生命の言葉

神様を知り、信仰の種を育てましょう

前2-9. 天使と人間との淫行

2016-12-30 17:07:17 | 原理講論 前編2 堕落論

9. 天使と人間との淫行

③ 天使と人間との淫行

我々は、既に述べたように、人間が天使の誘惑に陥って堕落したという事実

人間も天使もみな淫行によって堕落したという事実

その上にまた、被造世界においては、霊的存在であって、お互いにある情的関係を結ぶことのできる存在とは

人間と天使以外にはないという事実などを結びつけてみるとき

人間と天使との間に淫行関係が成り立ったであろうということは、容易にうなずくことができるのである

ヨハネ福音書八章44節には

「あなたがたは自分の父、すなわち、悪魔から出てきた者であって、その父の欲望どおりを行おうと思っている」

と記録されている。

そして、黙示録一二章9節には、悪魔はすなわち、サタンであり、サタンはすなわち、人間を誘惑した古い蛇であると明示しているのである

このような聖句に基づいてみるとき

人間は悪魔の子孫であり、したがって、サタンの子孫であるがゆえに、結局蛇の子孫であるということになるのである

では、人間はいかなる経過を経て、堕落した天使、すなわちサタンの子孫となったのであろうか

これは、人間の祖先が天使と淫行を犯すことによって

すべての人間がサタンの血統より生まれるようになったからである

このように、堕落した人間は神の血統ではなくサタンの血統をもって生まれたのでロマ書八章23節には

「御霊の最初の実を持っているわたしたち自身も、心の内でうめきながら、子たる身分(実子でなく養子として)を授けられること、すなわち、からだのあがなわれることを待ち望んでいる」

と記録されているのである。

また、マタイ福音書三章7節には、洗礼ヨハネがユダヤ人たちを見て

「まむしの子」

すなわちサタンの子孫であると叱責し、また、マタイ福音書二三章33節においてイエスがユダヤ人たちを見て

「へびよ、まむしの子らよ、どうして地獄の刑罰をのがれることができようか」

と叱責されたという記録がある。

このような聖書の記録に基づいてみると、我々は、天使と人間との間に淫行関係が結ばれ

それが堕落の原因になったという事実を知ることができるのである

原理講論 前編2 堕落論-9





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前2-8. 人 間 の 犯 罪

2016-12-30 07:05:54 | 原理講論 前編2 堕落論

8. 人 間 の 犯 罪

② 人 間 の 犯 罪

 創世記二章25節を見れば、罪を犯す前、アダムとエバは、裸でいても恥ずかしく思わなかった

しかし、彼らが堕落したのちには、裸でいることを恥ずかしく思い、無花果の葉をもって下部を覆ったのである
(創三・7)

もし、善悪の果というある果実があって、彼らがそれを取って食べて罪を犯したのだとすれば、恐らく彼らは手か口を隠したはずである

なぜかといえば、人間は恥ずかしい所を隠すのがその本性だからである

しかし、彼らは、手や口を隠したのではなく、下部を隠したのである

したがって、この事実は彼らの下部が科となったために、それを恥ずかしく思ったということを表しているのである

ここから、我々は彼らが下部で罪を犯したという事実を推測することができるのである

ヨブ記三一章33節には

「わたしがもし(アダムのごとく)人々の前にわたしのとがをおおい、わたしの悪事を胸の中に隠したことがあるなら」
と記録されている

そうしてアダムは、堕落したのち、その下部を隠したのであった

この事実はとりもなおさず、アダムが覆ったその下部が科となったということを物語っている

それでは、アダムの下部がなぜ科となったのであろうか

それは、いうまでもなく、アダムがその下部で罪を犯したからである

人間が堕落する以前の世界において、死ぬということを明確に知っていながら、しかも、それを乗り越えることのできる行動とは、いったい何であったのだろうか

それは、愛以外の何ものでもない

「生めよ、ふえよ」(創一・28)

と言われた神の創造目的は、愛によってのみ完成することができるのである

したがって、神の創造目的を中心として見るとき、愛は最も貴い、そして最も聖なるものであったのである

しかし、それにもかかわらず、人間は歴史的に愛の行動を、何か卑しいもののように見なしてきたというのも、それが、堕落の原因となっているからである

ここにおいて我々は、人間もまた、淫乱によって堕落したという事実を知ることができる

原理講論 前編2 堕落論-8





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前2-7. 天 使 の 犯 罪

2016-12-30 00:04:52 | 原理講論 前編2 堕落論

7. 天 使 の 犯 罪

(三) 天使の堕落と人間の堕落

既に、我々は人間を誘惑して堕落させた蛇が、天使であったということ

また、この天使が罪を犯し堕落することによってサタンとなったという事実を知った

ではつぎに、天使と人間がいかなる罪を犯したかということについて調べてみることにしよう

① 天 使 の 犯 罪

ユダ書6節から7節に

「主は、自分たちの地位を守ろうとはせず、そのおるべき所を捨て去った御使たちを、大いなる日のさばきのために、永久にしばりつけたまま、暗やみの中に閉じ込めておかれた

ソドム、ゴモラも、まわりの町々も、同様であって、同じように淫行にふけり、不自然な肉欲に走ったので、永遠の火の刑罰を受け、人々の見せしめにされている」

と記録されているのを見ると

我々は天使が姦淫によって堕落したという事実を知ることができるのである

しかしながら、姦淫というものは、一人では行うことができない

したがって、エデンの園で行われた天使の姦淫において、その対象となった存在が、何であったかということについて知っておく必要がある

これを知るために、我々はまず、人間がいかなる罪を犯したかということについて調べてみることにしよう

原理講論 前編2 堕落論-7





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