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生命の言葉

神様を知り、信仰の種を育てましょう

ルカ24 三日目によみがえり その名によって罪のゆるしを得させる悔改めが エルサレムからはじまる

2016-07-22 00:52:51 | 新約聖書3 42ルカによる福音書


ルカによる福音書24章

週の初めの日、夜明け前に、女たちは用意しておいた香料を携えて、墓に行った。

ところが、石が墓からころがしてあるので、 中にはいってみると、主イエスのからだが見当らなかった。

そのため途方にくれていると、見よ、輝いた衣を着たふたりの者が、彼らに現れた。

女たちは驚き恐れて、顔を地に伏せていると、このふたりの者が言った、

「あなたがたは、なぜ生きた方を死人の中にたずねているのか。

そのかたは、ここにはおられない。

よみがえられたのだ。まだガリラヤにおられたとき、あなたがたにお話しになったことを思い出しなさい。

すなわち、人の子は必ず罪人らの手に渡され、十字架につけられ、そして三日目によみがえる、と仰せられたではないか」

そこで女たちはその言葉を思い出し、 墓から帰って、これらいっさいのことを、十一弟子や、その他みんなの人に報告した。

この女たちというのは、マグダラのマリヤ、ヨハンナ、およびヤコブの母マリヤであった。

彼女たちと一緒にいたほかの女たちも、このことを使徒たちに話した。

ところが、使徒たちには、それが愚かな話のように思われて、それを信じなかった。

〔 ペテロは立って墓へ走って行き、かがんで中を見ると、亜麻布だけがそこにあったので、事の次第を不思議に思いながら帰って行った。〕

この日、ふたりの弟子が、エルサレムから七マイルばかり離れたエマオという村へ行きながら、 このいっさいの出来事について互に語り合っていた。

語り合い論じ合っていると、イエスご自身が近づいてきて、彼らと一緒に歩いて行かれた。

しかし、彼らの目がさえぎられて、イエスを認めることができなかった。 イエスは彼らに言われた、

「歩きながら互に語り合っているその話は、なんのことなのか」

彼らは悲しそうな顔をして立ちどまった。 そのひとりのクレオパという者が、答えて言った、

「あなたはエルサレムに泊まっていながら、あなただけが、この都でこのごろ起ったことをご存じないのですか」

「それは、どんなことか」

と言われると、彼らは言った、

「ナザレのイエスのことです。

あのかたは、神とすべての民衆との前で、わざにも言葉にも力ある預言者でしたが、 祭司長たちや役人たちが、死刑に処するために引き渡し、十字架につけたのです。

わたしたちは、イスラエルを救うのはこの人であろうと、望みをかけていました。

しかもその上に、この事が起ってから、きょうが三日目なのです。

ところが、わたしたちの仲間である数人の女が、わたしたちを驚かせました。

というのは、彼らが朝早く墓に行きますと、 イエスのからだが見当らないので、帰ってきましたが、そのとき御使が現れて、

『イエスは生きておられる』

と告げたと申すのです。

それで、わたしたちの仲間が数人、墓に行って見ますと、果して女たちが言ったとおりで、イエスは見当りませんでした」

そこでイエスが言われた、

「ああ、愚かで心のにぶいため、預言者たちが説いたすべての事を信じられない者たちよ。

キリストは必ず、これらの苦難を受けて、その栄光に入るはずではなかったのか」

こう言って、モーセやすべての預言者からはじめて、聖書全体にわたり、ご自身についてしるしてある事どもを、説きあかされた。

それから、彼らは行こうとしていた村に近づいたが、イエスがなお先へ進み行かれる様子であった。

そこで、しいて引き止めて言った、

「わたしたちと一緒にお泊まり下さい。もう夕暮になっており、日もはや傾いています」

イエスは、彼らと共に泊まるために、家にはいられた。

一緒に食卓につかれたとき、パンを取り、祝福してさき、彼らに渡しておられるうちに、 彼らの目が開けて、それがイエスであることがわかった。

すると、み姿が見えなくなった。

彼らは互に言った、

「道々お話しになったとき、また聖書を説き明してくださったとき、お互の心が内に燃えたではないか」

そして、すぐに立ってエルサレムに帰って見ると、十一弟子とその仲間が集まっていて、

