毎日が怖い、自分が嫌い…
菜保子さんの自殺後、11月16日に両親がみつけた日記は次のようなものだった。
報道では、日記の内容がわずかしか紹介されていなかったので、テレビ(TBS「News23」(2017年5月29日放映)、NHK「クローズアップ現代」(2017年7月18日放映)など)の録画画面に映った日記から筆者がメモしたものを大幅に加えた。
「もうやだ…あんなに学校が楽しいって思ってたのに…たのしくない
気づかってばっかで自分がだせない。自分の性格もきらい。いやだ…
…がいなかったら、自殺してた。ありがとう。あと、ごめんね。本当に…なんか変わっちゃった。どうしたの?自分は何もしてないのに
ひどい…。傷つく。ストレスがたまる。
気分屋がきらいって…言ってたけど…
おまえもだよ なんにも自覚してない
…には、めいわくかけてると思う
あまり うちといてもたのしくは…
ホッとしたい。
明日は、ぼっちにされるのかな?
それとも上手くすごせるかな?
不安。
…大丈夫。大丈夫って、自分に言いきかせても、目に涙があふれてくる
それを自分でごまかそうとしている。
いや…ごまかしている。
目は涙目だけど。
おねがい
…これ以上苦しめないで。
…苦しい、悲しい、さびしい」
「いやだ もう 学校きらい…3年のある日突然から。2年は、こんなことなかった」
「ピアノも 勉強も 友達も なにもかもが上手くいかない。だから死にたい」
「いじめられたくない。ぼっちはいやだ」
「(他の女子生徒の名前)お願いだから、耳打ちは、やめて おねがい。本当に」
「毎日が怖い。今日はうまくいくのかいかないのか。家に帰ってからも、そのことばかり考えて、疲れた。明日も(ひとり)ぼっち?それとも上手くいくのかなって…怖くてしかたがない。毎日、不安な夜を過ごしてる。疲れがピーク」
「友達が居なくなるのが怖い、本当にこわい」
「おねがい…私を一人にしないで。おねがいだから。今日みたいな日が毎日だったらどれだけ楽しいか。(複数の女子生徒の名前)…」
「…にもんくばっか言ってる。自分が嫌い。死にたいくらい」
報道を読むかぎりでは、加害者たちが行った一連の行動は、一回かぎりと考えれば、それほど大きなダメージを与えるようなものではないはずだ。
では、なぜ加害者が怪物になり、被害者は死ななければいけなかったのか。
人格を壊して遊ぶ…
「いやだ もう 学校きらい…3年のある日突然から。2年は、こんなことなかった」
「ピアノも 勉強も 友達も なにもかもが上手くいかない。だから死にたい」
「いじめられたくない。ぼっちはいやだ」
「(他の女子生徒の名前)お願いだから、耳打ちは、やめて おねがい。本当に」
「毎日が怖い。今日はうまくいくのかいかないのか。家に帰ってからも、そのことばかり考えて、疲れた。明日も(ひとり)ぼっち?それとも上手くいくのかなって…怖くてしかたがない。毎日、不安な夜を過ごしてる。疲れがピーク」
「友達が居なくなるのが怖い、本当にこわい」
「おねがい…私を一人にしないで。おねがいだから。今日みたいな日が毎日だったらどれだけ楽しいか。(複数の女子生徒の名前)…」
「…にもんくばっか言ってる。自分が嫌い。死にたいくらい」
報道を読むかぎりでは、加害者たちが行った一連の行動は、一回かぎりと考えれば、それほど大きなダメージを与えるようなものではないはずだ。
では、なぜ加害者が怪物になり、被害者は死ななければいけなかったのか。
人格を壊して遊ぶ…
多くの人が見逃しがちな盲点
加害者が「怪物になる」しくみについては、拙著『いじめの構造――なぜ人が怪物になるのか』(講談社現代新書)で論じつくした。これは学術書『いじめの社会理論』(柏書房)をわかりやすく新書化したものだ。TEDxスピーチでも要点を説明した。
筆者による最先端の理論は、「学校の秩序分析から社会の原理論へ――暴力の進化理論・いじめというモデル現象・理論的ブレークスルー」『岩波講座 現代 第8巻』第9章(岩波書店)で提出した。いじめ加害者については、これ以上書くことはない。
