★tomoe-母のクモ膜下出血闘病日記

元気だったお母ちゃんが2004年2月17日突然倒れた。クモ膜下出血。家族の事、インターネットでできた事。体験談など。

なんとかヤマ越えた?

2006年06月05日 | お母ちゃん★日々の様子
お母ちゃんは、先月の31日に入院して
すぐに主治医になった先生に
『最悪の事態になった場合、生命維持装置をつけるか?
 自然に任せて時を待つか、家族で決めて下さい。』
と言われました。私たち家族はそれはもうショックで
これまでずっと一緒に頑張ってきたのに
よりによって、私が名古屋へいる時にそんな事態になるとは。。

私は妊婦なので、これまでのように飛んで帰るというような行動はできないし。
そしたら、だんなさんが、土日も忙しく働いているのに
平日に仕事を休んで広島へ連れて行ってくれました。

お母ちゃんの前では泣けないので、
元気が出るように、お父ちゃんに少しでも支える力をあげたいと思って行動しました。
お母ちゃんにお腹の赤ちゃんの写真を見せて
頑張らなきゃいけないコト思い出してもらいました。

入院して数日がヤマ、と言われていたし
お母ちゃんに効く抗生物質があと数種類しかないこと
第一候補に拒絶反応(湿疹)が出たこと
なんかもあったけど、第二候補の薬が効いたのか?熱が下がって
今日の検査結果で
炎症の数値を表すCRPが1以下になって
肺のレントゲンでも白い影が縮小傾向にあることがわかりました。

当初は、なぜクモ膜下出血で手術した病院へ行かなかったのかと
先生方に質問され、お父ちゃんが困っていました。
そこで、私が作成した経過表をプリントアウトして持っていき
行き場がなく、これまで最善の治療をしてくれる病院を渡り歩いてきたことを
伝えました。どんなに口で伝えても、お医者さまには伝わらないことがあります。
また一人の先生でなく、何人かの先生が交代でいる以上、全ての先生に伝えるのは
書類が一番的確なのです。。。

また、肉親の生死で動揺してる時に、正確に思いを伝えることはムリだから。

今回、お母ちゃんがもしかしたらいなくなるかも?
という恐怖と現実を目の前にして
涙が溢れ出たし、悲しかったし、辛かった。

でも。。。
いつかは別れの時が来る。その時まで
一緒に温かい時間を過ごして、周りの人を支えて
最後はお母ちゃんが苦しまないですむ選択をしようと
お父ちゃんやお兄ちゃん、お姉ちゃんと話しあう機会が持てました。

また、今はだんなさんとお腹の赤ちゃんとだけの幸せな生活もステキだけど
たとえ、お母ちゃんが元気になったとしても
いつかはまた確実にやってくる介護生活を考えて、今後どこで暮らし
仕事をして、子どもを育てていくのか、真剣に考える機会をもらいました。


とりあえず、お母ちゃんがまだ生きていてくれる。
今回もヤマを越えてくれてありがとう。
そして、助けてくれた人、心配して祈ってくれた皆さん、ありがとうございました。



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2 コメント

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はじめまして (akemi)
2006-06-06 01:23:26
はじめまして。私の母も今年の一月にくも膜下出血で倒れ現在も入院しています。母が倒れた時は気が動転し多分今まで生きてきたなかで母を失うかもしれないというのが一番の恐怖だったと思います。何も病気の事が分からなかったのでtomoeさんのHPは本当に私の教科書になりました。そんな時にお母様の入院を知って何も出来ませんが毎日祈っていました。今日、拝見させて頂いて安心しました。やっぱり私たちの母は強いですね。tomoeさんも赤ちゃん大事にして下さいね。本当に良かったです。
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ありがとう。 (tomoe)
2006-06-06 12:02:48
はじめまして、akemiさん。

私のブログが密かに、誰かに役立っていたのなら

それが私にとって一番ウレシイコトです。

祈ってくださって本当にありがとうございました。akemiさんのお母さんもどうか回復されますように。

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