「主は、ほんとうによみがえって、シモンに現れなさった」

と言っていた。 そこでふたりの者は、途中であったことや、パンをおさきになる様子でイエスだとわかったことなどを話した。

こう話していると、イエスが彼らの中にお立ちになった。

〔そして「やすかれ」と言われた。〕

彼らは恐れ驚いて、霊を見ているのだと思った。

そこでイエスが言われた、

「なぜおじ惑っているのか。どうして心に疑いを起すのか。

わたしの手や足を見なさい。

まさしくわたしなのだ。

さわって見なさい。霊には肉や骨はないが、あなたがたが見るとおり、わたしにはあるのだ」

〔 こう言って、手と足とをお見せになった。〕

彼らは喜びのあまり、まだ信じられないで不思議に思っていると、イエスが

「ここに何か食物があるか」

と言われた。 彼らが焼いた魚の一きれをさしあげると、 イエスはそれを取って、みんなの前で食べられた。

それから彼らに対して言われた、

「わたしが以前あなたがたと一緒にいた時分に話して聞かせた言葉は、こうであった。

すなわち、モーセの律法と預言書と詩篇とに、わたしについて書いてあることは、必ずことごとく成就する」

そこでイエスは、聖書を悟らせるために彼らの心を開いて 言われた、

「こう、しるしてある。キリストは苦しみを受けて、三日目に死人の中からよみがえる。

そして、その名によって罪のゆるしを得させる悔改めが、エルサレムからはじまって、もろもろの国民に宣べ伝えられる。

あなたがたは、これらの事の証人である。

見よ、わたしの父が約束されたものを、あなたがたに贈る。

だから、上から力を授けられるまでは、あなたがたは都にとどまっていなさい」

それから、イエスは彼らをベタニヤの近くまで連れて行き、手をあげて彼らを祝福された。

祝福しておられるうちに、彼らを離れて、〔天にあげられた。〕

彼らは〔イエスを拝し、〕非常な喜びをもってエルサレムに帰り、 絶えず宮にいて、神をほめたたえていた

ルカによる福音書‬ ‭24:1-53

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2017年の聖書の完読年間計画
目標1日4章







聖書を完読しよう997
42-24

ルカ23 父よ、彼らをおゆるしください。彼らは何をしているのか、わからずにいるのです

2016-07-22 00:44:32 | 新約聖書3 42ルカによる福音書


ルカによる福音書23章

群衆はみな立ちあがって、イエスをピラトのところへ連れて行った。 そして訴え出て言った、

「わたしたちは、この人が国民を惑わし、貢をカイザルに納めることを禁じ、また自分こそ王なるキリストだと、となえているところを目撃しました」

ピラトはイエスに尋ねた、

「あなたがユダヤ人の王であるか」

イエスは

「そのとおりである」

とお答えになった。 そこでピラトは祭司長たちと群衆とにむかって言った、

「わたしはこの人になんの罪もみとめない」

ところが彼らは、ますます言いつのってやまなかった、

「彼は、ガリラヤからはじめてこの所まで、ユダヤ全国にわたって教え、民衆を煽動しているのです」

ピラトはこれを聞いて、この人はガリラヤ人かと尋ね、 そしてヘロデの支配下のものであることを確かめたので、ちょうどこのころ、ヘロデがエルサレムにいたのをさいわい、そちらへイエスを送りとどけた。

ヘロデはイエスを見て非常に喜んだ。それは、かねてイエスのことを聞いていたので、会って見たいと長いあいだ思っていたし、またイエスが何か奇跡を行うのを見たいと望んでいたからである。

それで、いろいろと質問を試みたが、イエスは何もお答えにならなかった。

祭司長たちと律法学者たちとは立って、激しい語調でイエスを訴えた。

またヘロデはその兵卒どもと一緒になって、イエスを侮辱したり嘲弄したりしたあげく、はなやかな着物を着せてピラトへ送りかえした。

ヘロデとピラトとは以前は互に敵視していたが、この日に親しい仲になった。

ピラトは、祭司長たちと役人たちと民衆とを、呼び集めて言った、

「おまえたちは、この人を民衆を惑わすものとしてわたしのところに連れてきたので、おまえたちの面前でしらべたが、訴え出ているような罪は、この人に少しもみとめられなかった。

