高校2年生ともなれば、顔のニキビは花盛り。自分は子供の時から脂性が強くて、結構、ニキビには悩まされた。しかし、オシャレなどは毛頭する気はなく、黒い詰襟の学生服一つで夏冬のあらゆる場面を過ごした。靴は高校1年生から黒の革靴を履いていた。中学生の時は布製の運動靴であったが、学校のレベルが一つ上がったことを本人に成り代わって靴が証明していた。
当時の男子高校生はバンカラに憧れていた。人から女々しく思われるのが嫌であった。必要以上に身なりを構うことに気恥ずかしく感じた。しかし、一つだけ気になることがあった。それは丸刈りの坊主頭であった。殆ど全員が坊主頭であった頃は、そんなに気にもならなかったが、高校2年生になって、学友の何人かが髪の毛をのばし始めると、あいも変わらぬ囚人のような丸刈り頭が、急に恥ずかしくなって来たのであった。
坊主頭から普通の長さの髪型になるには半年程度の時間がかかる。自分は高校2年生の半ば頃には、もう普通の長髪と言っても良い長さになっていた。同じ学年の仲間内では早い方であった。中身はともかく、頭の格好だけは、やっと大人の仲間に入ったという満足を感じた。
しかし、思春期の心情はなかなか複雑なものであった。高校2年生は最後まで長くふさふさとした髪型で通過したが、3年生になって、またばっさりと丸坊主にしたのである。あまり深いわけはなかったが、人を驚かせたいとか、人の注目を集めたいとか、揺れ動く少年心理のなさしめるところであった。
3年生の1学期がそろそろ終わりかと言う頃、何故かむらむらと、もっと勉強しなくてはと言う一念発起の気持ちが心の中に持ち上がってきた。この気持ちに対して自分をコントロールできなかった。毎月行く散髪屋で発作的に「ばっさりと切って下さい」と言ってしまったのであった。散髪屋のお兄さんは、我が髪の毛にハサミを入れる前に、三度念を押した。
「ほんまに切るでぇ、ええなあ!」
「うん、かめへん!」
「ほんまに切ってもええねんなぁ!」
「うん、ええ!」
「ほんまに、ほんまやなぁ!」
「うん、早よ切ってぇや!」
と言うやりとりの後、散髪屋のお兄さんの方が躊躇して、恐る恐る当方の髪の中へバリカンを入れたのである。
ふさふさとしていた頭もあらためて坊主頭になってみると、何とも言えない見苦しさであった。散髪屋からの帰りは、帽子で頭を隠して人に見られないように、ほうほうの体で逃げ帰った。帰って、何度も鏡を見ては、「しまった、早まった」と後悔した。
学校へ行くと、みんなじろじろと人の頭を見た。
「何かあったんか?」
「何でや? 失恋でもしたんか?」
などと、クラスメート達の集中砲火を浴びる始末であった。
自分は正直に、「気分を変えるためや!」「これで勉強できるぞ!」と説明しまくった。みんなは分かったような、分からんような顔つきであった。しかし、世の中は面白い所だ。少なくとも二人の追随者が直ぐに現れた。断髪の理由はそれぞれ違っていたかも知れないが、折角伸ばした髪の毛を思い切りよく切ったのである。
高校3年生は、卒業アルバムを編集する年でもある。丸坊主にした丁度その直後、卒業アルバムに載せる個人写真の撮影があった。そのタイミングに腹立たしくもあったが、「何で坊主頭で一生の記念写真を残さなアカンねん!」と、むかっ腹を立てても、後の祭りであった。カツラをかぶるわけにも行かなかった。
卒業アルバム編集のスケジュールは当方の行動とは関係なく進んでいた。自分一人の髪の毛が伸びるまで待ってはくれなかった。このときの自分の心理をうまく説明することができないが、「まあええわ、その代わり、ついでにメガネも外しといたろか!」と、普段、寝るときと風呂へ入るとき以外は、外したことのないメガネまで取って、一見して、だれの顔か分からないような素顔になって、カメラの前に立ったのであった。誰にも迷惑が掛からない自分だけのこととなると大胆であった。
写真部に居て、卒業アルバム担当であった康岡君が写真を撮る直前に、当方のメガネまで外したヤケッパチに言ってくれた。「ユーさん、何すんねん。男前のユーさんが台なしやんけ!」と。しかし、そのようなことでたじろぐ自分ではなかった。そのまま、写真機の前でポーズを取って、一生に一度の高等学校の卒業記念の写真撮影を終えた。その後も、このアルバムの顔写真を見る度に、クソ真面目ではあったが複雑に揺れ動く17歳の少年の心が思い出されて、思わず苦笑がこぼれてくるのであった。
