10. キリスト教は愛の宗教
堕落というのは
人間と神との授受の関係が切れることによって一体となれず
サタンと授受の関係を結び、それと一体となったことを意味する
イエスは神と完全な授受の関係を結んで一体となられた、ただ一人のひとり子として来られたお方である
したがって、堕落した人間が、イエスと完全なる授受の関係を結んで一体となれば
創造本性を復帰して、神と授受作用をすることによって、神と一体となることができるのである
それゆえに、イエスは堕落人間の仲保となられると同時に、道であり、真理であり、また命でもあるのである
したがって、イエスは命をささげ、愛と犠牲によって、すべてのものを与えるために来られたお方であるから
だれでも彼に信仰をささげる者は滅びることのない永遠の命を得るのである
(ヨハネ三・16)
キリスト教は、愛と犠牲により、イエスを中心として、人間同士がお互いに横的な授受の回路を回復させることによって
神との縦的な授受の回路を復帰させようとする愛の宗教である
それゆえに、イエスの教訓と行跡とは、みなこの目的のためのものであったのである
例を挙げれば、イエスは
「人をさばくな。自分がさばかれないためである。あなたがたがさばくそのさばきで、自分もさばかれ」るであろう
(マタイ七・1、2)
と言われた。また
「何事でも人々からしてほしいと望むことは、人々にもそのとおりにせよ」
(マタイ七・12)
と語られ
「だから人の前でわたしを受けいれる者を、わたしもまた、天にいますわたしの父の前で受けいれるであろう」
(マタイ一〇・32)
とも言われた。また、イエスは
「預言者の名のゆえに預言者を受けいれる者は、預言者の報いを受け、義人の名のゆえに義人を受けいれる者は、義人の報いを受けるであろう」
(マタイ一〇・41)
と言われ
「わたしの弟子であるという名のゆえに、この小さい者のひとりに冷たい水一杯でも飲ませてくれる者は、よく言っておくが、決してその報いからもれることはない」
(マタイ一〇・42)
とも言われたのである。
原理講論 前編1創造原理-10
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