ヘロデもまたみとめなかった。

現に彼はイエスをわれわれに送りかえしてきた。

この人はなんら死に当るようなことはしていないのである。 だから、彼をむち打ってから、ゆるしてやることにしよう」

〔 祭ごとにピラトがひとりの囚人をゆるしてやることになっていた。〕

ところが、彼らはいっせいに叫んで言った、

「その人を殺せ。バラバをゆるしてくれ」

このバラバは、都で起った暴動と殺人とのかどで、獄に投ぜられていた者である。

ピラトはイエスをゆるしてやりたいと思って、もう一度かれらに呼びかけた。

しかし彼らは、わめきたてて

「十字架につけよ、彼を十字架につけよ」

と言いつづけた。 ピラトは三度目に彼らにむかって言った、

「では、この人は、いったい、どんな悪事をしたのか。

彼には死に当る罪は全くみとめられなかった。だから、むち打ってから彼をゆるしてやることにしよう」

ところが、彼らは大声をあげて詰め寄り、イエスを十字架につけるように要求した。そして、その声が勝った。

ピラトはついに彼らの願いどおりにすることに決定した。

そして、暴動と殺人とのかどで獄に投ぜられた者の方を、彼らの要求に応じてゆるしてやり、イエスの方は彼らに引き渡して、その意のままにまかせた。

彼らがイエスをひいてゆく途中、シモンというクレネ人が郊外から出てきたのを捕えて十字架を負わせ、それをになってイエスのあとから行かせた。

大ぜいの民衆と、悲しみ嘆いてやまない女たちの群れとが、イエスに従って行った。 イエスは女たちの方に振りむいて言われた、

「エルサレムの娘たちよ、わたしのために泣くな。むしろ、あなたがた自身のため、また自分の子供たちのために泣くがよい。

『不妊の女と子を産まなかった胎と、ふくませなかった乳房とは、さいわいだ』

と言う日が、いまに来る。

そのとき、人々は山にむかって、われわれの上に倒れかかれと言い、また丘にむかって、われわれにおおいかぶされと言い出すであろう。

もし、生木でさえもそうされるなら、枯木はどうされることであろう」

さて、イエスと共に刑を受けるために、ほかにふたりの犯罪人も引かれていった。

されこうべと呼ばれている所に着くと、人々はそこでイエスを十字架につけ、犯罪人たちも、ひとりは右に、ひとりは左に、十字架につけた。

そのとき、イエスは言われた、

「父よ、彼らをおゆるしください。彼らは何をしているのか、わからずにいるのです」

人々はイエスの着物をくじ引きで分け合った。 民衆は立って見ていた。役人たちもあざ笑って言った、

「彼は他人を救った。もし彼が神のキリスト、選ばれた者であるなら、自分自身を救うがよい」

兵卒どももイエスをののしり、近寄ってきて酢いぶどう酒をさし出して言った、

「あなたがユダヤ人の王なら、自分を救いなさい」

イエスの上には、

「これはユダヤ人の王」

と書いた札がかけてあった。 十字架にかけられた犯罪人のひとりが、

「あなたはキリストではないか。それなら、自分を救い、またわれわれも救ってみよ」

と、イエスに悪口を言いつづけた。 もうひとりは、それをたしなめて言った、

「おまえは同じ刑を受けていながら、神を恐れないのか。

お互は自分のやった事のむくいを受けているのだから、こうなったのは当然だ。

しかし、このかたは何も悪いことをしたのではない」

そして言った、

「イエスよ、あなたが御国の権威をもっておいでになる時には、わたしを思い出してください」

イエスは言われた、

「よく言っておくが、あなたはきょう、わたしと一緒にパラダイスにいるであろう」

時はもう昼の十二時ごろであったが、太陽は光を失い、全地は暗くなって、三時に及んだ。

そして聖所の幕がまん中から裂けた。 そのとき、イエスは声高く叫んで言われた、

「父よ、わたしの霊をみ手にゆだねます」

こう言ってついに息を引きとられた。 百卒長はこの有様を見て、神をあがめ、

「ほんとうに、この人は正しい人であった」

と言った。 この光景を見に集まってきた群衆も、これらの出来事を見て、みな胸を打ちながら帰って行った。

すべてイエスを知っていた者や、ガリラヤから従ってきた女たちも、遠い所に立って、これらのことを見ていた。

ここに、ヨセフという議員がいたが、善良で正しい人であった。

この人はユダヤの町アリマタヤの出身で、神の国を待ち望んでいた。

彼は議会の議決や行動には賛成していなかった。

この人がピラトのところへ行って、イエスのからだの引取り方を願い出て、 それを取りおろして亜麻布に包み、まだだれも葬ったことのない、岩を掘って造った墓に納めた。

この日は準備の日であって、安息日が始まりかけていた。

イエスと一緒にガリラヤからきた女たちは、あとについてきて、その墓を見、またイエスのからだが納められる様子を見とどけた。

そして帰って、香料と香油とを用意した。

それからおきてに従って安息日を休んだ

ルカによる福音書‬ ‭23:1-56

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2017年の聖書の完読年間計画
目標1日4章







聖書を完読しよう996
42-23

ルカ22 十二弟子のひとりで、イスカリオテと呼ばれていたユダに、サタンがはいった

2016-07-21 00:05:56 | 新約聖書3 42ルカによる福音書


