カキぴー

春が来た

バリ島、今昔

2010年04月01日 | 旅行記

広大なインド洋に浮かぶ小さな島 「バリ島」 には2度行っている、最初は1983年、そして2度目は2007年、4分の1世紀でこの島は何もかも大きく変わった。 1回目に行ったときの旅客機は、センパチ航空の DC-8。 センパチ航空を知ってる人は今やごく少数だと思うが、当時のスハルト大統領一族が出資する会社で、成田国際空港にしばらく乗り入れていた。 しかし使用する機体のほとんどは、今はなきパンナムの払い下げでオンボロ機が多く、機内のあちこちにパンナムのマークが目立った。 ただしスチュワーデスは飛び切りの美人揃いで、これが目的で乗る客も多かった。 その後多額の負債を抱えて倒産している。

このDC-8、搭乗する前から嫌な予感がしていたが、離陸して高度が上がるにつれて、機内が寒くなってくる。 巡航高度に達すると、ますます寒くなり、もう我慢の限界、そのときアナウンスメントがあり、暖房機の一つが故障してるので、これから毛布を配るとのこと。 渡された毛布をかぶり、寒いのでウイスキーやコニャックなど、強い酒を飲んでいたから、早朝バリに着いたときはしたたかに酔っていた。 勿論、アルコール類はすべて無料だったが、こんな体験は、あとにもさきにも1回だけ。

1969年に開港したデンバサール国際航空は、国際の2字を取った方がいいような、木造平屋建ての粗末なターミナルだったが、民族色豊かで素敵な建物だった。 2度目に行ったときは仙台発のコンチネンタル便でグアム経由、しかも飛び立ってすぐドアの故障で、成田に降りて修理したので、バリ到着は真夜中。 そして空港ビルはまさに様変わり、昔の面影はまったくないし、入国に手間取ったので印象は良くない、閑散としていたが温かみのあった、昔の空港が懐かしかった。 滞在は前回と同じ、空港から近い「ヌサドゥア地区」にある グランド・ハイアット・バリ、この地区がどう変わったかに興味があったからだ。

24年前、この地区は政府主導で最初に開発された、本格的なリゾート地。 当時はオペックの会議に間に合わせて、オープンしたばかりだったが、私が宿泊したのは、インド洋を一望する海岸に点在するコテージ。 庭に繁る熱帯樹の香りと、南国の花に囲まれた一戸建ては素晴らしかった。ベルを押すと、どこかに隠れていたかのように現れる少年のようなボーイが、何でも用を足してくれる。 おかげで中央棟にあるレストランにはほとんど行かず、目の前のプールサイドで過ごした。

予想はしていたが、ヌサドゥア地区も大きく変貌していた。 巨大なホテルやショッピング・センター、飲食街が立ち並ぶこの街に昔の面影はなく、コテージも姿を消していた。 あまり出歩く気にもならず、ホテルのプールで泳ぎ、読書と居眠りの時を過ごした。 部屋をアップ・グレードしててよかった、毎日涼しくなる頃、専用のテラスで シャンパン・サーヴィスがあり、多くのおつまみが並ぶ、夕風に吹かれながら、民族音楽のライブを聴いて過ごすのは、まさに至福のひと時だった。

バリ島には、人を惹きつける何かがある。 こんどは山岳リゾートの 「ウブド」 にゆっくり滞在し、さまざまなバリの文化にも触れてみたいと思っている。  

  

 


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