当時の男子高校生はバンカラに憧れていた。人から女々しく思われるのが嫌であった。必要以上に身なりを構うことに気恥ずかしく感じた。しかし、一つだけ気になることがあった。それは丸刈りの坊主頭であった。殆ど全員が坊主頭であった頃は、そんなに気にもならなかったが、高校2年生になって、学友の何人かが髪の毛をのばし始めると、あいも変わらぬ囚人のような丸刈り頭が、急に恥ずかしくなって来たのであった。
坊主頭から普通の長さの髪型になるには半年程度の時間がかかる。自分は高校2年生の半ば頃には、もう普通の長髪と言っても良い長さになっていた。同じ学年の仲間内では早い方であった。中身はともかく、頭の格好だけは、やっと大人の仲間に入ったという満足を感じた。
しかし、思春期の心情はなかなか複雑なものであった。高校2年生は最後まで長くふさふさとした髪型で通過したが、3年生になって、またばっさりと丸坊主にしたのである。あまり深いわけはなかったが、人を驚かせたいとか、人の注目を集めたいとか、揺れ動く少年心理のなさしめるところであった。
3年生の1学期がそろそろ終わりかと言う頃、何故かむらむらと、もっと勉強しなくてはと言う一念発起の気持ちが心の中に持ち上がってきた。この気持ちに対して自分をコントロールできなかった。毎月行く散髪屋で発作的に「ばっさりと切って下さい」と言ってしまったのであった。散髪屋のお兄さんは、我が髪の毛にハサミを入れる前に、三度念を押した。
「ほんまに切るでぇ、ええなあ!」
「うん、かめへん!」
「ほんまに切ってもええねんなぁ!」
「うん、ええ!」
「ほんまに、ほんまやなぁ!」
「うん、早よ切ってぇや!」
と言うやりとりの後、散髪屋のお兄さんの方が躊躇して、恐る恐る当方の髪の中へバリカンを入れたのである。
ふさふさとしていた頭もあらためて坊主頭になってみると、何とも言えない見苦しさであった。散髪屋からの帰りは、帽子で頭を隠して人に見られないように、ほうほうの体で逃げ帰った。帰って、何度も鏡を見ては、「しまった、早まった」と後悔した。
学校へ行くと、みんなじろじろと人の頭を見た。
「何かあったんか?」
「何でや? 失恋でもしたんか?」
などと、クラスメート達の集中砲火を浴びる始末であった。
自分は正直に、「気分を変えるためや!」「これで勉強できるぞ!」と説明しまくった。みんなは分かったような、分からんような顔つきであった。しかし、世の中は面白い所だ。少なくとも二人の追随者が直ぐに現れた。断髪の理由はそれぞれ違っていたかも知れないが、折角伸ばした髪の毛を思い切りよく切ったのである。
高校3年生は、卒業アルバムを編集する年でもある。丸坊主にした丁度その直後、卒業アルバムに載せる個人写真の撮影があった。そのタイミングに腹立たしくもあったが、「何で坊主頭で一生の記念写真を残さなアカンねん!」と、むかっ腹を立てても、後の祭りであった。カツラをかぶるわけにも行かなかった。
卒業アルバム編集のスケジュールは当方の行動とは関係なく進んでいた。自分一人の髪の毛が伸びるまで待ってはくれなかった。このときの自分の心理をうまく説明することができないが、「まあええわ、その代わり、ついでにメガネも外しといたろか!」と、普段、寝るときと風呂へ入るとき以外は、外したことのないメガネまで取って、一見して、だれの顔か分からないような素顔になって、カメラの前に立ったのであった。誰にも迷惑が掛からない自分だけのこととなると大胆であった。
写真部に居て、卒業アルバム担当であった康岡君が写真を撮る直前に、当方のメガネまで外したヤケッパチに言ってくれた。「ユーさん、何すんねん。男前のユーさんが台なしやんけ!」と。しかし、そのようなことでたじろぐ自分ではなかった。そのまま、写真機の前でポーズを取って、一生に一度の高等学校の卒業記念の写真撮影を終えた。その後も、このアルバムの顔写真を見る度に、クソ真面目ではあったが複雑に揺れ動く17歳の少年の心が思い出されて、思わず苦笑がこぼれてくるのであった。