ルカによる福音書22章

さて、過越といわれている除酵祭が近づいた。 祭司長たちや律法学者たちは、どうかしてイエスを殺そうと計っていた。民衆を恐れていたからである。

そのとき、十二弟子のひとりで、イスカリオテと呼ばれていたユダに、サタンがはいった。

すなわち、彼は祭司長たちや宮守がしらたちのところへ行って、どうしてイエスを彼らに渡そうかと、その方法について協議した。

彼らは喜んで、ユダに金を与える取決めをした。 ユダはそれを承諾した。

そして、群衆のいないときにイエスを引き渡そうと、機会をねらっていた。

さて、過越の小羊をほふるべき除酵祭の日がきたので、 イエスはペテロとヨハネとを使いに出して言われた、

「行って、過越の食事ができるように準備をしなさい」

彼らは言った、

「どこに準備をしたらよいのですか」

イエスは言われた、

「市内にはいったら、水がめを持っている男に出会うであろう。その人がはいる家までついて行って、 その家の主人に言いなさい、

『弟子たちと一緒に過越の食事をする座敷はどこか、と先生が言っておられます』

すると、その主人は席の整えられた二階の広間を見せてくれるから、そこに用意をしなさい」

弟子たちは出て行ってみると、イエスが言われたとおりであったので、過越の食事の用意をした。

時間になったので、イエスは食卓につかれ、使徒たちも共に席についた。

イエスは彼らに言われた、

「わたしは苦しみを受ける前に、あなたがたとこの過越の食事をしようと、切に望んでいた。

あなたがたに言って置くが、神の国で過越が成就する時までは、わたしは二度と、この過越の食事をすることはない」

そして杯を取り、感謝して言われた、

「これを取って、互に分けて飲め。

あなたがたに言っておくが、今からのち神の国が来るまでは、わたしはぶどうの実から造ったものを、いっさい飲まない」

またパンを取り、感謝してこれをさき、弟子たちに与えて言われた、

「これは、あなたがたのために与えるわたしのからだである。わたしを記念するため、このように行いなさい」

食事ののち、杯も同じ様にして言われた、

「この杯は、あなたがたのために流すわたしの血で立てられる新しい契約である。

しかし、そこに、わたしを裏切る者が、わたしと一緒に食卓に手を置いている。 人の子は定められたとおりに、去って行く。

しかし人の子を裏切るその人は、わざわいである」

弟子たちは、自分たちのうちのだれが、そんな事をしようとしているのだろうと、互に論じはじめた。

それから、自分たちの中でだれがいちばん偉いだろうかと言って、争論が彼らの間に、起った。 そこでイエスが言われた、

「異邦の王たちはその民の上に君臨し、また、権力をふるっている者たちは恩人と呼ばれる。

しかし、あなたがたは、そうであってはならない。

かえって、あなたがたの中でいちばん偉い人はいちばん若い者のように、指導する人は仕える者のようになるべきである。

食卓につく人と給仕する者と、どちらが偉いのか。

食卓につく人の方ではないか。

しかし、わたしはあなたがたの中で、給仕をする者のようにしている。

あなたがたは、わたしの試錬のあいだ、わたしと一緒に最後まで忍んでくれた人たちである。

それで、わたしの父が国の支配をわたしにゆだねてくださったように、わたしもそれをあなたがたにゆだね、 わたしの国で食卓について飲み食いをさせ、また位に座してイスラエルの十二の部族をさばかせるであろう。

シモン、シモン、見よ、サタンはあなたがたを麦のようにふるいにかけることを願って許された。

しかし、わたしはあなたの信仰がなくならないように、あなたのために祈った。

それで、あなたが立ち直ったときには、兄弟たちを力づけてやりなさい」

シモンが言った、

「主よ、わたしは獄にでも、また死に至るまでも、あなたとご一緒に行く覚悟です」

するとイエスが言われた、

「ペテロよ、あなたに言っておく。きょう、鶏が鳴くまでに、あなたは三度わたしを知らないと言うだろう」

そして彼らに言われた、

「わたしが財布も袋もくつも持たせずにあなたがたをつかわしたとき、何かこまったことがあったか」

彼らは、

「いいえ、何もありませんでした」

と答えた。 そこで言われた、

「しかし今は、財布のあるものは、それを持って行け。

袋も同様に持って行け。また、つるぎのない者は、自分の上着を売って、それを買うがよい。

あなたがたに言うが、

『彼は罪人のひとりに数えられた』

としるしてあることは、わたしの身に成しとげられねばならない。

そうだ、わたしに係わることは成就している」

弟子たちが言った、

「主よ、ごらんなさい、ここにつるぎが二振りございます」

イエスは言われた、

「それでよい」

イエスは出て、いつものようにオリブ山に行かれると、弟子たちも従って行った。

いつもの場所に着いてから、彼らに言われた、

「誘惑に陥らないように祈りなさい」

そしてご自分は、石を投げてとどくほど離れたところへ退き、ひざまずいて、祈って言われた、

「父よ、みこころならば、どうぞ、この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしの思いではなく、みこころが成るようにしてください」

