★tomoe-母のクモ膜下出血闘病日記

元気だったお母ちゃんが2004年2月17日突然倒れた。クモ膜下出血。家族の事、インターネットでできた事。体験談など。

おばあちゃん

2004年10月31日 | 家族の気持ち&行動
今日の朝、朝といっても12時15分。
突然お父ちゃんが私を起こした。

おばあちゃんが亡くなったと電話があったらしい。
すぐに、別の部屋で話しあい、お母ちゃんには今話すまいと心に決め
悩んだあげく、お父ちゃんはおばあちゃんの家に行った。

私はお母ちゃんを思うとなかなか眠れず朝が来るまで
何をすべきか考えていた。

 お母ちゃんにやっぱり伝えて会いに連れていくこと。
 悲しみ用ホメオパシーを服用させて、気持ちを楽にしてあげること。
 おばあちゃんに六文銭を棺に入れてあげること。
 お父ちゃんと私はビタミンを飲むこと。
 抱っこしてあげて、支えてあげること。

そんなことを考えて布団の中にいたら、
朝方お父ちゃんが帰ってきた。
最初はいつもの父ちゃんだったけど、
お父ちゃんがお母ちゃんに隠し事ができるわけもなく
泣きながら説明した。
お母ちゃんは息が荒くなるほど動転したけど
比較的落ち着いていた。

とりあえず、元気をつけて会いにいこうねと
朝ごはんを食べさせ、トイレに連れていき
着替えをして車で40分の遠出をした。

途中吸引することはなかった。

途中でお兄ちゃんと合流。
おばあちゃんの家に着くと、親戚みんなが出迎えてくれた。
まだ歩けないので、みんなで抱えてもらった。

私は、おばあちゃんの顔を見ると
<おばあちゃん、お母ちゃん連れてきたよ。>って言って
頭をなで続けた。お母ちゃんはやっぱり泣いた。
私も泣いた。いっぱい涙が出た。

でも安らかな顔だった。
もう長く療養生活をしていて
今年の5月から調子を崩し、8月に入院。
私は9月と10月に病院へ会いに行った。
最後に会った時はわかってくれたと思う。

私は一番小さな孫(末孫)で一番かわいがられた。
おばあちゃんがほんとうに大好きだった。
お母ちゃんを連れていくからという約束を果たせなかった。
ゴメン。。。

お母ちゃんを産んでくれたおばあちゃん。
私を産んでくれたお母ちゃん。
思えば、頑張り屋さんなのは、
おばあちゃんから代々受け継がれた気質なのかも
しれないね。感謝しなくちゃね、とお母ちゃんに言った。

頷いていた。

連れて行ってよかったと思う。お父ちゃんもお兄ちゃんも
同じ気持ちだったと思う。

しばらくは、落ち込むかもしれないお母ちゃん。
でも、お父ちゃんの
<元気になることが、おばあちゃん喜ぶし、一番の供養だからな。>
<きっと、おばあちゃんがこれから見守ってくれるよ。>
<今日は泣いても、落ち込むな。>
<父ちゃんも、ともえも着いてるからこれを機に立ち直るんだぞ。>
に何度も何度も頷いた。

今は家に帰ってきて、疲れて眠っている。父ちゃんも。
人生には悲しいことがあるんだなぁ。今日はその日なんだなぁ。

良かった良かった。

2004年10月30日 | 家族の気持ち&行動
あー。アブナイ。アブナイ。

この2日ほど、体調がヤバクなりそうだった。
2つほど精神的ストレス事件が重なり
(内容は伏せますが、私への許容オーバーなメールでの申し出)
それはハッキリ丁寧に断ることでダメージ小ですんだ。

私はカゼをひきそうな時、過去たいていストレスから
持ち崩すことが多くあ、ヤバイかも。。。
という感覚があるので
すぐにビタミンMIXを飲んだ。
(ビタミンはストレスを緩和するらしい。兄ちゃんからの受け売り。)