だが、被害者については、いくつか世に問わなければならないことがある。
菜保子さんのように、もっぱらコミュニケーション操作系のいじめ(物理的暴力ではなく、もっぱら言葉やしぐさによるいじめ)によって大きなダメージを受けた被害者について、多くの人が見逃しがちな盲点がある。
なぜ、敵であり、赤の他人である加害者グループに服従し、連れまわされ、<友だち家畜>のような状態にされてしまうのか。
ひどい暴力的な処遇が人間を無力化してしまうことは、よく知られている。
たとえば、殺されていく数千人のユダヤ人の列を監視するナチスの人員がほんの数人なのに、なぜ逃げずに従順に従うのだろうか。
東京都足立区で、女子校生が不良少年のグループに監禁され、輪姦され、なぶり殺された。遺体はコンクリート詰めにされて捨てられた。
有名な女子校生コンクリート詰め殺人事件で話題になったのは、逃げるチャンスがいくらでもあったのに、どうして女子校生は逃げようとしなかったのか、ということだ。マフィアやゲリラに誘拐されたり、捕虜になったりした人たちも、よく似た状態になる。
心理学者のフィリップ・ジンバルドーは大学の地下に模擬監獄をつくり、十数人ずつの健康な若者を、看守役と囚人役にわけて共同生活をさせた。すると、看守役は囚人役をいたぶって遊ぶ怪物になり、囚人役は精神に変調を起こし、無力化されてしまった(TEDトークを参照)。
このようなことは、もっぱら激しい暴力的圧迫のもとで生じ、通常の非暴力的な生活レベルでは生じるはずがない、と思われるかもしれない。
しかし、上で紹介した記事と菜保子さんの日記、そして多くのいじめ被害の記録をあわせ読むと、閉鎖空間に閉じこめ強制的にベタベタさせる学校では、悪口、しかと、嘲笑といったコミュニケーション操作系のいじめだけで、ナチ収容所、女子校生コンクリート詰め殺人、ゲリラやマフィアによる拉致誘拐、ジンバルドーの監獄実験と同形の、人間破壊が多かれ少なかれ生じうることがわかる。
この「多かれ」の局面で、さまざまな偶然がかさなり、菜保子さんのように死に追い詰められる犠牲者が一定数でてくる。
私たち、日本の中学校で3年間の集団生活をさせられた者は、多かれ少なかれ、菜保子さんと同じ形の、人間破壊を受けているのではないか。
わたしたちがまわりの空気を気にして、何か自分が滅ぼされてしまうような不安をおぼえるとき、その後遺症が出ているのではないか。
わたしたちは菜保子さんを「かわいそう」と言う前に、過度に集団化された学校生活のなかに埋められた過去の自分を抱きしめるべきではないだろうか。
そして痛みとともに、頭に埋められた洗脳チップを引き抜くべきではないだろうか。
私たちは、たまたま生き延びることができた菜保子さんではないだろうか。
義務教育による集団洗脳
学校という閉鎖空間の有害作用
「なんでこんなことぐらいで」「この子は弱いのではないか」と言う人には、この図を頭に叩き込んでもらいたい。
いじめによる苦痛の大きさと生活空間が閉鎖的である度合いの関係
同じことをされても、広い生活圏で自由な市民として生きているほど苦痛は小さく(図のA)、狭い世界で絶えず周囲に運命を左右されて生きているほど苦痛が大きい(図のB)。
特に小学校高学年から中学校では、それが極端なまでになりうる。裁判官やジャーナリストや研究者は、大人の平均以上に自由で広い世界を生きている。
自分が同じことをされたとしても「どうということはない」という図のA地点の感覚で、極端に狭い世界で自由を剥奪されて生きている中学生(図のB地点)を評価しないでほしい。特に裁判官は、閉鎖空間の有害作用を考慮に入れて「自己過失割合」を計算するよう注意してほしい。
自由な市民であるあなたが自殺する場合と、きわめて有害な閉鎖空間で<友だち家畜>にされてしまった中学生が自殺する場合では、まったく事情が違うのだ。
ところでこの有害な閉鎖空間は、国や地方公共団体が制度的に設定し、強制したものだ。それならば、国や地方公共団体には、閉鎖空間による有害作用によって人を害した責任があるのではないだろうか。
