奪われる

1/3(金) 読売新聞オンライン

仙台中央署は2日、宮城県多賀城市や仙台市などの17~21歳の男女計6人を強盗致傷の疑いで逮捕したと発表した。


 発表によると、6人は共謀のうえ、昨年9月20日午前、仙台市青葉区国分町で、大阪市の会社員男性(25)らに言いがかりをつけ、チェーンで数回殴るなどしたうえでコンビニエンスストアに連れ出し、ATMで引き出した現金40万円を奪った疑い。男性は肋骨(ろっこつ)や鼻の骨を折る重傷を負ったという。

 6人のうち17歳の女2人が男性らと飲食店で出会い、食事に誘い出して犯行に及んだという。一部の容疑者が殴ったり金を奪ったりしたことを認めているが、男3人は犯行を否認している。

 




2020年、次の巨大地震はどこか

2020年01月03日 19時10分48秒 | 社会・文化・政治・経済

 新約聖書「ヨハネの黙示録」では、世界最後の日に起こる決戦の地を「アルマゲドン」と呼んでいる。そこから転じて、現代では破滅的な事象を示す言葉として使われるようになった。近年では、地震サイクルの例外的存在の巨大地震を「アルマゲドン地震」と呼ぶこともある。

アルマゲドン地震として記憶に新しいのは、マグニチュード(M)9.0を記録した2011年の東日本大震災だ。津波によって1万8000人以上の死者・行方不明者を出した。同規模の地震は500年に1回とされるが、今、日本で東日本大震災クラスの地震が「切迫している」と地震学者から警戒されている地域がある。産業技術総合研究所の宍倉正展・海溝型地震履歴研究グループ長は、こう話す。


「警戒されているのは、北海道東部(太平洋沿岸)を襲う千島海溝で起きる地震です。この土地に古くから住むアイヌ民族は、文字で歴史を伝承する文化を持っておらず、過去の巨大地震についてわからないことが多かった。それが、地層を調査した結果、平均400~500年の間隔で巨大地震が発生していたことがわかりました。前回の巨大地震は1600年代前半で、発生から約400年が経過しています。次はいつ起きてもおかしくない時期に入っています」

 気になるデータもある。根室市にある検潮所で年間の平均潮位を調べると、1年で1センチのペースで沈降している。これは、日本の他の潮位観測所と比べて早いスピードだ。

「地震前に地盤が沈降することは以前から知られていましたが、近年では巨大地震が近くなるにつれて地盤が下がるペースが早くなると考えられています。東日本大震災の前には、岩手県釜石市でも年間約1センチのペースで地盤が下がっていました。日本の他の地域で、北海道東部ほど地盤が急速に下がっているところはありません」(宍倉氏)

 これまで予想されていた巨大地震といえば、東海から九州地方太平洋側の南海トラフのエリアだとされてきた。それが、政府の地震調査委員会も、17年からは千島海溝沿いの巨大地震について「発生が切迫している可能性が高い」と分析し、今後30年以内の発生確率を最大40%としている。

警戒すべきはアルマゲドン地震だけではない。ここ数年は熊本地震(2016年)、大阪北部地震(18年)、北海道胆振東部地震(18年)など、内陸部の直下型地震が相次いでいる。一般的に、内陸部で発生する地震は活断層帯が動くことで発生すると思われているが、それは正確ではない。

「断層が地表にあらわれる規模の地震は、おおよそM6.8以上が目安とされています。裏を返せば、それ以下の大きさの地震は、地層に痕跡が残りづらい。大阪北部地震や北海道胆振東部地震も、既知の活断層帯からやや外れた地域で発生しています。『活断層帯から外れているから地震は心配しないでいい』というのは間違いです」(宍倉氏)

 日本に住んでいる限り、地震から逃れることはできない。そこで必要なのは、日ごろから防災意識を持ち、備えをしっかりしておくことだ。

 現在でも地震によるケガの原因の約30~50%が、家具類の転倒や落下によるものだ。すべては難しくても、寝室や居間にある家具だけでも固定するだけで効果は大きい。大阪北部地震では、ブロック塀の倒壊で登校中の女児が亡くなった。日ごろから危なそうなブロック塀がある場所を把握しておき、いざという時に近づかないようにしたい。

 強い耐震能力をうたった高層ビルやタワーマンションも多いが、だからといって建物が揺れないわけではない。むしろ、大きな地震の場合は高層の建物がゆっくりと大きな幅で揺れ動く「長周期地震動」が発生する場合がある。家具や家電製品を固定していなければ、ケガの危険だけではなく、ドアをふさがれて逃げ場を失う可能性もある。キャスター付きの冷蔵庫は、部屋の中を速いスピードで動きまわる可能性もある。最新の耐震設計だからといって、安心してはいけない。

