★tomoe-母のクモ膜下出血闘病日記

元気だったお母ちゃんが2004年2月17日突然倒れた。クモ膜下出血。家族の事、インターネットでできた事。体験談など。

ありがとうございました

2018年06月24日 | お母ちゃん★日々の様子

2018年6月17日の早朝お母ちゃんは行ってしまいました。
享年72歳。2004年の2月17日にくも膜下出血で倒れてから14年と4か月の闘病生活でした。


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お母ちゃん。大好きなお母ちゃん。
あんなに毎日会いに行ってたのに前の日会いに行かなくてごめんね。
でも、私を産んで育ててくれて、ずっと一緒におってくれて
本当にありがとう。

半年前に誤嚥性肺炎で入院してから口からご飯がたべれなくなって
それでも入院を乗り切って自宅に連れて帰れて、お正月を過ごせて。。
今年の冬の寒さがこたえたのか?だんだん胃瘻からも受けつけなくなって。。。
それでもお父ちゃんが生きてほしいと願うから
頑張って応えてくれて。。
私も自宅で24時間点滴を何度も管理して泊まり込んで。。

これで良いのか本当に悩んだよ。。

正直しんどくてくじけそうで、目ばちこが2つもできて。。へこんだ。
でも一緒におれた時間はかけがえのない時間だったよ。
頑張る姿と家族の愛を教えてくれてありがとう。

最近は体力がなくて
週に一度、日曜日にお父ちゃんと私とでお風呂に入れてあげたね。
あの日、
「あ〜お風呂が気持ちいい。」
って長風呂したよね。1回もたいぎいって言わなくて
スーパーポジティブなお父ちゃんは「元気になりよる!」
ってすぐ言うものだから。。
あの時違和感を感じたのに私もすぐ良い方にアハハって笑ったんだ。

17日の朝早くに行ってまたお風呂に入れてあげようとしてたんよ。
もうちょっと待ってて欲しかったよ。
ごめんね。どんなにみてきても
何かしらの後悔は残るものなんだね。
なんでも出来ることは、後回しにしちゃいけないって
母ちゃんが最期におしえてくれたんじゃね。

前の日、会社の事務所引越しが一年半越しに完了して。。
昔火事で燃えた事務所が再建できたんよと
伝えたけん、安心して行っちゃったんだね。
引越し頑張ったけん、どろどろで汚い自分が菌を持ち込んじゃいけんと
思って。。一階まで行ったのに母ちゃんの顔を見に上がれば良かったと
胸が痛んだよ。ごめんね。
でも、自宅の温かい自分の布団で逝かせてあげれたのは
結局私の希望どおりだったね。安らかなとても綺麗な顔だったから
苦しくなかった?

今思えば。。

亡くなる1週間前。朝母ちゃんの部屋に行ったら
おきさんと元気な時みたいにラジオ体操してたね。
「母ちゃんおはよー。」
って私が言ったら、まじまじと
「とんちゃん、ありがとうね。」
って言ってくれたね。ありがとう言い合ったね。


その次の日12日は私の誕生日。
「母ちゃん産んで育ててくれてありがとう。」
って今年も言えたよ。あの時調子良かったじゃん。。

13日は東京のお父さんが入院したけん、お見舞い行ってきても
待っててくれたじゃん。。

14日は今度はだんなさんが東京行ったけんヒロと泊まれたね。
お父ちゃんがスイカを母ちゃんに食べさせてて
超ビックリしたけど、まあいっかで
美味しい〜と味わえた母ちゃん見れて本当に良かったと思う。


亡くなる2日前15日に定期検診で病院へ行った時、
エレベーターで抱きしめて
「母ちゃん大好き。ずっと味方同士でいようね。」
って約束したね。家に帰って車から車椅子、トイレ移動の時
なんだか愛しくて、いつも以上に抱きしめたよ。

「じゃあ、母ちゃん引越し頑張ってくるけん行ってくるね。」
あれが最期に交わした言葉になるなんて。
そこは想像してなかったよ。

お墓とお仏壇、ちゃんと守るからね。
見守っててね。
お父ちゃんはまだ一緒にこっちにおってもらわんと従業員が困るけん
まだまだとうぶん、お迎えに来ちゃダメだからね。

お願いよ。


お母ちゃんがいなくなってから、本当は寂しいよ。
でも、お父ちゃんが少しでも早く前を向けるように
できることを毎日ひとつづつでも
すすめていくね、見張っとくね。

母ちゃんが残してくれたものや、
ちょっとした出来事に
母ちゃんを感じるよ。
話しかけたら、心で母ちゃんの声が浮かぶ。不思議。
だいたい何てこたえるかわかるんじゃ。。

ずっと味方同士でいようね。本当にありがとう。

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長年、このブログを見てくださった方々
本当にありがとうございました。

母ちゃんは精一杯生きて愛と色んな貴重な経験を振りまいて
旅立ちました。生前、人様にあまり迷惑をかけたくなく、
派手なことも好まなかった為、亡くなった当日に通夜、
翌日には告別式を行いました。
家族や会社に迷惑がかからない最小限の日曜日の早朝に
一人で黙って旅立ちました。
本当に母ちゃんらしいです。

唯一、かかりつけの井上先生には最後までご迷惑をおかけしました、
私が朝7時に電話した時、既に東京行きの新幹線に乗っていらしたのに
岡山駅で降りて10時には家まできてくださいました。

家でみとれたのは井上先生のお陰と感謝しています。
本当にありがとうございました。


これでブログを終わっても良いのですが
気持ちが落ち着いてきたら
私が母ちゃんにベストを尽くした介護情報やグッズをアップしたいと思っています。
いつになるかわかりませんが、どなたかのお役にたてることがあれば。。と思います。