たとえば公営プールの設計ミスによって排水溝付近に渦巻きが発生し、それによって溺死者が続出した場合、公共団体にはその設計ミスの責任がある。訴訟になれば損害賠償の義務が生じる。
また、すぐにプールを閉鎖し、プールを設計しなおし、安全を確認したのちに、はじめて再開することができる。危険なまま有害プールを市民に提供してはならない。
これと同じことが、学校という閉鎖空間の有害作用についても言える。
筆者はここで、国や地方公共団体による「閉鎖空間設定責任」という概念を提出する。
法律関係者には、いじめ関連裁判のための、閉鎖空間設定責任の法理を磨き上げることをお願いしたい。この責任概念が法曹関係で効いてくると、日本の学校が改善され、子どもたちの苦しみを減らすことができるかもしれない。
戦争中の全体主義を超えた瞬間
最後に、日本の学校が全体主義的であり、これが全体主義に抵抗がない大衆を生み出す、強力なインフラストラクチャーになっていることを指摘したい。このことについて、『教育新聞』(2017年5月22日)に書いたことをもういちど繰りかえす。
昭和初期から敗戦までの日本は、天皇を最高尊厳とし、天皇を中心とする高次の集合的生命である「国体」を最高価値とする、現在の北朝鮮とよく似た全体主義社会であった。
一人ひとりが「日本人らしく」天皇の赤子になり続ける「くにがら」を守ること(国体護持)がなによりも重視された。一人ひとりの命は鴻毛(羽毛)のように軽い。
カミカゼ自爆攻撃などで死ぬ瞬間こそが、人として生まれた最高の栄誉であり、華やかに花が咲いたような生のきらめき(散華)でなければならない。親はそれを光栄ですと喜び祝うことが強制された。
「国体」については、「世界が警戒する日本の『極右化』〜私たちはいま、重大な岐路にいる」で詳しく書いたので、そちらを参照されたい。
戦時中の「国体」の「日本人らしく」を、戦後の集団主義学校の「生徒らしく」に、「くにがら」を「学校らしさ」に置き換えれば、戦争中の日本と学校は同じ全体主義の形をしていることがわかる。
学校の全体主義(中間集団全体主義)について知りたい方は、拙著『いじめの構造――なぜ人が怪物になるのか』(講談社現代新書)を参照されたい。
最後に、学校の全体主義が、戦争中の大日本帝国の全体主義を超えた瞬間を記録した動画があるのでご覧いただきたい。
中学校運動会の巨大組体操の崩落事故で、親たちは盛大に拍手している。事故のありさまを見れば、障害が残るけがをしても、あるいは死者が出てもおかしくない。
赤子のころから大事に育てた、なによりも愛しい子どものはずである。交通事故なら、すぐに駆け寄り、わが子を探して、生きているか、けがをしていないか確認し、無事であれば泣いて喜ぶような事態である。
だが、学校の集合的生命が生き生きと躍動する運動会で、親たちは、子どもが集団的身体として散華する姿に拍手している。戦争中の日本ですら、親は強制されて喜ぶふりをさせられていただけで、このような自発的な拍手はありえない。
「共に生き」るはずの「ともだち」は、うずくまっている他人を無視して、軍隊まがいの整列で、「ぴしっ」と兵隊のまねごとをしている。
義務教育によってこのような集団洗脳をすることによって、他の先進諸国であればナチスまがいの発言をしたとして絶対に国会議員になれないような人物に、何も感じずに投票する大衆が生み出される。
また、ブラック企業と呼ばれる職場を、あたりまえに感じる大衆が生み出される。学校教育のおかげで、市民は育たない。自由も民主主義も社会に根づかない。
学校は、習慣化された感情反応に包み込んで「国体」を護持し、国を再全体主義化するための、貴重なインフラストラクチャーになっている。その成果が実り、今、全体主義勢力が社会を飲み込もうとしている。
人格を壊して遊ぶ
内藤 朝雄明治大学准教授
いじめ問題研究プロフィール
なぜ「いじめ自殺」が後を絶たないのか?