 発災後に避難所生活になった後も、注意が必要だ。東日本大震災では18年9月までに災害関連死で3701人が亡くなっている。復興庁の調査では、12年3月までに調査対象1263件のうち51%にあたる638人が避難所での肉体や精神的疲労が原因で亡くなったという。避難所・避難生活学会の水谷嘉浩理事は、避難所での生活のリスクをこう説明する。

被災すると、恐怖や不安がもとで精神的ダメージがあるだけではなく、体育館に雑魚寝の避難所では、さらに不眠や疲労の蓄積で肉体的ダメージも受けてしまいます。高齢者に限らず、健康に問題ない人でも、突然エコノミークラス症候群で亡くなることもあります」

 避難所では、簡易ベッドを利用すればエコノミークラス症候群やホコリの吸引を防ぐことができる。災害時に出される菓子パン、おにぎり、カップラーメンといった食事が続くと高血圧・高血糖値で持病が悪化する危険性も高まる。そこで、避難所で安心して生活するためには「TKB(トイレ、キッチン、ベッド)」を48時間以内に準備することが重要となる。水谷氏は続ける。

「避難所への支援で先進的な取り組みをしているのがイタリアで、専門の訓練を受けた民間の職能支援者が約300万人います。衛生管理の知識を持つ調理師も、発災から数時間で派遣される仕組みになっています。日本のように菓子パンとカップラーメンではなく、発災後すぐにキッチンカーで避難所に向かって、パスタや肉料理、野菜などのバランスのとれた温かくて美味しい食事を提供します。イタリアのような取り組みをするためには、日本全体で避難所の環境改善を考えなければなりません」

 政府が対策をしていないわけではない。避難所の運営は原則として市区町村の自治体が運営することになっている。それが、大きな災害になって国が定める災害救助法が適用されると、救助に必要な部分の費用は都道府県や政令指定都市、国が負担することになる。『自治体職員のための災害救援法務ハンドブック 備え、初動、応急から復旧、復興まで』の著書がある岡本正弁護士は、こう話す。

「同法が適用されることで、政府は自治体向けに避難所環境の整備などについて様々な『通知』を出します。実は、そこにはトイレや食事、ベッドなどを準備するように明確に書かれています。しかも、必要な費用は法律にもとづき国や都道府県が負担することになるので安心です。しかし、現場で避難所を運営している自治体職員やボランティアらでも、そのことを知らない人が多い」

内閣府が作成した「避難所運営ガイドライン」にも、「復旧期(4日目以降)は、簡易ベッドを確保すること等が期待」、「すべての被災者が安心してトイレを利用できるよう、障害者や女性等の意見を積極的に取り入れる」と書かれている。にもかかわらず、日本では避難所生活を原因とした災害関連死が多いのはなぜか。岡本氏は言う。

「日本では『被災者はガマンするもの』という考えが強く、避難所の環境に不満があっても声に出さない人が多い。被災者も、避難所を運営するスタッフも、災害救助法や国が示したガイドラインをよく理解し、『トイレが足りない』『ちゃんとした温かい食事を出してほしい』という要望が、健康を守るために必要であることを知ってほしいと思います。それは、平時からの避難所運営訓練の質の向上や、備蓄品の充実にもつながってくるはずです」

 いざという時のために、一人ひとりが避難所運営のガイドラインを知っていることが、自らの健康を守るための武器になる。

 前出の宍倉氏も、災害から自らを守るためには「知識が必要」と話 す。

「自分の住んでいる地域は過去にどのような災害があり、どのようにして街ができたのか。地震、洪水、土砂崩れなど、地域の災害の歴史を知ることで警戒すべきところがわかり、心構えや準備ができるようになります」

 天災は避けることはできないが、被害は減らすことができる。一年のはじまりに、「知識の備え」も十分にしておきたい。(AERA dot.編集部・西岡千史)





私の性暴力被害体験 その回復と葛藤

2020年01月03日 19時04分25秒 | 事件・事故

2019/12/30(月) 

監禁、レイプされながら何とか生き延びた

〔はじめに〕
 いかに掲載するのは月刊『創』2018年11月号に掲載した高橋ユリさん(仮名)の手記だ。彼女が最初に編集部に連絡してきたのは、別に掲載した集団レイプ事件被害女性の手記を読んだのがきっかけだ。その別の女性の手記もヤフーニュース雑誌に再掲したのであわせてご覧いただきたい。   (編集部)