ついでにホメオパシーもかじってるので
かぜの即効レメディ アコナイト を服用。

そして、にんにく&しょうがたっぷりの焼肉野菜炒めを作って食べた。
たまには肉も食べんとね★

午前中、少し休んでたらかなり回復。あー何が効いたかわからんけど
持ち直してほんまに良かったー。

お父ちゃんの方も同時期に仕事ストレスで鼻カゼひく一歩手前だったから
私と同じ処方?したら改善傾向?かな。

今カゼひいたらお母ちゃんに悪い。
良かった。良かった。


PS 読んでくれた方でホメオパシーって何?って方コレ見てください。
オールアバウトジャパンの解説が一番わかりやすいかな
http://allabout.co.jp/children/ikujinow/closeup/CU20031230B/index.htm

一見あやしいけど、体験するとハマリます。お子さんのいる方は特にオススメ。
気楽に良いとこどりで実践するもよし。(<でも自己責任でヨロシク。)
深く学べば、コーヒーよりも奥が深く。。。
医療とは、健康とは、西洋医学と東洋医学の考え方など
いろんな意味での考え方のヒントがあると思います。
心と健康はリンクしてるんだなってかんじ。





過去、現在、未来 ★未来編

2004年10月27日 | 家族の気持ち&行動
言葉に出して言ったコトバは
脳がそのとおりになるようにインプットしてプログラミングをはじめる、
という内容の本を読んだ。

だから、ポジティブなコトバだけ口にしたいと心がけるようになった。
願望を列挙します。

だんなさんと早く会いたい。
お母ちゃんが早くゴックンできて正月には歩けますように。
東京のお父さんとお母さんがいつまでもお元気でいてくれますように。
お父ちゃんがいつまでも元気でお母ちゃんを支えてくれますように。
兄ちゃんが立派な会社経営者になってくれますように。
兄ちゃんと姉ちゃんが仲良く暮らしてくれますように。
だんなさんと環境の良い所で幸せに暮らせますように。

家族や親戚みんなと快気祝いでごはんが食べれますように。
お父ちゃんとお母ちゃんと沖縄旅行に行けますように。
ハワイにも行けますように。

いろんな経験が役立つ時がきますように。
ピンチをチャンスに変えられるパワーが身につきますように。
笑いのセンスがUPしますように。
あと2キロやせられますように。
私の腫瘍も消えますように。

お母ちゃんが治ったら、かわいい元気な赤ちゃんを産んで育てられますように★

こんなことを願っています★


過去、現在、未来 ★現在編

2004年10月27日 | 家族の気持ち&行動
過去編にパワー使いすぎた。

現在は、クモ膜下出血で倒れてから8ヶ月。
自宅に連れて帰った。

家のリフォーム。
(これもすったもんだした。けどいい経験になった。
 私は将来、だんなさまにバリアフリー邸宅を建ててもらうのが夢。)

医療用品の調達。

介助の訓練。というか特訓。

新しい生活のリズム。

新しい通院リハビリ医探しと実際の通院スタート。

これらの少々のトラブルなんかは、過去の大変さを思えば
なんてことない。
最初のうち、24時間介護に疲れそうになったけど
吸引が数時間毎にあるから、夜熟睡はできないのだ。
でも体が慣れてきたら、新生活が楽しくなってきた。

テキトーに息抜きも覚えた。

だんなや友だちに夜電話しにくいのが難点。
お母ちゃんが寝るのが早いので。。
今はお母ちゃんに甘えられるのがけっこう幸せ。

過去、現在、未来 ★過去編

2004年10月27日 | 家族の気持ち&行動
いやー。テレビを見て毎日のように
いろんな事件、事故、災害があって
幸いにも私らは生きてる。
人間いつ何があるかわからない。だからこそ、
できることは明日に先延ばしにせずに
日々頑張っていきたいなぁと、そう思います。


私の性格は自己分析すると
ポジティブシンキングのコツコツ派?
煮詰まってくるとエスケープ。で気分転換。
すこしいい加減。こだわる所はこだわる派?
でも繊細。。。開き直ると強気。

なので。。。

お母ちゃんが倒れた時、
わー。エライことになった。
でも私がちゃんとせんと(父ちゃんがいっぱいいっぱいになっとる!!)
と思いました。
なっちゃったもんは仕方なし。
それより、後悔しないように
地方でも最善の医療がなされているのか私と兄ちゃんの目で
厳しく見つめようと思いました。(疑い深い性格?)