そのとき、御使が天からあらわれてイエスを力づけた。

イエスは苦しみもだえて、ますます切に祈られた。

そして、その汗が血のしたたりのように地に落ちた。

祈を終えて立ちあがり、弟子たちのところへ行かれると、彼らが悲しみのはて寝入っているのをごらんになって 言われた、

「なぜ眠っているのか。誘惑に陥らないように、起きて祈っていなさい」

イエスがまだそう言っておられるうちに、そこに群衆が現れ、十二弟子のひとりでユダという者が先頭に立って、イエスに接吻しようとして近づいてきた。

そこでイエスは言われた、

「ユダ、あなたは接吻をもって人の子を裏切るのか」

イエスのそばにいた人たちは、事のなりゆきを見て、

「主よ、つるぎで切りつけてやりましょうか」

と言って、 そのうちのひとりが、祭司長の僕に切りつけ、その右の耳を切り落した。 イエスはこれに対して言われた、

「それだけでやめなさい」

そして、その僕の耳に手を触れて、おいやしになった。

それから、自分にむかって来る祭司長、宮守がしら、長老たちに対して言われた、

「あなたがたは、強盗にむかうように剣や棒を持って出てきたのか。

毎日あなたがたと一緒に宮にいた時には、わたしに手をかけなかった。

だが、今はあなたがたの時、また、やみの支配の時である」

それから人々はイエスを捕え、ひっぱって大祭司の邸宅へつれて行った。

ペテロは遠くからついて行った。 人々は中庭のまん中に火をたいて、一緒にすわっていたので、ペテロもその中にすわった。

すると、ある女中が、彼が火のそばにすわっているのを見、彼を見つめて、

「この人もイエスと一緒にいました」

と言った。 ペテロはそれを打ち消して、

「わたしはその人を知らない」

と言った。 しばらくして、ほかの人がペテロを見て言った、

「あなたもあの仲間のひとりだ」

するとペテロは言った、

「いや、それはちがう」

約一時間たってから、またほかの者が言い張った、

「たしかにこの人もイエスと一緒だった。この人もガリラヤ人なのだから」

ペテロは言った、

「あなたの言っていることは、わたしにわからない」

すると、彼がまだ言い終らぬうちに、たちまち、鶏が鳴いた。

主は振りむいてペテロを見つめられた。そのときペテロは、

「きょう、鶏が鳴く前に、三度わたしを知らないと言うであろう」

と言われた主のお言葉を思い出した。

そして外へ出て、激しく泣いた。

イエスを監視していた人たちは、イエスを嘲弄し、打ちたたき、 目かくしをして、

「言いあててみよ。打ったのは、だれか」

ときいたりした。 そのほか、いろいろな事を言って、イエスを愚弄した。 夜が明けたとき、人民の長老、祭司長たち、律法学者たちが集まり、イエスを議会に引き出して言った、