「教育」なら何でも許されていいのか?
大反響となった「いじめ自殺を隠蔽するとき、教育者が必ず口にする『異常な論理』」につづき、茨城県取手市・中3女子自殺事件の核心に迫る。
「いじめ殺す」とは何か?
茨城県取手市・中3女子自殺事件のように、子どもが自殺に追い込まれ、いじめ殺されてしまうのは、逃げられず対人距離を調節できない閉鎖環境の効果が大きく関与している。
このような有害作用から子どもたちを守るために、閉鎖空間に閉じこめ強制的にベタベタさせる現行学校制度を見直すことを、公論の主題にしならなければならないのではないか。
ここでは、中島菜保子さんが学校のグループ(教員が含まれる可能性もある)によっていじめ殺された経緯から、閉ざされた集団生活のなかで、加害者がどこまでも加害を続け、被害者が内側から破壊されるしくみを考える。そして、国や自治体の「閉鎖空間設定責任」という新しい考えを世に訴える。
いじめ殺すとは、「さんざん苦しめ悩まして殺す。苦しめ抜いて死なせる」(『日本国語大辞典』)の意である。
資料は限られている。菜保子さんがグループに囲い込まれ、迫害され、壊されていった具体的な出来事についての報道は、教委に関する報道に比べて、とても少ない。
学校や教委は、生徒を外部社会の力に触れさせたくない。彼らを<自分たち教育のもの>にしておきたい。<我らの世界>で起きた残酷と不正を隠したい。当然、学校や教委は、生徒への直接取材をしないでほしいとメディアに強く要求する。
だからこそ、学校や教委が最もいやがることをしなければならない。
メディアは、学校と教委が子どもたちを<教育のなかの我らの世界>に囲い込んで隠蔽するのに対し、それをこじ開け、市民社会の公共性のもとに引きずり出し、照らし出さなければならない。それが社会正義の担い手としてのジャーナリズムの役割である。
菜保子さんがいじめ殺された経緯について、きちんと調査取材をして報じようとしたのは、筆者が知るかぎり週刊文春と産経新聞だけである。
以下、『週刊文春』2017年6月15日号と『産経新聞』2017年8月6日の記事から菜保子さんがいじめ殺された経緯を紹介する(二つの記事を要約しつつ合成しているが、まとまった文章をそのまま用いた箇所もある)。
「きもい」「うんこ」「クソやろー」
菜保子さんは、中3のクラス替え後、A子らのグループで行動するようになった。
進級直後の4月、「いやなクラスになった」と母にこぼしていた。
最初、素行の悪いA子と距離をとろうとしたが、「菜保子に無視された」と文句を言われ離脱できなかった。
そのうち、クラスメートの前で「きもい」「うんこ」「クソやろー」などと言われるようになった。
B子が4月まで交際していたA君のとなりに菜保子さんの席があり、二人が会話をすることがあった。それをB子が妬み、A子に伝えた。それから、いじめがさらにひどくなった。
A子が「行くよ」と命令すると、菜保子さんが「うん」と返事して、暗い顔でグループの後をついていく。A子が「早く来いよー、うんこー」と呼びつけていた。こういったことがしばしば目撃されていた。
「この子、くさくな」
女子トイレで菜保子さんだけが個室に入っていて、3人が外から「なんかくさくねえ?」「まだ出ちゃだめだよ!」などと言っていて、閉じこめられている様子だった。
グループは菜保子さんをトイレに連れて行き、授業に遅れるようにしむけた。しかも担任のT教諭の授業の前にことさら遅れていた。
たとえばA子は、トイレの前で「あんた、ちょっと持ってなよ」と教科書を持っているように命じ、菜保子さんが自分といっしょに授業に遅れていくようにしむけた。
このようなことが起きたとき、担任のT教諭は、A子らを叱らず、菜保子さんだけを生徒たちの面前で叱った。「前に来なさい。遅れた理由を言いなさい」などと言って、菜保子さんだけを叱るのだ。
同級生は、こういうことが5、6回あったと証言する。別の生徒は「中島さんを狙い撃ちにしている感じ」と証言する。
T教諭は生徒の好き嫌いが激しいことで有名な人物だった。A子はT教諭と良好な関係だった。
