カウンセラーのコラム

山梨県甲府市でカウンセリングルームを開業している心理カウンセラーの雑文です。

夏風邪

2010年08月18日 | 日記 ・ 雑文
先週の木曜日から4泊5日の日程で妻の実家がある福島県喜多方市に帰省した。当初の予定では金曜日に東京を発つことになっていたが、渋滞予測情報とにらめっこしながら妻と相談した結果、「前日の夕方に出発したほうが賢明だろう」と判断したのだった。
その判断は見事に的中し、ほとんどまったく渋滞に巻き込まれずに済んだのだが、前日(水曜日)まで開催されていた夏季ワークショップ・東京会場での疲労が蓄積していたのと、もうひとつは喉の痛みとで、このときの長距離ドライブはかなりこたえた。「そういえば、ワークショップ参加者の一人が『風邪をひいた』と言っていたなあ。これも風邪だろうなあ」と思いながらクルマを走らせた。

夜8時半ごろ妻の実家に到着すると、息子(6歳)がゴロンと横になりながらテレビを観ていた。私たち二人の姿を見つけると驚いたような顔をして飛びついてきた。息子はしばらくの間、ひとりで祖父母の家に宿泊していたのだった。私とは5日ぶりの再会だった。
たったの5日間ではあるが、私の目にはひとまわり大きくなったように見えた。この間、地元のお祭りに参加したりなどして、いろいろな経験を積んだという話を聞いた。また「箸が使えるようになった」と聞いて驚いた。それまでは子供用の補助輪付きの箸(3本の指を入れる輪が付いている)しか使えなかったのが、普通の箸で何でも食べられるようになったのである。
長年のカウンセリング経験から、「○○できない人が○○できる人にチェンジするのは、ほんの一瞬の出来事である」という事実は十分に理解しているが、実際にそれを目の当たりにするといつも驚いてしまう。やっぱり“人間の成長というもの”は、神秘以外の何ものでもないのではないか? そんな気さえする。もっとも、だからと言ってそれを“神秘”の2文字で片付けてしまったら、探求とか究明などと呼べる動きは生じてこないだろう。ゆえに私たちカウンセリング学習者にとっては、人間が包含しているこの“神秘性”こそ、探求し究明し解明していくべき大きな課題になってくるわけだが……。

ある程度の予測はしていたが、翌日から発熱した。日曜日になってようやく平熱にまで下がったので、その日1日だけはプールに行ったりと観光旅行が味わえたが、それ以外の2日間はずっと布団で寝ていた。
月曜日に帰京したのでなんとも空しい帰省だったが、「蓄積していた疲労を回復して体調を整えるためには、風邪をひいて強制的に身体を休ませる必要があったのだろうな」と考えることにして、自分を慰めているところだ(苦笑)。

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