 私は、集団レイプの被害者です。
 その被害は今から25年以上前、私が当時16歳の時に起きました。高校2年になる直前の春休み、家庭環境が複雑で、家に居場所のなかった私は、地元から少し離れた場所に住む先輩を頼って、泊めてもらおうと駅の近くで待っていました。
 もう3月なのにとても寒い日でした。当時は高校生が一人で時間を潰せる場所もあまりなくて、同じところを行ったり来たり……。うつむきながらあったかい缶ココアを飲んでいたのを覚えています。
 スッと車が横にきて、「送っていくよ」と声をかけられました。「大丈夫」と返事をするのと同時に後部座席に引きずりこまれ、そこには2人の男が乗っていました。男たちは、私が持っていた缶ココアをシンナーだと勘違いしたらしく、「なんだよ、シンナーじゃねぇのか。じゃあ、これ吸えよ」とシンナー入りの缶を差し出しました。
 驚愕と恐怖からか、その後、その男たちとどんな会話をしたのか、私がどんな態度をとったのか、詳細に思い出すことはできません。ただ、缶ココアを取り上げ笑いながら車外に放り投げた時の缶の音。被害を受けた場所の淀んだ空気。シンナーとたばこの匂い。豆電球のあかり。「女いるから来いよ」と電話をかける男の後ろ姿……まるで静止画をみるように、感覚として残っています。そして「いっそ殺してほしい」と願ったこと、でもそれ以上に強く「生きたい」と願ったこと。そんなことをぼんやり記憶しています。
 いわゆる不良のたまり場であったその場所に、何日監禁されていたのか、のべ何人にレイプされたのか、今となってはもうわかりませんし、知りたくもありません。
 でも私は生き延びました。

 解放されたのは、その男たちの一人にそこから連れ出されたためでした。「俺のものになれ」という条件と引き換えに、その場から逃げだすことができました。
 でも、そのことが後から自分を責める原因になり、長い間苦しむことになりました。見知らぬ男たちに突然拉致され、レイプされる。それは無力な16歳の少女には仕方のなかったこと。でも……助かるためとはいえ、あの男について行ったのは自分でした。
 あの時逃げられれば、警察に行けたかも。誰かに話せたかも。その前に、先輩に連絡がとれていたら。そもそも家出なんてしなければ……。
 でもどんなに考えても「仕方がなかった」に辿りつく、自問自答の日々が続きました。
 春休み明けの新学期、クラスメイトと一緒にいながら感じた、違和感。果てしない距離感……。今まで、あんなに楽しかった何気ない会話が別世界のことのように遠く感じました。
「私はもう、ここにはいられない」
 それから不登校になり、結局退学することになりました。
 性暴力やDVの被害者を「サバイバー」と呼ぶことがありますが、特に被害後の2年間は私にとって、まさにサバイバルな毎日でした。被害時と同じように、半分乖離したような(うつろな)状態で日々を過ごしました。
 自分の汚れた身体では、もう元の自分には戻れない。私の中で「家には帰れない」という思いが強かったため、家出を繰り返し、ときには公衆トイレで眠ることもありました。家出しているとき、「どうしたの?」と優しい声で話しかけてくる大人は、ほとんどが性搾取しようとする大人たちでした。「いくら?」「泊めてあげようか?」……。
「どうせ汚れてしまったんだから」と自暴自棄になることもありました。当時の私には、安全と思える場所も、安心を与えてくれる大人もいませんでした。そして、助けを求める知恵もありませんでした。被害前の子ども時代を振り返っても、学校で、月経や妊娠のことは教わっても、セックスに対する知識や、こんな被害に遭った時「どうすればいいか」を教わることはなかったし、性に関することは暗黙のタブーでした。

「やっぱり生きたい」という願いと希望

 被害から2年ほど経って、母に被害を打ち明け「忘れなさい」と言われた時、完全に、その記憶は一時凍結状態になったのだと思います。「私が黙っていれば、忘れさえすれば、きっと普通に生きていける」と。実家に戻り、やりがいのある仕事を見つけ、忙しい日々を送りながらも、心にはいつも空虚と不安がありました。被害に関連することやニュースにはできるだけ触れないように。何もなかったように振る舞えるように感情を殺して……。
 フラワーデザイナーとして花と向き合う瞬間だけ、本当の自分になれる気がして仕事に没頭しました。高校中退によって諦めてしまった夢や人生を取り戻さなきゃ、と必死でもがいていた気がします。
 被害から10年後、デザイナーとしてのキャリアを積むため海外留学を経験し、
「もう大丈夫。私は過去に縛られたりしない」と少しずつ自分に自信が持てるようになった頃、結婚を意識するような彼ができました。婚約後のブライダルチェック(婦人科検診)で不妊症と診断され、「若い頃の性病を放っておいたからでしょうね」という女医の言葉がきっかけで、心の奥に鍵をかけて押し込めていた“レイプ被害の記憶”というパンドラの箱はあっさり開いてしまいました。