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8 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
こちらこそ。 (とも)
2018-07-03 01:30:47
ありがとうございました。数日前より繰り返し読ませて頂いております。
まだ、信じられない気持ちで、言葉がみつかりません。
長い間、どれ程勇気付けられたことでしょう。
心から感謝申し上げます。
お母様のご冥福御祈りしておりましす。
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Re:こちらこそ。 (tomoe-mama)
2018-07-03 23:56:53
ともみさん。コメントありがとうございます。悲しい時はちゃんと悲しんで、今はゆっくりしたり、整理整頓しています。生きて一緒にいればこそ交わせる言葉や時間は宝物でした。なくしたものより、今できるコトを見つけて生きていきたいですね。母は姿は見えなくなりましたが、まだしてあげれるコトがあると最近気付きはじめています。前を向いて父や家族と生きています。
お姉さんを大切にしてあげてください。
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Unknown (えり)
2019-04-07 23:13:16
はじめまして、ブログを読ませていただいてます。
私の母もクモ膜下出血と、右脳の広範囲にわたる脳梗塞で倒れて3カ月です、、、水頭症の手術もひかえています。
意識はありますし、少し話したりしますが、ぼーっとしていて頭を起こすこともまだできません。毎日病院にいって、声をかけていますが、つらくて涙が出る日々です( ; ; )
でもともえさんのブログを読ませていただいて、私も前向きに頑張らなくては。と感じさせてもらいました(;_;)ありがとうございました。また、母の心からの笑顔が見たいです。。。
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Unknown (tomoe-mama)
2019-04-13 10:47:59
えりさん。コメントありがとうございます。新生活でバタバタしてブログにコメントがついている!と時間が経って気づきました。
お母さま。心配ですね。お辛いことと思います。むかし、母ちゃんは水頭症の手術がうまくいって意識がシャキッとしたなあと思い出しました。
辛い時はずっとは続きません。今できること、お母さまの自宅や家族のごはん、そしてえりさん自身お疲れと思います。
私は、よく誰にも言わずマッサージや美容院、ヘッドスパ、買い物まで行っていました。
母ちゃんが起きた時、娘がキレイな方が喜ぶかな〜って思ってましたので。

お母さまの失われてしまったものより、今ある意識や会話できる今ある幸せに気づけたら、何も変わらないのに、気持ちが楽になるかもしれませんよ。

お母さまの回復を心からお祈りします。
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Unknown (えり)
2019-04-22 03:43:08
ともえさん、お忙しい中、返信をいただいて本当にありがとうございます( ; ; )
うれしくて、勇気付けられました(><)
今ある幸せに気づくことからはじめてみます。゚(゚´ω`゚)゚。
泣き虫なので、また泣いてしまうのでしょうが、、、
大好きな母にまた笑顔が戻る日までがんばります。
私もともえさんのように、強い女性になりたいです(;o;)
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Unknown (えり)
2019-07-31 19:25:29
ともえさん、またコメントさせていただきました、すみません( ; ; )
私の母が、倒れて7ヶ月くらいになるのですが、飲み込みの力が弱く、また、数口食べても吐いてしまいます😭💦
嚥下のリハビリでいかれた病院などでおススメなどありますか?
有料でもかまいません😭💦
お時間あるときにでもかまいません、よろしくお願い致します💦
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Unknown (tomoe)
2019-08-02 02:15:41
えりさん

お母さま心配ですね。
まず、摂食嚥下障害のコトですが、キーワードとしては
「摂食嚥下障害 VF検査」
脳神経外科 歯科 リハビリ科
「嚥下障害 訪問リハビリ」
などで調べてみてください。この数年で、この分野はかなり進歩しています。
私の母が最初に治療をはじめた頃はなかなか専門医がいませんでした。
しかし、晩年は、訪問リハビリの歯科衛生士に摂食嚥下リハビリの方がいらして、歯科医と歯科衛生士のお二人に自宅まで来ていただいていました。探せば身近にプロがいらっしゃるかもしれません。

それから、これは14年みた私の私見です。
人間は口から食べれなくなったら、そっと見守って、お布団の上でいかせてあげたいな、と。胃ろうや点滴で栄養をとれば、生きられます。でも、過剰な水分摂食は苦しそうでした。最期ごろは、私は看取りの勉強をして母が苦しくないよう、水分を減らしていました。過剰な摂取で嘔吐して誤嚥した事もあったからです。
母は父の生きて欲しいという願いに、献身的な看病と愛に応えて生きてくれました。

たぶん、口から食べれなくなったら、1週間くらいでいくんだと思います。脳内モルヒネが出て、本人は眠り続けて、あまり苦痛はないらしいです。唇が乾いたらガーゼに水を含ませてあげたり。。昔の自宅での看取りが、理想の旅立ちなのかもしれません。

えりさんの娘として生きていて欲しいと願う気持ちはとても良くわかります。

では、自分がお母さまだったら、何をして欲しいかを考えてできることをしてさしあげてください。たぶん、ただそばにいて笑顔を見せて欲しいとか、だと思います。

私はお母ちゃんにありがとうと大好きを伝え続けていました。それだけで、嬉しそうで、お互い幸せでした。

何か参考になることがあれば幸いです。
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Unknown (えり)
2019-08-02 11:32:48
ともえさんお忙しい中、返信いただいてありがとうございます!!
私の母も先日、胃ろうの手術がおわりました、とても複雑な思いでした(>_<)
私も、できる限りのことはしてみて、後は母の気持ちを優先できればと思います。。。(;_;)
検索してみます(>_<)

ありがとうございましたT_T
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