「あなたがキリストなら、そう言ってもらいたい」

イエスは言われた、

「わたしが言っても、あなたがたは信じないだろう。

また、わたしがたずねても、答えないだろう。

しかし、人の子は今からのち、全能の神の右に座するであろう」

彼らは言った、

「では、あなたは神の子なのか」

イエスは言われた、

「あなたがたの言うとおりである」

すると彼らは言った、

「これ以上、なんの証拠がいるか。

われわれは直接彼の口から聞いたのだから」

ルカによる福音書‬ ‭22:1-71

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目標1日4章







聖書を完読しよう995
42-22

ルカ21 エルサレムが軍隊に包囲されるのを見たならば そのときは その滅亡が近づいたとさとりなさい

2016-07-21 00:04:56 | 新約聖書3 42ルカによる福音書


ルカによる福音書21章

イエスは目をあげて、金持たちがさいせん箱に献金を投げ入れるのを見られ、 また、ある貧しいやもめが、レプタ二つを入れるのを見て 言われた、

「よく聞きなさい。あの貧しいやもめはだれよりもたくさん入れたのだ。

これらの人たちはみな、ありあまる中から献金を投げ入れたが、あの婦人は、その乏しい中から、持っている生活費全部を入れたからである」

ある人々が、見事な石と奉納物とで宮が飾られていることを話していたので、イエスは言われた、

「あなたがたはこれらのものをながめているが、その石一つでもくずされずに、他の石の上に残ることもなくなる日が、来るであろう」

そこで彼らはたずねた、

「先生、では、いつそんなことが起るのでしょうか。またそんなことが起るような場合には、どんな前兆がありますか」

イエスが言われた、

「あなたがたは、惑わされないように気をつけなさい。多くの者がわたしの名を名のって現れ、自分がそれだとか、時が近づいたとか、言うであろう。

彼らについて行くな。 戦争と騒乱とのうわさを聞くときにも、おじ恐れるな。

こうしたことはまず起らねばならないが、終りはすぐにはこない」

それから彼らに言われた、

「民は民に、国は国に敵対して立ち上がるであろう。

また大地震があり、あちこちに疫病やききんが起り、いろいろ恐ろしいことや天からの物すごい前兆があるであろう。

しかし、これらのあらゆる出来事のある前に、人々はあなたがたに手をかけて迫害をし、会堂や獄に引き渡し、わたしの名のゆえに王や総督の前にひっぱって行くであろう。

それは、あなたがたがあかしをする機会となるであろう。

だから、どう答弁しようかと、前もって考えておかないことに心を決めなさい。

あなたの反対者のだれもが抗弁も否定もできないような言葉と知恵とを、わたしが授けるから。

しかし、あなたがたは両親、兄弟、親族、友人にさえ裏切られるであろう。

また、あなたがたの中で殺されるものもあろう。

また、わたしの名のゆえにすべての人に憎まれるであろう。

しかし、あなたがたの髪の毛一すじでも失われることはない。

あなたがたは耐え忍ぶことによって、自分の魂をかち取るであろう。

エルサレムが軍隊に包囲されるのを見たならば、そのときは、その滅亡が近づいたとさとりなさい。

そのとき、ユダヤにいる人々は山へ逃げよ。市中にいる者は、そこから出て行くがよい。

また、いなかにいる者は市内にはいってはいけない。

それは、聖書にしるされたすべての事が実現する刑罰の日であるからだ。

その日には、身重の女と乳飲み子をもつ女とは、不幸である。

地上には大きな苦難があり、この民にはみ怒りが臨み、 彼らはつるぎの刃に倒れ、また捕えられて諸国へ引きゆかれるであろう。

そしてエルサレムは、異邦人の時期が満ちるまで、彼らに踏みにじられているであろう。

また日と月と星とに、しるしが現れるであろう。

そして、地上では、諸国民が悩み、海と大波とのとどろきにおじ惑い、 人々は世界に起ろうとする事を思い、恐怖と不安で気絶するであろう。

もろもろの天体が揺り動かされるからである。

そのとき、大いなる力と栄光とをもって、人の子が雲に乗って来るのを、人々は見るであろう。

これらの事が起りはじめたら、身を起し頭をもたげなさい。あなたがたの救が近づいているのだから」

それから一つの譬を話された、

「いちじくの木を、またすべての木を見なさい。

はや芽を出せば、あなたがたはそれを見て、夏がすでに近いと、自分で気づくのである。

このようにあなたがたも、これらの事が起るのを見たなら、神の国が近いのだとさとりなさい。

よく聞いておきなさい。これらの事が、ことごとく起るまでは、この時代は滅びることがない。

天地は滅びるであろう。

しかしわたしの言葉は決して滅びることがない。

あなたがたが放縦や、泥酔や、世の煩いのために心が鈍っているうちに、思いがけないとき、その日がわなのようにあなたがたを捕えることがないように、よく注意していなさい。

