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ユーさんのつぶやき

徒然なるままに日暮らしパソコンに向かひて心にうつりゆくよしなしごとをそこはかとなく書き綴るブログ

第384話「吉田文武先生」(平成15年~21年)

2009-03-17 | 昔の思い出話
 京都大学名誉教授であられた吉田文武先生は大学時代の恩師である。先生は90歳を越えても、まだまだカクシャクとしておられた。久し振りにお目にかかって、少し背中が丸くなったような気がしたが、我々の遠慮がちの低い小さな声に聞き直すことなく、直球の返球が即座に返ってくるのであった。此処でのお話は先生の91歳の時の思い出話である。残念ながら、先生はその数年後、94歳で老衰のため他界された。
 この先生を囲んで雑談する「先生を囲む会」の関西部会が、毎年、京都で行われており、この年度は、昔同じ研究室で同じ釜の飯を食った大阪大学教授の古田先生(仮名)と自分との二人が世話役を勤めた。
 吉田先生は埼玉に生家があり、京都松ヶ崎に自宅があった。先生は91歳になっても絶えず京都と埼玉の間を、苦にもせず、ご自分の足で往復しておられたが、「先生を囲む会」の世話役の手前、京都のご自宅を訪問する機会があった。約2時間の訪問においては40年前の師弟関係の再現であり、話題のイニシアチブはずっと先生の側にあり、教わるばかりの時間を過ごした。
 先生の京大退官後の足跡を振り返ると、先生は70歳になろうと80歳になろうと、ほとんど年齢と関係のない道を歩んでこられた。90歳になっても諸外国の研究者と交流して、世界中を歩き回って居られた。その昔、戦後間もなくフルブライトの交換教授として、数年間アメリカで教鞭を取られたこともあって、英語が極めて堪能であられた。また、退官前の京大教授の頃は、研究成果を日本の化学工学会に投稿するよりも、アメリカの化学工学以外の学会で発表する方が多いとされた先生でもあった。
 先生について最も感心するのは、60歳を越えてから、従来専門としてやって来られた吸収工学や蒸留工学など化学工学内の専門分野に捕らわれず、当時彷彿として沸き起こった新領域、すなわち医用工学や人工臓器等の研究に転進されたことにあった。年などとは本当に無関係に、怯まず恐れず、淡々と新しい領域に首を突っ込んで、新しい情報に接し、国際的な交友関係を一から築かれた。初老の人間、特に頭が固くなり始める頃には、是非、模範的なモデルとして、先生の生き様を見習うべきだ。先生の生き方は特筆に価する。
 この「吉田先生を囲む会」の世話役として、久しぶりに先生と並んで先生とお話をさせて頂いたが、本当にお元気であった。先生の長寿と元気の秘訣は何であったのだろうか?先生の元気エネルギー維持のノウハウが何処にあったのか? 自分としても、これらの秘密を知りたいのは、極めて、自然であった。
 吉田先生は我々弟子が大学を卒業する頃、先生の歳で言えば60歳のころから、山歩きにのめり込んで、「自分は年だ」などと言わずに積極的に体力の増進と維持に努められてきた。毎週のように、京都北山にハイキングに行かれた。我々が在学中はもちろんのこと、卒業してからも、先生から声が掛かって、ハイキングにお供したことも多い。しかし、何にも増して、年を取ってから、新しい世界を見つめ直し、ご自分の研究生活において新しい世界に没入して来られたことが一番の原因ではないか。
 自分自身は、誰に強制されるのでもなく、自らの意思で、会社エンジニアから経営コンサルタントに転進したと思っていたが、実は、潜在意識の中で、この吉田先生の生き様を密かに真似て来たのだ。先生は、80歳になってからも、ドイツ、スイス、イスラエル、ニュージランド、オーストラリアなどへ行って、講演をしたり、研究発表をしたりしてこられた。
 実際、大学卒業後、先生にお目にかかるたびに、元気エネルギーを頂戴した。60歳になってからも、恒例の秋の「先生を囲む会」でお目にかかるたびに、定年後の人生を送っている鼻たれ小僧の弟子達は、まだまだ、頑張らねばならないと感じさせられた。先生から見れば、まだまだ、赤子である弟子たちは「年だ」と言って、楽をしようとしてはいけないことを、先生は身をもって示されていた。
 下記は先生への記念品を贈るときに添えた世話役である当方の言葉である。手抜きをして、記念品として図書券を選んでしまったので、金銭を送る品の悪さを感じさせないため、オブラートに包む作戦であった。

 吉田先生
 昨年は卆寿をお迎えになりました
 誠におめでとう御座いました
 そして今年はプラス1年になりました

 おめでたい卆寿ですが
 それを越えるともっとめでたいと思います
 これから1年増えるごとにもっともっとめでたいと思います
 弟子たち一同吉田先生の健康を祝し大いにあやかりたいと思います

 そしてこれから8年経って
 ここに揃った弟子たち全員ともに元気で
 吉田先生の白寿を揃ってお祝いすることを誓います
 その願いを込めて先生の末永きご長寿をお祈りいたします

 吉田先生は
 学問の道では偉大な先達として
 また人生の道でも比類なき先輩として
 私たち弟子たちに模範を示し続けて来られました

 吉田先生は
 これからもご健康の証(あかし)として
 いつもお元気に埼玉と京都の間を往復してださい
 天気の良い日には埼玉や京都の小道を毎日歩き続けてください

 私たち弟子たち一同は
 心から吉田先生の今日のご健康を祝います
 そして心から先生の白寿の日をお待ちしています
 吉田先生の背を仰ぎ見つつみんな揃って頑張りたいと思っています
 
 これを皆の前で読み上げた。読みつつ感じたことは、此処でも、これはただの散文ではないか?であった。またもや、途中で何度も「皆さん、実はこれ、詩なんです」と釈明しながら、故意に抑揚を付けて読み上げた。もちろん、詩などと称するものは、学生時代から皆の前で披露したことはない。自分としても、とんだ恥をかいているような気がした。しかし、後刻、事の顛末や主旨を、司会進行役相棒の古田先生から補充説明された吉田先生は、「毛利君は詩が趣味とは大変羨ましい」「詩は絵と違って、後に残っても嵩張らないので大変良ろしい」などとのご感想とお褒めの言葉を頂戴したらしい。
 吉田先生には、幸いにもこれを「詩」と受け止めていただいた。また、記念品を金券にして特にご立腹の様子もなかったようだ。自意識過剰に陥らず、事前に勝手な評価をして遠慮して止めてしまわず、堂々とやって、その中を突き抜けば、それはそれで、案外、正当に評価され、うまく行くものだ。


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