 毎日続く悪夢とフラッシュバック。
「こんな私なんか、あの時殺されていればよかった」という想いがいつも頭から離れず、繰り返す自殺未遂。生きている感覚を確かめるため、また反対に、自分に罰を与えるために脅迫的にやめられないリストカット。「おまえのせいだ!」と母に浴びせる罵声。婚約者は支えてくれようとしましたが、結局、結婚は破談になりました。今となっては、この結果が正しかったのだと思います。
 複雑性PTSDと診断され、被害に遭った3月前後は特に症状がひどいために、3年連続で精神科に入院し、その間に集中してPTSD治療を行いました。
 カウンセリングの途中で乖離してしまい、治療を中断することもしばしば……という辛い治療でしたが、いま振り返ると、その原動力になっていたものは「やっぱり生きたい」という願いと希望だったような気がします。
 その希望は、あんなに恨み、憎んでいると思っていた母が与えてくれたものでした。
 最後の自殺未遂。診察でもらった精神安定剤や睡眠薬をこっそり貯めこみ、胃洗浄(薬を取り除く処置)しても間に合わない時間を逆算して周到に準備した計画。3日間意識が戻らない状態から奇跡的に後遺症もなく生き返ったとき、私が最初に見たのは病室の床に小さくなって寝ている母の姿でした。「もう、こんなことはやめよう」……まるで呪縛からとけるように自然にそう思えた瞬間でした。同時に「私は母から愛されていなかったわけではない」と思えた瞬間でもありました。
 その日を境に、「死ぬこと」へ向かう日々から「生きること」に向かう日々が始まったのです。
 20代の、パンドラの箱を抱えながらがむしゃらに走る日々とは違って、一歩一歩、カメ並みに進むような回復までの長い長い道のりでした。少し進んだかと思うと、すぐに逆戻り。いま現在もまだ、その道の途中だと思います。
 “死にたい病”はなかなか厄介で、トリガー(被害を想起させる出来事)に何度もつまづきながらも治療を続け、家族や治療者、周囲の支えてくれる人たちに少しずつ心を開いてゆきました。注意深く心を開くのと同時に、安全や安心などまったく感じられない、と思っていたこの社会が実はそうでもない、ということに気づき始めてもいました。性暴力被害者を支援する団体がいくつも存在することを知り、「いつか、もっと元気になったら私にもできることがあるだろうか…」と、いつしか考えるようになりました。