菜保子さんは部活動をしていなかった。理由は幼いころから続けているピアノのレッスンがあったためで、高校も東京都内の名門校への進学を希望し、それも叶えられそうな方向で進んでいた。
居残り授業に参加せずに菜保子さんが帰ろうとすると、T教諭は「ピアノばかりやっていても仕方がない」と怒った。母によると、三者面談の際、T教諭は「2学期の態度を見て志望校を一校に絞っていいかどうか、こちらで決めます」と言った。
T教諭について、ある同級生は「先生も中島さんに嫉妬している感じだった。A君と隣りあわせにした席替えで、B子さんが中島さんに嫉妬して激しくなったいじめだけど、それにT先生が加勢した感じ」と言う。
A君と菜保子さんの席を隣り合わせにしたのもT教諭だった。しかも席替えがあっても、A君と中島さんの席だけは不動で、こうした不自然な席替えが4回もあったという。
A子が菜保子さんを、離れていても「バンバン」と聞こえるほど叩いているのを、同級生が見ている。
10月には、菜保子さんは「くさや」と書かれたメモをノートに貼られたり、「くさや」と声をかけられたりするようになった。
机の上に落書きがはってあったのを見つけた菜保子さんが、暗い顔で消していたのを複数の同級生が見ている。
「くさい」「くさや」といった悪口は、ほぼ毎日続いた。
音楽室で行われていた合唱祭の練習のさいにも、C子が菜保子さんを別の生徒の前に引っ張っていき、「この子、くさくない?」と言った。
あるとき、ピアノを弾いている菜保子さんが、A子らのグループとは別のクラスメートと楽しく話していた。そのクラスメートが「なお、すごいよね」と言っていたら、A子とC子が面白くなさそうに「えっ?えっ?何が?」と言った。
体育祭のバスケットボールのチーム決めのとき、A子らが相談して、菜保子さんを外すように仕組んだグーパーじゃんけんをした。菜保子さんは下駄箱のところで泣いていた。
A子とC子が「壁ドンごっこ」をして教室のドアのガラスを割った。菜保子さんは関与していない。しかし、非常勤講師、学年主任、T教諭、教頭らに次々と叱られた。菜保子さんは「A子とC子が割ったのに…」と言って泣いていたという。
様子がおかしいので母がT教諭に電話をした。
T教諭は、母に次のように言った。
「菜保子さんではないが、お友達がガラスを割った。割ったこともよくないが、その後の態度が悪かった。逃げようとした。3人のうち2人が逃げようとした」
「こうなった(ガラスが割れた)ことは、元に戻さないといけないよね、と菜保子さんに言いました」
「菜保子さんは何と言ってますか」
母「泣いています。関係ない、知らないと言ってます」
T教諭「泣いているということは本人も反省しているということです」
その後菜保子さんは「明日二人(A子とC子)ににらまれる」「学校に行きたくない」と言い、首を吊って死んだ。
------------------------------------
女子生徒中学3年は、同級生から「死ね」と言われるなどいじめが深刻化した。
学校の駐車場で倒れているのが発見され、死亡が確認された。
上階には上履きとかばんが置かれ、自宅の部屋には「悪口を言われて嫌な思いをした。生きていても仕方ない」という趣旨の手紙が残されていた。
手紙の内容や死亡前日にも自殺をほのめかしていたことなどから「いじめで孤立感や自分は無価値だという感情が強まり、生きる気力を失って自殺に至った」と市の第三者委員会は判断した。
大津市中2いじめ自殺事件は、2011年10月11日に滋賀県大津市内の中学校の当時2年生の男子生徒がいじめを苦に自殺するに至った事件である。「大津いじめ自殺事件」「大津いじめ事件」「大津市○○中学校いじめ自殺事件」などとも呼ばれる。
ディスレクシアの正しい認識
読み書きの困難さにとらわれない生き方
自分を知り、得意なことで勝負すればいいんです。
わが子を信じ、まずできることの方に目を向けてください。
本人がもがきながら見つけた方法は、絶対忘れません。
