goo blog サービス終了のお知らせ 

★tomoe-母のクモ膜下出血闘病日記

元気だったお母ちゃんが2004年2月17日突然倒れた。クモ膜下出血。家族の事、インターネットでできた事。体験談など。

気分転換にデザインテンプレート変更

2011年05月26日 | 家族の気持ち&行動
他の仕事のブログのデザインテンプレートが
今朝、白紙テンプレートに急に変わってしまい。。。


システムトラブル?誤作動?
ログインされてしまった???

個人ブログのこちらを見たら、いつものテンプレートデザインだから
システムの問題ではなさそう。。。

というわけで気分転換にこちらも
ちょっとブログのテンプレートデザインを変更してみています。
花がいいかなぁと。
空も捨てがたい。。


やっぱ花にしておきます+

私にできるコト

2011年05月07日 | 家族の気持ち&行動
多くの方々が被災され、今も尚放射能という見えないモノと戦わなくてはいけない現実。
せめて私のできることは何?と考え実行しているコト。。。

 東京の義父母と千葉の赤ちゃんたちに水を送る。
 
 レストランに募金箱を設置し、定期的に小額でも募金する!
(全国の郵便局から日本赤十字社(被災地全体)へ手数料なしで送金できます)

 フェイスブックなどで、正しい情報を入手するようアンテナをはる&裏付け的情報も探すようにする。

 広島の私の仕事を当たり前にキチンとして経済をまわす、一員になり続ける。

 その為にはお母ちゃんに元気でいてもらわないと困るので、土日の介護もほどほどに頑張る!
 
 
などでしょうか?

以下はフェイスブックに書いたコメント。
参考になる人もおられれば。。。と転載しておきます。

先日、広島の知人66歳女性の方と被爆の話をしていたところ『原爆の後、おばさんがどくだみ茶を飲んで助かったと幼い頃きかされた。鼻血や下痢、髪の毛まで抜けたのに裏庭のどくだみを採ってはお茶にして親が飲ませてくれたおかげで85まで元気に生きて子どもも生み育てた。』とききました!
しかし、例によって科学的裏付けはありません。『どくだみ茶 被爆』 で検索したら同じような質問がヤフー知恵袋でされていました。http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1357992798
民間療法ですので、興味ある方だけ見てください。どんな病も症状もちゃんとした医師にかかって正しい診断を受けることは大前提です。しかし過去の経験から良いと思うモノをダメ元でも色々と試してみる価値はあるかもしれないというコト。子どもを持つ方ならいろんな可能性を試して命を守れるものなら守って欲しいと願っています。



実は、話が大きく変わりますが、私は結婚後購入した家の前にあった焼却炉の環境問題が勃発して
区と都を相手に戦った経験があります。
弁護士に相談に行ったり、義父母に紹介された議員さんにお願いしたことも。

でも誰に泣いて抗議してもたいして変わらなかった。
弁護士さんにいたっては、何をきいていただいても時間5000円の相談料が
とられるだけで(苦笑)改善されずに、怒りと悩みでしかも、
脳腫瘍まで発覚。。流産もするわでどん底でした。。。


そんな時。広島の父がぽっと言ってくれたんです。

『そんなに辛いなら、家を売ってマンションに引越せばいい。
 モノに固執して人生を失うなんてアホだぞ。
 それに、焼却炉の人にも怒ったり泣いたりせずに
 おたくさんも商売でしょうから大変でしょうけど、こうこうこうゆうデータが出て
 違反されているぶん、ココを改善してください。って泣かずに努めて
 やさしくお願いしてみろ。』

と言ってくれたんです。そして、そんなもんかいな?と思いつつ
騒音の測定器を区に借りて、証拠ビデオも撮り、いざ話し合いの席で泣かずにデータを出して
お願いしたらあっさり改善工事をしてくれました。本当に父に言ったとおりになりました。

その後、本当は多少なりとも?その家にいたくなかったのですけど
ちょうどタイミング良く主人が名古屋へ転勤になり
一気に私の環境問題という悩みは解決しました。

時々テレビなんかで、欠陥住宅の方がクレームを言っているのを拝見したりすると
過去の私を見るようで。。。怒っても泣いても解決せんよー。
あぁ、そこまで追い詰めたら、動けなくなっちゃう。。。
怒りすぎずに、できるコトを要求した方がええよーと思ってしまう。

