★tomoe-母のクモ膜下出血闘病日記

元気だったお母ちゃんが2004年2月17日突然倒れた。クモ膜下出血。家族の事、インターネットでできた事。体験談など。

疑似体験で思ったコト

2006年10月20日 | 家族の気持ち&行動
早いもので、広空(ひろたか)くんを産んで早や
3週間がたちました。
お陰さまで、母子ともにすこやかに過ごせています。
もちろん、慣れない育児に奮闘中!ですが
お母ちゃんのいる実家でなんとか生活しています。

自分自身が帝王切開とはいえ、
手術&2週間の入院生活をしたことで
発見!がありました。
かなりお母ちゃん(病人)のキモチがわかったのです。

帝王切開は、脊柱麻酔と硬膜外麻酔の2つを併用して行われるので
意識はあるし、切られる感覚はあるのに痛みは感じないという状態でした。

しかし、脊柱麻酔の痛かったこと!
あの時、お母ちゃんが脳卒中後に
血で汚れた脊髄を浄化する為に1ヶ月近く脊柱に太い針を打って
洗浄し続けたのですが、あぁ、こんなかんじだったんだなぁって
思いながら生あったかい手術台の上にいました。

また、手術が終わった後も左手首に太い点滴針を入れたまま
4日目の朝まで、点滴と 導尿(歩いてトイレに行けないので)
背中には硬膜外麻酔の管をぶら下げて
麻酔の後遺症で自力であまり動けない丸3日は
ベッドの上でプチ下半身麻痺状態を経験しました。

具体的にどんなかんじかというと。。。
手術日・・・お腹から下が完全麻痺。
      両ふくらはぎに、エアークッションで圧をかけられて
      エコノミークラス症候群予防。←最近の設備とか?
      (約3年前のお母ちゃんの時は、テンションの高い
       ストッキングをはかされて予防していた。)
      この日足先の感覚を感じるのは右足のみ。 
      前日から絶食の為、口を動かさないので
      このまま動かさないと顔の筋肉も固まるのを実感。
      脳は動けって命令してるのに、足が全く動かない、
      感覚すらないのって恐怖でした。。
      このままだったらどうしようって。。。
      

術後丸一日・・・かろうじて右足が動くようになる。でもまだヒザを立てる程度。
        左足のみ、しびれているので、かなり不安になる。
        このまま左だけ動かないとどうしようとか、思った。
        (同じ日に手術した隣の人も同じ状態だったのでひと安心。)
        なんとか、よろよろとベッドの上に座れる。立つと背中に激痛。
        結局歩けないので、トイレに行けず、導尿の卒業は明日に繰越。
        ベッド下に敷かれた防水シーツとバスタオルがしわくちゃ。
        でも自力で直せないもどかささ。
        すぐ手前にあるペットボトルの水が手にとれずイライラ。
        看護士さんにパンツを渡すよう言われたのに、
        かばんの中で行方不明でかなりイライラ。
        >こんな時気兼ねのいらない家族に側にいてほしいと痛感。

術後丸2日・・・痛みがあるので、硬膜外麻酔のボタンを自分で
        プッシュしまくって痛みを抑える。
        冷汗をかきつつも、歩けたので導尿卒業。
        そして授乳室へ行く。この日ぐらいからドロドロ食開始。
        (丸3日かけて普通食へ移行。)
        自分のふがいなさに、情けなくなる。

術後丸3日・・・まだ点滴のガラゴロをつけてはいたけど
        自力で動ける。嬉しかった!
        でも、点滴の管と背中の麻酔が抜けず生活が不便。

術後丸4日・・・ようやく点滴と麻酔が外れ、テープのかゆみから開放!
        シャワーOKとなる!!

私の術後の1日ぶんを、これまでお母ちゃんは数ヶ月~半年をかけて
ゆっくりゆっくり回復してきたんだと思いました。
その後はウソのように回復した私の体。
動けるってステキなコトね!

自宅に帰ってからできるだけ気をつけていることは

★お世話されているお母ちゃんをみじめにさせないよう、明るいコトバをかける。
★シーツとバスタオルのしわを毎回伸ばしておく。交換もマメにする。

この2点。身近にいても、これをできてる患者家族は少ないかも?よ。

これまで、本人が頑張ってきたのが更にわかっただけに
広くん同様、お母ちゃんの成長を願ってやみません。


私の出産&プロラクチノーマでも出産!

2006年10月16日 | 家族の気持ち&行動
お陰さまで、先月28日に
予定帝王切開で無事、男児を出産致しました!