NPO法人エッジ
NPO法人エッジはディスレクシアの正しい認識の普及と支援を目的とした特定非営利活動法人として、2001年10月に認定設立され活動しています。
ディスレクシアは知的に問題が無く、聴覚・視覚の知覚的機能は正常なのに、読み書きに関しては特長の有るつまずきや学習の困難を示す症状のことを言います。
ディスレクシアの全ての人が活き活きと暮らせる社会を目指します。
一人の人間の一生にかけての問題ですから、広く研究者、行政、教育機関、メディアなど多方面に働きかけ、ディスレクシアの全ての人が活き活きと暮らせる社会にするために広く啓発活動を行い、ディスレクシアの人たちの支援をして、関係する人たちのネットワークを作ります。
1) 啓発活動:イベントなどの開催をする。メディアへ情報を提供する。
2) 支援:相談窓口を開設し、情報の提供をする。
3) ネットワーク作り:専門家、支援者のネットワーク作りの核をまず東京で作り、その後各地への展開をするディスレクシアに関する情報センターの役割を担う。
団体の目的
(定款に記載された目的)
ディスレクシア(読み書きの障害)とは広義の学習障害(LD-Learning Disabilities)
の中で、通常の知能を有しながら、特に読み、書きの能力に支障があるために教育の
現場での自己表現が困難な者をいう。この法人は、ディスレクシア本人と彼らに関わ
る人々に対して、その症状の正しい認識と、診断または判断の後、学習における困難
さの分野と程度の認定、最も有効、ホリスティック且つ本質的な教育の指導方法・機
会・手段を提供しそれにより彼らに多くの可能性を与えられることを目的とする。
団体の活動・業務
(事業活動の概要)
■具体的には
(1) 啓発活動
・ 社会の理解を得るための企業、学校、行政、PTA、民間教育機関、医療機関等に対するワークショップや講演を開催する
・ イベントなどの開催をする
・ メディアへ情報を提供する
(2) ネットワーク作り
・ 専門家、支援者のネットワーク作りの核をまず東京で作り、その後各地への展開をする
・ ディスレクシアに関する情報センターの役割を担う
(3) 支援活動
・ 人材育成:ディスレクシアの支援ができる人材の育成
-LSA(学習支援員)の養成講座
基礎講座はe-learningで行っている
・ スクリーニング(支援方法を策定するためのチェックリスト)と教材を開発する
・ 相談窓口を開設する
・ 情報の提供をする
現在特に力を入れていること
1.学習支援員(LSA)養成の普及と充実
-2005年よりスタートし約250名を学習支援員養成しました。
-2008年に「能力を引き出し伸ばす支援」テキストを作成しました。
-2010年より各地に普及
2014年よりe-learningを開始
-各地に展開(札幌、広島、大阪、宮崎)
2.ディスレクシアの成人の 就労支援活動
-2010年ディスレクシア成人の 就労ガイドブック作成
内容は
第1章 自分を知る
第2章 自分を知る2
第3章 自分を表現する
第4章 就職活動1
第5章 就職活動2
第6章 企業の見方
第7章 就職に関わる制度
-2010年 就労実績あり参加者全員
3.音声教材 BEAM の無償提供
現在小学校1年生から中学校3年生までの国語、社会が各2社分入手可
4.DX会とキッズ&ティーンズクラブの開催
本人のエンパイント、ジョリーフォニックス英語講座
5.DXセミナー(2014/10からほぼ毎月開講)
6.オンライン講座によるディスレクシアへの指導ができる教員及び支援者育成
会長藤堂 栄子さん
星槎大学特任教授 60歳で大学院へ行き修士を取る
静岡競輪場 2018年12月29日 レース詳細
発走予定 16:30
投票締切 16:25- 予想担当記者:赤競 堀江 鉄二
予 想 | 好 気 合 | 総 評 | 枠 番 | 車 番 | 選手名 府県/年齢/期別 | 級 班 | 脚 質 | ギヤ 倍数 | 直近4ヶ月の成績 | |||||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