批判や抗議は誰でもできる。
本当に何かを変えたいなら一歩づつでも前向きに行動する人が増えたら。。
なかなかできないことですけど、許す?というか、相手も思いやるコトも必要なのか?
あきらめずに批判しすぎずやり続けたら、何かが変わらないかなぁと思っています。

余談ですけど、何かヒントになる方がおられれば。。。



当時の私にとっては家は全財産で、ありえない問題でした。




私にできたコト

2011年05月07日 | 独自リハビリ
お久しぶりです。

久しぶりにブログ更新です。前回書いた千葉の恩人Kさんの双子の赤ちゃんたちは
震災発生後1週間目に広島へ来て、最初の3日は私の家へ泊まってもらい
長期化することも視野に入れて、私の職場の上のフロアが空いていたので
そこに引っ越してもらって過ごしてもらいました。

 私ができたコト
まずはレストランスタッフに優しくしてあげるようお願い(一人で頑張らず、周りにSOS発信!)
市の保健婦さんを呼んで、予防接種の手続きをしたコト(バトルの上、味方につけることに成功)
市の保育所に空きがあるか確認したコト(これは結局利用せず)
市の子育てボランティアに電話して派遣登録したコト(ボランティアさんのお陰で双子ケア乗り切れました!)
赤ちゃんたちに快適な部屋と環境をできる範囲で用意したコト(我が家のベビーグッズ総出動!)
中古の冷蔵庫を運んだコト(重かった~けど離乳食づくりに活躍!)
お母さんの情報収集の為にLAN配線とノートパソコンを貸したコト
ベビーバウンサーをリサイクルショップでゲット☆
晩ご飯だけは差し入れ。(をほぼ毎日がんばれた?)

などなど。広島入りした日の晩。双子ちゃんのお母さんは青い顔をしながらも
必死でミルクをつくり、飲ませ、風呂に入れ終わって寝かしつけた後
『私がしっかりしなくちゃいけないんだけど。。。』
と言って涙を流しながら余震の恐怖や見えない放射能の恐怖を語ってくれました。
(恩人Kさんに託された、お嫁さんとその双子の男女の赤ちゃんたちとは初対面でした。。)

その後、お母さんは、元気と笑顔を取り戻しつつ
双子の赤ちゃんたちもすくすくと過ごし
約1ヶ月ほど疎開生活をされた後
長期化することを踏まえて、疎開依頼主のKさんとパパが迎えに来て千葉へ帰っていきました。。。

私が今回こうしてお世話できたことは
大変ではありましたけど
10年越しの恩返しでもありました。

Kさんは、10年前に私がイタリアへ料理留学する際にお世話してくださった方で
イタリアへ女子が一人で行く前に、ドイツの当時の自宅へ呼んでいただき
自己防衛術?とか海外のルールなんかをファミリー皆さんで教えていただき
当時禁止とは知らずにその方の子どもさん達とライン川でバーベキューをしたのも思い出。
あの時一緒に遊んだ息子さんが今28歳。そして双子のパパだなんて。。。
時の流れを感じずにはいられません。

その後、Kさんの部下を紹介していただき
広島から東京へ嫁ぎ(←ココものすごく割愛します)
お母ちゃんが倒れ、広島にウェイトを置いた生活になり
5年かかって、子供が生まれ、本格的に広島に移住(戻り)、現在に至る。。。

そして疎開を受け入れられるまでに
大人になれたこと。Kさんに恩返しができたこと。
私の息子に、自分より小さくて大切なものをお世話することの経験。

いろんな意味で良かったと思いました。

今回の経験で気づけたことは
『気に入らない人を排除するのでなくて、味方につける生き方をすると楽。』
ということでした。うまく伝えられないかもしれないけども
私にとっては本当に良い経験になれました。

市の保健婦さんにも、たらいまわしに電話しろと言わず、
介護のケアマネージャーのような存在になって
疎開ママを支える窓口的存在になって欲しいと強く要望を伝えたので
後に続く方たちが多少なりとも、手続きで疲れなくても良くなったはずと自負しています。

何より、数日前に、赤ちゃんたちの写真とお手紙をいただき
『私たちも将来、他のだれかに恩返しができたらいいな。そうなれるように頑張りたいです。』
と書いてあって、とても嬉しかったです。

いつか、大きくなった赤ちゃんファミリーと会うのが楽しみです。