これは後で、セカンドオピニオンを聞く為にかいたテキストの一部。
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2/17(火) AM11:00自宅で突然倒れる。意識あり。
病院へ搬送後、意識なくなる。
CT撮影の結果、2つの瘤のうちの1つが、計4回破裂。
最重症グレード5と診断。
PM7:30 コイル手術成功
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ここからは後から思い出して書きます。
主治医の先生がたまたま救急にいたみたいなんだよね。あの日。
で、お母ちゃんはクモ膜下出血で、グレード5という最重症。
CT撮るのに2つ方法があって、二者択一迫られたっけ。
一つは、カテーテルを血管に入れて造影剤いれて詳しく撮る方法。
一つは、造影剤を血管から入れてほどほどに写す方法。
いずれにしても、CT撮らないと、手術もできないから決めてください
と言われた。父と私。
あの時。父ほど頼りになる人が、
『先生にお任せします。助けてください。』
と舞い上がっているのを目の当たりにした事はない。
私は直感的に、この選択は、母ちゃんの命を左右すると思った。しっかりしなきゃって思った。
『先生のお母さんだったらどうされますか?』
ときくと、さんざん迷われたけど、結局母ちゃんの体のリスクの少ない方を選ぶことにした。
答えは、影剤を血管から入れてほどほどに写す方法。
撮影結果、クモ膜下出血で2つの瘤が内頚動脈にあって
その一つが裂けてるらしい。しかも計4回。
1回目の破裂 自宅で
2回目の破裂 病院へ来てすぐ
3回目の破裂 CT撮影中
4回目の破裂 CT撮影中
ふつう、1回の破裂でももうアカン人も多いという。母ちゃんは4回。。
よく生きてた。
この頃、義姉ちゃんと兄ちゃんがあいついで駆けつけて来たと思う。
頭を開けてする開頭手術か、カテーテルで栓をするコイル手術しかないと言われた。幸い、コイルができる先生を岡山大学から呼んでくれると言う。でも、到着した時、手術すらできる状態にあるか、わからないという。この時もどうするか選択が迫られた。
最初に倒れてから6時間ぐらいは、何も手術せず見守るケースも多いという。なぜなら、どんどん母ちゃんみたいに破裂するケースがあるから。
私は、自分の脳神経外科の主治医に電話した。
私は、脳の下垂体に小さな良性腫瘍があって、日本医科大学に通っていた。私の主治医は忙しく火曜の午後でないと電話が繋がらない。
この日はちょうど火曜の午後だった。(今思えばラッキー)
電話で相談した。後悔したくなかったから。
そしたら、地方で、コイルをしてくれるというなら、
そうした方が良い、僕の家族ならそうする。
とアドバイスを受け、自分たち家族の選択に自身を持って
お願いした。(もちろん、あの時セカンドオピニオンをきいた事は主治医には話していない。あの家族ならしたはず、と気づいてらっしゃるかもしれないけど)
岡山大学から先生が到着するまで、3-4時間あったと思う。
この間、親類を呼んでおいてください。
という先生の言葉どおり、親しい人を呼んだ。
この頃、ようやく実感がわいてきていた。でも一生懸命冷静になろうとしていた。私ら家族で母ちゃんを助けたかったから。
何か食べなきゃ父ちゃんが倒れる!と思いコンビ二で
パンとか飲み物を買った。周りに座ってくれた親戚にも配った。
泣きはしたけど、わあわあとは泣かなかったと思う。
コイル手術は成功した。奇跡だった。と思う。
夜の7:30だった。それから先生の説明を受けた。
瘤が裂けた周りに血液があって、また膜を作っていた為、
4回裂けても自分で守っていたという。
うまく説明できないが、先生も100近く手術をしていてこんなのは初めて、と説明された。
その説明を親戚にして、ありがとうと伝え帰ってもらった。
10時頃、母ちゃんとICUで会う。
いろんな管が体のあちこちに10本以上繋がれていた。
涙が出た。なんでって。
これからが長い戦いになるだろうから、父ちゃんに一旦帰ろうと提案した。
家に帰った。父ちゃんは風呂に入った。兄ちゃんは店のレジしめとかしてた。父ちゃんの携帯電話が鳴った。
血圧が異常低下したから、すぐ家族は来てください。
という看護婦さんからの連絡だった。
父ちゃんは、私のあわてて入れたぬるい風呂から飛び出た。
後から、あれが一番心臓に悪かったって言われた。ほんまやな。。。
夜中の12時を回っていたと思う。
こうしてお母ちゃんの倒れた2月17日が過ぎていった。