競走得点 | S | B | 逃 | 捲 | 差 | マ | 1 着 | 2 着 | 3 着 | 着 外 | 勝 率 | 2連 対率 | 3連 対率 | |||||||||
× | 10 | 1 | 1 | 佐々木 豪 愛 媛/22/109 |
S2 | 逃 | 3.92 | 107.59 | 1 | 12 | 6 | 7 | 0 | 0 | 8 | 5 | 4 | 10 | 29.6 | 48.1 | 62.9 | |
△ | 8 | 2 | 2 | 南 潤 和歌山/21/111 |
S2 | 逃 | 3.93 | 108.33 | 0 | 21 | 7 | 3 | 0 | 0 | 5 | 5 | 2 | 15 | 18.5 | 37.0 | 44.4 | |
◎ | 2 | 3 | 3 | 山崎 賢人 長 崎/26/111 |
S2 | 逃 | 3.93 | 116.45 | 0 | 19 | 12 | 7 | 0 | 0 | 16 | 3 | 0 | 6 | 64.0 | 76.0 | 76.0 | |
注 | 11 | 4 | 4 | 竹内 翼 広 島/27/109 |
S2 | 逃 | 3.92 | 103.51 | 0 | 18 | 9 | 5 | 0 | 0 | 8 | 6 | 3 | 14 | 25.8 | 45.1 | 54.8 | |
○ | 8 | 5 | 太田 竜馬 徳 島/22/109 |
S1 | 逃 | 3.92 | 113.33 | 0 | 8 | 2 | 8 | 1 | 0 | 10 | 1 | 0 | 11 | 45.4 | 50.0 | 50.0 | ||
18 | 5 | 6 | 佐伯 辰哉 広 島/22/109 |
S2 | 逃 | 3.92 | 96.66 | 0 | 6 | 0 | 1 | 0 | 0 | 1 | 0 | 3 | 21 | 4.0 | 4.0 | 16.0 | ||
11 | 7 | 松本 貴治 愛 媛/25/111 |
S2 | 逃 | 3.92 | 103.25 | 1 | 9 | 6 | 1 | 0 | 0 | 4 | 3 | 1 | 12 | 20.0 | 35.0 | 40.0 | |||
16 | 6 | 8 | 門田 凌 愛 媛/24/111 |
S2 | 逃 | 3.92 | 98.85 | 0 | 8 | 4 | 2 | 0 | 0 | 4 | 2 | 1 | 14 | 19.0 | 28.5 | 33.3 | ||
▲ | 10 | 9 | 島川 将貴 徳 島/24/109 |
S2 | 逃 | 3.92 | 104.11 | 0 | 18 | 11 | 4 | 0 | 1 | 9 | 7 | 1 | 9 | 34.6 | 61.5 | 65.3 | ||
【誘導員】大塚 英伸 S1 |
並び予想
東日本大震災の語り部の高橋匡美(きょうみ)さん
茨城新聞
2018年12月19日(水)
小美玉・羽鳥小で講演会 命の語り部、高橋匡美さん 児童に震災体験伝える
「今を一緒に生きよう」
震災後の宮城県石巻市の実家を紹介する高橋匡美さん=小美玉市立羽鳥小震災後の宮城県
県教委から防災教育のモデル校指定を受けている小美玉市立羽鳥小(青葉宏一校長)で14日、東日本大震災命の語り部、高橋匡美(きょうみ)さん(53)を迎え、防災教育講演会「あなたのふるさとはどこですか」が開催された。
5、6年生や教育関係者ら330人が参加。高橋さんの体験談と命の大切さに真剣なまなざしで聞き入った。
高橋さんは宮城県塩釜市在住。2011年の東日本大震災で石巻市南浜町に住む父、佐藤悟さん(当時82歳)、母・博子さん(当時73歳)を津波で亡くした。15年3月から両親の生きた証しを残したい、震災を風化させたくないとの思いで語り部の活動を開始。関東地域やニューヨーク、フィリピンなど国内外で語り継いでいる。