その日は地の全面に住むすべての人に臨むのであるから。

これらの起ろうとしているすべての事からのがれて、人の子の前に立つことができるように、絶えず目をさまして祈っていなさい」

イエスは昼のあいだは宮で教え、夜には出て行ってオリブという山で夜をすごしておられた。

民衆はみな、み教を聞こうとして、いつも朝早く宮に行き、イエスのもとに集まった

ルカによる福音書‬ ‭21:1-38

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2017年の聖書の完読年間計画
目標1日4章







聖書を完読しよう994
42-21

ルカ20 あれはあと取りだ あれを殺してしまおう そうしたら その財産はわれわれのものになるのだ

2016-07-21 00:04:00 | 新約聖書3 42ルカによる福音書


ルカによる福音書20章

ある日、イエスが宮で人々に教え、福音を宣べておられると、祭司長や律法学者たちが、長老たちと共に近寄ってきて、 イエスに言った、

「何の権威によってこれらの事をするのですか。そうする権威をあなたに与えたのはだれですか、わたしたちに言ってください」

そこで、イエスは答えて言われた、

「わたしも、ひと言たずねよう。それに答えてほしい。

ヨハネのバプテスマは、天からであったか、人からであったか」

彼らは互に論じて言った、

「もし天からだと言えば、では、なぜ彼を信じなかったのか、とイエスは言うだろう。

しかし、もし人からだと言えば、民衆はみな、ヨハネを預言者だと信じているから、わたしたちを石で打つだろう」

それで彼らは

「どこからか、知りません」

と答えた。 イエスはこれに対して言われた、

「わたしも何の権威によってこれらの事をするのか、あなたがたに言うまい」

そこでイエスは次の譬を民衆に語り出された、

「ある人がぶどう園を造って農夫たちに貸し、長い旅に出た。

季節になったので、農夫たちのところへ、ひとりの僕を送って、ぶどう園の収穫の分け前を出させようとした。

ところが、農夫たちは、その僕を袋だたきにし、から手で帰らせた。

そこで彼はもうひとりの僕を送った。

彼らはその僕も袋だたきにし、侮辱を加えて、から手で帰らせた。

そこで更に三人目の者を送ったが、彼らはこの者も、傷を負わせて追い出した。

ぶどう園の主人は言った、

『どうしようか。そうだ、わたしの愛子をつかわそう。これなら、たぶん敬ってくれるだろう』

ところが、農夫たちは彼を見ると、

『あれはあと取りだ。あれを殺してしまおう。そうしたら、その財産はわれわれのものになるのだ』

と互に話し合い、 彼をぶどう園の外に追い出して殺した。

そのさい、ぶどう園の主人は、彼らをどうするだろうか。

彼は出てきて、この農夫たちを殺し、ぶどう園を他の人々に与えるであろう」

人々はこれを聞いて、

「そんなことがあってはなりません」

と言った。 そこで、イエスは彼らを見つめて言われた、

「それでは、『家造りらの捨てた石が隅のかしら石になった』と書いてあるのは、どういうことか。

すべてその石の上に落ちる者は打ち砕かれ、それがだれかの上に落ちかかるなら、その人はこなみじんにされるであろう」

このとき、律法学者たちや祭司長たちはイエスに手をかけようと思ったが、民衆を恐れた。

いまの譬が自分たちに当てて語られたのだと、悟ったからである。