性暴力被害者の声を届けるための活動

 そして、治療を始めてから10年近く経った頃、性暴力被害者支援員の養成講座に申し込み、講習を受けることになりました。以下は、その当時の想いや葛藤をカウンセラーにメールで綴ったものです。
《レイプ被害のことを母に伝えた時、「誰にも言ったらダメ。早く忘れなさい」と言われて「あぁ私はやっぱり人に言えないことをされたんだ。恥ずかしいことなんだ」と思って生きてきました。私に限らず、性犯罪被害者は少なからずこのような二次被害を受けていると思います。
 母として、娘を思う心配からの言葉なのでしょう……でも、とても傷つきました……。
「どうして被害者の私が、辛い苦しいと声に出来ず、後ろめたいような気持ちを抱えて生きていなければいけないんだろう……」
「なかったこととして忘れて生きるのが本当に幸せなこと?」そんなことできるはずないのに…と、ずっと理不尽な想いを抱えていました。
 レイプ被害にあった私は隠れていなければいけない存在なのか? 被害があってもなくても、私は私なのに。それは被害者からすれば、自分を否定されているような気持ちになるのです。そして“被害をなかったことにすること”それは、加害者を野放しにして、更なる加害の可能性を与えてしまうことではないのか、とも思いました。
 私はもう恥じて生きたくないんです。恥じるべきなのは加害者のほうです。だから、この性暴力被害者支援の講座に参加したのかな、とも思います。被害に遭った私でも、そのままの私でいいのだと思えるようになるために。
 時代的に性暴力サバイバーも声を挙げられるようになってきました。まだまだ偏見や無理解はあるけれど、被害をなかったこととして生きるのではなく、サバイバーとして生きていく選択ができる時代になってきたのだと思っています。
 不妊の原因が性暴力被害にあることがわかって、心の奥にしまっていたパンドラの箱が開いてしまい、そこからPTSD発症…という経緯を辿った私にとって、決して被害のことを忘れて生きることなどできません。子どもがいないという事実を認識する度、それを避けて通ることはできないからです。
 記憶喪失にでもならない限り、私たち性暴力サバイバーにゴールはありません。
 もしゴールがあるとしたら…それは私が私らしく生きることです。笑って泣いて大好きな人と過ごす、そんな当たり前の生活ができることです。幸せになる権利が私にもあると思えることです。
 でもやっぱり葛藤は大きいです。自分の傷を癒すために支援する立場になりたいのか…当事者だからできることがあるなんて、直後の被害者からすれば、傲慢じゃないのかとか…もちろん怖さもあります。
 PTSD治療のただ中にいる頃は、支援者になることなど想像もつきませんでした。でも、「当事者の私だからできることもあるかも…」と今回、性暴力被害者支援員の講座を受けたことは、被害者である自分を受け入れるということでした。そして、この辛い体験を無駄にしたくないという想いもあります。
 また、ある意味で母からの自立でもありました。母がどう言ってもどう思っても、私は私の生きたい人生を歩むのだ…と。
 受講中の心の揺れも、もちろんありました。講師は…性犯罪被害者支援に関わる方々、私と同じ当事者、警察関係、検事、弁護士、精神科医、婦人科医などなど様々なのですが、もちろん揺れたのは 当事者の話です。
 私とケースが似ていたせいもあったと思いますが、彼女の「どんな事件だったか」の内容の話では、緊張しました……でも、フラッシュバックもなく予想以上に落ち着けていました。
 それより揺れたのは、彼女が「最後に残った課題は母親との関係でした」と言ったときでした。「あぁ…やっぱり」と思って涙が出そうになりました。彼女も母親に私と同じような言葉をかけられていました。「忘れなさい」と。きっと彼女も私と同じような心の葛藤を経てここに居るんだと思うと…辛いというより共感の涙だったと思います。
 とにかく、先生、いろんな葛藤がありながらも講習は無事終わりました。今日はとにかく自分をたくさん褒めてあげたいと思います。
 最後に最近、毎日繰り返し読む、アファメーション(肯定的な断言)の言葉です。
「自分は生きるのに、あたいする人間です。
 自分は、自分のままでいいのです。
 自分は愛するに、あたいする人間です。
 自分は、自分の居所をつくっていいのです。
 自分を、うんと好きになります」
(『今日1日のアファメーション』西尾 和美著より)
 大好きな人と結婚して、やりたい仕事を見つけて、過去も受け入れて今、やっと自分のままで、自分の居場所を見つけられそうな気がしています。》
 最後に。いま私は、仲間とともに、性暴力被害者の声を届けるため、当事者としての活動をしています。性暴力被害者がその被害を“なかったこと”にして生きなくてもいい社会の実現をめざして、私らしく、一歩ずつでもカメのように粘り強く進んでいきたいです。

 

【関連記事】




貧困・虐待…家出少女たちのリアル

2020年01月03日 17時49分15秒 | 事件・事故

1/3(金) 女子SPA!
性を搾取されても「自由でいたい」

「家には帰りたくない」――栃木少女連続監禁事件で、犯人宅から発見され保護された少女の言葉に、衝撃を受けた人も多いのではないでしょうか。

⇒【写真】今回お話をきいた鈴木大介さん

10代少女が巻き込まれる事件の背後には、少女たちの声にならない訴えが潜んでいることも少なくありません。ただ、明るみになるのは氷山の一角。今この瞬間にも、どこかでサバイブしているかもしれないのです。

 そんな10代の家出少女たちを長年に渡り取材し続けてきた鈴木大介さんは、これまで『最貧困女子』(幻冬舎新書)や『家のない少女たち 10代家出少女18人の壮絶な性と生』(宝島社)などのノンフィクション作品で、家出少女の実情を世に伝えてきたルポライター。このたび、ひとりの家出少女の半生を物語として綴った『里奈の物語』(文藝春秋)を11月27日に刊行しました。そこで、家出少女の真の姿に迫るべくお話を聞きました。

「自由を奪わないなら助けてほしい」

――家出少女たちを長年に渡り取材されてきたのはなぜですか?

鈴木大介さん(以下、鈴木)「家出少女への取材は、2000年代前半のミドルティーンのプチ家出ムーブメントを機に始めたのですが、少女たちの中に、数ヶ月間家に帰っていない本気の家出少女が混在していることに気付いたんです。夏休みに1~2週間ほど家出をして遊びまわるプチ家出とは違い、夏以外の過ごし方や住む場所、経済面などたくさんの問題があり、どうするのか気になったので、追い続けることにしました」

――彼女たちはどのように過ごしていたのでしょうか?