高橋さんは、震災の2週間前、大好きだった母と電車の窓越しに「またね」と別れたのが最後になってしまったエピソードを紹介。「もっと話したいことがたくさんあった。私のふるさと(石巻)と両親は、震災に奪い去られてしまった」と力を込めた。
また、震災3日後の石巻市の変わり果てた街や実家の様子を写真で紹介。「まるで映画のワンシーンのようだった。身体の震えが止まらなかった」と声を振り絞った。
最後に、生きたくても生きることができなかった多くの命、生きる気力を奪われていった命があることに触れ、「明日を迎えられるのは奇跡。つらいことがあっても生きている証し。今を一緒に生きましょう」と締めくくった。
児童代表の同小6年、柳沢咲憂(みう)さんは「津波によって命を奪われてしまう怖さを知った。大災害が起きたときどう行動すればよいか、生活に生かしたい」と話した。(鈴木聡美)
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想う 「命のかたりべ」高橋匡美さん(52) 津波で両親亡くした体験伝える
2018.7.11 産経新聞
■「明日」は奇跡。「今」を生きていきましょう
東日本大震災で大きな被害を受けた石巻市南浜町出身。両親を津波で亡くした。「命のかたりべ」として体験を伝える。
「結婚後は塩釜市に移り住んでいました。震災後、いてもたってもいられず高校生だった息子を連れて実家の様子を見に行きました」
震災発生から3日後の平成23年3月14日、南浜町に入った。変わり果てた町と、わが家に愕然(がくぜん)とした。
「家の中はぐちゃぐちゃ。でも両親は避難して無事だと思っていました」
家の中を一通り見て回った。避難しているはずの両親を探しに行こうと息子に声をかけた。「もう一回よく見ようよ」と、かたくなに言う息子の言葉に再び家の中へ。母の遺体を見つけた。父は約2週間後、遺体安置所で見つけた。
「家、大丈夫だった」と、友人に問われても、特に何事もなかったように答えていた。
「両親の死という現実を受け入れられずにいたんです。震災後は家に引きこもりがちの生活を送っていました」
転機は25年5月。石巻でボランティア活動にあたる女性に体験を発信することを勧められた。
「自分のように震災でつらい経験をして、ふさぎ込んでしまっている人の救いになるんじゃないかと思いました」
語りの原稿を書くことは苦しかったという。それでも書く手が止まらなかった。書き上げた後、なぜか心に引っかかっていたものがすっと、消えていくような気がした。
「誰かに話を聞いてもらえる、そんな安心感があったんでしょう」
語りは「あなたのふるさとはどこですか」という問いかけから始まる。
震災とは日常の喪失だと思います。だから話を聞いてもらう前に日常、自分の家を想像してもらう。そうすることで震災を自分の身に起こったこととして捉えることができるのではないかと思っています」
今月8日にはニュージーランドの高校生たちが話を聞きに来た。何度も練習したという英語での語りに学生らは真剣な表情で聞き入っていた。
「『明日』は奇跡。『今』を生きていきましょう」
語りの最後に、こうメッセージを送った。
「決して前向きなものではありません。両親を亡くしふさぎ込んでいた自分。でも、生きることはできた。『今』を積み重ねることで『明日』が来る」
自らを「命のかたりべ」という。
「被災者として語って良いのかと感じていたこともあります。私は石巻のような沿岸被災地にいたわけではない。語り部というのには抵抗があった。でも私は『命』の話をしていることに気がつきました」
「命のかたりべ」。その話は被災地を案内して、防災を呼びかけるものではない。ある日突然、両親を失ったという経験を通して、明日を迎えることが当たり前のことではないと伝えている。話を聞いた後、思わず両親に連絡した、という感想も耳にする。
「私の話は『命』の話。『道徳の授業』として聞いてもらえればと思っています」
明日は奇跡。その想いが今日も「命の授業」に向かわせる。 (塔野岡剛)