そこで、彼らは機会をうかがい、義人を装うまわし者どもを送って、イエスを総督の支配と権威とに引き渡すため、その言葉じりを捕えさせようとした。 彼らは尋ねて言った、

「先生、わたしたちは、あなたの語り教えられることが正しく、また、あなたは分け隔てをなさらず、真理に基いて神の道を教えておられることを、承知しています。

ところで、カイザルに貢を納めてよいでしょうか、いけないでしょうか」

イエスは彼らの悪巧みを見破って言われた、

「デナリを見せなさい。それにあるのは、だれの肖像、だれの記号なのか」

「カイザルのです」

と、彼らが答えた。 するとイエスは彼らに言われた、

「それなら、カイザルのものはカイザルに、神のものは神に返しなさい」

そこで彼らは、民衆の前でイエスの言葉じりを捕えることができず、その答に驚嘆して、黙ってしまった。

復活ということはないと言い張っていたサドカイ人のある者たちが、イエスに近寄ってきて質問した、

「先生、モーセは、わたしたちのためにこう書いています、

『もしある人の兄が妻をめとり、子がなくて死んだなら、弟はこの女をめとって、兄のために子をもうけねばならない』

ところで、ここに七人の兄弟がいました。長男は妻をめとりましたが、子がなくて死に、 そして次男、三男と、次々に、その女をめとり、 七人とも同様に、子をもうけずに死にました。

のちに、その女も死にました。

さて、復活の時には、この女は七人のうち、だれの妻になるのですか。

七人とも彼女を妻にしたのですが」

イエスは彼らに言われた、

「この世の子らは、めとったり、とついだりするが、 かの世にはいって死人からの復活にあずかるにふさわしい者たちは、めとったり、とついだりすることはない。

彼らは天使に等しいものであり、また復活にあずかるゆえに、神の子でもあるので、もう死ぬことはあり得ないからである。

死人がよみがえることは、モーセも柴の篇で、主を

『アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神』と呼んで、これを示した。

「神は死んだ者の神ではなく、生きている者の神である。人はみな神に生きるものだからである」

律法学者のうちのある人々が答えて言った、

「先生、仰せのとおりです」

彼らはそれ以上何もあえて問いかけようとしなかった。 イエスは彼らに言われた、

「どうして人々はキリストをダビデの子だと言うのか。 ダビデ自身が詩篇の中で言っている、

『主はわが主に仰せになった、 あなたの敵をあなたの足台とする時までは、わたしの右に座していなさい』

このように、ダビデはキリストを主と呼んでいる。

それなら、どうしてキリストはダビデの子であろうか」

民衆がみな聞いているとき、イエスは弟子たちに言われた、

「律法学者に気をつけなさい。

彼らは長い衣を着て歩くのを好み、広場での敬礼や会堂の上席や宴会の上座をよろこび、 やもめたちの家を食い倒し、見えのために長い祈をする。

彼らはもっときびしいさばきを受けるであろう」

ルカによる福音書‬ ‭20:1-47

聖書物語を子供に話してあげましょう


聖書を学び、神様を知り、神様に感謝し、神様をおそれ、神様を愛し、自分を愛するのと同じように隣人を愛しましょう


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