なぜ帝王切開になったか、それを説明すると。。。
それまで順調にきてた妊娠生活+介護生活。
しかし、直前に来て悩みが。。

話せば長くなるのですが。。。
私はプロラクチノーマといって、
脳に良性の腫瘍1.5センチを抱えています。
ふだんは、カバサール0.25錠という
(昔はパーキンソン病の薬で一般的だった薬)
を週に2回飲めば、健常者と変わらず、生活ができます。

ただし、服用しないと、プロラクチンというおっぱいの出る
ホルモンが異常に高くなってしまって、生理が不順になってしまうのと
妊娠継続がしにくい、ということが結婚後に判明してしまい
だんなさまには長いあいだ、一緒に辛い思いや病院探し、
涙の流産経験なども経て、更には2度目の時は
お母ちゃんの介護が始まったばかりの頃で
今思えばしんどい出来事でした。

しかし!自分にプチっと脳に問題があったおかげ?で
お母ちゃんの闘病生活にプラスになったことは多々ありました!
まず、脳神経外科に前知識があったこと、
自分の主治医にセカンドオピニオンをきけたこと、などなど。

2度の悲しい流産を経て思ったことは
脳神経外科と産婦人科の治療方針が別々なこと。で、悩んでしまい
精神的にしんどいことがよけいに悲しい結果にしてしまったのでは?
と感じていました。

脳神経外科は カバサールを服用しなさい、という。
(日本で実績のない薬だけど欧米で奇形児が出たことはない。
 妊娠時は一時やめて、数値が500以上で再開すること)
産婦人科は、パーロデルという実績のある薬を服用しなさい、という。
(ただし、毎日服用しなくてはいけないし、副作用として吐き気がすることがあり、私は以前に試し飲みしてみて、見事吐き気が強かった。)
というかんじで、意見が真っ向から違ったのです。

東京の大学病院でどちらの意見をきくべきか、
つわりの最中に何度も足を運んでききに行きましたが
行けば行くほど、わからなくなり、
そのうちに流産してしまいました。

なぜ、同じ病院なのに科が違うと意見が違うのか?
私は総合的に私の体を診てくれるかかりつけ医が欲しいと思うようになりました。
そして、医者の意見はいつも、最悪の事態から説明すること。
治療方針はいくつかあって、その中の選択は最終的には自己責任であることを
この3~4年ほどで痛感していました。

だから、3度目の妊娠がわかった時
判断は自己責任でしよう!とカバサールの服用の仕方は自分とだんなさまと
相談して決めていきました。
メインの産婦人科を実家の近くの大きな産院と決め、
脳神経外科のかかりつけは、お母ちゃんの主治医にお願いして
定期的に自分でプロラクチン採血もチェックしてました。

服用は、妊娠発覚後から3ヶ月まで週に1錠ほど、赤ちゃんの心音がきこえた
ところで、服用ストップ。
その後は、頭痛がした時と、数値が500を超えた時だけ最小限の服用に
とどめておきました。

ずっと、赤ちゃんに影響がないことを祈りながら。

そして、話は元に戻るのですが
自分としては3000gぐらいで自然分娩ができたらいいなーと
思っていました。
ところが!私の赤ちゃんは40週になっても出てくる気配がなく
推定体重は3400gと小さいお母さん(←私)にしてはちと
デカイベビーになりすぎてきて、かかりつけの産婦人科医が
あわてだしたのです。
しかも、プロラクチンの数値が1100を超えていた!(恐ろしい)

で、一応脳神経外科にも連携をとっておこうと予定日に
打診をしたところ、同じ院内の会ったこともない
脳神経外科部長の一声がかかったのです!

『この患者は、下垂体卒中を起こすかもしれないから
 帝王切開で産むべき。又、産前にMRIを撮らしてほしい。』と。

で、すごーく悩みました。だんなさんと。
悩んで悩んで、本当は自然分娩で産みたかったけども
お母ちゃんを介護してきて、脳出血の恐ろしさを知ってるし
6月にたまたま観た『世界で一番パパが好き』という映画で
出産時に脳溢血で他界してしまったママのストーリーを思い出し
家族に迷惑をかけてはいけないと、
カバサールを一粒とりあえず、飲み数値を抑えた後
予定帝王切開することを決断しました。
(MRIも、胎児への影響を考えて出産後の入院中に撮ることにしました。)

とはいえ、当日の朝、浣腸されても
まだ悩んでましたし、逃げ出したかったですけども。。。

ということで、産んでみたら
3352gの元気な男の子が出てきてくれました。

無事に産まれてきてくれて本当に嬉しかったです。
ちなみに、私のかつての東京の主治医の話によると
先生のプロラクチノーマの患者は約100人いて
そのうち10人ほどが出産しているとのこと。

でも、出産時に500を超えた人は今までいなかったんですって。
どうやら、学会レポートできる例になってしまったらしいんです。

ということで、自分のコトを話すのは本当は嫌な私ですが
かつて、プロラクチノーマでも出産した人がいないかなぁと
ネットで探したこともある私ですので
体験談として残しておくことにします。

神様に感謝します。