鈴木「本気の家出少女たちには、身の危険を伴う虐待や貧困、一切の自由を奪うような過剰な束縛、飢えを感じるような育児放棄など、家庭に極めて深刻な問題を抱えているという共通点がありました。そのため、深夜に街中を歩いて補導されれば、親元に帰されるという恐怖があります。

 でも、家を飛び出したはいいけれど、未成年なので、賃貸住宅はおろか携帯電話すら契約できない。そんな環境を自力で生き抜くために、日々売春をして、毎日をラブホテルで過ごしていたり、売春やナンパを介して知り合った男の家を転々としているようなケースが多かったんです。

 そんな中で、最も彼女たちにとって都合の良い環境の提供や理解を示すのが、援助交際や組織売春のスカウトか、すでにそこで働いている同環境の少女たち。結果として、アンダーのセックスワークに回収されていくことが、彼女たちの不適切なカタチでのセーフティネットになっていました」

彼女たちが「福祉」を信頼しないわけ

――福祉などの支援に頼ることはできなかったのでしょうか?

鈴木「家出少女は児童福祉の対象ですが、実際は福祉と非常に折り合いが悪いんです。第一に、彼女らの多くが飛び出してきた元来の居所で問題行動を繰り返しているケースが多く、地元の児童福祉に何度も接触し、その都度満足のいく支援を受けられなかったり、理解してもらえないどころか懲罰の対象とされたり、劣悪な環境の家族に無理やり戻された経験があるから。

 加えて、彼女たちは、たとえ自分の性を搾取されても、劣悪な環境であっても、自力で生きていることや、自分で自由を勝ち取ったことは誇りであり、誰にも侵されたくないと思っている。なので、彼女らの真情を理解しない一方的な支援の手に、過剰なほどの反抗心をみせる傾向があるからです。

 徹底的に自由を奪われ続けてきたから、やっと手に入れた自由を、もうひとかけらも奪われたくないんですよね。だから、親元に戻されたり、福祉という枠の中に再び閉じ込められたりすることを、何よりも拒絶するんだと思います。『一切自由を奪わないでくれるなら、助けてほしい』というのが、彼女たちの本心だったようにも思います」

家出少女はかわいそうなだけの存在ではない

――これまで、10代少女とセックスワークの関係性は、福祉や社会の視点からしか語られてこなかったと思います。鈴木さんが取材で感じた、彼女たちの思いを教えてください。

鈴木「もちろん、彼女たちは好きでセックスワークをしているわけではありません。そんな中でも、ただやらされるだけではなく、自分の力で自分の道を切り開くために、常に自分なりの“許せること”と“耐えられないこと”のバランスを取って、主体的に戦っています。だから、『かわいそう』とも思われたくない。

 そして、その戦いの中で、被害者像に傾くときもあれば自由を得るときもあるというのが、リアルだと感じます。戦略を立て、何かと引き換えに得た自由から、勝ち取ったという達成感や、自力で生きているという尊厳も得ていて、いわば『買われているのではなく、売ってやっている』という思いがまず根底にあり、場面によっては『セックスワークをやらされている』思いが併存している感じです。

単純な善意や常識は、彼女たちの邪魔でしかない

――世間一般では、「やらされている」だけの「かわいそうな被害者」として語られることが多いと感じます。

鈴木「僕がこれまで手掛けてきたノンフィクション作品でも、被害の像がブレないように、かわいそうなところを強調してきました。それは、『好きてやっている』とか『自業自得』とかって、差別されたり、自己責任論に貶められたりしないためです。決してそうではないから。

 ただ、『里奈の物語』のモデルとなった家出少女の話を聞いたときに、単純な善意や常識的な理屈は、彼女たちにとって邪魔でしかないんだと、価値観そのものを覆されたんです。そこから2年かけて里奈とその周囲に生きた人々の生き抜いてきた歴史を取材し、『里奈の物語』に行きつきました。

===================

 過酷な環境下で、自身の性を搾取されながらも、自由を求めて必死に生きる家出少女たち。かわいそうな存在として取り上げられてきた彼女たちのリアルには、きれいごとでは語れない思いが渦巻いているとのことです。そんな少女たちを長年取材してきた鈴木さんの価値観をも変えさせた里奈とは、一体どんな少女だったのでしょうか?