すぐに自分の脳神経外科の主治医(日本医科大学)に電話してセカンドオピニオンをきいた。
(実は私の脳に小さな良性腫瘍があって、通院していたから
 脳のハナシには少しだけ詳しかった。どんな経験も役立つ時があると思った。)

最初の3日は
お母ちゃんのそばで、励ましたり、手足をさすったりして
パワーを与える(<すごい思い込み)ことに必死だった。
ほとんど24時間、誰か家族が側にいて、その後、
仕事をしていない私が夜の担当になっていった。
たえず、話しかけたりして、看護婦さんに驚かれたこともあった。
3日目の朝に、さすがに静かな時間になると涙がじわじわきたけど
何か他にできることはないのか?と考えて
親友に情報SOSの電話をした。
キーワードを伝えて、ネットで情報収集をお願いした。
友だちってありがたいと思った。
ツライ時こそほんとうの友だちの存在に気がついたりした。
少し落ち着いてから、エステに連れて行ってくれた友だちもいた。本当にうれしかった。
その2日後にだんなに会ったら<おくさん、あんまりやつれてないじゃん。>と言われた★

ちょっと話しがそれた。。。
そして、ICUで主治医の先生が家にほとんど帰らず診てくれていて
信頼できるとわかった瞬間、うちら家族は揃って家に帰った。

その足で、
墓参りに行った。現状報告とお見守りくださいと手を合わせた。

そして地元の神社に行った。
祈祷をお願いした。丁寧に丁寧に宮司さんが話をきいてくださり、ご祈祷してくださった。
そのお守りは今もお母ちゃんの側にある。

それから、檀家にさせていただいているお寺に電話して
特別にお経をあげていただいた。
あの時、お寺に向かう途中で急な雨がふり
お経をあげていただいている時、突然雷が鳴ったのは
何とも言えない思いがしたけど、必死に手を合わせて祈った。

その後、親類縁者のお墓まいりに行った。
親戚のおばちゃんたちも協力してくれて、
あらかじめお掃除をしておいてくれたりして
(今思えばみなさんのお陰だと感謝しています。)

その後、般若心経をしようと兄ちゃんが言い始めた。
父ちゃんも私もすぐに同意。
(なぜかと言うと、私が小1の時、お母ちゃんは不治の病にかかった。
 でも毎日お墓まいりに行って、お父ちゃんが般若心経を書いたら
 半年で治った経験があったから。現在の私があるのは
 お母ちゃんがあの時にも生き延びてくれたお陰なのだ。)
家族みんなで手分けして書いた。
ベッドの下6枚と患部の下6枚すぐにひいた。
病院の看護婦さんには、おまじないだと説明。
時々そんな家族がいるらしく、あまり驚かなかった。

とにかく毎日が忙しかった。
だからあんまり泣くヒマもなく、リサーチと家と病院の往復で精一杯だった。

そのうち、親戚がアメリカの神の手を持つ天才脳神経外科医
のセカンドオピニオン相談をしたら?と教えてくれたこともあった。
えー。そこまでする?と内心思ったが、やっぱり後悔したくないので実行。
自分の主治医に電話してたのでほんとはサードオピニオンなんだけど、
まず日本語で手紙をかき、翻訳をいとこに頼み、アメリカへFAXした。

結局、手術をしてもらえる状況は脱していたのでお世話になることは
なかったけど、とても勉強になった。
日本の医療のスタンスと欧米のスタンスの違いなど。
基本的には自分と家族の体を守るのは自分だ、と思った。
常に疑問と真実を見極める必要や、医療スタッフを真剣にさせる質問の仕方など。
ただ、先生への質問の仕方、タイミングなどは細心の注意が必要なことも。
プライドある職業の方には、尊敬の念を忘れてはいけないです。

そして、嫁ぎ先が東京なのを武器に上京する度に
東洋医学の権威のところに話をききにいったりもした。
そしたら、西洋医学ではダメといわれた現状も
治ると言われて、本当にうれしかった。

でも、本物に出会うこと、それを見極めるコトは本当に難しい。
お金も時間も足も使った。お母ちゃんが本当に復活したら情報公開したい。
今はまだその時期じゃない。

幸い、金銭的な面は
お父ちゃんとお兄ちゃんが全部請け負ってくれた。
私の行動の自由は、だんなさんとそのご両親が温かい心で許してくれた。
だから、私は最善のものを、探すことができた。
皆さんに感謝している。