★tomoe-母のクモ膜下出血闘病日記

元気だったお母ちゃんが2004年2月17日突然倒れた。クモ膜下出血。家族の事、インターネットでできた事。体験談など。

過去、現在、未来 ★過去編

2004年10月27日 | 家族の気持ち&行動
いやー。テレビを見て毎日のように
いろんな事件、事故、災害があって
幸いにも私らは生きてる。
人間いつ何があるかわからない。だからこそ、
できることは明日に先延ばしにせずに
日々頑張っていきたいなぁと、そう思います。


私の性格は自己分析すると
ポジティブシンキングのコツコツ派?
煮詰まってくるとエスケープ。で気分転換。
すこしいい加減。こだわる所はこだわる派?
でも繊細。。。開き直ると強気。

なので。。。

お母ちゃんが倒れた時、
わー。エライことになった。
でも私がちゃんとせんと(父ちゃんがいっぱいいっぱいになっとる!!)
と思いました。
なっちゃったもんは仕方なし。
それより、後悔しないように
地方でも最善の医療がなされているのか私と兄ちゃんの目で
厳しく見つめようと思いました。(疑い深い性格?)

すぐに自分の脳神経外科の主治医(日本医科大学)に電話してセカンドオピニオンをきいた。
(実は私の脳に小さな良性腫瘍があって、通院していたから
 脳のハナシには少しだけ詳しかった。どんな経験も役立つ時があると思った。)

最初の3日は
お母ちゃんのそばで、励ましたり、手足をさすったりして
パワーを与える(<すごい思い込み)ことに必死だった。
ほとんど24時間、誰か家族が側にいて、その後、
仕事をしていない私が夜の担当になっていった。
たえず、話しかけたりして、看護婦さんに驚かれたこともあった。
3日目の朝に、さすがに静かな時間になると涙がじわじわきたけど
何か他にできることはないのか?と考えて
親友に情報SOSの電話をした。
キーワードを伝えて、ネットで情報収集をお願いした。
友だちってありがたいと思った。
ツライ時こそほんとうの友だちの存在に気がついたりした。
少し落ち着いてから、エステに連れて行ってくれた友だちもいた。本当にうれしかった。
その2日後にだんなに会ったら<おくさん、あんまりやつれてないじゃん。>と言われた★

ちょっと話しがそれた。。。
そして、ICUで主治医の先生が家にほとんど帰らず診てくれていて
信頼できるとわかった瞬間、うちら家族は揃って家に帰った。

その足で、
墓参りに行った。現状報告とお見守りくださいと手を合わせた。

そして地元の神社に行った。
祈祷をお願いした。丁寧に丁寧に宮司さんが話をきいてくださり、ご祈祷してくださった。
そのお守りは今もお母ちゃんの側にある。

それから、檀家にさせていただいているお寺に電話して
特別にお経をあげていただいた。
あの時、お寺に向かう途中で急な雨がふり
お経をあげていただいている時、突然雷が鳴ったのは
何とも言えない思いがしたけど、必死に手を合わせて祈った。

その後、親類縁者のお墓まいりに行った。
親戚のおばちゃんたちも協力してくれて、
あらかじめお掃除をしておいてくれたりして
(今思えばみなさんのお陰だと感謝しています。)

その後、般若心経をしようと兄ちゃんが言い始めた。
父ちゃんも私もすぐに同意。
(なぜかと言うと、私が小1の時、お母ちゃんは不治の病にかかった。
 でも毎日お墓まいりに行って、お父ちゃんが般若心経を書いたら
 半年で治った経験があったから。現在の私があるのは
 お母ちゃんがあの時にも生き延びてくれたお陰なのだ。)
家族みんなで手分けして書いた。
ベッドの下6枚と患部の下6枚すぐにひいた。
病院の看護婦さんには、おまじないだと説明。
時々そんな家族がいるらしく、あまり驚かなかった。

とにかく毎日が忙しかった。
だからあんまり泣くヒマもなく、リサーチと家と病院の往復で精一杯だった。

そのうち、親戚がアメリカの神の手を持つ天才脳神経外科医
のセカンドオピニオン相談をしたら?と教えてくれたこともあった。
えー。そこまでする?と内心思ったが、やっぱり後悔したくないので実行。
自分の主治医に電話してたのでほんとはサードオピニオンなんだけど、
まず日本語で手紙をかき、翻訳をいとこに頼み、アメリカへFAXした。

結局、手術をしてもらえる状況は脱していたのでお世話になることは
なかったけど、とても勉強になった。
日本の医療のスタンスと欧米のスタンスの違いなど。
基本的には自分と家族の体を守るのは自分だ、と思った。
常に疑問と真実を見極める必要や、医療スタッフを真剣にさせる質問の仕方など。
ただ、先生への質問の仕方、タイミングなどは細心の注意が必要なことも。
プライドある職業の方には、尊敬の念を忘れてはいけないです。

そして、嫁ぎ先が東京なのを武器に上京する度に
東洋医学の権威のところに話をききにいったりもした。
そしたら、西洋医学ではダメといわれた現状も
治ると言われて、本当にうれしかった。

でも、本物に出会うこと、それを見極めるコトは本当に難しい。
お金も時間も足も使った。お母ちゃんが本当に復活したら情報公開したい。
今はまだその時期じゃない。

幸い、金銭的な面は
お父ちゃんとお兄ちゃんが全部請け負ってくれた。
私の行動の自由は、だんなさんとそのご両親が温かい心で許してくれた。
だから、私は最善のものを、探すことができた。
皆さんに感謝している。




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