 次回、『里奈の物語』の背景と里奈という少女について聞きました。

鈴木大介著『里奈の物語』(文芸春秋、11月27日刊)

【鈴木大介さんプロフィール】

1973年、千葉県生まれ。文筆業。長年にわたり、裏社会、触法少年少女らを中心に取材し、著書に『再貧困女子』(幻冬舎新書)『家のない少女たち』(宝島社)などのノンフィクション作品がある。

<文・取材/千葉こころ>

【千葉こころ】
ビールと映画とMr.Childrenをこよなく愛し、何事も楽しむことをモットーに徒然滑走中。恋愛や不倫に関する取材ではいつしか真剣相談になっていることも多い、人生経験だけは豊富なアラフォーフリーライター。

【関連記事】

 

 

 

 


静止画像より動画が有する魅力

2020年01月03日 10時55分21秒 | 社会・文化・政治・経済

当方の携帯電話では、ラインができない。
電話とメールだけだ。
「ラインは便利だよ」と友人たちは言うのだが・・・
家人のスマフォのラインに筑波山の初日の出の動画が送信されてきた。
初日の出をバックに孫の映像も。
「何て可愛いの!笑っている」と浅草の神谷バーで家人は繰り返し画像を見ていた。
静止画像より動画が有する魅力を改めて感じているようであった。
義理の姉が50代で亡くなってから、姪の二人の娘を孫のように可愛がってきた家人である。
現在、二人とも大学生になったが、「おばあちゃん、何処へいったの?」と告別式の日に姪の幼い娘たちが言っていた。
家を新築して、僅か3か月で妻が逝ってしまったので、義兄があえて挙行した自宅での告別式であった。
電気ブランを飲みながら、そんなことも思いだされた。
当方の両親の葬儀に唯一参列してくれた義理の姉であった。
両家が断絶状態になった苦い過去のことである。
断絶と言えば、相続問題のからみで、父の葬儀には母親の親族は1名も参列していない。


紅白史上最低37・3%、リハから欠けていた高揚感

2020年01月03日 09時21分11秒 | 社会・文化・政治・経済

大みそかに令和最初の紅白として放送された「第70回NHK紅白歌合戦」の平均視聴率が、37・3%(2部)となり、紅白史上最低だったことが2日、分かった(ビデオリサーチ調べ、関東地区)。

【写真】赤いドレス姿で紅白審査員を務めた渋野日向子

リハーサルの取材現場でも「紅白の高揚感がなくて戸惑う」という声が聞かれていただけに、ショックな結果ではある。

  ◇  ◇  ◇

本番前日に行われる全体リハーサル。出場者が一堂に会し、オープニングとエンディングの段取りを確認するハイライト行事だが、幕が開き、勢ぞろいを見た瞬間、取材席がざわついた。「なんか、スカスカじゃない?」。例年、大階段やステージの両袖まで華やかに埋まるのだが、今回はちょっとコンパクト。見た目に心細く、取材陣からも「独特の高揚感がない」「視聴率は大丈夫だろうか」と心配する声が聞かれた。

全体リハには律義に出席してきたタイプのベテラン歌手が欠席していたのも衝撃だった。終了後「あの人もいない」「この人もいなかった」と、取材者の間で出欠確認の輪ができた。NHKが欠席を許しているのだから構わないとはいえ、リハにこそプロ意識と緊張感が表れる。神回といわれた前回からの祭りのあと感もあるのかもしれないが、なんとなくさみしい。

出場歌手は平成以降最も少ない42組にし、新国立競技場の紹介や、ディズニー映画コーナーなど企画枠を増量。個人的には、歌の真剣勝負が企画で寸断されるのは、音楽番組としてしんどいと感じた。コント番組「LIFE!」を中心に、自局の複数の番組をベースにしたコントコーナーに力を入れていたが、そもそも視聴率数%の番組であることを考えると間口が狭く、番組のマニア以外にはザッピングチャンスになってしまう。

実際、受け手も熱中しにくかったのか、SNSも思ったより跳ねなかった。Yahoo!リアルタイム検索アプリの推移を見ながら視聴していたが、フルゲージで赤くなっているのは日本テレビ「ガキの使い」の方。紅白は意外なほど青のままの時間が多かったのは驚いた。

AI美空ひばりの紅組出場、米ロックバンド「KISS」の登場、ビートたけしの「浅草キッド」、ユーミンの「ノーサイド」歌唱など、豪華なアプローチは多々あり、個別の感動はあった。一方、逆にまとまりと決定力に欠けたようにも感じる。チーフ・プロデューサーの囲み取材が「スピッツの出演は」くらいであまり質問が出ず、終了してしまったのは象徴的だ。取材の最前線にいても、ポイントがぼやけた見どころ。視聴者も、敏感に感じ取っていたのだと思う。

ラグビーを盛り上げたリトグリの歌唱のド迫力に圧倒されたし、各種チャートを席巻した初出場菅田将暉の「まちがいさがし」も感動があった。大きくイメチェンした氷川きよしが竜に乗って歌う限界突破な歌声とパフォーマンスは、プロってすごい、紅白ってすごいと、わくわくと見た。特にファンでない人をもくぎ付けにする力が、歌と歌手にはある。やはり紅白は、「歌合戦」メインで見たいと思うのだ。

【梅田恵子】(ニッカンスポーツ・コム/芸能記者コラム「梅ちゃんねる」)

 




2020年1月2日皇居の参賀へ向かう人の光景(和田倉風水公園から)

2020年01月03日 09時08分33秒 | 日記・断片

国民的行事の箱根駅伝とやはり皇居へ続々と向かう群衆の列。

父母と姉の4人で我が家族も、大田区からやってきた小学生の頃が思い出された。

母にとって、拘りの一般参賀だったのだろう。

--------------------------

一般参賀には,天皇皇后両陛下始め皇族方のお出ましを心待ちにして,全国各地から大勢の方々がお集まりになります。

お出ましになられた際に,宮殿・長和殿中央付近において,大きな旗やのぼり等を高く掲げて奉祝をされますと,後方や周囲にいる方へのご迷惑となることがあります。また,両陛下始め皇族方のお姿を全国に伝える報道取材にも支障を来すことがあります。

一般参賀に来られる皆様には,両陛下始め皇族方のお出ましに際し,長和殿中央付近で大きな旗やのぼり等を高く掲げることがないようお願いいたします。

 

箱根駅伝1区大手町2020年1月2日

2020年01月03日 08時25分51秒 | 日記・断片

過去には、取手駅発午前5時前後の電車に乗って、東京・大手町へ向かったこともある。

箱根駅伝のスタート地点(読売新聞社)の光景を見るためだ。

まだ、暗い中なのに、多くの人がスタートを待つ選手や大学関係者の様子を見守っていた。

現在は、そんな気持ちになれないので、1月2日は午前6時10分の電車に乗って大手町へ。

 


1月2日の浅草

2020年01月03日 03時44分18秒 | 日記・断片

神谷バーへ最初に行ったのは、会社の懇親会であった。
女性社員たちも酒好きなので、2杯飲む。
「3杯はダメ」と上司が言う。
その後、ほうずき市へ行く。
ふと、思い出したが、浅草と言えば、性病の取材で浅草の病院へ行ったこともある。
何時も人であふれる浅草の陰の部分であっただろうか。

 

7月9日・10日、浅草寺境内を彩るほおずきの屋台は、浅草の夏の風物詩である。
この両日は四万六千日の縁日であり、縁日にともなってほおずき市が催される。

四万六千日・ほおずき市

 


浅草の追憶

2020年01月03日 02時47分16秒 | 日記・断片

浅草は一時期観光客に不人気でさびれ時期もあった。
現在では考えられない。
それは、熱海がさびれたことと重なり、なぜなのか?と思ったことがある。
社員旅行で一番多く訪れたのが熱海であり、仕事で何度も熱海へ行った。
当時、熱海で出会った歯科衛生士のことが思い出された。
その縁で、広島へ3度行く。
日帰りの日程であったが、「今日は、広島に泊りませんか?」とその人から誘われた。
食事の後、相手は酒が飲めないので、次の店を行く際に当方の<話相手に>と酒が飲める友人を誘う。
その人も歯科衛生士だった。
楽しい酒の席の語らいであったが、結局、新幹線の最終で東京へ戻る。
そして、逢いたい人が居た浅草のパブスナックへ。


箱根駅伝はまさに国民的行事

2020年01月03日 02時02分46秒 | 日記・断片

駅伝のスタート地点の大手町からすでに、追いかけのために走り出す人々を尻目に東京駅の写真を映す。
皇居へ参賀へ向かう人々とすれ違う。
応援のために沿道を埋め尽くす人の波がまばらになる場所があることは、おそらく皆無であろう。
今は、スマフォで選手たちの走る映像がリアルタイムで観ることができる時代である。
ラジオ放送で走る様子を聴いていた時代を想うと隔世の感がある。
電車で追いかける人たちの姿や会話。
駅の改札口からいっせいに走り出す人々の後ろ姿を見ながら、マイペースで歩いて行きながら、「そんなに焦ることはありません」とあくまで自分流を貫く。